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2010年10月 アーカイブ

2010年10月01日

ダイバー憧れのレッドシー

■エジプトのリゾート「シャルム・エル・シェイク」
 
2日目、カイロから700キロの、シナイ半島先端のリゾート地「シャルム・エル・シェイク」へ… メイン道路に沿って、ヒルトンなど高級ホテが並び、 ヨーロッパからの観光・保養客でにぎわっている。
 
リゾートの道路沿いやホテルには、一面芝が敷かれ、様々な樹木が植えらていて美しい。しかし、目を数百メートル外へ向けると、 そこは砂漠…40度はあろうか…空は青く、 日ざしがチリチリ肌を刺す… 空気が乾燥していて汗がまったく出ない。

エジプト1 エジプト2
宿泊した5つ星ホテル 私たちが乗った同型のボートと、
リゾートを望む
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803 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「ダイバー憧れのレッドシー」

エジプト3 エジプト4
エジプト5 エジプト6
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リゾートに面する紅海は、色彩豊かなサンゴ、色鮮やかな熱帯魚、サメ、 マンタ、 イルカなどの大小の魚影が豊富… そこは天然の水族館。 年間20ミリ降水量は、抜群の透明度を生み出し、世界のダイバー憧れのスポットになっている。

エジプト7 エジプト8
エジプト9 エジプト10
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2010年10月06日

犬の肉を食べる韓国人

■中国…人肉を食す”食人”の悪習
 
李氏朝鮮は、勢道政治に終始する中国の悪政をそのまま踏襲した。
中国を宗主国として崇め、美辞零句をもてあそぶことも、弱者をもて
あそぶことも、すべて本家中国に学んだ。
 
中国文学を代表する”魯迅”が、処女作「狂人日記」の中で、主人公
の中国人に中国の歴史を語らせるくだりがある。
「自分では人間を食いたいくせに、 他人からは食われまいとする。
だから疑心暗鬼になり、 お互いじろじろ相手を盗み見て… (略) 
四千年の食人の歴史をもつ俺…」
 
中国には長い歴史、救い難い”食人”の習慣があった。
周辺諸国を侵略して、 同じ人間を食い散らかしてきた歴史があるの
です。
易牙という料理人が、自分の子を蒸して、夏の”桀王(けつおう)” と、
殷の”紂王”に食べさせた話はよく知られる。
「三国志」の中にも、”劉備玄徳”が人肉料理を振る舞われ、楽しむ
場面がある。
李氏朝鮮が真似をしなかった中国の悪習は、「てん足」 と「人肉食す」
の二つだけ…。
                  崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」
 
 
804  【心と体の健康情報】 
~食と健康~ 
「犬の肉を食べる韓国人」
 
ソウルでオリンピックが開催されることになった時の話です。
英国の動物愛護協会が「犬の肉を食べる野蛮な韓国に、 選手を派遣するわけにはいかない」と、 国際世論に訴えたことがある。
 
韓国は「犬の肉を食べるのは、わが国固有の習慣であり、 文句を言われる筋合ではない」と反論したが、結局オリンリッピック期間中 「犬の肉を供してはいけない」との通達を全国に流し、オリンピックを無事済ませた経緯がある。
 
選手村に犬肉メニューがあって、選手に食べさせようとしているわけではない… 韓国の一部の人が食べているだけなのに、 何でイギリス人が文句をつるのか?  韓国人が犬の肉を食べてなにが悪いのか?… 韓国の人たちの偽らざる気持ちです。
 
考えて見ればおかしな話です。食文化が違う国の人間が、 どうして食べ物に文をつけるのか? 日本人は、西洋人が気味悪がる「タコ」や「ナマコ」 「生魚」、臭いからと嫌われる「納豆」「沢庵」を常食する。「鯨肉」 を食べるのも、日本古来の食文である。
 
牛や豚はいいが、鯨は許せないという西欧人。「かわいそう」だからと、 世界の国々が鯨やイルカを食用にすることを禁止しようと、日本にを掛けるのは、遥から鯨肉を食してきた日本人には、許せなことです。
                                
西欧諸国は、昔から牧畜が盛ん…犬は、家族の一員のような役割を担ってきた。 日本も…犬は愛玩動物。”食料” にするために飼うことなど、考えもしない…だからかわいそ…野蛮な行為で許せない…となる。
人と心理的に深い繋がりのある動物を食べてしまうなんて… 嫌悪感から来るであり、文化の違いから発生する問題なのです。
 
コッコと鳴いている鶏を、お客様が見ている目の前で毛をむしり、首を落とし、 ご馳走だ丸焼きにして出されたら… 家庭で鶏の首を絞めたり、 飼っている豚を殺して、丸ごと焼いて食べる… などの習慣のない日本人は…残酷でかわいそう…とても食べるにはならない
 
 

2010年10月12日

エジプト・街の風景


エジプト1 エジプト2
モスク

エジプト4
カイロ 夜の繁華街

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805 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「エジプト・街の風景」
 
エジプト人の88%はイスラム教徒。車窓からは、モスクが次々目に入ってくる。
カイロに入った日は、ラマーダン(断食)明けの祭日だった。
街は人で溢れ、モスの前は大勢人だかり。街の所々に、30畳くらいのじゅうんを敷き詰めた所があって時間になると、 メッカに向かってお祈りをしている。
 
イスラム教は、豚肉やお酒を飲むこと、そして賭け事が禁じられている。
ビールが飲みたくても、街のレストランのメニューには、 ノンアルコールビールしか置いてない…不味いうえ、360ミリリットル缶5ドルもする。
食事は、冷房の効いたレストランで…と、夜の街を歩いたが、風がなく蒸し暑い… 歩くのが辛い…こんな国に住みたいとは思わない。
 
三日目、ホテル前でタクシーを拾い、繁華街に出て食事をすることにした。
距離にして約2キロ…タクシーを降りるとき料金を尋ねたら、「100ポンド」だという… 「高い!」…「負けろ」とジェスチャーするが、譲らない…
アラビア語が分からない
ため、「ウン」も 「スン」も言えない…「ノー」と言ったものの、相手は譲らな
押し問答の末、根負けして 「25ドル」払って下車…カモにされてしまった。
 
後で聞いたら「10ドルでも十分過ぎる」という…3倍近くも吹っかけられたのです…料金交渉してから乗らなかったのが、悔やまれるのです。
 
エジプト3 街を歩く女性はみな、スカーフで頭を被っている…

夫以外の男性に髪を見せてはいけないのだが、稀に頭から足許まですっぽり黒い布で身体を隠し、 目だけ出して歩いている女性に出会う…
手をつないぐ女の子は、日本の子供と変わらぬ 服装をしていて、違和感を感じた。
 
リゾートの繁華街は、にぎやかに店が並び、人、人、人…道路の真ん中は、 ひと6人くらい座り込んで食事をする所が、約20メートル幅で数百メートル連なっている。
 
座席でゆったり背もたれ、 水煙草をゆらしているエジプト人が、 あちこち目に入る…肺のまでたぷり煙を吸い込んで、 フワ~と吐き出す…「大変体に悪いです」とガイド。
 
地元民は、蒸し暑い外で、平気で食事をしている…暑さに慣れっこなのでしょう… 道路向かいの、冷房の効いた店で食事ができるのに、 店内はほとんど客…。
 
リゾートの幹線道路は、中央分離帯を挟んで片側三車線…大小、 車が切れ目な水のように続く…信号がない…横断歩道もない。 3メートル巾の中央分離帯の中に、のかわいい橋が架っている所があって、そこを人が横断して行く。
 
歩行者は、車列のすき間をぬって横断…そこへ「どけ、どけ」と車が突っんでく…気の弱い観光客は歩道に立ちすくんでいる… 「みんなで渡れば怖くない」 は、 このことを言うのだろう。
 
車のナンバープレートはアラビア文字。文字の下に小さく、 3や7の数字が並んる。カイロは、街全体が砂塵に包まれ、建物は汚れ、スラム街もある… 市民らしは貧しそうだ
 
五つ星ホテルの出入口は、守衛がガードしていて、手荷物をチェックしている…
空港と同じ金属探知ゲートをくぐらされる…公共施設、美術館、観光地、 港の乗船場など、 人が出入りするところで手荷物がチェックされる… テロ対を怠らない、 エジトの治安状況を垣間見るのです。
 

2010年10月14日

楽じゃない二代目経営者

■打つ手は無限にあり
 
”経営の神様”と呼ばれた松下幸之助は、会社経営にあたり、
常日頃から不況対策を忘れませんでした。 世の中、不況になるたび
に、会社発展のチャンスと考え、新しい取り組みに挑んでいたのです。
 
その取り組みには、次のような事例が挙げられます。
(1)不況が続く中、他社と同じやり方をしていては駄目…
 見直すチャンスと捉えて、事業の改善・改革に取り組む。
(2)通常よりも一時間早く仕事に取りかかり、余った1時間を自己研鑽
 の時間に充てる。
(3)朝礼で”挨拶実習”を徹底し、より丁重な態度でお客様と接すること
 ができるようにする。
(4)お得意様に、日々の感謝を込めて”挨拶回り”する。
 
業績向上の特効薬をあれこれ模索する前に、やれることをどんどん
実行していくことです。どのような状況にあっても、打つ手は無限に
あります。
経営者と従業員が心を一つにして、会社の変革に取り組まなければ
なりません。
 
 
806 【心と体の健康情報】
~幸せな人生~ 「楽じゃない二代目経営者」
 
社員さんから見れば、さほどの苦労も挫折もなく、若くして社長の椅子に座った二代目経営者は、恵まれたうらやましい存在に写るだろう。しかし、 家業を息子に継がせる親も、継ぐ二代目も、それ相応の覚悟がいるのです。
 
30代半ばの二世経営者が相談に訪れ、腹の内を語ってくれたことがある。 「毎日が重圧と隣り合わせ…社員や取引先…言葉では伝わってこないが、 絶えず前社長と私を見比べている…」
 
平成に入って、二代目ブームが続く…政界もそうだが、私の周りも二代が目立つ。 高度成長期に起業した経営者が、代替わりの時期に来ているのです。
私の知り合いの会社は、従業員二十人前後が多い。「家業」 的感覚で息子や娘婿するケースがほとんど。
 
少子化で、どこも後継者選びは悩みの種…石川県の調査では、 県内企業の約半数は、後継者がいないか未定だという。
不況が続き、会社の将来が見えなくなってきている。 息子に跡を継がせたものかどうか、戸惑う父親…息子も、 父親の会社に人生ねることに悩む… 跡を継がせるだけの、あるいは継ぐだけの魅力がなくなっているのです。
 
協調性があり素直で優しいのが、二代目に共通している。
その一方、淡白で粘りがない… 土俵際にめっぽう弱く、簡単に諦めてしまう…創業社長に見られる、 強烈な個性がないのは仕方がないとしても、父親に習って、寝食を忘れ、苦労を背負ってまで会社を大きくしたいと、思っていないようです。
 
二代目は辛い…創業者が築いた会社を守ろうと、 つい経営が消極的になしまう。逆に、 先代と違うところを見せようと、新規事業に手を広げたり、過大な投資をして…挙句、 経営不振に陥って倒産したケースも…。
 
無論、私の周りは、ひ弱な二代目・三代目ばかりではない…
父親をまねたところで先が知れている…異業種から積極的に経営を学び、 徹して父親をしのぎ、 たくましく業績を伸ばしている後継者もいる
 
やや上向きだった景気も、ここに来て先行きは不透明…株安・円高・ デフレが追いうちをかけ、 生きるか死ぬかの泥沼乱世へ…後継社長が背負う荷は重く、 経営は楽ではないが、 二世経営者は懸命に頑張っている…。

2010年10月18日

劇団四季・オペラ座の怪人

■オペラ座地下の神秘的”湖”は、実際に存在する?
 
「オペラ座の怪人」は、1910年に出版された小説が原作。
ドラマには、オペラ座の地下に怪人が隠れ棲む、神秘的な”湖”がある。
実際、オペラ座地下深くには、地下水処理のための二つの巨な水槽があって、
それが物語の発想になっている。
 
1861年、パリ・オペラ座を着工した時、地下水脈から大量の水が噴出した。
その処理のために建設工事は難航…大量に湧き出る水を地下水槽に溜め、
その後排水することで問題解決。1875年1月、ようやく竣工した。

パリ・オペラ座の写真1
パリ・オペラ座の写真2
パリ・オペラ座の写真3
パリ・オペラ座

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807 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「劇団四季・オペラ座の怪人」
 
数年前封切られた映画「オペラ座の怪人」… ストーリー、 音楽共に素晴らしく、 今も忘れられない…9月の連休、妻と名古屋の劇団四季 「オペラ座の怪人」を観に出かけた
 
私がミュージカルを好きになったのは、S36年公開の映画・ ウエストサイド物語から…その後、メーカーの招待で六本木・劇団四季「マンマミーア」を観賞して、四季ファンになった…観客のほとんどは女性で、 高齢の男性はちらほら…
 
パリ・オペラ座の写真4 「オペラ座の怪人」は凄い!
繰り返し流れるメロディ…
パイプオルガンの旋律が響き渡ると、観客は一気にオペラ座の怪人の世界へ…
映画を観たときのこのメロディーが、 頭にこびりついている。
クライマックスは、怪人の不気味な笑いと共に、 天井の巨大なシャンデリアが激しく 揺れ、 点滅しながら、 主役 クリスティーヌの頭上に落下してくるシーン…
 
限られた舞台で、 客席を恐怖の世界に引きずり込んでいく時の演出は、見事の一言につきる。
 
最も印象に残るシーンは、 第一幕で怪人がクリスティーヌを地底深く連れ去って行くところ…強く包み込むような怪人の歌声…地下へ地下へと下りて行く… 幻想蝋燭の炎…神秘的地底湖を、 怪人はボートを操り、隠れ家へと導く…美しく妖しく、官能的…気がついたら、すっかりドラマのとりこに…。
 
3時間のめくるめく感動、興奮…終演後の鳴り止まぬアンコール… 満足感が全身を包み込む。 「オペラ座の怪人」は、華麗にも妖しいロマンに満ちた愛の物語です。
パリの大劇の中に潜む怪人が、劇場経営者や舞台俳優を恐怖に陥れる…舞台の奈落ゆう湖があるなんて、 一体誰が想像するでしょう…。
 
幕が開くや、そこは1905年のパリ・オペラザのオークション会場… いわくありげな豪華なシャンデリア、ペルシャ衣装の”猿のオルゴール”、 オペラのポスターなど、オペラ座ゆかりの奇怪な品々が、次ぎ次ぎ競り落とされていく。
そして一転、舞台は華やかなパリ・オペラ座…オペラを演じるシーンへと…過去を遡る。
 
美しいクリスティーヌは、オペラ座に潜む怪人に見初められ、 彼の力でプリマへと成長していく… 怪人から愛の告発を受け、その一方で、幼なじみのラウルとも婚約する。挙句、 怪人にさらわれてしまう…。
(劇団四季プログラムから)
 
ストーリー、音楽、舞台装置、衣装、演出、いずれも他を圧倒するスケールと内容… 四季ファンの私を魅了するのです。
 

2010年10月20日

百歳/現役

■老後を考える  
 
長寿社会…2050年頃は、勤労者一人にお年寄一人の、超高齢社会に
なっていて、若い世代は年寄りを背負いきれなくなっているだろう。
老後は人に頼らず、国を当てにせず、自らの貯えで生活していかなけれ
ばならなくなる。
定年後25年間、老夫婦が生活していくのに、月25万円必要だとすると、
25万×12ヶ月×25年=7,500万円になる。
 
年老いて、『死にたくなる』原因に、以下の三っが挙げられます。
(1)お金がない…辛い苦しい、孫も寄ってこない
(2)健康を害している…寝たきりでは、 生きる気力がなえる
(3)孤独… 生き甲斐になる仕事や趣味がない。家族も友人もいない
 
夫婦円満に暮らしていくには、年金を差し引いて、それに見合う貯えが必要
になってくるが、老後も引き続き働ける環境を整え、不動産の賃貸収入など、
現役の頃、早めに将来の収入の道を開いて、老後対策を怠らないことです。
 
「生涯現役」であれば…人のお役に立て、気力が充実し、健康でお金に困る
ことがない…友人にも恵まれ、日々楽しく幸せに暮らせるだろう。
 
 
808 【心と体の健康情報】
~幸せな人生~ 「百歳/現役」
 
私の周りには、80代はまだまだ…90歳になっても現役で、 元気に働いているがいる…超高齢社会にあって、 珍しいことではなくなったのです。
 
身近には、芝寿しの梶谷忠司会長がいる…今年96歳(1913生まれ) になられるが、一昨年、 東京お台場で開かれた千人規模の経営者セミナーで、「創造と挑戦」 と題し、一時間半の講演をされている。
 
私が知る現役最年長は、しいのみ学園園長、曻地三郎氏103歳。百歳を超え益々お元気で、毎年、 世界各国へ講演旅行に出かけているというから、すごい!
次いで聖路加病院理事長”日野原重明”氏98歳。
そして、論語塾でお世話になった、 伊与田覺先生94歳(1916年生まれ)…益々お元気で記憶力は衰えを知らず、毎月約100名の塾生を前に、論てい
 
長生きの秘訣を考えると、この年代は戦地を体験していて、 仕事に取りが違うようだ。また、貧しくひもじい時代に育ち、粗食には慣れっこ… 慣病は無縁の、 病気知らずなのです。
 
(1)偏食せず健康 (2)好奇心旺盛 (3)友人が多い (4)「年だから…」 というが嫌い (5) プラス思考で前向き (6)生涯現役…など、共通するところ多い。
 
更には、今の仕事に誇りを持ち、訪れる客にはアイデアをぶつけて、たな可能性を探ろうとする若さがある… 自分と異なる意見にもよく耳を傾け、… 年寄りに見られる頑固さがない。
 
また、”余命”という言葉が嫌いで、「まだまだやることがある… やりたいことに年齢い!」と言い切る。「元気な間は働き続けたい」と、高齢で働く意欲は衰えない。
高齢現役で働く人は、自営業・医師・学者・芸術家など、長年、知識や技術、 経験んできた人に多い
 
会社勤めの人は、まだまだ働けるのに、 60歳の定年を境に会は働き場を取り上げ、長年培った能力、技術、才能を葬り去ってしまう… 生き斐まで奪ってしまうのです。
「生涯現役」で働き続けることの是非を、若い頃に考えておかなければならないのです。

2010年10月25日

不思議な力に導かれた、王貞治の少年時代

■王貞治/早実野球部での四年間
 
王少年は昭和31年4月、早実に進学した。
1ケ月後の5月3日、早くも関東高校春季大会・都予選決勝で
エースとして先発…5番に起用され、春の選抜出場高・日大三を
4ー0で完封した。
その年1年生の夏、甲子園に出場…二回戦で、岐阜商に1ー8で
破れるも、三塁打を打っている。
 
昭和32年春の選抜、2年生の王選手は、準決勝までの3試合を
被安打10、奪三振27ですべて完封。
決勝で高知商を5ー3で下し、初めて関東に優勝旗を持ち帰った。
 
早実時代、四季連続甲子園に出場するという幸運に恵まれ、
3年の春には、二試合連続本塁打を打っている。
 
                      読売新聞「時代の証言者」
 
809 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「不思議な力に導かれた、王貞治の少年時代」
 
ファイナルステージで、中日を勝利に導いた落合博満監督は、巨人軍で、王、長嶋選手が華やかに活躍していた頃、南海の野村捕手と並び、パシフィックを背負う名内野手として、又、セ・パ両リーグで三冠王になった選手として、 私の脳裏に深く刻みこまれている
 
今の若者は、落合選手や王選手の現役時代をあまりらないでしょうそこで、 王貞治の野球人生を振り返ってみることにしました。
 
王貞治の人生を振り返るとき、何か不思議な力で、 世界の王へと導かれていること気づきます
まず、王貞治の少年時代をたどる時、「1~7」いずれか一つ欠けていたら、巨人王、 世界のは誕生しなかったでしょう
 
1.[姉の死が、生きる力をもらった]
二卵性双生児で、仮死状態で生まれた王貞治…医師にパンと叩かれ、 ようやく弱しい産声をあげた… 姉は丸々太っているのに、貞治は見るからに小さくて虚弱。
両親は見るなり「これは駄目だ」と思ったという。事実、二歳になるまで歩けなかった。
父は東京墨田区の下町で中華そば店を営んでいた。兄弟は十歳年上の兄と、 二人の姉がいた。一緒に生まれた三女は、 一歳三ヶ月の時ジフテリアで急死した…
そのお陰で母のお乳を独占…姉の死が、二人分の力をくれたのです… みるみるに育っていった。
 
2.[左右両利きが、後の王貞治を育んだ]
貞治は左利き…父から、箸を持つのも、字を書くのも、 右手を使うよう厳しく躾けられた。野球も、 投げるのは左だが、打つのは右…それが後年、大きな意味を持つことになる。
 
3.[戦後、ひもじい思いをせずに育った]
終戦直後の貞治…父は中国籍で戦勝国だつたので、進駐軍の配給に恵まれ、 ひもじい思いをすることなく育った。 体も大きくなって、 小学校の同級生より、頭ひとつ背が高い。いつしかガキ大将になっていた。
 
4.[兄に教わった野球の魅力]
貞治に、野球の面白さを教えたのは兄。小学四年の時、慶大医学部・ 野球部のは、 貞治を野球部の合宿に連れていった。手の空いた部員たちが、 キャッチボールやトスバッティングの相手をしてくれた。
 
兄は慶大のエースで4番の強打者… 四割の打率を誇ったという。父は、 貞治が野球の道に進むのを反対した… 兄の説得がなかったら、世界の王は生なかっただろう。
 
5.[理系高校の受験に受かっていたら、王選手は生まれなかった]
中華そば店を経営する父は、兄を医師に、弟の貞治を技師にしたいと願っていた。 理工系大学への進学率の高い、都立隅田川高に行くことに決めていた。
当初は両国高を志願したが、ちょっと無理と先生に言われ、墨高を受けた。
ところが落ちてしまった…貞治は落胆した。
 
6.[荒川との出会いが、王選手を早実へと導いた]
仕方なく、考えもしなかった早実へ…野球をやることに反対の父を、 兄が説得しての進学です。
早実に王少年を推薦したのは、当時毎日オリオンズの選手だった、荒川博さん。 早実出身の荒川さんは、昭和29年偶然出会った王少年の素質に驚き、 母校に「彼が入れば全国制覇できる」と報告している。
                                   
7.[一度は、阪神への入団を承諾していた]
早実3年の夏、各球団のスカウトが詰め掛ける中、 特に熱心だった阪神に入団を承諾。あこがれていた、巨人のスカウトは来ていなかった…前年、父親が「大学にせる」 と、スカウトにたのです。
ようやく巨人が動いた…貞治は阪神を断って、 巨人に入団することを決意した。
                                  読売新聞「時代の証言者」

2010年10月28日

五観の偈

■「いただきます。ごちそうさま」
 
ある民放TVで、
「日本人の生活習慣で、素晴らしいと感じることは何でしょうか?」
と、在留外国人に尋ねるシーンがあった。
 
返ってきた答の中に…
『日本人は、食事の前に「いただきます」、食事を終えた時
「ごちそうさま」と言う…このような挨拶習慣がある日本は、
本当に素晴らしい』というのがあった。
 
キリスト教国では、食事の前に神様にお祈りをするが、
感謝を込めた、このような食前食後の挨拶ことばは、
世界の多くの国では存在しないという…
 
 
 
810 【心と体の健康情報】
「五観の偈」
10月23日、輪島市門前・總持寺へ、 座禅仲間15名と貸切バスで訪れた。
 
總持寺は1321年に開山し、永平寺にぶ曹洞宗本山・修行寺とし栄え、全国に末寺1万6千余りを数えるに至った…歴史を忍ばせる、 由緒あるお寺です。
諸堂拝観の後、法堂で先祖供養のお勤めをして、般若心経を唱え、 座禅堂座禅体験の後、法話を聴いて、 昼食を頂いた。
 
境内を巡る廊下に、2007年の能登半島地震の被災写真が並べられていた。
法堂(本堂)は復旧工事中で、工事シートに覆われ、土台をジャッキアップ中とのこと。
被災写真を見ると、僧堂の仏像が台座から転がり落ち、破損…落下した瓦が散乱し、 襖が外れて散らばっている。 ひび割れた祖院内の建物の壁は修復されて新しい。
 
M6.9…表参道沿いの民家が軒並み全半壊する中、 重心が高く筋交いの無い山門… 屋根が傾いただけで終わったのは奇跡…当時の木組み工法が、地震の揺れしたのです。

總持寺の写真1
總持寺の写真2
山門

山門から法堂を望む

總持寺の写真3
昼食のお膳

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食事の前に、作法に従って 五観の偈」 唱え、それから箸を取った。
五観の偈」は、 食事を頂くことに感謝し、自らを反省しめるための、 五つの網目からなっている。
食事の後、箸をおみやげに頂いた…箸袋の裏には 「五観の偈」印刷されいた
 
一には 功の多少を計り 彼(か)の来処を量(はか)
「お米一粒一粒にお百姓さんの労苦がこもっている。目の前の食事は、どれほど多くの人の手間がかかっているかを慮る」
 
二には 己が徳行の全缺(ぜんけつ)を忖(はか)つて 供(く)に応ず
「お寺での修行や、日々の行いが、この食事を頂くに値するかを考え、 益々精進することを心に、 出された食事をありがたく頂く」
 
三には 心を防ぎ 過(とが)を離るるは 貧等(とんとう)を宗とす
「迷いの心や、過ちの心を捨て去り、貧りの心、怒りの心、 道理をわきまえぬ心を起こさぬよう修行に励む…食事の場も同様である」
 
四には 正に良薬を事とするは 形枯(ぎょうこ) を療ぜんが為なり
「この食事は、肉体の衰え、渇きをいやす良薬としていただくのであって、 美食を楽しむためのものではない」
 
五には 成道(じょうどう)の為の故に 今此の食(じき)を受く
「食事を頂くのは、あくまでも仏道を成就するため、 自らが目指す目標を達成するためにある」
 

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