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2015年12月 アーカイブ

2015年12月03日

元気な北陸(5) ポートラムの走る街

7つの市町村が合併した富山市


将来の道州制の州都を睨んで、平成17年、

7市町村が合併して、新しい富山市が誕生
した。
富山市(321千人)、婦中町(36千人)、
大沢野町(23千人)、八尾町(22千人)、

大山町(12千人)、山田村、細入村


ライバルの金沢を抜いて、北陸No1都市に

なることを夢見て・・
合併による人口は41万7千人になった。

市の人口は富山県全体の約4割、面積は

約3割を占め、広大な富山市が誕生した。


一方、ライバル金沢市は富山市と張り合う気

はないようで、合併ゼロのまま。
人口は46万2千人と、この10年横ばいだ。



1337 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「元気な北陸(5) ポートラムの走る街」


富山市は今、公共交通を軸としたコンパクトな街づくり

を推進して成果をあげ、注目を集めている。
基本コンセプトは「団子」・・公共交通[串]を
交通
網[団子]で 結んで、市街地の活性化を図ってき
た。

市内交通の中心は路面電車・・従来からある市電を更に
拡充した・・「環状線」の新設 、最長1時間に一本だった
運転間隔を最短10分に改善し、終電時間を21時台
から23時台にした。

           
乗車賃は一律200円とし、車両はモダンな低床バリア
フ リー車両。利用者は平日で2.1倍、休日で3.4倍
に 増えた。
交通弱者の高齢者や、自動車免許のない若年層を
中心に
、市中心部に出かける市民が増えた。

             027
交通網[団子]への投資も怠らない。
駅周辺19ケ所を「居住推進地区」に指定・・マンション
購入者には一戸50万円、マンション建設事業者には
一戸100万円の補助金を出した。

05年に始まったこの制度により、現在約1450戸が

市中心部に移り住んだ。

「団子と串」効果は、富山市在住の高齢者にも表われて

いる。 富山市のお年寄は、全国平均より1000歩も
多く歩いている・・少し歩けば駅があるので歩くのです。


ちなみに、65歳以上の全国平均歩数は1日6360歩。
公共交通網が発達した都会の人は、よく歩く・・
地方にいくほど車の依存が高まり、歩数が減っていく。


この電車路の売りが、JR富山駅から岩瀬まで結ぶ

「ポートラム」・・江戸時代、北前船の港として栄え、
回船問屋や船主の大家が軒を連ねる岩瀬浜が、
新しい観光地として浮かび上がってきたのです。

           009

            回船問屋 森家
こうした取り組みに諸外国も注目・・昨年9月、ニュー
ヨーク国連本部で報告・・10月には、富山市に欧米や
アジアの都市の首長が集まり、国際会議が開かれた。

2015年12月06日

元気な北陸(6)富山県

富山の県民性

[男 性]

「富山の薬売り」で知られるように、
勤勉でよく働く。粘り強い努力家が多く、
金銭に細かく、無駄な出費を嫌う。


野心的で行動力があり、物事は計画的。

(実直で真っ正直な石川の商人は、
呉西の顧客のかけ引きに悩まされた)


[女 性]

石川県では「嫁は富山から貰え」と言うほど、
辛抱強く働き者。素直でグチをこぼさず、
コツコツよく働く。

日常生活は質素倹約に努めるが、
冠婚葬祭には見栄を張る。



1338 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「元気な北陸(6)富山県」


小杉から呉羽の峠を富山大学に抜ける時、突然富山市

と、3千メートルの立山連峰の勇姿が飛びこんでくる。

初めて見たときの景観はあまりに素晴らしくて、眼に焼
き 付いて離れない。日本でここだけの贅沢で感動的な
美し さです。


■なんでも全国ランキング一位/富山県

・衆議院比例代表/自民党得票率 46.35%

・銭湯の数                      118軒

・鉄道駅数                      201駅


・エビ漁獲量                    612トン

・ブリ消費量         1.825円(全国平均の3倍)               

・イカ消費量         5.823円(全国平均の2倍)

・コンブ消費量      3.889円(全国平均の3倍)
・ハム消費量              3.811g 

・米作付面積            39.700ha

・米生産量      22万トン


・持ち家住宅延床面積      177.33平方m

・道路整備率
・ウォシュレット普及率         81.9%

・勤労者世帯収入   約800万円(女性がよく働く)

・製造業従業者数        約12万人
・助産師数                      352人

・団塊の世代人口      65.888人

・国立大学進学率


■富山県全国ランキング2位

・もち消費量 ・天然ブリ漁獲量 ・サンマ漁獲量
・バナナ消費量
・図書館数 ・年間”雨”日数 ・女性の勤続年数
・クリーニング店数 ・自動車普及率(一世帯2台)
・持ち家率  ・建築着工棟数  ・葬儀費用

2015年12月10日

元気な北陸(7) 金沢

■重要無形文化財保持者数
  全国/115名
   東京/48名   京都/12名   石川/9名

   沖縄/ 8名    兵庫/ 5名     佐賀/4名

   その他/29名


■工芸技術保持者数
   全国/58名

   東京・京都・石川/9名     佐賀/4名

   その他/27名



1339 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「元気な北陸(7) 金沢」


金沢に生まれたら、女の子は幼い頃から、茶道や生け花
、着付け、日本舞踊などを習わされた。
それが日常ごく当り前に思えるのが、
金沢らしさです。

金沢の風土文化が、日常生活の中にごく当たり前に

溶け込んでいるのです。                 (女優 羽田美智子)


金沢は古くから能楽や謡曲が盛んです。
私が25歳の頃、加賀宝生流の佐野先生の所へ”謡い本”

を習いに通ったが、橋弁慶、四海波、高砂と7~8冊

習ったところで挫折してしまった。


毎年6月の加賀百万石祭りは、加賀藩の祖、前田利家
が金沢城へ入城する行列を再現したものです・・
そのとき、豪勢な”加賀鳶”や”加賀獅子”を見ることが
できる。

                      獅子舞 

お城と兼六園では”薪能”や茶会が催され、加賀友禅の

和服姿がお城や庭園に溶け込み、美しい。


金沢には、加賀野菜と北陸の豊かな海の幸・山の幸を
食材にした

伝統の”加賀料理”があり、地酒も旨い。
”茶の湯”も盛んなことから、京都と並ぶ和菓子文化が

育まれた。
金沢の食文化が、金沢の魅力を
一層引き立たせる。

また、金沢は伝統工芸が盛ん・・金沢漆器、九谷焼、
加賀友禅、金沢仏壇、金沢箔などがある。
中でも、 金沢箔の全国シェアは98%にもなる。

2015年12月13日

マッターホルンの町/ツエルマット


       P1100404


1340 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「マッターホルンの町/ツエルマット」


マッターホルン観光で広く知られるスイスのツエルマッ
トは、人口6千人の小さな町です。
外国からの旅行者が60%を占め、ドイツ、イギリス、
次いで日本からの旅行者が多い。


昨年夏私は、マッターホルンを仰ぎ見て、雄大なアル

スのトレッキングを楽しむために、ツエルマットへ
った。
マッターホルンが湖面に逆さに映るスポットは有名だが
、その他
マッターホルンには素晴らしいハイキングルート
が沢山
あり、毎年日本人のリピーターが大勢やってくる。


部屋からマッターホルンが眺められるホテルに泊まる

といい・・山は、朝・昼・夕方と、様々な色に変化する。
違う雲が流れ、雪の表情も違って見える・・息をのむ

美しさです。

ツエルマットの真ん中を貫く道路は、しゃれたホテルや
レストラン、カフェ、ハンバーグを売る店などが軒を

ね、 観光客で溢れている。


町には自動車が走っていない・・1961年に、ガソリ
ン車乗り入れの賛否を問う住民投票が行われて以降、
町に車は入れない。

その当時は、誰もが町の開発や建設に熱心だった。
環境保護を考え
る住民はいなかった・・それでも住民は
車社会の利便
性より騒音や排気ガスのない、昔ながら

生活を大切にしたいと考えたのです。

現在、町中を観光馬車が行きかい、電気自動車がゴミの
収集を行っている。

                        035
日本でも美しい自然を観光に活かそうと、道路を拡張し、
ケーブルカーやスキー場の建設など、自然を愛する

お客 様に来ていただこうと、自然を破壊している。

自然を完全に無視した観光開発・・やり過ぎて観光資源
を台無しにしてはいないだろうか?
観光の一番の目的

は 「ありのままの美しい自然」のはずです・・

         
                                                OUTWARD2015・No69

2015年12月23日

故事から学ぶ 「無情の情け・・宋襄の陣」

1341 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】

故事から学ぶ 「無情の情け・・宋襄の陣」


紀元前8世紀の春秋時代・・周王朝の第一人者、斉の
桓公が死ぬと、宗の襄公は桓公に代わって、諸候の会議
を主催し、諸侯に号令しようとした。

襄公の仁政によって、宗国内をうまく治めていた自信か
らの行動である。


しかし、宰相の子目夷(しもくい)は諌めて「宗は小国
・・小国の分際で、諸侯の盟主になろうとするのは、
禍のもとです」と諫言したが、耳をかそうとしない。


それから何年か後の紀元前638年、宗は鄭(てい)の
国を討った。ところが、この鄭を楚が救ったのです。
楚の行為は、宗と楚が交わした盟約を破る行為であった。


これに怒った宗の襄公は、今度は楚に戦いを挑んだ。

また、子目夷が諌めた・・
「楚と戦っても勝てるはずがない。いたすらに戦争して
はならない。宗は殷の末裔の小国として分に甘んじて
、出過ぎたまねは差し控えるべきです」


ところが、盟約を破った楚の行動を、大義にもとると

考えた襄公は、その年の11月、楚の成王に戦を挑んだ。

5万の兵力の楚と、2万5千の兵力の宗が、

泓水(おうすい)左岸の川原で戦い・・宗は敗れた。


「孫子の兵法」を記述した孫武は・・

兵法の本質は敵を欺くことにあり。
開戦したら速やかに相手を叩いて、勝たねばならない。
宗王襄公の戦場認識の甘さが敗因・・と分析している。


楚の大軍が、淮水(わいすい)支流の泓水を渉ろうとし

たとき、宰相の子目夷は「今なら、行動が思うにならな

い楚軍に対し、有利に戦えます」と攻撃を勧めた。


しかし襄公は「相手の弱みに付け込むのは不義である」

と肯かない。

そうこうするうちに、楚軍は泓水を渉り終えた。

子目夷は「相手の陣形が整わない今こそ攻撃を仕掛ける

べきです」と再度攻撃を勧めた。


公は、これも卑怯な行為になると拒否・・

敵方が十分な態勢になるのを待った。

場所は、泓水の左岸である。
渡河してくる敵を待ち伏せるには、最適である。

一方の楚軍、背後に川を負う布陣を”絶水”といい、

一番忌むべき状況にあった。


相手をそのような窮地に立たせたまま、攻撃することは

、襄公の戦争美学が許さなかった。

この戦い、宗軍が勝ったのなら絵になる・・

しかし、少勢の宗軍が、大軍の楚とまともに戦って勝て
るわけがなく、宗軍は大敗した。

襄公はその時の傷が悪化して、翌年呆気なく他界して

しまった。

宗王は、戦争に勝つという一番大切なことをわきまえず

、無勢が多勢に勝つ、千載一遇の機会を喪った。


最低最悪の軍略で敗れたこの逸話から、

「相手に無益な情け、あわれみをかける」ことを

「宗襄の陣」と言うようになり、今に語り継がれている

のです。

                                               塚本青史著「孫子伝」より


■「泓水(おうすい)の戦」・・その後の戦い


・前632年 城僕の戦い

○ 晋 [戦車700乗・兵三万] 同盟国・・/斉

● 楚 [戦車650乗・兵三万] 〃 ・・陳/蔡

※晋は、奇襲作戦と囮策で、少ない兵で大軍をおびき出し殲滅

宗は6年前、楚に敗れた。宗の王子が仇討をした


・前627年 崤(こう)の戦い

○ 晋 [兵二万] ● 秦 [兵三万]

※中原への進出を謀る秦が、服喪中の晋に攻め込んだ戦い

秦を、狭い谷底へ誘い込み殲滅


・前597年 邲(ひつ)の戦い
○ 楚 [兵四万] ● 晋 [兵四万]

※開戦当初の目的が消滅した晋軍・・
戦意喪失と、将軍の意思疎通の欠如が敗因


・前589年 鞍(あん)の戦い
○ 晋 [戦車800乗・兵七万] 同盟国・・衛/魯

● 斉 [戦車500乗・兵六万]

(政治)、(季節・天候)、の利を味方にし、

指揮官の気迫の差が勝敗を分けた


・前575年 鄢陵(えんりょう)の戦い・・痛み分け

晋 [戦車千乗・十二万] 楚 [戦車530乗・九万四千]

2015年12月26日

野村克也の名言

シドニー五輪マラソン金メダリスト
   高橋尚子の座右の銘


「長い階段は、一気に上がろうとすると、
  途中でへばってしまう。
  でも一段ずつ確実に上がっていけば、 
  時間はかかっても、やがてはちゃんと
  頂上まで上がることができる  」


松井秀喜の名言
「努力することが才能である」
「悔しさは、それに耐えられる人間に
  しか与えられない」

++++++++++++++++++++++++++++++                                         
皆さま 一年間 ありがとうございました

よいお年をお迎えください



1342 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「野村克也の名言」

この一年を振返ると、良いこと悪いこといろいろありま
した。”まさかの坂”もありました。
野村克也の名言で、この一年を閉め繰りたいと思います。

♪三振して帰ってくる選手の顔をじっと見ると、
悔しい顔をして帰ってくる選手は見込みがある。
あっけらかんとしている選手はダメですね。
なぜダメだったのかを考えられる人間には、
次のチャンスを与えるようにしている。

伸び悩んだり、才能の限界にぶつかったりしたとき、
もう駄目だと諦めるか、どうすればこれを突破できるか
考える・・
一流と二流は、まさにそこが分かれ目になる。


組織(会社)は、リーダー(社長)の力量以上には
伸びない。
勝つときにはいろんな勝ち方があって、相手が勝手に
ずっこけたり、勝手にミスしてくれたりして・・

『ああラッキー』という勝ち方もある。

しかし負ける時というのは、負けるべくして負けるもの
です。
勝負の世界にいると、勝って反省というのはできないが
、負けたときには反省する。
敗戦の中にこそ、いい教訓があるのです。

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