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2017年03月 アーカイブ

2017年03月04日

ことば遊び 「2016年サラリーマン川柳」

2016年サラリーマン川柳
   11位以下から・・

「駅でなく 線路に近い マイホーム」
「肩書は 宴会部長 三十年」

「子が巣立ち 妻と二人の シェアハウス」
「安月給 伸びしろあると 褒められる」

「何作る? 今では俺から 妻に聞く」
「男より トイレ磨けと 妻が言う」


1476 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
ことば遊び 「2016年サラリーマン川柳」

2016年のサラリーマン川柳入選作は・・
なんとなく虐げられたサラリーマンや、お父さんの哀愁
が漂う作品が目立ち、クスッとしながらもそこはかとな
い悲しみや、自虐に満ちている。

〈 1位 〉 「退職金 もらった途端 妻ドローン」

〈 2位 〉 「じいちゃんが 建てても孫は ばあたゃんち」


〈 3位 〉 「キミだけは オレのものだよ マイナンバー」

〈 4位 〉 「娘来て 『誰もいないの?』   オレいるよ」


〈 5位 〉 「福沢を 崩した途端 去る野口」

〈 6位 〉 「カーナビを 見放さないで 周辺で」


〈 7位 〉 「決めるのは いつも現場に いない人」

〈 8位 〉 「妻が見る 『今日の料理』 明日もでず」


〈 9位 〉 「ラインより 心に響く 置手紙」

〈 十位 〉 「愛犬も 家族の番付 知っている」

2017年03月07日

昔懐かしい日本の紙幣

■記念コイン

   記念金貨
写真左・・昭和61年発行/在位60年記念1万円銀貨
写真右・・                〃                             拾万円金貨


    オリンピックコイン 

写真左上・・昭和51年/在位50年      100円
写真左下・・昭和39年/東京オリンピック1000円
写真右上・・昭和60年/EXPO85       500円
写真右下・・昭和47年/札幌オリンピック      100円



1477 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「昔懐かしい日本の紙幣」

身の周りの不要品を整理していて、40年前に他界した
父親の手提げ金庫を開けたら、昔懐かしい古いお札が
大切に保管されていた。

 壱円2 百円2

写真左上・・拾銭
写真左中・・昭和18年発行/壱園(武内宿禰)
写真左下・・昭和21年発行/壱園(二宮尊徳)

写真右上・・昭和21年発行/拾圓
写真右下・・昭和21年発行/百園(聖徳太子)

昭和10年頃の1円は、現在の3~4千円に相当する。
■昭和10年の物価
・カレーライス/ソバ1杯 10銭(今450円)
・ガソリン1リットル 12銭(今130
円)
・映画館入場料 50銭(今1800円)
・並寿司 25銭(今1000円)
 

           百円  

写真上・・昭和26年発行/五拾円(高橋是清)
写真中・・昭和23年発行/百円 (板垣退助)
写真下・・昭和28年発行/五百円(岩倉具視)

           千円

写真上・・昭和25年発行/千円(聖徳太子)
写真中・・昭和38年発行/千円(伊藤博文)
写真下・・平成16年発行/千円(野口英世)

2017年03月09日

父親が残していった戦前

1478 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「父親が残していった戦前」

父親が残していった手提げ金庫に、終戦前後の日本の
古い紙幣のほか、戦時国債と昭和10年当時の中華民国
紙幣が仕舞い込まれていた。

    国債
◎お国のためと買った国債300円(現在の貨幣価値で
120万円相当) 悔しかったのだろう・・捨てるに
しのびず、手提げ金庫の中に仕舞い込まれていた。

戦前発行された軍事国債は、終戦直後の昭和21年4月
1日以降を支払日とする元本と利子の支払が停止され、
滅時効に・・紙屑になってしまった。

◎1937年蒋介石率いる南京国民政府軍と、大日本
軍との間の日本と中国の戦争が、泥沼化していった。
その時父は徴兵され、首都南京攻略に従軍した。

その当時の中華民国紙幣で、孫文の肖像が印刷された
拾圓、五拾圓、そして
壱百圓札が数十枚、皮財布の中に
仕舞い込まれていた。

       中華民国紙幣
父が何故中国の紙幣を日本に持ち帰ったかは不明?
戦後、戦地に行ったことは一切触れず
話さず、いまさ
尋ねようもな
い。

2017年03月11日

せっかちな人は心臓病になる

■アルコール

仕事を終えた後、お酒でストレスを解消。
しかし、空腹時に強い酒をグイグイ飲むと、
胃の粘膜を荒らして、食堂ガンや胃ガン
になる。
毎日1合半を超える酒を、30年以上
飲み続けると、食道ガンは飲まない人の
8.2倍。
                         (愛知県ガン研究所)



1480 【心と体の健康】
「せっかちな人は心臓病になる」

人生慌てず急がずゆっくり、スローライフに生きる・・
この生活スタイルが、長生きの秘訣になるのです。

米国で約3千2百人の男性会社員を調べた結果、
競争心が強く攻撃的な性格の人は、のんびり構えている
人に比べ、心筋梗塞.や狭心症の発症率と死亡率が
2倍 高かった。

足の親指などの激痛に悩む痛風も、活動的でせっかちな
人が多く発症する。(東京女子医大)
成人男性の2割りが予備軍と言われる痛風は、
尿酸が関節にたまって発症する。

激しい運動やハードな仕事をこなすこのタイプの人は、
元気を出そうと、肉をガツガツ、ビールをガブガブ。
肉やビールに多く含まれるプリン体は、体内で尿酸に
姿を変え、痛風を発症する。

食生活が豊かになり、肥満や糖尿病fは
増える一方。
せっかちな人は「早食い」・・
ゆっくり食べると、唾液から消化酵素が分泌され、
消化を助ける。エネルギー消費が増え、太るのを予防
してくれる。

あるインディアンの部族・・
せかせかと食べるファーストフード、
「ハンバーガーと
コーラ」の味を覚え、白人の食事を好むようになった。
30年後・・2人に1人が、それまで無縁だった糖尿病
になった。

2017年03月14日

晴れ男と雨男

気象庁が全国1万人を対象に行った調査で、
33% 、3人に1人が自分は「雨男(女)だ」
と答えている。
また「雨男(女)」と言われたことがある人は
39%に。


1479 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「晴れ男と雨男」


「弁当忘れても傘忘れるな」・・金沢で、昔から言われ
てきた
言葉です。
冬の間は雪や
雨の日続きで、晴れる日は数えるほど。
ゴルフなど、楽しみにしていたアウトド
アーイベントが、
雨で流れることの多い北陸。

私のゴルフ友達にも「晴れ男」や「雨男」がいる。
昨年「雨男」のOさんから4回ゴルフを誘われたが、
雨で総て中止に・・「彼はやっぱり雨男だ」と思った。
 
私も以前「雨男」と言われて、肩身の狭い思いをした
ことがある。私が参加するコンペ当日、何故か雨が降る
のです。
「吉村とプレーするとよく雨が降る・・吉村は雨男」と
言われるようなった。

こうしたことは総て「思い込み」からくる錯覚です。
事の発端は「ここ3度続けて雨・・やってられないよ」
と同伴者に愚痴ったこと
が、「吉村=雨男」のイメージ
与えてしまった・・

その後周りから「雨男」とからかわれ、私も冗談めかし
に「降ったのは私のせい」と認めたりするから、雨男に
されてしまうのです。
「本当に自分は雨男かも・・」と思ってしまうと、雨に
降られた時の記憶だけが強く残ってしまうのです。

何の根拠もないのに、何かをする時、いつも決まった
天気になると、思い込んでしまう人が多いのです。

昨年の春から、好天に恵まれるたびに「私は晴れ男だ」
と同伴者にアピールした。
幸いプレー当日好天が続き、私が「晴れ男」であること
を同伴者が認めて、「雨男」から脱することができた!

2017年03月17日

幸せな人生「山岡鉄舟・悟りを開くとは・・」

■山岡鉄舟

幕末の幕臣・剣客で、江戸城無血開城
で重要な役割を果たす。9歳で新陰流、
16歳で北辰一刀流を学び、山岡家の
養子に入る。
同時期に槍術も学び、当時を代表する
使い手に・・21歳の時幕府の訓練所
「講武所」の教官を勤める。

維新後は、伊万里県知事、明治天皇
の侍従などを歴任。
明治21年55歳で病没。

           山岡鉄舟


1481 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生「山岡鉄舟・悟りを開くとは・・」

以下は、神渡良平先生の講演からの抜粋です。

♪山岡鉄舟は晩年に入る頃、座禅を通して「悟り」を
開きます。
悟りを開いた鉄舟は、人の話に耳を傾け「なるほど、
そうだったのか」と心底共鳴するようになります。
話しを聞いて、共感してくれるものですから、鉄舟の
ところに人がどんどん訪ねくるようになります。

相手のことが自分のことのように思えてくる・・
すると相手も、誰にも話したことのない、心の奥に仕舞
い込まれた悩みなどを打ち明けて、胸につかえた思いを
取り去ろうとします・・

「悟り」を得るとは、座禅を続けていて、ある日突然
悟りに目覚めるようなものではありません。

修行を続けていくうちに、いつしか人の話を心から共感
して聞けるようになり、自分と相手の垣根がなくなって
いく・・それが「悟り」になるのです。

街道一の大親分と言われた清水次郎長も、鉄舟に知己を
得て、わざわざ清水から四谷まで、魚を下げて何度も
訪ねている。
義侠心に厚い次郎長です。鉄舟との付き合いが深まるに
つれ、斬った張ったのやくざ稼業がうとましくなり、
清水の町の振興に尽力したり、富士の裾野の開墾に汗を
流したりするようになります。

鉄舟と出会って、次郎長のしこっていた心が解けていっ
たのしょう。また、落語家の三遊亭円朝師匠が大成した
のも、鉄舟のお陰です。
このように、鉄舟の周囲に集まってくる人たちが、
どんどん変わっていくのです。

2017年03月19日

幸せな人生「山岡鉄舟・死への旅立ち」

■東郷平八郎と癌の病

東郷平八郎が喉頭癌になり、食べるのも、
息をするのも、耐えがたい痛みに苦しんだ。

中村天風先生に相談すると・・
「その病は痛いのが特徴です。ですから痛い
と言っても言わなくても、生きている限りは
痛みます」
すると元師は破顔一笑されて・・
「痛むのがこの病の特長でごわすか」と言われ、
その後亡くなられるまで、一言も痛いと言わな
かった。



1482 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生「山岡鉄舟・死への旅立ち」

鉄舟は、胃癌を患って亡くなった。
51歳・明治19年頃から胃の苦痛を訴えるようになり
、翌20年8月には右脇腹に大きなしこりが現れた。

食べ物も次第に咽を通らなくなり、明治21年2月には
流動食しか通さなくなった。
明治天皇は、何度も侍医や見舞いの品を遣わされた。
いつも温容で毎日写経を続け、見舞いの客が来れば
表座敷で会い、客を玄関まで見送った。

「先生!今日はいかがですか?お顔の色がさえませんが
」と見舞客に聞かれれば、「ハイそうです」 と答える。

「先生!今日は大変よろしいようで・・」と言われても、
「ハイそうです」 と答えて、病状のほどが分からなかっ
た。痛みを止める治療薬のなかった時代。
それでも先生は、いつもニコニコと笑顔でおられた。

医師「おかしいねえ、苦しいはずなのに先生はどうして
いつもニコニコしていられるのですか?」
鉄舟「胃癌、胃癌と言うけれど、これは胃癌ではなく
        ”ニコリ”じゃもの・・」 と、平然としておられた。

明治21年7月19日勝海舟が見舞いに訪れた。
玄関に出た息子に「親父はどうか?」と尋ねると、
「今死ぬると言うております」 と答えた。

座敷に入ると、大勢人が集まっていた。
その真ん中に鉄舟が例の座禅をなして、真っ白な着物に
袈裟をかけて、神色自若と座している。

海舟、座敷の入り口に立ち「先生はご臨終ですか?」
と問うや、鉄舟少し目を開いて、にこりとして・・
「さてさて、先生よくお出でくださった。ただ今あの世
に進むところでござる」 となんの苦もなく答えた。

海舟言葉を返して「よろしくご成仏あられよ」 と言って
その場を去った。海舟が別れを告げた後すぐ鉄舟は
亡くなった。
臨終には白扇を手にして、南無阿弥陀仏を唱えつつ、
妻子、親類、来客に笑顔を見せて、妙然と現世の最後を
遂げられた。
絶命してなお、正座をなし、びくとも動かなかったという。

悟りを得た鉄舟の死生観は・・
「人は何れ必ず死ぬ。その時が来たら、お世話になった
人たちに感謝を述べ、絵顔であの世に行こう」と・・
どんなに苦しい病でも「死ねば治る」のです。

2017年03月23日

幸せな人生 「尊厳死」

■延命治療/受ける?受けない?

厚生労働省の2013年の調査によれば・・
死期が目前に迫った時、延命治療を”辞退”
すると、書面にしておくことを「賛成」と回答
した人は、60歳以上で64%。

実際に書面を作成した人は、わずかに6%
このことを家族と詳しく話し合った人は4%
一度も話し合ったことのない人は44%

家族の間で「もしもの時」の話しをすることが、
容易ではないことがわかります。



1483 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「尊厳死」

回復の見込みがなく、直ぐにでも命の灯が消え去ろうと
しているときでも、現代の医療は1分でも長く生かし続
けようと、可能な限りの処置を施すのが通例です。

妻の父が85歳の時、自宅で倒れ意識を失った。
救急車で、県立病院の救急治療室に運びこまれた。

人工呼吸器を付け、体内に酸素を送り込み、胃に穴を
あけて胃ろうを装着し、液体栄養剤を注入した。
ひとたび、これらの延命措置を始めたら、はずすのは
容易でない。
生命維持装置をはずせば、死に至ることが明らかだけに
、医師ははずしたがらないのです。
延命措置を行う前に、医師は付き添い家族に
「やって良いか」を確認し、了解を求めます。

患者自身は延命治療を受けたくないと思っていても、
親の最後が近い時に「やめてほしい」と言えるか?
患者本人の意思があいまいだと、付き添いは判断に迷う
し、任された家族は気の毒です。

周囲に「冷たい人だ」と思われたくない・・
「今少し1分でも1秒でも命を長らえさせてやりたい」
との思いから、延命治療を承諾し、医師もそれに応え
ようとする。
患者本人は、死期が目前に迫っていることを悟り、
「安らかにその時を迎えたい」と思っているだろうが。

ところが、鼻からチューブが通され、機械につながれ、
この期に及んで、なお辛い断末の苦しみと闘わなければ
ならない・・本人の意思とは関わりなく、生きることを
強いられるのです。

誰もが「苦しまずにぽっくり死にたい」と思っている。
安らかな最後を迎える「尊厳死」を願っているのです。

そのためには、健康なときに「尊厳死」を希望する旨の
文章を作成しておくことです。自らの意思表示を医師や
家族に伝えておく必要があるのです。

2017年03月26日

幸せな人生 「尊厳死の宣言書」

私たち夫婦は、結婚して直ぐ両親と同居。
妻は、年老いて病に伏せった両親を最後
まで看病し、見送った。

父は”前立腺”を長く患っていた。
度重なる検査、そして十種類の薬をまじめ
に飲んだ。それが死期を早めたようだ。

元気だった母・・80歳のとき余命半年の
”すい臓がん”を告知され入院。
回復見込みのない母に、2度も抗がん剤
を投与。母は苦しみに耐えて頑張ったが、
告知通り半年後に亡くなった。

死の直前、血圧が下がる中、酸素マスクを
宛がい、心臓に電気ショックを施すなど、
医師は懸命の延命措置を行った・・
しかし、母の顔は苦しそうに歪んでいた。


1484 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「尊厳死の宣言書」

私は人生の終わり、命の終わりが近づいた時、
延命処置
を施さず、自然の摂理にゆだねて寿命が尽きる
・・
そのような死を迎えたいと願っている。

生きる目的のないベッドの上で、苦しみに耐え、更に
半年・1年生き永らえたところで、何の意味があろうか
・・
真っ平ごめんである。

その意思表示を、予め主治医や看病してくれる家族に
示しておこうと、昨年の9月私と妻は揃って
「尊厳死協会」に入会した。 
         尊厳死協会

協会から届いた会員証の裏面の「尊厳死の宣言書」
には、以下の文章が印刷されている。
++++++++++++++++++++++++++++++++
私は、私の傷病が不治であり、かつ死が迫っていたり、
生命維持装置無しでは生存できない状態に陥った場合
に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わって
いる方々に、次の要望を宣言いたします。

この宣言書は、私の精神が健全な状態にあるときに
書いたものです。.
① 私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、 
     既に死が迫っていると診断された場合には、 
     ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命措置 
     はお断りいたします。

②  ただしこの場合、私の苦痛を和らげるためには、
     麻薬などの適切な使用により、十分な緩和医療を
     行ってください。

③  私が回復不能な遷延性意識障害(持続的植物状態)
      に陥ったときの生命維持措置を取りやめてください。

以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださる
方々に、深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の
要望に従ってくださる行為一切の責任は、私自身にある
ことを付記いたします。

2017年03月28日

幸せな人生 「人生最後の卒業式」

1981年8月5日本田宗一郎は、
幾つもの逸話を残して亡くなった。
亡くなる数日前・・
「自動車を造っている者が大げさな葬式を
  出して、交通渋滞を興すような愚は
  避けたい。 
  もうすぐお迎えが来る・・何もするな 」

奥様には「満足だった」との言葉を残して
亡くなった。


1485 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「人生最後の卒業式」

命あるものは必ず死ぬ・・人間も必ず死ぬ。
三月は学校の卒業式・・深い感銘を受け、目頭が涙で
うるみます。
葬式もまた人生の卒業式であり、送別会なのです。
故人の人となり、生きてきた人生の足跡が評価される
場でもあります。

自分の葬式に参列する人々の顔ぶれを想像して下さい。
みんなが、「惜しい人を亡くした」と心から悲しみ・・
配偶者からは、「素晴らしい連れ合いだった。あの世で
また夫婦になりたい」と言われ・・
子どもたちからは「尊敬する父(母)だっ
た」と言われ
る。
このように惜しまれて死ねる人間になれたら
と、その後
の人生を歩む
なら、きっと満足のいく良い人生になる
ことでしょう。
故に「人生、どんな生き方をするか?」 が問われる
です。
安らかな死を望むなら「良い生き方、良い人生」でなけ
ればなりません。良い生き方をすれば、良い死に方が
出来るのです。

悪い生き方、例えば裏社会に生きる人は、抗争のあげく
拳銃で撃たれて死ぬかもしれません。
傲慢で身勝手な生き方をする人は、誰の助けも得られず
たった一人、孤独と不安の中で死を迎えることになるで
しょう・・ 
死を迎えるとき、また葬式で、家族や大勢の友人・知人
に見守られ、惜しまれて、人生最後の
卒業式は有意義な
ものになるでしょう。

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