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2005年01月 アーカイブ

2005年01月07日

おそろしく長い口上

明けましておめでとうございます
メルマガを始めて早や三回目のお正月を迎えました。
今年も一年お付き合いのほど、よろしくお願いします。

さて、今年最初のメルマガは、私の趣味「ことば遊び」の中から、メルマガ作成には
もっともやっかいな、「大道芸人の口上」を入力しました。暇のあるときにでも読んで
見てください。

 


【吉村外喜雄のなんだかんだ 第62号】
~ことば遊び~
「おそろしく長い口上」

一年前のお正月は、幼稚園児の間で流行った、日本一長い名前「寿限無」を紹介しました。今年は、 おそろしく長い口上で人気を博した「ういろう売り」を紹介します。
一息に言い立てると、聴く人にある種の爽快感を与え、芸としての面白味があるのです。
痰を切る薬「ういろう」を行商する際に、これを服用すれば、”こんなに痰が切れ、口がよくまわりますよ” という動かぬ証拠に、行商人が舌の軽業のような芸を見せたのが始まりです。これを芝居に取り入れたのが、 二代目市川団十郎。
当たり芸として現在に受け継がれている。

よほど我慢しないと、最後まで読みきるのは難しい。後半は次号で紹介しますが、山本さんがご存知の”早口ことば” が随所に出てきて、繰り返し読むほどに、面白くなってきます。

♪拙者親方と申すは、お立合いのうちに、ご存知の方もござりましょうが、
江戸を立って二十里上方、相州小田原一色町をお過ぎなされて、
青物町へお出なさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、ただいまは剃髪いたして、
円斎と名のりまする。

元旦より大晦日まで、お手にいれまするこの薬は、昔、ちんの国の唐人、
ういろうという人、わが国へ来たり、帝へ参内の折から、この薬を深く愛用し、
用いる時は一粒づつ冠のすき間より取り出す、
よって、その名を帝より”とうちん香”とたまわる。
今ではこの薬、ことのほか評判となり広がり、方々に似たような看板を出し、
手前どもの薬はどうのこうのと、いろいろに申せども、
ひら仮名をもって「ういろう」と致したは、手前ども親方円斎ばかりなり。

もしやお立合いの内に、熱海へ湯治に出かけるか、
あるいは伊勢へご参宮の折には、必ず門ちがいなされまするな。
江戸へ登るならば右の方、お下りならば、
左側八方か八棟おもてが、三っつ棟玉堂造。
正面には菊に相当するご紋をご赦免ありて、系図正しき薬でござる。

イヤ最前より家名の自慢ばかり申しても、ご存知ない方には、
正身のこしょうの丸呑み、白川夜船、さらば一粒食べかけて、
そのききめをばお目にかけましょう。
まずは薬をかように一粒舌の上へ乗せまして、腹の中へ納めたところ、
イヤなんと申しましょうか、五臓六腑すこやかになりて、
薫風、咽(のんど)上がってきて、口中びりょうを生ずるがごとし。

魚鳥木の子、麺類の食合せ、そのほか万病速効あること、神のごとし。
ただこの薬、いかにも奇妙なのは、舌がまいってしまい、
銭ごまがはだせしで逃げる。
ひょっと舌が廻りだすと、矢も楯もたまらぬようになる。

♪そりゃそりゃそりゃそりゃそりゃ、まいって来たわ、まわってくるは、
あわや咽、さたらな舌にかげさしおん、はまの二ツは唇も軽やかに、
あかさたなはまやらわ、をこそとのほもよろお…♪

ここまでが舌ならしの前口上で、このあとが聞かせどころの本番となります。
来週をお楽しみに!

2005年01月11日

人生想い描いたようになる

いつだったか、NHKで見た”人間ドキュメント”を忘れない。
京都で名の知れた西陣織の職人の話です。七十歳のときに、余命残り少ない中、自分の持っている技術を、 世の中のお役に立てないものかと考えた。

ある時、美術館へ行った。そこで見たものは源氏物語絵巻。一千年の歴史で色あせ、虫食いのようになっている。 西陣織でこの絵巻を復元しようと心に決め、作業に取りかかった。あれから三十年。現在百二歳。三十年かけて、大変な思いをして、 全四巻のうち、ようやく三巻まで完成した。
約三百色の縦糸と横糸を駆使して、持てる技術のあらん限りをつくして織り上げた作品。
アナウンサーが尋ねた。「お歳を考えると、完成を急がないといけませんよね」。
老人は答えた。「わしは、未完成のまま死んでもいいと思っている。この模写が、このあと一千年の後に、その値打ちが問われるものにしたい。 だから、いい加減な仕事だけはしたくない」と…。
テレビ画面に映るその姿は、使命感と気迫に満ちて、百二歳とは思えぬ若々しさ。
只々、おそれいって声も出ない。

【心と体の健康情報 - 176】
~幸せな人生を歩むために~
「人生想い描いたようになる」

「天のまさに大任をこの人に降(くだ)さんとするや、
必ずまずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしめ、
その体膚(たいふ)を餓えしめ、その身を空乏にし、
行いをそのなすところに払乱(ふつらん)す。
心を動かし、性を忍ばせ、そのあたわざるところを増益せしむるゆえんなり」

これは孟子の言葉です。何か困ったことが起こったときには、「これは、天が自分に大任を降そうとしているのだ」 と思うことです。すると、それが勇気の源となる。
勇気を奮って事に当たれば、困難が一気に解消されて、人生が開けてくるようになる。                         
新しい年を迎え、神社をお参りしたとき、今年はどんな願かけをしたでしょうか?
人生というものは、自ら想い描いた方向にしか進んでいきません。その一方で、想い描いたようにはなかなかならないのも、 また人生です。
自分がやりたいと思ったことをやり続け、貫き通すならば…。また、人に感謝され、喜ばれることをやっていれば、 愉快で楽しい人生になり、想いが叶うでしょう。

「想わないことは決して目の前に現れることはないし、手にすることはない」
「目の前に現れる問題や障害は、すべて自らが解決できることです」。
このことは、過去何度かお伝えしてきました。

何かをやろうとするとき、自分にとって実現不可能なことは、目の前に浮かんではこないし、想い描くことはありません。 想い描くことは、すべて実現可能なことばかりです。だから本気になって取り組めば、想いが叶うようになるということです。
想い描くとは、「自分にできる」と思ったことです。私達には、 無限の可能性を秘めた能力があります。どんな難しいことでも、同じことを100回続ければ、たいがいのことは、 出きるようになります。100回やって出来なかったら、200回やれば出きるようになるでしょう。
「出きる」と思うから、あきらめずやり続けることができるのです。想いが大きければ、 一生かけなければ出来ないこともあります。小さな想いや目標なら、一ヶ月、半年、 ちょっとその気になれば出きるものもあります。

やってみれば出きることでも、「そんなことは出来ない、出きるはずがない」
「自分には無理だ」と思えば、そう思った瞬間に「夢」がはじけてしまいます。
潜在意識の中にある、自らが持つ無限の可能性を摘み取ってしまうことになる。
運を呼び込むかもしれない折角のチャンスを、自ら放棄してしまうのです。

私は一度も政治家になろうと思ったことはないし、ジェット機のパイロットになろうと思ったこともない。ですから、 そのようなきっかけや、チャンスは一度も訪れてはきませんでした。想い描かないことは、 絶対に目の前に現れることはないのです。
以上、年の始めにあたり、「今年はどんな夢に向かって努力するのか?」と、自らに問いかけているのです。

2005年01月14日

おそろしく長い口上

私が最初に勤めた会社が日立の代理店。翌年、東京オリンピックが開かれ、家電の全盛期に入った。まだ娯楽の少ない時代。 会社の慰安旅行、温泉での新年会など、皆、楽しみにしていた。
当時はまだカラオケがなかった。宴会では、一芸を持った人が次々と隠し芸をやった。
まず社長(先祖は前田家の家老)が席に座ったまま、コインを使った手品を披露。
次いで総務部長が舞台に上がり、本格的奇術を披露。日本舞踊を踊る女子社員、ギターを肩にラテン】を奏でる若手。
宴もたけなわになると、恒例の裸踊り。営業部長が両手にお盆を持って、素っ裸になって、舞台袖から飛び出してくる…。

中締めの後は、お定まりの下ネタ数え歌。「一つとせ、二階の女とヤルときにゃ
よいよい…♪」と、人の塊ができて、大合唱。皆、何か一芸を身につけようと、密かに努力したものです。その頃収集したのが 「下ネタ艶話」や「寿限無」。
カラオケ一辺倒の今の宴会風景とは、一味違った楽しさがあった。

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第63号】
~ことば遊び~
「おそろしく長い口上・続き」

前号で紹介した「ういろう売り」の続きです。痰を切る薬ういろうを飲むと、やた
らと舌がなめらかになって、早口ことばがいっぱい出てきます。
チンプンカンプンですが、読むほどに可笑しみが増してきます。一文字一文字
意味を噛みしめながら、ゆっくり声を出して読むことから始めます。

……♪一ッぺぎへぎにへぎほし、はじかみ盆まめ盆米盆ごぼう。
摘み蓼(たで)つみ豆つみ山椒。書写山の写僧正。
こごめのなまごめ、小米のなまがみこみ、小米のこなまがみ。
繻子(しゅす)ひじゅす、繻子しゅちん。
親も嘉兵衛子も嘉兵衛、親かへい子かへい、子嘉兵衛親かへい。

古栗の木のふる切口。雨がっぱが番合羽か。
貴様のきゃはんも皮きゃ絆、我等がきゃはんも皮きゃ絆。
しっかわ袴のしっぽころびを、三針はりなかにちょと縫うて、
縫うてちょっと分出せ。
かいら撫子野石竹。のら如来のら如来、三のら如来に、むのら如来。
一寸のお小仏に、おけつまづきゃるな。細溝にどじょうにょろり。
京のなま鱈(たら)奈良なままな鰹、ちょっと四・五貫目。
お茶たちょ茶たちょ、ちゃっとたちょ茶たちゃ、青竹茶籠でお茶ちゃとたちゃ。
来るは来るは何が来る。高野の山のおこけら小僧。たぬき百疋、箸百ぜん、
天目百ぱい、棒八百本。

武具馬具ぶぐばぐ三ぶぐばぐ、合わせて武具馬具六ぶぐばぐ。
菊栗きくくり三きくくり、合わせてむきこみ、むむきごみ。
あのなげしの長なぎなたは、誰が長長刀ぞ。
向こうのごまがらは、えの胡麻からか真(ま)ごまからか、あれこそほんとの
ま胡麻殻。がらぴいぴい風車。

おきゃがれこぼし、おきゃがれこぼし、ゆんべもこぼして又こぼした。
たあぷぽぽ、たあぷぽぽ、ちりからからつつたっぽ。
たぽたぽ一丁だこ落したら煮てくお、煮ても焼いても食えれぬ物は、
五徳鉄きうかな熊。
どうじに石熊石持虎熊虎きす中にも、とうじの羅生門には、茨木童子が、
うで栗五合つかんでおむしゃるかの頼光のひざ元吉ず。

鮒きんかん椎茸定めてごたんなそば切りそうめん、うどんかぐどんな。
こしばち小棚のこ下に小桶にこ味噌がこ有るぞ、こ杓子こもって、こすくて
こよこせ。
おっとがってんだ、心得たんぽの川崎、神奈川保土ヶ谷、戸塚はしって
行かばゆいとを摺むく三里ばかりか、藤沢平塚大磯がしゃ小磯の宿を
七ツおきして早天さうさう相州小田原。

とうちん香、隠れござらぬ貴賤群集の、花のお江戸の花ういろう。
あれあの花を見て、お心をおやはらぎやっという、産子這子(うぶこはうこ)に
至るまで、このういろうのご評判、ご存知ないとは申されまい。

まいまいつぶり角出せ棒出せ、ぼうぼうまゆに、うす杵(きね)すりばち、
ばちばちぐわらぐわらぐわらと、はめをはづして今日おいでの何も様に、
上げねば成らぬ売らねばならぬと、息せい引っ張り東方世界の薬の元締め、
薬師如来も上覧あれと、ホホ敬うて、ういろうはいらっしゃりませぬかァ…♪

いかがでしたでしょうか? このような難しい長口上を、市川団十郎が舌も軽やかに演ずるのです。 一度見てみたいものです。何度も何度も繰り返していると、だんだん早口が板についてくる。 こんなバカバカしくも無駄なことが面白い!

2005年01月18日

日本の国旗・日の丸

お年玉に貰えたら嬉しい…。そんな話題を一つ。
昨年末、ソニーがリニューアル発売したペット型ロボット犬「AIBO」は、留守番ができる優れもの。周囲の物の動きや音に反応して首を振り、 画像や音声を自動的に記録する。その画像を電子メールで「飼い主」の携帯電話やパソコンに報告してくる。
アイボに話しかけることにより、パソコンにセットした音楽やCD、保存してある音楽ファイルを、アイボのスピードで再生する。また、 あらかじめ登録しておいたCDジャケットや写真をアイボに見せると、音楽を再生してくれる。

価格は194,250円と、ちょっとお高いが、毎日の散歩や餌やりは不要。ペットに求められる癒し系の機能も多彩になったので、 生きた犬を飼うことから思えば、お値ごろかも。
家族の名前を登録しておき、アイボが目で認識すれば、喜ぶ動作をするという。
今なら話題性バツグンです。

【心と体の健康情報 - 177】
~歴史から学ぶ~
「日本の国旗・日の丸」

私の子供の頃は、お正月や旗日になると、家の前に国旗を掲げるのが当たり前だった。 それが、戦後教育を受けた私達の世代になって、そういった習慣・風景がまったく見られなくなってしまった。
日本人が、自国の国旗を敬わず、粗末にするのは、教育のせいでしょうか? 
私達に、国を愛する心が無いからでしょうか?あるいは、日本人として生まれたことへの幸せに気づかず、 感謝の心がないからでしょうか?
それとも、日の丸の旗そのものが、国旗にふさわしくないと思うからでしょうか?

ところで、日の丸が日本国の国旗になったいきさつをご存知でしょうか?
太平洋戦争の忌まわしい歴史のシンボルと、学校の先生の一部は、今も日の丸を国旗として認めようとしない。戦後60年、 国旗論争の進展がないまま、いつまで否定し続けるのでしょうか? 
子供たちに正しい歴史認識をさせることが大事で、天皇や国旗を否定する偏った教育は、そろそろやめるべきでしょう。

151年前の嘉永六年(1853)、黒船四艦が浦賀沖に現れ、徳川幕府に開国を迫った。 軍艦四隻には、アメリカ合衆国の国旗、星条旗がひるがえっていた。
艦長のペリーは、幕府に開国を強く迫ったが、「来春までしばし猶予がほしい」と幕府が切望したため、 ひとまず退去することにした。

その時にペリーは、幕府の役人に忠告した。「日本には、国旗というものはないのか? 国際法では、 国旗をつけていない船は、国籍不明船として、大砲を撃ち込んで沈めてしまってもいいことになっている。 来春又来るが、その時までに国旗を定めておくように」…と。

薩摩藩主、島津斉彬(なりあきら)や、当時の幕府の海防参与、水戸の徳川斉昭(なりあき)は、 古代から日本人が愛してきた、かがやく太陽のマーク「日の丸の旗」を、総船印とすることを強く提案した。
ところが幕府の重役の大半は、「日の丸」に反対した。日本国の総艦隊には、「中黒」 (白地の中央に黒の横一文字)がよいと、強硬論が支配していた。

翌年早々、オランダに発注していた日本最初の大艦が長崎に到着した。 早速総船印を掲げなければならないのに、双方主張を譲らず、歩み寄ろうとしない。
国民の多くは、「中黒」の旗では暗い、太陽のマークがいいと噂をしていた。

最後は、海防参与の徳川斉昭の「日の丸にする」との、断固たる決意・気迫に、 幕府の重役も従わざるを得ず、安政元年(1854)7月9日、「日の丸」を総船印にすることが決定し、 天下に布告された。このときから「日の丸」の旗が日本の船の旗印となった。
もし幕府の重役の意見が通れば、日本の国旗は、白地の中央に黒の横一文字の「中黒の国旗」 になっていたかもしれない。

6年後の安政七年、艦長勝海舟以下90名が乗り込んだ咸臨丸が、太平洋を渡った。その時「日の丸」 は船印ではなく、日本の国旗として、遣米使節団とともにアメリカ大陸で初めてひるがえった。

咸臨丸がサンフランシスコ港に入るや、歓迎の祝砲が放たれ、 港に停泊していたアメリカの船のマストに、日の丸の旗が掲げられた。それを見た咸臨丸の人たちは、 胸を締めつけられ、涙を流したという。

パナマを回ってニューヨークに到着した使節団は、用意された四輪馬車で、市民の大歓迎を受け、 街頭には日の丸がはためき、子供たちが日の丸の旗を打ち振っていたという。その後使節団は、 ヨーロッパ諸国も回ったが、シンプルな日本の国旗は、どこへ行っても大いに好感を持たれたという。

致知出版社 境野勝悟「日本のこころの教育」より

 

もし、あなたが憧れる国があって、移住したいと思っても、その国の国民でなければ、 住むことも入国することも許されません。世界のどの国よりも平和で豊かな国、日本。今私達が安心して平和に暮らせる場所は、 日本以外にありません。
子供たちや子孫のために、日本という国を大切に守り、育てていくのは、私達国民の義務でしょう。

2005年01月21日

スマトラ沖地震に思う

「災害は忘れたころにやってくる」というが、最近は忘れる間もなく、次から次と天災に見舞われる。昨年暮れのインドネシア・ スマトラ沖地震は、阪神震災の何と1600倍(想像がつかない)。過去百年、世界で四番目に大きな地震だったという。
ところで、大きな余震は起きなかったのだろうか?‥。津波の被害があまりにも大きかったためか、 地震による直接被害の報道がほとんどなかった。
地震発生後の政府・行政の対応の悪さが、被害を大きくしているようだ。
日本人の行方未確認者が、まだ43人もいるというのに、もう、過去の出来事になろうとしている。

先週のNHK。「安政大地震」の時の大津波で、村落が壊滅した当時の惨状を再現していた。そして、安政の地震の後の日本で、 大地震が二度も起きているのです。
今また日本は活動期に入っている。今年は大きな地震がなければいいが…。
明日は我が身。日ごろから、万一に備えた心構えが大切です。

吉村外喜雄のなんだかんだ 第64号
「スマトラ沖地震に思う」

私がスキューバーダイビングで訪れた、マレーシアや南太平洋の島々は、風光明媚。台風以外これといった災害もなく、 いたってのんびりした、のどかな土地柄です。 例えば、タイの人達はこの一世紀地震を知らず、津波がどんなものか、 まったく知らなかったという。
インド洋沿岸諸国には、欧米の観光客の癒しの場となるリゾート地が点在している。エメラルドの海、 白い砂浜を抱くように高級ホテルが並ぶ。

外国人で、今回の地震で犠牲者を多くだした国は、三千人近い死者を出したスゥエーデンなどの北欧諸国。 この時期は、午後3時前には日が沈み、長く寒い夜が続く。そんな太陽の恵みの少ない北欧から、 クリスマス休暇を利用して避寒にやってくるのが長年の習慣。

タイのプーケットや、インドのお隣モルディブは、名だたるダイビンクスポット。
そこで、多数の犠牲者が出た。
私が訪れるダイビングスポットは、そういったリゾート地の沖合いにある小さなさんご礁の小島。 美しい自然に囲まれた水上コテージが、何とも魅惑的だ。
コテージの中は、都会の一流ホテルと見まがう調度や設備が整い、レストランは朝・昼・夜バイキングで、西洋料理、 中華料理、果物、飲み物など食べ飽きることがない。
コテージから目を外へ転じると、はるか対岸の岸辺に、粗末な水上家屋の集落が見える。漁業を生業としていて、 文明社会とは無縁の極貧の暮らし。
子供達が丸木舟でコテージの下にやってきて、「マネー、マネー」とお金をねだる。贅沢な遊びをしている私達を、 どう見ているのたろうか?

海抜1mしかないさんご礁の小島。干満の差が激しく、干潮時には3m近く潮位が下がり、 島が数百メートル沖まで陸地になる。そんな自然現象が毎日繰り返される中で、ある日突然、 波打ち際が百メートル後退したとしても驚かないだろう。それが津波の前兆とも気づかず、 物珍しさで沢山の人が海岸に集まってきた。その数分後、高さ10mの津波が襲ってきた。そして、 島にあるものすべてをさらっていった。

原住民は人なつっこく、優しい人達ばかり。私がお世話になった現地人や、 ダイバーズクラブの人達はどうなっただろうか? 大きなクラブには、若い日本人インストラクターが必ず数名いる。 お世話になった人達の顔が思い浮ばれ、胸が締め付けられる。
ニュースによると、波にさらわれた後、泳ぎ慣れているため、椰子の木にしがみついたりして、助かった人もいるという。
日本人で休暇を楽しんでいた家族もいた。運悪くその場に居合わせたばかりに、逃げる間もなく波にさらわれてしまった。” 天国から地獄へ”とはこのことだろうか。 ”一寸先は闇” 先のことはわからない。今を大切に生きなければと思う。

2005年01月25日

日本人て何?

■ 言葉あそび「日本の古称」
「日本」という古称のルーツは、その昔中国南部で、北方の国「日本」のことを、“日出ずる国”「ニチホン」と呼んでいた。それがいつの頃からか日本に伝わってきて、「ニッポン」と言うようになった。
中国や韓国では、日本のことを「倭(わ)」とも呼んだ。日本では「倭」を訓読みして「やまと」と自称した。「倭」とは小さな人、つまりチビを意味する。

今でも中国では、日本の悪口を言うとき、「小日本」と呼ぶ。韓国でも「倭」の韓国語発音に「ノム」(奴)をつけると、日本人を蔑称した言葉になる。
大海に浮かぶ小さな島国の小柄な人々というイメージは、昔も今も変わらないようです。

1/24読売新聞「 編集手帳

【心と体の健康情報 - 178】
~日本人のアイデンティティ~ 
「日本人て何?」

私もあなたも日本人です。じゃ「日本人って何?」 って問われたら、あなたはどのように答えるでしょうか?。 明治以降、 欧米の真似ばかりしてきた結果、日本人が日本人であることを、見失っていないでしょうか。

英国人に、イギリス人って何?と聞けば、「ジェントルマンシップを持っているのがイギリス人です」と答えるでしょう。
フランスに行って、フランス人とは何かと聞けば、「フランス人は、良識を持ち、 フランスの文化や伝統に深い理解と誇りを持っている」と答えるでしょう。

ドイツに行って、ドイツ人とは何かと聞けば、彼らは「ジャーマン・スピリットを持つことです」と答えるでしょう。
「ジャーマン・スピリットとは何か?」と問えば、「社会の善いことについては、喜んで賛同し、悪い面については、 力を合わせてこれを改革する」と答えるでしょう。そして、アメリカ人に問えば「フロンティア・スピリット」 と答えるでしょう。

改めて「日本人とは何か? 答えてください」と、外国人に尋ねられたら、何と答えればいいのでしょうか?
日本人は農耕民族である。古代から現代に至るまで、日本人は太陽の恵みに感謝して生きてきた。私たち民族は、 古代から太陽を自分たちの生命の源として、大切にしてきたのです。そういった営みの中から、「日の本」 という言葉が生まれたのです。この「日の本」から「の」が抜けて、「日本」という国名になったのです。

ですから、日本人とは何かと聞かれたら、答えは簡単です。「日本という名のごとく、太陽のように丸く、 明るく、元気に、太陽の恵みに感謝して、みんな仲良く助け合って生きる」 。 これが日本人なのです。日本人は平和を愛し、「和」 を大切にする民族なのです。

境野勝悟「日本人のこころの教育」から抜粋

世界の国々のほとんどは狩猟民族です。狩猟民族は闘争心が強く、争いを好む。
他民族から侵略を防ぎ、弱いものをたたくことで、民族の存続と繁栄を維持してきた。部族・民族間の争いを、 何千年の昔から際限なく繰り返してきたのです。

一方、四方を海に囲まれ、異民族の侵略を受けたことのない日本。太陽の生命に感謝し、 みんな仲良く助け合って生きてきた民族。狩猟民族とは違った生き方をしてきた。
国益を左右する外交交渉に於いて、戦いに勝つことを前面にちらつかせて、交渉の場に臨む諸外国と、仲良く平和に話し合い、 譲り合いの精神で解決策を見出そうとする日本とは、どこかかみ合わず、交渉ごとがうまくいかず、 気押されてしまうことが多いのです。
北朝鮮や中国の、あの外交におけるしぶとさを見れば、納得できることです。

イラク、イスラエル、インド、パキスタンなどの紛争に見られるように、世界のいたる所で宗教による争いが繰り返され、 戦争になっている。それが数千年続いている。イラクのように、援助の為とはいえ、 宗教が絡んだ紛争の一方の肩を持つような行為は、日本の国益にはならないのです。

私たちの国は仏教国。お釈迦さま生誕2500年の歴史の中で、自らの宗教を広めるために、 他の民族に戦争を仕掛けるような行為は、一度もないのです。

2005年01月28日

みよ! 明治の麗しき心

スマトラ沖地震に対する世界の救援活動が、マスコミで報道されている。
五十万人が負傷し、百万人以上が避難生活を送り、二百万人以上が食料援助を待っているという。
数え切れない被災住民が、「きれいな水、食べ物、薬、シェルター」などの援助物資が届くのを待っている。
援助活動が遅滞したら、更に死者が十五万人増えるだろうと、国連は訴える。

過去、日本で災害が起きるたびに、世界各国から援助の手がさしのべられてきた。
今回の被災地は同じアジアの同胞。その上、普段でも政情不安な国々。それゆえ、救済が急がれるのです。
資源を外国に頼り、貿易立国で成り立つ日本としては、この期を逃さず、できる限り援助の手を差し伸べたいものです。

■義援金の届け先は…・郵便振替
あて先「00110-2-5606 日本赤十字社 スマトラ沖地震」
・電話による寄付  一回掛けると100円寄付できる。直ぐに実行できます。

0990-53-5000

※携帯・ PHSはつながりません。 (わずか百円でも、被災国では二千~三千円の貨幣価値になります)
・全国のNHK
※義援金の受付は2006年8月で終了しました。

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第65号】
~歴史から学ぶ~
「みよ!明治の日本人のこの麗しき心」

江戸から明治にかけての日本人は、教育によってか、知識人から一般市民に至るまで、「義」 の心を持ち合わせている人が多かったようです。
1890年(明治23年)9月の台風で、熊野灘沖にトルコ軍艦が沈没し、艦長以下581名の尊い生命が海に消えた。 生存者はわずか69名という、海運史に残る大惨事であった。

台風で自由を失ったトルコ軍艦が、灯台の方へ押し流されてきた。灯台のある
断崖の下で「グウグウワーン バリバリ…」。船は真二つに裂けた。その瞬間
エンジンに水が入り、大爆発。この爆発音を灯台守が聞いた。
乗組員全員が海に放り出され、波にさらわれた。
真っ暗な荒れ狂う海。どうすることもできない。大波にもまれ、岩に叩きつけられ、意識を失い、 岩場に打ち上げられる者もいた。

服がもぎ取られ、裸同然であった。顔から血が流れ、全身は傷だらけ。この乗組員たちを救うには人手がいる。 灯台守は、樫野の村人に知らせようと、村に向かって真っ暗な夜道を駆け出した。
この当時、樫野には50軒ばかりの民家があった。知らせを聞いた男たちは、総出で岩場の海岸に下りた。 だんだん空が白んでくると、海面におびただしい船の残骸と遺体が浮かんでいた。

目を背けたくなる光景。村人は泣いた。遠い外国から来て、異国で死んでいく男たち。 一人でも多く救ってあげたいと頑張ったが、ほとんどは息がない。村の男たちは、 自分たちも裸になって乗組員を抱き起こし、体温で暖めはじめた。
「死ぬな!元気を出せ!生きるんだ!」。村の男たちは我を忘れて暖めた。
次々に意識が戻った。69名が助かった。

助かった人々は、樫野のお寺と小学校に収容された。村には井戸もなく、雨水を飲み水にし、 漁で獲れた魚を売ってお米に換える貧しい生活。このような村落に69名も収容されたのだから、みるみる蓄えか尽きて、 食べさせるものがなくなった。最後に残った貴重なニワトリまで、トルコの人に食べさせた。
このことが日本中に衝撃となって伝わり、日本全国から弔慰金が寄せられた。

時は移って95年後の1985年3月17日、イラン・イラク戦争の真っ只中。イラクのサダム・フセインが、 「今から48時間後、イラン上空を飛ぶ飛行機はすべて打ち落とす」と警告した。
イラン在住の日本人家族は、あわててテヘラン空港へ向かったが、飛行機には乗れなかった。 西欧諸国は救援機を出して救出していたが、当時の日本政府には、反対する声があって、民間機を出せなかった。 自衛隊の派遣は無論ダメ。

空港の日本人はパニック状態に陥った。そこへ、トルコ航空の旅客機が二機到着した。 タイムリミット一時間前のきわどい時間に、日本人250名全員救出して、成田に向け飛び立つことができた。

なぜ、トルコ航空が危険を推してまで助けに来てくれたのか? そのわけを日本政府も、日本国民も知らなかった。 95年前の日本での海難事故に際し、日本人がなしてくれた献身的救助活動は、トルコ国民であれば知らない者はいない。
その恩返しにトルコ航空が飛んできたのです。

武沢信行著「志経営のすすめ」より

スマトラ沖地震で、何百万の人たちが苦しんでいる。今こそ日本は、 そういった国々に援助の手をさしのべなければならない。平和をこよなく愛し、生活に余裕がある日本人だからこそ、 出来ることではないでしょうか。

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About 2005年01月

2005年01月にブログ「吉村外喜雄のなんだかんだ」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

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