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2005年11月 アーカイブ

2005年11月01日

女心と秋の空

■人前結婚式

10月は結婚式シーズン。今月二つの結婚式に参列した。一つは、企画演出
すべてホテル任せの従来型。キャンドルサービスに趣向をこらし、今はやりの
二人の成長過程をスライドで見せる…、まずはお定まりのコース。

もう一つは「人前結婚式」。友人親戚の前で、 二人が宣誓署名して結婚を誓う。
大きな違いは、仲人がいないこと、三三九度の盃がなくなったこと、神主も神父
もいない、宗教色のない会場で、結婚式と披露宴を同時にとり行う…。

結婚式に付きもののわずらわしい?マナーもない。その分、参列者みんな、
心から二人の結婚を祝う雰囲気が高まってくる。適度に羽目も外せて、
何とも楽しい披露宴だった。

ところで、神前結婚が一般に行われるようになったのは意外と新しく、大正時代
になってから…。キリスト教の教会で式を挙げるようになったのは、昭和50年代
半ばになってから…。明治の頃までは、人前結婚式が普通だつた。
昔に戻ったことになる…。
ちなみに私たち夫婦は神前結婚。妻は文鎮高島田。
真っ白のウェディングドレスは着ていない。一度ドレス姿を見てみたいものだ…


【心と体の健康情報 - 218】
~男の言い分、女の言い分~
「女心と秋の空」

今年は、秋の訪れが遅く、10月に入ってもぐずついた天気が続いた。
夏から秋、季節が移り変わるとき、秋雨前線が日本列島を横断する。
その時、お天気がグズグついて、"午前晴れ、午後雨"といった天候が続く。
"女心と秋の空"とは、そういった移ろいやすい女心を、秋空にたとえた言葉です。
                                                         私は以前、 10年間建設会社に勤めていた。90%、男性相手の仕事だった。
その後、独立して始めたのは化粧品販売。代理店を増設し、女性を束ね、育成        し、販促応援の毎日。 売り手も買い手もすべて女性…、90%女性の中で働いて        いる。
当時周りから「男社会から女社会へ180度転向した…」と言われたものです。
男と女、同じことを職場で言っても、受け止め方が違ってくる。
「男と女、"同じ人種"と考えない方がいい」というのが、私の持論。
女性は、男性とは全く違う生き物…。全く違った受け止め方、考え方をする。

一般的に男性は、同姓ゆえか、分かり合えるところが多い。ところが女性は、
つくづく複雑な生き物だと思う。こちらの思いがうまく伝わらず、泣いたり、
笑ったり、怒ったり、猫の目のような"感情"の移り変わりに、戸惑ってしまう。

表に現われたことの、更に奥の方にあるもの…に、男性は気づかない。
女は、笑っていても、心の中は不安や嫉妬でいっぱいの時もあるし、逆に、
泣いていても、心の中は意外と冷静な場合もある。何事にもいたって単純な
男性…、戸惑うはずです。
熟年離婚で、妻から離婚を切り出されて、全く理解できない夫の姿がそうです。

遅刻してきた男子社員を、同僚社員の見ている前で、「やる気がないなら、
辞めてしまえ!」と、上司が怒鳴った。「すみません」と謝った男子社員、翌日
何事もなかったように出社してくる。
同じように人前で、女子社員に「辞めてしまえ!」と怒鳴ったら、翌朝辞表を出
し、「辞めさせていただきます…」。 上司「……」、返す言葉を失ってしまう。
何でその程度のことで会社を辞めるの…? 理解に苦しむ。
「だから女は扱いにくい」となる。

心理学から見ると、その女子社員、「課長は私が嫌いなんだ、課長さんに嫌わ
れては、もうこんな職場にいたくない」と、女性ゆえの心理が働く。
同時に「いじめた課長を困らせたい、仕返ししたい」という心理も働く…。

"女心"というもの、ちょっとやそっとの理屈じゃ片付かない…。
男性が、どんなに彼女の気持ちを理解しようとし思っても、とだい無理な話。
複雑で繊細な女の子、当の本人ですら、自分の気持ちが分らなかったりするの
だから…。

そんな女性の心の内をご存知ないまま、男性社員のグループの中に、女性を
一人配属し、一緒に営業をさせようとする管理職の男性。失敗に終わるのは           目に見えている。またも 「女は扱いにくい」と、上司をして、嘆かせることになる。

女子社員の育成は、女性に任せるほうがいい。また、直属の上司は、女性に
限る。女性だけの集団であれば、なおいい…。

夫婦喧嘩をすると、直ぐに争いの焦点がズレて、本筋から離れれたところへ
いってしまう…。「僕の言っていることは、そんなことではないのに…」と、夫
は戸惑う。
妻が言っていることに、真正面からあまり構い過ぎ、深追いしない方が良いの
です…。天候が変わる秋空のように、女性は気分屋。彼女の心の移り変わりを
上手に読んで、気持ちが晴れるように導いてやれば、100点満点…。

昔は「男心と秋の空」と言った。それがいつの頃からか、「女心と…」に変わって
しまった。この言葉、今はあまり使われなくなったのも、女性の社会進出が進
んで、男性と何ら変わらない思考をする女性が多くなったからでしょう…。

2005年11月04日

落語・目黒のさんま

「五郎島の芋」を親戚・友人に配った。今年は出来がよく、栗のようにほこほこし
て美味しい。我が家の食卓、新米を炊いて、山で採ってきた"シバタケ"の吸い物…。
昨日はカナダ産の松茸ご飯。果物は柿にイチジク、みかん。我が家は今、秋の
味覚がいっぱい!

夏はウナギの蒲焼、秋はサンマの塩焼きが美味しい。脂ののった地のイワシを
湯にしたものを、酢醤油で戴くのもいい。冬は、寒ブリを三枚にさばいた残(骨)を、
近江町市場で仕入れてきて、粕汁にして、骨に付いた身をしゃぶる。これがなんとも
美味い! 季節折々、美味しいものを味わうときほど幸せを感じるときはない。
ところで、ウナギの蒲焼が庶民の口に入るようになったのは、江戸時代になって
から。そのウナギの調理法、関西では"腹開き"、関東は"背開き"なのはよく知
られている。
何故関東では"背開き"なのかというと、江戸は武家の町、"腹開き"は切腹を
イメージして縁起でもない。それで背開きが一般的になった…という、もっとも
らしい理由がある。

【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 100】
~ことば遊び~
「落語 目黒のさんま」

サンマは「秋刀魚」と書く。この庶民の魚サンマをネタにした落語に、あの有名な
「目黒のさんま」がある。

日本晴れの上天気なので、紅葉狩りでもしようかと思った殿様、武芸鍛錬のため
遠乗りがよろしいでしょうと言われ、下屋敷から遠くない目黒に行くことになった。

「あとへ続け! 参れッ」。家来の支度のことなど考えもしないで飛び出したので、
家来はあわてて厩(うまや)へ走って馬を引き出す始末。しかし殿様は乗馬で鍛え
ていないので、目黒に着いた頃には、尻が痛くなり、下馬しているところへ、家来
が到着した。

空腹を覚えた殿様が、弁当を持てと命じたが、火急のことで誰も持参していない。
しかし殿様は文句を言えない。文句を言えば、家来の誰かが罪を負うことになる
ので、「持参していない」と家来が言えば、「おお、さようか」と言うしかないので
ある。
そこへ、近くの農家から香しい魚の匂いが漂ってきた。家来に尋ねると、
「百姓家で焼いている、秋刀魚と申すゲス魚でございます。下民の食するもので、
殿様のお口にはとても…」とのこと。
「黙れッ、戦場へ来て腹が減っては戦ができるか! 苦しゅうない、これへ持参
いたせ」。正論である…。
家来が農家から買ってきた、焼きたての、脂の乗った旬の秋刀魚。それも遠乗り
後の空腹で、しかも野外とくる…。まずいわけがない。またたく間に残らず平らげ
てしまった。

『お屋敷へお立ち帰りののち、ここで秋刀魚を食したことは、ご内分に願います。
ご重役の耳に入りましては、我らの落ち度に相成ります』
「その方の迷惑になることならば、口外はいたさん」
口止めされてしまったが、日常の食膳に出るのは、決まって冷たい鯛ばかり。
どうしても、秋刀魚の味が忘れられない。

その後、親戚に客として招かれた。お好みの料理をお申し付けくださいと言わ
れた。この時とばかり、「ならば秋刀魚を!」と所望した。
もちろん用意などしていないので、日本橋の魚河岸に早馬を飛ばした。
脂の強い魚ゆえ、体に障っては一大事と、料理番が開いて蒸し器にかけ、小骨
を一本一本毛抜きで抜いて、ツミレにして、椀に入れて出した。

かすかに匂いはするが、そんなものが美味しいわけがない。
「この秋刀魚、いずかたより取り寄せた?」 
『はい、日本橋の魚河岸にございます』
「それはいかん、秋刀魚は目黒にかぎる…」

2005年11月08日

欧米の教育・日本の教育

■日本にしかない風習
・「富士やま芸者」。一昔前の日本を象徴する、外国人から見た日本のイメージ
である。芸者は、日本が生み出した、日本にしかない風俗です。

・開花した桜の下でお弁当を開いて、花見を楽しむ風習も、日本独自のもの。
・忘年会も、日本にしかない風習とか…。

・コオロギの音に耳を傾け、鈴虫を飼って音色を楽しむという風習も、西欧人に
はない。雑音にしか聞こえないのです。

・同じ"虫"でも「水虫」、外国人で「水虫」に悩んでいる人は、あまり聞いたことが
ない。国民的悩みになっているのは日本だけ…。

【心と体の健康情報 - 219】
~子育て心理学~
「欧米の教育、日本の教育」

教育の仕方では、学校での先生の教え方に、日本と西欧では、考え方に根本的
な違いがあるようです。
例えば、20問の試験問題が出されたとき、日本の子どもたちは、考えないと
解けない問題は後に回し、解ける問題から先に片付けていこうとする。
試験の結果先生が求めるのは、何問解けたかを見ること。高い点数を取った生
徒ほど、優秀な生徒ということになる。

一方、西欧の子ども達は、一番難解な問題から懸命に解こうとする。そのため
時間を使いきって、低い点数に終わったとしても、あまり気にならない様子。

先生も、試験の点数の良し悪しは、あまり問題ではないらしい。試験が終わった
後、先生は生徒一人ひとりに、「どの問題が難しかったか」を尋ねる。そして、
出来なかった問題を「必ず解いてくるように」と言う。それでも解けない生徒
は先生の所へ来るように、「先生と一緒に考えよう」と…。

解ける問題の数より、解けない問題を解くことの方が大切なことを、子ども達
は知っている。だから、難しい問題から先に解こうとするのです。
日本の学校では、どんな解き方をしたかは問われない。答えが間違っていれば
×である。
私が中学生の頃の得意科目は、幾何・物理・化学・社会。国語や英語は苦手だっ
た。中学二年の期末試験、科学の試験で一問だけ間違って、95点に終わった
ことがある。その時先生が、
「吉村君! お前"ボルト"と答えなならんのに、"ベルト"と書いてしもたやろ…、
  惜しかったな!」
正しい答えを知りながら、勘違いして書いたことを、からかわれたのです。

欧米の教育は「問題をどのようにとらまえ、答えに結び付けようとしたか…」、
その"プロセス"を大事にする。だから、考え方が正しければ、答えが間違って
いても、○がもらえることがあるのです。

2005年11月11日

ゴルフは楽しい

昨年までの私のゴルフは、年に数回のお付き合いゴルフ。だから、いつまでも
上達しない。ゴルフはルールと罰則に縛られるスポーツ。
自由きままにマイペースで、好きなだけ楽しむというわけにはいかない。

雨が降ろうが、風が吹こうが、プレー出来る間は、否応なしに18ホールお付
き合いしなければならない。ミスショットが多いと、周りの人に迷惑をかけるし、
一緒に廻る人から「マナー知らず」と言われたことも…。気配りのいるスポー
ツである。
スキーやスキューバーにも、守らなければならないルールやマナーがある。
中でもスキューバーは、しっかりルールを守らないと、命に関わることになる。
どちらもストレス発散型…、だから無条件に楽しい。
ゴルフは、ミスの回数の少なさを競うスポーツ。我慢が付きまとう。下手な私に
はストレスである。でも、ゴルフは楽しい…。コンペの前夜はワクワクして眠れ
ない…。

【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 101】 
「ゴルフは楽しい」

ゴルフの話題で、少し古い話を思い出した。
1973年、田中総理が訪英することになった。英国政府は、日本の首相に
ゴルフを楽しんでもらおうと、"日本流の気配り"をすることになった。
以下、その時在京の英国大使館が、本国に送った手紙に書かれていたことです。

日本では、ゴルフのエチケットがまだ未発達で、接待ゴルフで招待を受けたプレ
ーヤーがトラブルを起したとき、ボールを打ちやすい場所に動かしたりする。
さらに、日本人は同じ組で回る人をやたらと誉め、ボールをうまく打てれば
「ナイスショット」、バンカーでいくつ叩いていても、脱出できれば「ナイスアウト」
と声を掛ける…。
優勝すれば、「一緒に回ったパートナーのお陰」と、同伴者に気配りするのが
流儀であり、エチケットである…#$?

アメリカ女子プロゴルフ界にすい星のごとく現われた、16歳の天才ゴルファー、
ミシェル・ウィー。この十月、プロに転向しての初試合、三日目。
7番ホールでブッシュに打ち込んだ。ウィーはアンプレアブルを宣言、ボール
をドロップした。

間近でこれを見ていた新聞記者のマイケル。"ルール違反したのでは"との
疑念がよぎった。「ホールに近づいてドロップしてはならない」という規則だ。
彼女がプレーで離れた後、記者はその場所を確認した。「まる一歩分近くなっ
ている」。
ウイーは71の好スコアでホールアウト。スコアを提出する直前、記者は彼女
に話しかけた。彼女は「ドロップは適切だった」と言った。

その夜、記者は眠れぬ夜を過ごした。「ルール違反なら失格になる」。
報告すれば彼女は失格するだろう。だが、記者はさらに深く考えた。ルール順
守がゴルフの本質だ。違反を見て見ぬふりをするのは、それ自体が違反行為だ。

翌日ウィーは、2打罰の申告漏れで失格した。そして、610万円の賞金がフイ
になった。ウィーはまだ16歳、これから学ぶことだらけである。
その夜、ウィーの父親が記者室へやってきて言った。
「いいことをしてくれたよ、マイケル」、そして手をさしのべた。

                                    11/1読売新聞

2005年11月15日

フインランドに学ぶ、理想教育

昨年の「新穂高ロープーウェイ・スキー場」の廃止に続き、立山山麓「らいちょう
バレースキー場」が廃止される。何れも、長年親しんできたスキー場だけに、
残念なことです。
温暖化の影響で、昔のように雪が降らない…。子どもの頃、建物の軒先には
太くて長い"つらら"が列をなしていた。それを折ってなめた記憶も昔話し。
今は"つらら"そのものを見かけない。

白山麓のスキー場も何ヶ所か廃止の憂き目に…。スキーを愛好する一人として、
何とも寂しい限りです。
温暖化に加え、少子化と人口減。十代から二十代の若い世代が減っていく。
スキー場でのリフト待ちがなくなって久しいが、にぎわっていた遊園地や、
キャンプ地などが無くなっていくのも、寂しい…。

【心と体の健康情報 - 220】
~子育て心理学~
「フインランドに学ぶ、理想教育」

日本の中学・高校の教育、進学予備校のごとく、詰め込み一本やり、知識を
吸収させることに偏った教育の在り方に、以前から疑問を持ち続けてきた私。
メルマガを発信するきっかけにもなっている。

以下、10月23日の朝日新聞の記事より…
昨年12月に公表された「国際学力調査」で、クローズアップされた日本の
"学力低下"問題。その調査で、世界ランキング上位にランクされたフィンラン
ド。どんな教育をしているのだろうか? その要因を探ってみる…。

担任の先生は、児童の理解状況に応じて、もう少し必要と思う教科を、弾力的
にはめ込んでいく。日本のように、決められた時間割表にしばられたりしない。
「明日は、英語を3時間連続でやることにします」と、担任の先生…。
フィンランドでは、子どもの学力、理解度に合わせ、先生独自の判断で、授業
科目と、授業時間を自由に割り振ることができるのです。

学力調査の中で、特に日本が振るわなかったのが「読解力」。
フィンランドは「読解力」で一位。大学に進学するのに、必修の国語試験で課
せられるのは、2本の"小論文"。
その他、数学や一般教養の問題でも、知識だけを問うのではなく、自分の考え
をまとめ、表現する能力が求められる。

先生が作るテスト、日本のような"穴埋め問題"はほとんどなく、記述式の問題
が大半だ。「児童は、書くことをおっくうがるが、どれだけ理解したかを知る
には、書くことが一番」と、先生は言う。

月に一度は、生徒を近くの図書館へ連れて行く。
読むこと、 書くことがすべての教科の基礎。創造的な内容や、理論的な
文章を、繰り返し書かせている
」という。

日本に目を向けると、活字が苦手で、本を読まない若者が多くなってきた。
学校教育の在り方をとやかく言う前に、幼児期から、読み書きに触れさせ、
興味を抱かせる、そんな家庭環境を育てていくことが大事でしょう。

2005年11月18日

いたれりつくせり、日本のゴルフ場

女子プロゴルフ界のニューフェイス"宮里藍"。 工藤と賞金女王一位を争っている。
彼女は、日本男子ツアー・沖縄オープンに出場(12/15~18)することになった。
日本の女子プロで、男子ツアー大会に出場するのは、宮里藍が最初だという。
宮里藍の男子ツアー初挑戦、俄然興味が湧いてくる。長兄で前年の覇者"聖志"、次兄の"勇作"も当然出場するだろう…。

男子ツアーのコース設定は、女子ツアーに比べ、かなり難易度が高い。無事予選通過出来るかどうかが、ツアー最初の関門となる。男子プロの中で、どこまで実力が発揮できるだろうか? 宮里藍の正確なショット、強靭な精神力と集中力…。今から楽しみです。

【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 102】
「いたれりつくせり、日本のゴルフ場」

先月、サンフランシスコの名門ゴルフ場、ハーフ・ムーン・ベイ・ゴルフリンクスで、海外初のゴルフを楽しんできた。
日本を出発する日の朝、5時に起きて、NHK・BSで、男子ゴルフ世界選手権、アメリカン・エキスプレス選手権を見た。これから私が向うサンフランシスコで、プレーしているのです。

画面では、最終ラウンドが行われていた。タイガーウッズとジョン・デーリー が共に10アンダー。プレーオフ2ホール目で、ウッズの貫禄勝ち。プロならではの技を堪能、見ごたえのある好勝負だった。(丸山選手は11位)

私たちがプレーしたリンクス。名門クラブとはいえ、クラブハウスは質素で、日本では普通にある施設やサービスがない。パブリックのよう…。
ロッカールームがなく、キャディさんもいない。浴場なし、コース売店なし、喉が渇いても自販機なし、表彰パーティ会場もない。ごくありふれた喫茶ルームがあるが、クラブハウス・食堂が、ホテルなみに豪華な日本のゴルフ場とは比べようもない。

また日本では、プレー半ばにクラブレストランで、ホテル並みの高い昼食を取るのが一般的。しかし、アメリカにはそんな習慣はない?  
ハーフ(9ホール)を回り終わる頃、屋台スタイルの軽ライトバンがカート道にやってきて、サンドウィッチやドリンクを販売する。それを買って、ほお張りながらプレーを続行するのです。(安上がり)

至れり尽くせり、贅沢な日本のゴルフ場。そんなサービスに慣れている私には、本場のゴルフ場の有りようは以外だった。考えてみれば、ゴルフ本来の目的は、コースプレーを楽しむこと! 不要なものはできる限り削除し、安い料金でプレーできる、アメリカのゴルフ場に大賛成です。

名門ゴルフ場ということで、コース設計も期待した。が、思ったほどではなかった。金沢リンクスとどっこいどっこい…かな。取りわけ思い出に残るコースはなかった。
フェアウェイを外すと、ラフの芝は硬く、長く伸びた芝草にクラブが取られる。
ラフに入れたら、トラブルを覚悟しなければならない。
(手入れが悪いとしか思えなかった…)

サンフランシスコは乾季で晴天続き。なのにゴルフ場は海辺のせいか、一日中ガスで視界をさえぎられ、太陽が見えない。打ち終わった球が、霧の中へ吸い込まれていく。霧のサンフランシスコである。
初めてのコースで、しかも、四方よく似た景色のリンクス。どっちを向いて打てばいいのか、キャディがいないため、コース取りに戸惑った。

● I Nの12番ホール(右写真)
201ヤード・パー3・ショートホール。左は海。コースの中ほどに断崖絶壁が食い込んで、ぽっかり口を開けている。
そこへ、力んでヘッドアップ、OB球を打ち込んでしまった。

ガスがかかっていなければ、絶景だろう…。
名門コースの雰囲気が漂う中で、一日存分にプレーを楽しんできた。

2005年11月22日

論語・教育有りて類なし

先週16日は大阪で研修。夜京都に入り、"実相院"のライトアップされた紅葉
と石庭を拝観した。
17日は、朝一番二条城二の丸御殿を拝観し、名園と本丸、清流園を散策。
両園とも初めての訪れ…。中でも清流園の雄大な庭園設計、その見事さに、
要所要所でしばし立ち止まり、見とれていた…ともかく素晴らしい景色だった。

お目当ての紅葉の色づきはまだ早く、今年は雨が少なかったせいか、紅葉しても色が茶っぽく、 枯れてちじんだようになっている。

昨年は、清水寺へ行ったが、年々鮮やかな美しい色付きがなくなってきているようだ…。
午後は、月一回の論語の勉強会でした。

【心と体の健康情報 - 221】
~古典から学ぶ~
孔子の教え「論語:教有りて類なし」

偉大な教育者"孔子"。その「論語」は今から2500年前、春秋時代の末期に
書かれたもので、これだけ古い書物で、いまだに愛読されているのは、論語と
聖書、そして仏典くらいでしょう…。

「論語」を紹介するのは、308号に続き二度目になります。これからも折に触
れ、よく知られている一章一編を紹介しながら、自らも学ぼうと思っています。

まず「論語の友3月号・今月のことば」から… 
「子曰く 教 (おしえ)有りて 類無し」 (衛霊公第十五)

「先師が言われた。人は教育によって成長するもので、はじめから特別の種類
はないのだ」
世界中の赤児、生まれた時はみな同じである。それが環境・境遇・教育によって
言語が異なり、考え方が異なり、食癖まで異なってくる。
メルマガ294号で、「人は教育により、何にでもなる」を流したように、教育が
重要な役割をすることは、改めて言うまでもありません。

日本は早くから儒教を教育に取り入れ、冒頭の孔子の教えに沿って教育の充実
を計ってきた。幕末の頃は、国民の80%が読み書きし、世界で最もレベルの高い
教育立国であった。明治以降「国民皆教育」を目指し、アジア諸国に先駆けて近
代国家へと発展した。日本の教育水準は、ずっと世界のトップにあったのです。

ところが最近、異変が生じている。「学力の低下」が問題になっているのです。
中でも、日本語の読み書きのレベルが著しく低下している。教育の現場で、
長年最も基礎となる「国語」を軽視してきたことが、ここに来て問題になってい
るのです。
大学生が手紙もろくに書けず、文章も幼稚で、誤字、あて字、読み違いなど、
社会人になって、再教育しなければならない有様。

小学生が"田園都市"を「たえんとし」、"赤十字"を「あかじゅうじ」と読み、
「三日月」「川下」「米作」「色彩」などを、正しく読めない子どもが激増している
との、調査結果が出ている。

"眼力(がんりき)"を「メヂカラ」、"興味津々(きょうみしんしん)"を「キョウミツツ」
と読んだり、"指摘"を「指適」、"合鍵"を「会鍵」、"前立腺"を「前立線」、"危険"
を「危検」など、キリがない。

昔の学問の基礎は"読み(素読)書き(習字)そろばん"。文章を読むことと、
読めるようになることが、基礎の中の基礎である。数学も英語も理科も歴史も
、すべて"読解力"無くして"理解力"が身に付かない。国語力の低下は、全科
目の低下につながっていく…。

「漢字」は日本人の精神の核をなし、言霊(ことだま)である。日本人の心を磨き
育んできた"珠"である。韓国でも最近、ハングル語一辺倒の弊害に気づき、漢
字の復活が叫ばれているという。
国の歴史を振り返ると、その国の言語が発達する時は、必ずその国が勃興す
る時であり、その国が衰退する時は、その国の言語も衰退する。過去、幾多の
歴史が物語っている。

前号で、「フィンランドは読解力世界一」であることを話した。
先生が作るテスト。日本のような"穴埋め問題"はほとんどなく、記述式の問題
が大半を占める。「児童は、書くことをおっくうがるが、どれだけ理解したかを知
るには、書くことが一番」と、先生は言う。

月に一度は、生徒を近くの図書館へ連れて行く。
読むこと、 書くことがすべての教科の基礎。創造的な内容や、理論的な
文章を、繰り返し書かせるようにしている
」のです。

2005年11月25日

料理は文化

■食文化その一
日本食に欠かせない「生卵ぶっかけご飯」。その魅力を語り合う全国シンホジウ
ムが、10月30日、島根県雲南市で開かれた。この日を「卵かけごはんの日」に
決めたという。
シンポジウムのきっかけは、同市の第三セクターが開発した、卵ごはん専用醤
油「おたまん」のヒット。                      10/31北国新聞

■食文化その二
町に銭湯が沢山あったその昔、来日した中国人が、町のあちこちに立つ銭湯の
煙突を見て言った。 「なぜ日本人は鶴と亀のスープがこうも好きなのか?」

中国では、「湯」はスープを意味する。当時多くあった「鶴亀湯」の名を見て、
"鶴亀スープ"と勘違いしたとか、しないとか…。中国には公衆浴場がない。
「湯の字」を見て、食堂と間違えて入って、びっくりしたかもしれない。

【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 103】
~食と健康~
「料理は文化」

私はイナゴが大好物である。戦後間もなく、佃煮にして食べた味を覚えていて、
長野へスキーに行った帰り、お土産に買ってくる。ビールのつまみには最高。
家族は気味悪がって、そばに来ない。どう見ても、羽の生えたゴキブリである。

もう一つ私の好物、ドジョウの粕汁に目がない。ドジョウが泳ぐ鍋を火に掛け
ると、ドジョウは鍋の中でバチャバチャと暴れる。その後粕を入れて、味噌汁
にするとたまらなく美味しい。これで夏は最高。妻は、ドジョウが可哀そうと、
滅多に作ろうとしない。

食べ物は文化。国によって、地域によって、家庭によって、方言のようにいろ
んな食べ方がある。その国を知るには食文化を理解することが大事。
調理の仕方で、文化の成熟度がわかるという。

ところで日本人は、外国から見ると結構変わったものを食べる。タコやイカ、
ウニやナマコなどの魚介類を"生食"する。ヨーロッパでは、タコは悪魔の使い、
口にするものはいない。
熱いご飯に生タマゴをかけ、かき混ぜて食べる日本人を見て、欧米人は気持
ち悪がる。食通で、何でも食べる中国人ですら、生卵は食べないし、生きたエ
ビを、目の前で皮をむいて食べたりはしない…。 

日本人は、インド人がスプーンや箸を使わず、直接指先でまぜて食べるのを
見て「汚い」という。が、お寿司を見たインド人、「日本人も、他人が素手で握っ
たものを食ってるじゃないか…」と言い返す。

上海の高級飯店で蛇料理が出た。美味しかった。蛇がぶつ切りに調理され、
皿に盛られている。それを見た日本人、箸をつける者は少ない。
メキシコでは、トカゲ料理が最高のおもてなし料理。折角の高級料理なのに、
トカゲと聞いただけで日本人はダメ。
また、日本人におなじみの魚肉ソーセージ。西欧にはそんなソーセージは無い。

自分の国のマナーや食に対するイメージ・常識が、よその国でもそのまま通用
するわけではない。よその国では珍味で舌鼓を打つものであっても、日本人に
受け入れられないものが沢山ある。国によって様々、それが食文化なのです。

私は旅先で、その土地の家庭料理をご馳走になるのが、何よりの楽しみ。
グアムで、元酋長の家に招待されたことがある。ぶつ切りにした魚と野菜を
オリーブ油で炒めた料理が出された。豪華なおもてなし料理だったが、魚が生
臭く、香辛料が強すぎて、喉を通る代物ではなかった。
これは例外で、初めて口にする料理が美味しかったときは、たまらなく幸せ…。


宮古島水深20m、岩穴から浮上してきたところ。
写真左に、下に潜っている人の泡ブクが…

七月、宮古島へ行ったとき、民宿の夕食に招かれ、家族と一緒に食卓を囲んだ。

食卓にならべられた、食べきれない料理。今まで味わったことのない食材と味つけ。 奥さんの心を込めた手料理に舌鼓を打った。

地のお酒と一緒にいただくときが、一番の幸せです。


2005年11月29日

戦後教育の問題点

私が通った高校は普通高校。大学に進学し、将来建築士になることを夢見ていた。
ところが病気になり、大学受験をあきらめた。この選択が、その後の人生に大き
く影響した。学歴がなければ、大きな会社へ就職しても、出世は望めない。建築
士や教師になる道も遠のいた。

病気が完治し、元気に働けるようになったのは、昭和44年28歳…。主治医は
「次に再発したら、もう薬は効かない」と言った。無理が利かない体。自営業で身
を立てよう…。商売なら学歴不要、休みたいときに休めばいい…。

いつ再発するか分からない爆弾を抱え、技術も資格も何もない私。何で暮しを立
てればいいのか? その前に、基礎から社会修行やり直そうと勤めに出た。
人生再スタートの年でした。

【心と体の健康情報 - 222】
~子育て心理学~
「戦後教育の問題点」

以下、致知出版 渡辺昇一著「運命を高めて生きる」からの抜粋をからめて、

戦後教育の問題点を探ってみたいと思う…。

戦後教育の最大の問題は、個々の適正を伸ばす環境がなくなってしまったこと
にある。向学心があろうがなかろうが、高等学校全入にしてしまつたことです。
更にいえば、実業高校や商業高校をあたかも下に見て、子供たちを普通高校
進学一本やりで推し進めたことに、問題があった。

普通高校に進学することが、子供たちの将来にとって最善の選択と、先生や
親たちが勝手に決めつけ、子供たちの進路指導をしてきたことに問題がある。
実際のところ、普通科の授業に向かない子どもは多い。高等学校の授業は相当
高度である。当然授業に付いていけなくなり、多くが中退してしまうことになる。

中学の英語もよくわからないのに、あるいは因数分解が出来ないのに、高等学
校の英語や数学の授業についていけるわけがない。
そうした子供たちは、手足を動かす実技に向いているのかもしれない。実業高
校に進んでいれば、その適性を伸ばせたかもしれない。
猫も杓子も普通科高校に進ませるのは、悲劇と言わざるをえない。

このような現象を招いてしまつたのは、良い高校に入り、良い大学、そして、上
場している一流企業に就職することが一生涯安泰で、幸せになれるという、
"画一的"な考え方。そのことに、何の疑問も抱かず、一人ひとりの子供が持つ
適正に目を向けてこなかった戦後教育のあり方に、大きな問題があるようです。

世の中は学歴社会。わが子の幸せを願うあまり、多くの親は、実業高校に子供
を進ませることに、世間体を思うと恥ずかしいことと思う。そういった虚栄心を捨
てなければならない。
子供の適正を見出し、その適正を伸ばしてやるのが、親に課せられた役割では
ないでしょうか。

スポーツ、芸能の世界で活躍している人に、最近とみに目立つのが、まだもの
心つかない幼い頃に、我が子の天性を見出し、特訓英才教育を施し、才能を
開花させた事例が多いことです。
大リーガーのイチロウ選手、卓球の愛ちゃん、ゴルフの宮里 藍ちゃんなどは
、その最たるものでしょう。

我が子にどんな道を歩ませれば、将来幸せになれるのか、その子にしかない
"特性や個性"をいち早く見つけ出し、伸ばしてやるのが親の勤めでしょう…。
子供の能力を考えずに、親の果たしえなかった夢を、子供に託したり、世間体
や見栄で、子供の将来を見誤るようなことがあってはならないのです。

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