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2008年05月 アーカイブ

2008年05月09日

児童が持つ可能性を伸ばしてやる

 

4/29白馬・八方尾根で春スキー
5/3~6沖縄・久米島でスキューバーダイビング



【心と体の健康情報 - 565】
~子育て心理学~
「教育とは、児童が持つ可能性を引き出し、
                伸ばしてやること…」

国語や算数の授業では目立たなくても、違ったところで才能を発揮する子どもがいる。
その能力を引き出してやるのが、「教育」の大きな目的であり、役割でしょう。
ある私立の中学校の体育の時間。ポップスの最新ヒット曲が流れ出すと、六年生の生徒達が先生の動きに合わせて、 ぎこちなく体を左右に揺らし始めた。
音楽のリズム感と、運動能力向上を目的として、年間26回、50時間の授業が組み込まれている。
「できないままじゃつまらないよ。楽しんでやってごらん」
回を重ねるごとに、児童たちの動きも大きくなって、リズムに乗るようになってきた。
先生は、1人の女子児童に目をとめた。ふだんはおとなしく、小さな声で話すのがやっと。
そんな子が楽しそうにリズムを取りながら、のびのびと踊っている。
自分から積極的に行動する子でもないし、こういう機会がなければ、彼女の違った一面に、気づくことはなかったでしょう。

学校の枠にはまらない授業は、意外な子が元気に自己表現してくれる。
教室の勉強では見せない真剣な表情をする子もいる。課外授業の効果は、普段の授業にも表れて、発表させると、 堂々と人の目を見て話す子が増えたという。
こうして引き出された、その子だけが持つ良さや、可能性を、どう生かし、伸ばしてやるか…それが両親と学校の役割でしょう。 担任の先生は、
「児童一人ひとりが持っている可能性を見抜き、どのように伸ばしていくか…」
良い教師と、そうでない教師の違いが、ここで試されることになる…。

読売新聞の教育欄より

社会の第一線で活躍するプロの芸術家が、母校の教室にやってきて「課外授業」を行う…
最近まで、毎週日曜日NHKで放映していた。
見るのが楽しみだった。
5~6人がひとチームとなって、与えられたテーマにチャレンジする…。
子供たちは試行錯誤の末、様々に自己表現して、思い思いの作品に仕上げていく。
いつの間にかグループの中心にいて、みんなの考えをまとめようとする子、イラストを書くのがうまい子、手先が器用で、 切ったり貼ったりするのが上手な子、アイデアを出す子など、子どもたちが持つ一面をカメラが追っていく。
いままで隠れていた子供たちの感性が、テーマに沿って、みごとな作品に仕上がっていく…。

2008年05月13日

落語・味噌蔵■ことば遊び 「尻取り歌」

■ことば遊び 「尻取り歌」

『いろはに こんぺいとう こんぺいとうは甘い 甘いは砂糖
砂糖は白い 白いはうさぎ うさぎははねる はねるはカエル
カエルは青い 青いは柳 柳はゆれる ゆれるは幽霊
幽霊は消える 消えるは電気 電気は光る 光るはおやじのはげ頭』

『ミカン キンカン わしゃすかん  親はせっかん 子はきかん
子ども羊かん やりゃ泣かん    ミカン キンカン 酒のかん
主の言うこと わしゃきかん    隣のねえさん 気がきかん
ミカン キンカン そりゃあかん  角力取り裸で 風邪ひかん』

※くちずさむほどに、忘れていた子どもの頃が思い起こされる。


566 【吉村外喜雄のなんだかんだ】 
~ことば遊び~  「落語・味噌蔵」

落語ネタに欠かせないのが、そそっかしい男に間抜け男、放蕩息子にドケチ親父…。
「落語・味噌蔵」も、私の好きなネタ噺の一つです。

♪赤螺屋(あかにしや)の主(あるじ)ほどケチな旦那はいない!
もう四十に手が届こうというのに、
「世の中に女房くらい無駄なものはない。一日三度も食べるし、その上子供でもできたら、 大変なもの入りだ」とおっしゃる。

そうは言っても、老舗の味噌屋の主人である。いつまでも独り身では世間体が悪い。
親類が集まって、おかみさんを持たないなら、親類一同お付き合いをお断りしたいと、談判。
仕方なく、身体が丈夫で食の細い女なら…と、嫁をもらう。

婚礼が済むと、お嫁さんは二階で寝てもらい、自分は階下で寝ることにした。
ひどく寒い晩があって、煎餅布団だから眠れない。
女房が、婚礼に綿がたっぷり詰まった布団を持ってきたのを思い出して、二階へ…。
しばらく寒い晩が続いたので、二階に通ったが、間もなく嫁が身ごもったことがわかり、うろたえてしまった。
だが、女手がないと理由をつけて、お里に預けることに。
出産の費用や、親類を呼んでのご馳走は、里が引き受けてくれる。
月満ちて…男の子が生まれた。

お祝いに招待された味噌屋の主人は、定吉を供に渋々お里へ行くことになった。
定吉には大きなお重を持たせる。ご馳走をたっぷり持ち帰るためである。

出がけ、留守番の店の者に釘をさす。
「くれぐれも火の用心を…」
「近所から火事が出たら、商売物の味噌で味噌蔵に目塗りをするように」
焼けた味噌は、はがしてご飯のおかずにすれば、無駄がない。

旦那が出かけると、この時とばかりに、店の者が羽を伸ばすのは…世の常。
なにしろ毎日の食事は、具のない味噌汁だけで、お菜が出たことは一度もない。

「どうせ今晩、旦那は帰らないのだから、みんなで美味しいものをいただこう。
お金の方は番頭さんが帳面をごまかして…」と、店の皆がそそのかすと、
番頭も乗り気で「食べたいものを言いなさい!」

皆は大喜びで、刺身、酢の物、天ぷら、鯛の塩焼き、ブリの照り焼き、
玉子焼き、鰻、田楽!
「さあさあ、みんなひとっ走り頼んできておくれ。それから田楽は豆腐屋に、
冷めてしまうとうまくないから、二、三丁ずつ焼いて、持ってきてもらうように…」
その夜、店の中は酒盛りのどんちゃん騒ぎ…。
そこへ、泊まるはずの旦那が帰ってきてしまった…さぁ大変。
旦那様、店内の有様を見て激怒していると、表の戸を叩く声がする。
「今晩は、今晩は、焼けてまいりました」との声。
どこからだと聞くと、横丁の豆腐屋からだと言う。

「二、三丁焼けてまいりました。あとからどんどん焼けてきます」
これを聞いた旦那様、「火元は近い!」と、慌てて表の戸を開けたとたん、
田楽のにおいがプ~ン。
「あッあ~ッ、いけない! 味噌蔵に火が入った」

学習研究社「落語ギャラリー60」

2008年05月16日

上がり症克服法

連休明けの8~13日、ロサンゼルス・メキシコ・クルーズの旅を楽しんだ。
写真(1)は、ロサンゼルス/サンベドロ港から、メキシコに向け出航する直前、7万トン豪華客船、モナークオブザシーズ号12階デッキより、港に停泊する5万トン級客船と、 ロサンゼル市街を遠望する…

当日の乗船者は、2700名…乗務員860名を加えての出航。韓国や中国からの観光客もちらほら…私の部屋は3F窓在りのツイン (窓なしの部屋は安い)…
7階~8階と、上階になるほど客室が豪華で高くなる。
気温は思ったより低く、出発時の金沢と変わらない…半袖では肌寒さを感じた。

毎晩、豪華な晩餐会が催され、シアターでショーを楽しみ、夜更けまでカジノで熱中…タイタニック気分を十二分に満喫できた。

港に停泊する5万トン級客船
5階より乗船



【心と体の健康情報 - 567】
~幸せな人生を歩むために~ 「上がり性克服法」

1ヶ月くらい前に、5歳の頃"目もらい"が出来て、近所の目医者で切り取った話をした。その医者"藪"だったのか、 それ以降瞼が内側にかぶり、"逆マツ毛"に悩まされるようになった。

まつ毛が伸びてくると眼球を傷つけ、結膜炎になる…むじむじ・むずかゆい。
3ヶ月に一度、逆マツ毛を抜きに眼科へ行く。マツ毛を抜こうとすると、痛みを記憶していて、瞼がケイレンする。医者は老眼… ピンセットの手元が狂って肉をつまんだりするから…尚更です。
60年間逆マツゲを抜き続けた私。敏感症になり、春埃っぽく、紫外線が強くなってくると、目が赤く充血し、涙が出てくる。

20歳前後の思春期の頃はひどかった。女性と向き合うと、緊張で目がむじかゆくなり、顔が耳まで真っ赤になり、 相手を正視できなくなる。学生の頃から人前に立つのが恐怖…会社では、「あ~吉村さんて純情!顔が真っ赤」と、 年下の女子社員にからかわれた。赤面症、対人恐怖症…そんな症状に悩まされたのです。
27歳の時結婚したが、披露宴の席でお礼の挨拶が満足に言えなかった。
これではダメだと一念発起。最も厳しい営業…住宅セールスの世界に飛び込んだ。
営業活動でもまれる中…いつしか症状が消えていった。

以下、理念と経営「リーダーのための心理学」からの抜粋です。
何か心配事があるときに、そこに注意がいく…気にしまい、人に覚られまいと思えば思うほど、よけいに強く反応してしまう。 そんな悪循環に悩まされる。
この症状を、心理学では「とらわれの機制」という。

「私は上がり性、人と接するのが大の苦手…」。若い頃、こんな先入観に悩まされてきた。
なのに、セールスの成績はトップクラス。上がり性で営業が苦手と公言しながら、毎月コンスタントに契約を取ってくる。
お客様には、「この人まじめ、誠実そう…この人に任せれば大丈夫だろう…」と見える。
上がり性が、私の最大の武器になったのです。

ある時気付いた…パーティの司会をした人が、終了後「めっちゃ上った…」と言う。見ている私には、本人が言うほどに、 上っているように見えなかったのです。

大切なのは、上がり症を隠そうとするのではなく、上がり症を"公然"と人前にさらし、上がり症をトレードマークにして生きていく… 不安があっても隠さず、ありのままの自分をさらけ出していく…要は、「こんな私で悪かったね…」と、開き直ってしまえばいいのです。

結婚式のスピーチが大の苦手な人…流ちょうにかっこよくスピーチしようなどと、欲張りなことをと思うから、余計に上ってしまう。 上るのを承知で、ありのままの自分で、"スピーチが下手でごめんなさい"と、肩の力を抜いて臨めば、ビックリするくらい余裕をもって、 上手に話せるものです。

明らかにあがって見えて、声が震えている人…懸命にスピーチしている姿に、聴き手は何故か"感動"するものです。
形式に囚われ、心に響かない、どこかのお偉さんの、形式ばった無味乾燥なスピーチより、ずっといいのです。

親しい友人の前では、何時間でも会話を楽しんでいるのに…「私は話ベタ」と、人前で話をするのを苦手に思っている…。
なら、苦手意識を取るにはどうしたらいいでしょう? それは次号で…

2008年05月20日

国家の品格

■今日のことば
~度を過ぎた"徳"は害をなす~  伊達家の家法(壁書)

   「仁」過ぐれば   弱くなる
   「義」過ぐれば   固くなる
   「礼」過ぐれば   へつらいとなる
   「智」過ぐれば   嘘をつく
   「信」過ぐれば   損をする

中でも傍が迷惑するのは、常軌を逸した"義"(人として行うべき正しい道)だろう。
当の本人は、正しいことをしていると、信念に凝り固まり、反省することもない…。
ときにそれは、悪人より始末が悪い。
日銀人事を巡る与野党の攻防を見ていると、「義過ぐれば固くなる」に思えてくる。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 568】
~歴史から学ぶ~ 「国家の品格」

以下、藤原正彦「国家の品格」より

歴史を振り返ると、日露戦争当時の日本人は、本当に立派だった。
ロシア兵捕虜を、各地の収容所で手厚く治療したり、近辺の温泉や
小学校の運動会に招くなど、武士道精神でもって捕虜に接したのです。
明治の日本を背負った人達は、寺子屋や藩校で読み書き算盤、論語などの教育を受けており、即興で漢詩を作る教養があり、 高い道徳性を身に付けていたのです。

16世紀後半に日本を訪れたイタリア人宣教師ブァリニャーノも、
日本人は生まれつき道徳を身に付けていると、本国に驚きの報告をしている。
それが、日露戦争で勝ちを収めて以降、高慢になってしまった。
大東亜戦争の頃になると、将軍たちの品位は格段に落ち、武士道精神が衰退してしまった。武士道精神の衰退です。

戦後、欧米型民主主義が日本に持ち込まれ、言論の自由や個人の自由が、国民の権利と叫ばれるようになった。
欧米型の資本主義、市場原理が日本に定着するにつれ、日本人から、弱者への思いやりや、 ひきような振る舞いを戒める心意気などが失われていった。
世界に誇る高潔な精神を持った日本人は過去のものになってしまったようです。

私が生きてきた世代…戦後の混乱期から、高度成長に至る日本は、家庭より会社を第一に考える時代だった。私たちは、 自らを犠牲にして会社のために働いてきた。
今のように、自分の家族や家庭を第一に考える人は稀だった。
週休二日制が浸透し、週末の接待ゴルフを断って、家族サービスを優先する…今はそんな時代なのです。
家族のために働くが、国や社会に人生を賭ける気にはならない。
どんなに一生懸命働いても、会社の都合で、突然リストラされるかもしれない。
終身雇用制は過去のものとなり、会社は命を懸けるほどの重みのある対象ではなくなった。

国や会社よりも、個人の利益が優先される今の時代、食品偽装事件に象徴されるように、日本人が持ち続けてきた倫理観は、 消え失せてしまったのでしょうか?
銃を乱射する凶悪事件が日本でも報じられるようになり、アメリカ社会にどんどん似てくる。物の見方、 考え方が大きく変わってしまった日本…モラルの欠落したつまらない国になろうとしている。

2008年05月23日

上がり性克服法(2) 沈黙の恐怖

■今日のことば
 ~ニューヨーク州立大学病院の壁に書き残された詩~

大きな事をなし遂げるために 力を与えてほしいと神に求めたのに、
謙虚を学ぶようにと 弱さを授かった。

より偉大なことができるようにと、健康を求めたのに、
より良きことができるようにと、病弱が与えられた。

幸せになろうとして、富を求めたのに、
賢明であるようにと、貧困を授かった。

世の人の称賛を得ようとして、成功を求めたのに、
得意にならないようにと、失敗を授かった。

求めた物は一つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。

神の意に添わぬ者であるにもかかわらず、
心の中で言い表せないものは、全て叶えられた。
私はあらゆる人の中で、最も豊かに祝福されていたのだ。

神渡良平著「下座に生きる」から



【心と体の健康情報 - 569】
~幸せな人生を歩むために~ 
「上がり性克服法(2) 沈黙の恐怖」

結婚式に招かれ、来賓スピーチを依頼された日から、憂鬱な日々が始まる。
原稿を作り、何度も練習して暗記して臨んだ当日。披露宴はとどこおりなく進行し、自分の番が近づいてくる…食事は喉を通らず、 胸はドキドキ…。
いよいよ指名されマイクを取り、お祝いのスピーチ…が、途中で真っ白…
気は焦れども次の言葉が出てこない。こんな経験を何度したことか…

スピーチ馴れしていない人…マイクの前に立ったとたん、上ってしまい、頭の中が真っ白。
次に話す言葉が出てこない。
この沈黙の十数秒間が恐怖です。スピーチが上手になりたかったら、カラオケと同じ…場数を踏むことです。場数を踏めば、 誰でも上手になれるのです。

以下、理念と経営6月号「リーダーのための心理学」から…

講演の後の懇親会で講師の先生、それまで締めていたネクタイを外して、
「私が締めていたネクタイの色とガラを覚えている人…」と尋ねた。
覚えている人は、ほとんどいなかったという。

人間は、自分のことは気になるけれども、他人のことは、当の本人が気にするほどには、関心がない。ですから、 顔が赤くなると気に病んでも、周りは以外と気にしていない…そういうものなのです。

「感性論哲学」 の創始者、芳村思風先生の講義…途中で、突然沈黙してしまうことがある…1分くらいだろうか?  沈黙の間…聴講生は「どうしたんだろう」と、半分居眠りしている人まで目を覚まして、先生の方を見る。

哲学を講義する先生の話は難しい。1時間もすると、まぶたが重くなってくる。
頃合い好しと先生…沈黙の後、突然「なんちゅうか、かんちゅうか、ほんちゅうか…」と、素っ頓狂な声を発する… 会場はド~ッと笑いに包まれる。

先生は、聴講生の眠気をさます手段として、しばし"沈黙"の後、このようなダジャレを言う。何度か受講する中、数えたら、 5つのネタを使い分けていた。
受講中…突然の沈黙…"そら来た!"…会場は大きな笑いに包まれる。

沈黙は決して怖くないということを、私は学んだ。でも、実際の所、30秒間マイクを前に沈黙するのは、度胸のいることです。
私は、次の文句に詰まることがあっても、決して慌てたりせず、"余裕をもって"沈黙…これから話す内容が、 当初話す予定とは違っても慌てず、会場の雰囲気に合わせて、笑顔で話し出すようにしている。

ある時…壇上に上がり、300人ほどの聴衆の前で選手宣誓のように、私がスローガンを一節唱和した後、 続いて会場の皆さんが大きな声で復唱する。
そんな名誉な役を頂いたことがある。

登壇し、マイクの前に立った…スポットライトがまぶしく、私に向けられた瞬間、目の前が真っ白になった! 沈黙…会場も沈黙… 思い出せないまま沈黙…
やおらお尻のポケットから原稿を取り出し、マイクの前に広げ、高らかに唱和した。
そして、無事役目を果した。その沈黙の時間、どれくらいだったのだろうか?
席に戻って、親しい人から「あの沈黙…何か意味があるの?」と言われた。
私が、あがってしまい、頭が真っ白になったことには、気付いていないような振りだった。

2008年05月27日

日清戦争とカキ殻

■無血革命で、明治の新政府誕生

徳川幕府が瓦解して、明治新政府が誕生した時、平穏に政権が譲渡されたことに西欧諸国は驚きました。西欧では、 権力が入れ替わるときは、フランス革命に象徴されるように、必ずといってよいほど、多くの流血と犠牲を強いられるからです。

明治維新に、新政府がまず実行したのは、三千六百万両(約3兆円)という、全国の諸藩が抱えていた途方もない負債を、 明治政府が肩代わりして、全額棒引きしにしたことです。
これによって殿様は、領主の地位を失いはしたものの、借金地獄から解放されることになったので、泣いて喜んだのです。
今なら、膨大な負債で倒産を覚悟してでいた会社社長が、社長を退く代わりに、借金の全てを肩代わりしてもらうようなものです。
維新で一番得をしたのは、藩主ということになります。
それ故、世界史に例をみない「藩籍奉還」という、無血革命がスムーズに行われたのです。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 570】
~歴史から学ぶ~ 「日清戦争とカキ殻」

司馬遼太郎の「坂の上の雲」が、来年から2年間NHKでロングラン放映されることになった。既に撮影に入っているそうで… 楽しみです。

私が過去に読んだ書物から一冊を選ぶなら、躊躇なく「坂の上の雲」を選ぶでしょう。
次いで三国志でしょうか…繰り返し読んだ本は、この両書です。
歴史小説なのに、経営書のように、あちこち鉛筆で線を引いたり、ページの端を折り曲げたりしてあります。

明治新政府樹立直後から、政府の重要政策に、朝鮮の「排日的鎖国主義を討ち、開国を求める」というのがある。
明治8年、日本の軍艦が韓国・漢江の砲台と交戦し、占領した。
翌年、アメリカに習って、釜山ほか2港を無理やり開港させ、不平等な日韓修好条規を締結した。以後日本は、宗主権を主張する清国と、 激しく対立することになる…。

朝鮮半島では、日本人の米の買占め阻止と、朝鮮政府の重税、官僚の腐敗などに苦しむ農民が、一斉蜂起した。
日本軍はこの機を逃さじと、朝鮮を清から独立させ、在留日本人保護を大儀名分に、朝鮮から清国の勢力を排除すべく、軍隊を動かした。
7月25日、ついに、日清両国艦隊は朝鮮・豊島沖で交戦。
日本の命運をかけて、東洋の大国"清"と、戦争を始めたのです。

「坂の上の雲」、日清戦争のくだりを読んでいくと…
戦いに勝つために、海軍省の山本権兵衛(ごんのひょうえ)大将が最初にやったことは、
戊辰戦争で功労のあった、海軍幹部の首を切ったことです。

清国と戦争を始めるに当たり、既成観念に凝り固まっている管理職を、一掃してしまったのです。 その後任に、若手の士官を抜擢して、黄海に押し出した。
日本海軍は縦横機敏に活躍し、"カキ殻"がいっぱいついた清国艦隊を、次々と沈めていった…。

艦船は、遠洋航海に出て帰ってくると、船底に"カキ殻"がいっぱい付いて、船足が落ちる。人間も同様です。経験は必要だが、 経験によって増える知恵と同じ分量だけ、カキ殻が頭に付く。知恵だけ採ってカキ殻を捨てることは、人間にとって大切なことだが、 歳を重ねると、過去の経験に囚われて、これが出来なくなってくる。

人間だけではない。国も古びる。海軍も古びる。
「海軍はこう…」「艦隊はこう…」「作戦はこう…」と、固定観念が邪魔をする。
恐ろしいのは、固定観念そのものではなく、固定観念に囚われていることも知らず、平気で司令室や、艦長室の柔らかい椅子に、 どっかり座り込んでいることです。
一方、素人というのは、 知恵が浅い代わりに固定観念がないから、必要で合理的と思えば、過去に囚われることなく、どんどん採用し、実行しようとする。

私たち零細企業に共通する課題は、古参幹部社員にとって代わる人材がいないことです。社長と労苦を共にし、 現在の会社に育てあげた功績で、経営幹部に居座っている。
過去の経験に囚われ、時代の変化に適応できなくなっている自分に気付いていない。
パソコンが苦手で、覚えようとしない経営幹部などは、その良い例です。
これは、経営する立場の私にも言えることで、いつまでもトップにいることの弊害に気付き、早めに後継者にバトンタッチすべきでしょう。
また、社長を引き継いだ二代目経営者が頭を痛めるのは、古参経営幹部の処遇です。

※[日清戦争]
明治27年7月から翌年4月、日本と清国は、朝鮮の覇権をめぐって戦争。
日本陸軍は9月に平壌、11月に遼東半島を占領し、北京・天津を脅かした。
海軍も9月、黄海海戦に勝利して制海権を握り、翌年1月の威海衛攻撃で、中国北洋艦隊を全滅。
戦費総額2億円、動員兵力24万人、戦傷者1万3千人(戦死者数百人)。
4月17日講和条約(下関条約)締結。日本は領土と賠償金を手にした。
その後日露戦争を経て、明治43年韓国を併合。
太平洋戦争終了までの間、朝鮮は日本の保護国となる…。

2008年05月30日

明日を求めて…子どもたちへ

■エミリー・ウングワレー展(5/28~7/28)

昨日29日、商用で東京へ出張した折、国立新美術館で「エミリー・ウングワレー展」を鑑賞した。是非見たいと思ったのは、 オーストラリアの先住民で、生涯砂漠の中で暮し、西洋美術に触れる機会が一度もなかった老婆が、80歳近くになって絵を描き始め、 96歳で没するまでに、何と3千点もの作品を残したこと…。

没後、評価は高まる一方で、昨年5月、シドニーのオークションで、彼女の作品が1億円を越える金額で落札され、話題になった。
19世紀末、セザンヌやモネの点画画風に、現代の抽象画風をアレンジしたような異色の画業。
高さ10メートルはあろうかという巨大なキャンバスを、力強い無数のドットで埋め尽くし、豊饒な色彩感覚が、見る者の目を釘付けにし、 陶然とさせずにはおかない、不思議な魅力に引きこまれる。

5/27 読売新聞から引用

エミューの女
ビッグ・ヤム



【心と体の健康情報 - 571】
~子育て心理学~ 
「明日を求めて…子どもたちへ」

■今どきの生徒の心の動き     大坂・松虫中学教論 原田隆史

・努力することを嫌う(向上志向が希薄)
・教え子に「まじめにせえよ…」と言っても、「まじめ」の意味が分らない。
・自分の心をコントロール出来ず、直ぐにキレる。
・自分の中に、相反するものを合わせ持っている。
 (例)相手を好きと言った…その舌の根も乾かないうちに、相手を嫌いという
・親子のつながりだけでは、教育出来ない時代になった。

・まだ子どもなのに、物欲や金銭欲が異様に高い。
 何かをしてもらう時、「先生、何おごってくれる?」と、モノをあてがわないと、
 やろうとしない。
・「無関心」「無興味」「無目的」…将来への「志」が希薄。
・親を敬わない、尊敬しない。
・満足感、充実感がない。
・「人から尊敬されたい」「人にすごいと思われたい」…そのようなことを
 思うことも、経験したこともない。人から褒められたことがない。

※原田先生は、松虫中学をわずか3年で中学陸上総合日本一に育てあげた

「夜回り先生」として、その名を全国に知られる"水谷修"さん(51)。
横浜の養護学校や夜間高校などの教論を務め、‘04年に辞職するまで、生活指導を長く担当してこられた。
水谷先生は、「夜回り」と呼ばれる繁華街の夜間パトロールを長年行い、 20万人近い様々な問題を抱えた子ども達に関わってきた。出会った少年少女たちの更生や、 薬物汚染の予防に取り組んでこられた先生です。
長年の経験から、繁華街をうろつく子どもたち…一人ひとりの心や身体の様子から、 一目でどんな暮らしをしているか想像できるという。

■覚せい剤やシンナーの乱用を止められなくて苦しんでいる子どもたちは、
 薬物乱用者特有の目と歯や歯茎の様子で、簡単にわかります。
 すぐに名刺を渡し、「連絡しなさい。そのまま乱用を続ければ死ぬよ」
 と声をかけます。みんなびっくりしています。

■親からの虐待や学校でのいじめで苦しむ子ども達も、すぐにわかります。
 目から輝きが消え、きちんと私の目を見て、握手することができません。
 後ろ姿は、背が丸くなり、力が抜けています。
 すぐに名刺を渡し、「つらかったね。相談してね。いっしょに明日を作ろうね」
 と声をかけます。ほとんどの子が泣き出します。

■いじめをしたり、非行や罪を犯している子ども達も、すぐにわかります。
 目に落ち着きがなく、おどおどしていますから、変に突っ張っていても、
 目には哀しさ漂っています。
 すぐに名刺を渡し、「昼の世界に戻ろう…戻れるよ。連絡しなさい」と
 声をかけます。

■不登校や引きこもりの子ども達も、すぐにわかります。
 いつも力を入れて歩いたり、動いたりしていませんから、歩く姿も身体も丸く
 なり、力が抜けています。目も、何かをいつも気をつけて見ていませんから、
 力が抜けています。すぐに名刺を渡し、
 「動こう…いっぱい身体を動かそう。そして、人のために何かしてみようね」
 と声をかけます。みんな下を向いて、もじもじしています。

子ども達…今の君たちの姿はどうですか? 鏡に自分の姿を映してみて下さい。
目、輝いていますか? 身体に力が入っていますか? 手をぎゅっと力を入れて握ることができますか?
今直ぐ外出しましょう…大きく手を振って、顔を上げて、しっかり歩くことができますか?
もし、どれも出来なかったら、それは、君たちが何かに苦しみ悩んでいるからです…(以下略)

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