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2008年09月 アーカイブ

2008年09月03日

孟母の教え

■「孟子」

江戸時代、町人や農民の子は寺子屋で、習字手習いと論語を学び、武士の子は藩校で、四書(論語・大学・中庸・孟子)を学んだ。

今の時代、大人も読み辛い難解な漢字や言葉が並ぶ「論語」や「中庸」を、当時の子どもたちは、ごく当たり前に学んでいたのです。

四書の一つ「孟子」…中国戦国時代の儒学者"孟子"(紀元前372?~289)の言行を、その弟子たちが7編にまとめたものです。

孟子は、孔子の孫の"子思"の門人になって、孔子の思想を学び、継承した。
"儒教"では、"孔子"に次いで重用され、「孔孟の教え」として、現在に受継がれています。


【心と体の健康情報 - 597】
~古典から学ぶ~ 「孟母の教え」

孟子は、孔子の孫"子思"の弟子。日本では[性善説]を唱えたことで、広く知られている。 今回は、 孟子にからむ逸話を、二つ取り上げます。

孟母三遷の教え
江戸時代の川柳に、"孟母三遷"を茶化した
「おっかさん、又越すのかと孟子言い」というのがある。
子どもの将来を思う母の気持ちは、いつの時代も変わらない。
孟子の母は、ただ「勉強しなさい」と言うのではなく、自らの行動をもって、
我が子を導いたのです。
それが「孟母三遷の教え」として、現在に伝えられているのです。

孟子は、早くに父親を亡くし、母の手ひとつで育てられた、
母子家庭の子だったのです。
母子ははじめ、墓地のそばに住んでいた。
幼い孟子は、墓を掘る真似をして遊んでいた。
母親は「これではいけない」と、市場の近くに引っ越した。

こんどは近所の子と、商人の真似をして、人の顔色を見ては商いをする…
そんな遊びをするようになった。
で、又引っ越した。今度は、学校のそばに住んだ。
すると、本を読み、勉強するようになった。

孟母断機の教え
孟子が大きくなって、母親のもとを離れて、学校に通っていた頃の逸話です。

「勉学に身が入らない孟子…久しぶりに家に帰ってきた。
母は機織をしながら、「勉強の進み具合はどうですか?」と尋ねた。
『べつに…相変わらずですよ』と、孟子は気のない返事をした。
すると母は、突然刀を持ち出してきて、織っていた布をバッサリ切ってしまった。
そして、孟子に向かって、「いいですか、もし途中で勉強をやめるような事があれば、今こうして、 織りかけの布を切ってしまったように、今までの努力がまったく無駄になってしまうのです…」と言った。
孟子の母は、身をもって息子を教育したのです。
そして、「言ったことは必ず実行する!行ったら必ず結果を出す」ことを教えた。
この出来事は、孟子の心に深く、そして鮮明に焼きついた。
以降孟子は、本気で勉学に励むようになった。

人間の基本となる人格は、3歳から6歳の頃に形成されます。
幼稚園から小学校と、活動範囲が広がるにつれ、「朱に染まれば赤くなる」で、
家庭や周りの環境に、影響されるようになります。

親が子育てをするとき、マニュアルに従って、いくら熱心に教育しても、常日頃、親の後姿が伴っていないと、子どもは、道徳・倫理・ 品格を、身に付けることはしないでしょう。
孟母の情熱と実行力は、現代の教育ママも及ばないほどです…。
江戸川柳では、「されども孟母、姑にはいやな人」と、からかわれている。

2008年09月05日

不思議の国、中国

■参りました

9月2日、滋賀県信楽カントリーでゴルフを楽しんだ。その後、大阪の権藤さん夫妻、川人さん夫妻、私たち夫婦、 揃って東大阪で会食した。地元の一部の人のみが知る"穴場"だそうで、夜の会席は予約のみ…しかも取るのは一組のみ。
「エェッ!今どき、そんな料理屋さんあるの?」…驚きはそれだけではなかった。

玄関脇の囲炉裏を囲んで乾杯

まず、玄関脇の囲炉裏を囲んだ場所(写真)へ案内された。
ビールで乾杯して前菜をつまむ。

出されたメイン料理は、自家製もめん豆腐。豆腐を小皿に取って、オリジナルの"岩塩"をふり掛け、口に運ぶ…これが美味。


小一時間談笑した頃、玄関脇の部屋に案内された。ここでのメインは"手打ちそば"…板長がソバを打つ前の粉を一つまみ、 1人ひとりに味わってもらい、ソバ談義…運ばれてくる小鉢を味わい、語らっていると、薬味を添えた、 今打ち上がったばかりの"ざるソバ"が出される…最後はソバ湯で人心地…。

3度目、今度は座敷に案内される。メインは"湯葉と蟹料理"。1人づつ、前に置かれたアルミ箱に豆乳が流し込まれ、 温められて出来る上皮に、手元に並べられた様々な食材を乗せ、風呂敷で包むようにして、薬味を付けて頂く。

最後に"沢蟹ご飯"が出て…デザート…もうお腹いっぱい…こんな贅沢で楽しい会食は初めて。感激の一夜でした。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 598】
「不思議の国、中国」

■世界のジョーク/何年教育しても、身に付かないもの?

○ 日本人の英語教育         ○ アメリカ人の銃規制
○ ロシア人の道徳教育        ○ イタリア人の性教育
○ 中国人のマナー教育         ○ ベトナム人の汚職追放
○ 韓国人のコピー商品撲滅     ○ アラブ人の民族統一
○ 北朝鮮人の反戦教育        ○ アフガニスタン人の麻薬撲滅
○ ミヤンマー人の民主教育

中国政府は、五輪に向けてマナー向上を呼びかけてきたが、急にお行儀よくなるわけがない。中国人は、ルールや約束を守る意識が、 根本的に欠けているようです。
自分のことが第一で、他人とコミュニケーションを取るような教育を受けていない。長年に渡り根付いた習慣・文化は、簡単には変わらない… 。

中国人の海外旅行者が年々増加する中、マナーの悪さに、旅行会社への苦情が絶えない。業を煮やした中国政府、 「国民海外旅行文明行為指針」を発表した。
<海外でやっていけない行為>
「人前で痰を吐く、鼻水をかむ、列に割り込む、公共の場所で靴や靴下を脱ぐ、
 腹を出す…」

●中国に長年駐在しているビジネスマンに聞いた…
「トイレ一つとっても、都会は洋式、地方は今でも"穴だけ"が主流」
「北京、上海など都会に住む三億人と、田舎に住む十億人はまったく別の国民」
「だから中国のことは、何を言っても本当だし、何を言ってもウソになる…」

「北京と上海は犬猿の仲。北京人は首都のプライドから、上海人をバカにし、
 上海人は北京人を田舎者扱いする…」
「ところが、両者ともチベットやウイグルには、まったく興味を示さない」

「中国人はメンツがすべて。ほかの社員の前で叱ったり、注意すると大変なことに…叱る時は、一対一が鉄則。メンツを潰したら、 復讐されると思った方がいい」
「中国人は『人に使われる人はバカ』という感覚だから、一旗揚げて社長になることしか考えない…どうしても、 儲かる商売に集中してしまう」

中国人は奥が深く、したたか。郷に入れば郷に従い、一度会ったら親友…
家族ぐるみで付き合え…奥さんや家族へのお土産を忘れないこと。
ご主人に贈り物をすると、ワイロとみなされるので、ご家族に贈り物をして、ご機嫌を取り結ぶようにする…。

中国人が、日本の友人を紹介する時、「私の生涯の親友です…」と言ってくれる。
NHKの連続ドラマ、「北京のバイオリン」を見るとわかるのですが、中国の女性は強い…家庭で夫を平手打ちする光景…日常茶飯事です。

1人っ子政策を徹底する中国…ところが、香港は2人目OK。香港で産めば、香港の戸籍が取れる。そこで「香港出産ツアー」 なる企画が生まれてくる…。

金メダルの獲得が、国家高揚の威信にかかわる中国…今回のオリンピックでは、アメリカを大きく上回る51個の金メダルを獲得した (アメリカは31個)。
ところで、中国のスポーツ選手の待遇は…?
選手たちは、人生を政府に買われ、服従しているようなもの…政府の許可なく広告に出られず、広告収入の多くは政府の懐に…。

貧しい地方出身者を、政府が丸抱えで英才教育を施し、メダリストに育て上げる。引退後、手に職がなく、 何もできない人が多いという。用済みになったら、捨てられる運命なのです。
中でも、歴史のない認知度の低い野球選手は、サラリーマンより低収入とか…
引退後、日本のように解説者やTVタレントになって活躍するのは、まだまだ先のことでしょう…。

読売新聞「こちら報道部・今も不思議の"隣人"」より

不思議の国、中国

■参りました

9月2日、滋賀県信楽カントリーでゴルフを楽しんだ。その後、大阪の権藤さん夫妻、川人さん夫妻、私たち夫婦、 揃って東大阪で会食した。地元の一部の人のみが知る"穴場"だそうで、夜の会席は予約のみ…しかも取るのは一組のみ。
「エェッ!今どき、そんな料理屋さんあるの?」…驚きはそれだけではなかった。

玄関脇の囲炉裏を囲んで乾杯

まず、玄関脇の囲炉裏を囲んだ場所(写真)へ案内された。
ビールで乾杯して前菜をつまむ。

出されたメイン料理は、自家製もめん豆腐。豆腐を小皿に取って、オリジナルの"岩塩"をふり掛け、口に運ぶ…これが美味。


小一時間談笑した頃、玄関脇の部屋に案内された。ここでのメインは"手打ちそば"…板長がソバを打つ前の粉を一つまみ、 1人ひとりに味わってもらい、ソバ談義…運ばれてくる小鉢を味わい、語らっていると、薬味を添えた、 今打ち上がったばかりの"ざるソバ"が出される…最後はソバ湯で人心地…。

3度目、今度は座敷に案内される。メインは"湯葉と蟹料理"。1人づつ、前に置かれたアルミ箱に豆乳が流し込まれ、 温められて出来る上皮に、手元に並べられた様々な食材を乗せ、風呂敷で包むようにして、薬味を付けて頂く。

最後に"沢蟹ご飯"が出て…デザート…もうお腹いっぱい…こんな贅沢で楽しい会食は初めて。感激の一夜でした。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 598】
「不思議の国、中国」

■世界のジョーク/何年教育しても、身に付かないもの?

○ 日本人の英語教育         ○ アメリカ人の銃規制
○ ロシア人の道徳教育        ○ イタリア人の性教育
○ 中国人のマナー教育         ○ ベトナム人の汚職追放
○ 韓国人のコピー商品撲滅     ○ アラブ人の民族統一
○ 北朝鮮人の反戦教育        ○ アフガニスタン人の麻薬撲滅
○ ミヤンマー人の民主教育

中国政府は、五輪に向けてマナー向上を呼びかけてきたが、急にお行儀よくなるわけがない。中国人は、ルールや約束を守る意識が、 根本的に欠けているようです。
自分のことが第一で、他人とコミュニケーションを取るような教育を受けていない。長年に渡り根付いた習慣・文化は、簡単には変わらない… 。

中国人の海外旅行者が年々増加する中、マナーの悪さに、旅行会社への苦情が絶えない。業を煮やした中国政府、 「国民海外旅行文明行為指針」を発表した。
<海外でやっていけない行為>
「人前で痰を吐く、鼻水をかむ、列に割り込む、公共の場所で靴や靴下を脱ぐ、
 腹を出す…」

●中国に長年駐在しているビジネスマンに聞いた…
「トイレ一つとっても、都会は洋式、地方は今でも"穴だけ"が主流」
「北京、上海など都会に住む三億人と、田舎に住む十億人はまったく別の国民」
「だから中国のことは、何を言っても本当だし、何を言ってもウソになる…」

「北京と上海は犬猿の仲。北京人は首都のプライドから、上海人をバカにし、
 上海人は北京人を田舎者扱いする…」
「ところが、両者ともチベットやウイグルには、まったく興味を示さない」

「中国人はメンツがすべて。ほかの社員の前で叱ったり、注意すると大変なことに…叱る時は、一対一が鉄則。メンツを潰したら、 復讐されると思った方がいい」
「中国人は『人に使われる人はバカ』という感覚だから、一旗揚げて社長になることしか考えない…どうしても、 儲かる商売に集中してしまう」

中国人は奥が深く、したたか。郷に入れば郷に従い、一度会ったら親友…
家族ぐるみで付き合え…奥さんや家族へのお土産を忘れないこと。
ご主人に贈り物をすると、ワイロとみなされるので、ご家族に贈り物をして、ご機嫌を取り結ぶようにする…。

中国人が、日本の友人を紹介する時、「私の生涯の親友です…」と言ってくれる。
NHKの連続ドラマ、「北京のバイオリン」を見るとわかるのですが、中国の女性は強い…家庭で夫を平手打ちする光景…日常茶飯事です。

1人っ子政策を徹底する中国…ところが、香港は2人目OK。香港で産めば、香港の戸籍が取れる。そこで「香港出産ツアー」 なる企画が生まれてくる…。

金メダルの獲得が、国家高揚の威信にかかわる中国…今回のオリンピックでは、アメリカを大きく上回る51個の金メダルを獲得した (アメリカは31個)。
ところで、中国のスポーツ選手の待遇は…?
選手たちは、人生を政府に買われ、服従しているようなもの…政府の許可なく広告に出られず、広告収入の多くは政府の懐に…。

貧しい地方出身者を、政府が丸抱えで英才教育を施し、メダリストに育て上げる。引退後、手に職がなく、 何もできない人が多いという。用済みになったら、捨てられる運命なのです。
中でも、歴史のない認知度の低い野球選手は、サラリーマンより低収入とか…
引退後、日本のように解説者やTVタレントになって活躍するのは、まだまだ先のことでしょう…。

読売新聞「こちら報道部・今も不思議の"隣人"」より

2008年09月09日

中庸に学ぶ

■"わだち"を同じにする

今 天下 車 轍(わだち)を同じくし 書 文を同じくし 行 倫を同じくす
                                           (中 庸)

「今、天下は車のわだちの幅は同じ、書物の文字は同じ、人々の行いの規範も
同じになっている」
始皇帝が天下統一するに際し、全国同じ文字にし、法律を定め、
車のわだち幅を同じにした。
それまでの戦国の世は、国によってわだちの巾はまちまちだった。
他国から攻め込まれた時、わだちの巾が違えば、片方の車輪が傾いて、
転覆してしまいます。侵攻を妨げ、防衛に役立ったのです。

わだちの巾が違えば、商人は国境で荷物を別の車に積み替えねばなりません。
国は、通行税を徴収して、財政を潤わすことができます。
ローマ帝国が、軍用道路の整備に力を注いだように、天下を治めるには、兵隊や物資を、目的地に速やかに運ばなければなりません。
そのためには、わだちの巾を統一する必要があったのです。


【心と体の健康情報 - 599】
~古典から学ぶ~ 「中庸に学ぶ」

江戸時代、町人や農民の子は、寺子屋で「習字手習い」と「論語」を学んだ。
武士の子は、藩校で「四書(論語・大学・中庸・孟子)」を学んだ。

<藩校のテキスト>
小学は『小学』が、中学は『中庸』が、大学は『大学』という教科書で学んだ。
小学」というのは小人の学です。 人としてわきまえておくべき基本的なことを学ぶ学問です。
中庸」は、異質のものを結んで、 新しいものをつくる調和の学問であり、
創造・造化の学です。孔子の孫"子思"(前483?~402?)の作といわれています。
大学」は、大人(たいじん)の学です…「修己治人の学」です。

人 一たびにして 之を能(よ)くすれば 己(おのれ)之を百たびす。
 人 十たびにして 之を能(よ)くすれば 己(おのれ)之を千たびす

                                       [中 庸]
「人が一度で身に付けることを、自分は百たびやって身に付ける。
人が十たびするのであれば、自分は千たびやって、これを身に付ける」
という意味ですが、「中庸」では"善"を行い、"徳"を身に付けたいがための言葉である。
例えば、人が一冊の本を一度で読みこなすなら、自分はその本を十回読むようにする。
そうすれば、相手がどんなに優れていても、その人に劣ることはなくなるであろう…そのように教えているのです。

また、単に人との競争うんぬんではなく、自らの研鑽のために…やるからには通り一遍に済ますのではなく、"とことんやる"。 そこで、おのずから道が開けてくると、教えているのです。何事も、ヤルと決めたことは、明らかに結果が出るまで、 やり通さなければなりません。

子どもの頃、私は"運動音痴"でした。これが劣等感になり、引っ込み思案な性格になった。そこで、人が三日で覚えることを、 その何倍も…身体が覚えるまで根気よくやり続ける…そうすることで、人並みになろうとした…。

ゴルフがその良い例…5年前、道具と靴一式買い揃え、上手くなろうと練習を始めた…最近になって、 ようやく100を切るところまで来た。
パターの練習は始めたばかり。飛距離を出すスイングルーティーンは、まだよく分からない。寄せを身に付けるのもこれから… 一つひとつ課題を設けて、繰り返し練習していけば、何れ人並のスコアを出せるようになるだろう…。

中庸に学ぶ

■"わだち"を同じにする

今 天下 車 轍(わだち)を同じくし 書 文を同じくし 行 倫を同じくす
                                           (中 庸)

「今、天下は車のわだちの幅は同じ、書物の文字は同じ、人々の行いの規範も
同じになっている」
始皇帝が天下統一するに際し、全国同じ文字にし、法律を定め、
車のわだち幅を同じにした。
それまでの戦国の世は、国によってわだちの巾はまちまちだった。
他国から攻め込まれた時、わだちの巾が違えば、片方の車輪が傾いて、
転覆してしまいます。侵攻を妨げ、防衛に役立ったのです。

わだちの巾が違えば、商人は国境で荷物を別の車に積み替えねばなりません。
国は、通行税を徴収して、財政を潤わすことができます。
ローマ帝国が、軍用道路の整備に力を注いだように、天下を治めるには、兵隊や物資を、目的地に速やかに運ばなければなりません。
そのためには、わだちの巾を統一する必要があったのです。


【心と体の健康情報 - 599】
~古典から学ぶ~ 「中庸に学ぶ」

江戸時代、町人や農民の子は、寺子屋で「習字手習い」と「論語」を学んだ。
武士の子は、藩校で「四書(論語・大学・中庸・孟子)」を学んだ。

<藩校のテキスト>
小学は『小学』が、中学は『中庸』が、大学は『大学』という教科書で学んだ。
小学」というのは小人の学です。 人としてわきまえておくべき基本的なことを学ぶ学問です。
中庸」は、異質のものを結んで、 新しいものをつくる調和の学問であり、
創造・造化の学です。孔子の孫"子思"(前483?~402?)の作といわれています。
大学」は、大人(たいじん)の学です…「修己治人の学」です。

人 一たびにして 之を能(よ)くすれば 己(おのれ)之を百たびす。
 人 十たびにして 之を能(よ)くすれば 己(おのれ)之を千たびす

                                       [中 庸]
「人が一度で身に付けることを、自分は百たびやって身に付ける。
人が十たびするのであれば、自分は千たびやって、これを身に付ける」
という意味ですが、「中庸」では"善"を行い、"徳"を身に付けたいがための言葉である。
例えば、人が一冊の本を一度で読みこなすなら、自分はその本を十回読むようにする。
そうすれば、相手がどんなに優れていても、その人に劣ることはなくなるであろう…そのように教えているのです。

また、単に人との競争うんぬんではなく、自らの研鑽のために…やるからには通り一遍に済ますのではなく、"とことんやる"。 そこで、おのずから道が開けてくると、教えているのです。何事も、ヤルと決めたことは、明らかに結果が出るまで、 やり通さなければなりません。

子どもの頃、私は"運動音痴"でした。これが劣等感になり、引っ込み思案な性格になった。そこで、人が三日で覚えることを、 その何倍も…身体が覚えるまで根気よくやり続ける…そうすることで、人並みになろうとした…。

ゴルフがその良い例…5年前、道具と靴一式買い揃え、上手くなろうと練習を始めた…最近になって、 ようやく100を切るところまで来た。
パターの練習は始めたばかり。飛距離を出すスイングルーティーンは、まだよく分からない。寄せを身に付けるのもこれから… 一つひとつ課題を設けて、繰り返し練習していけば、何れ人並のスコアを出せるようになるだろう…。

2008年09月12日

重圧と戦うイチロー

■一朗からイチローへの、スイッチの切り替え…

書道家は、正座をして、硯に水を入れ、静かに墨を磨る動作から始まる。
無心に硯に向かって墨を磨る…心が静まり、雑念が消え、気力が満ちてくる…。
相撲でも剣道でも、試合に入る前の一定の動作の中で、試合に挑む心の切り替えが出来てくる…。

イチローも、自宅から球場に入るまでの間に、スイッチが切り替えられ、表情が全く変わってしまう。毎日、 家を出てからクラウンドに立つまでの時間が、分刻みできっちり決まっている。試合の前の動き出す時間、ストレッチに入る時間、準備の時間…。
それをこなしていく過程で、心の切り替えが出来てくる…特に意識しなくても…
自然と気が入ってくる。

私がゴルフをするときも、自分の番になったら、まず、クラブを正眼に構えて目標を定め、毎回同じ動作、 同じアライメント動作でアドレスに入る…。
そうすることで集中力が高まり、心と身体がリラックスし、緊張が和らいでいく。
ショットを打つ前のこうした一連の動作が、無意識に出来るようになったら…一人前だろう。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 600】
「重圧と戦うイチロー」

鈴木一朗は、高校卒業後ドラフト4位で、オリックスに入団した。
3年目、仰木監督に見出され、登録名を"イチロー"と変えた。
レギュラーを掴むや、いきなり大記録を打ち立てた…前人未到のシーズン210安打。
イチローの名は、またたく間に全国に広がった。

だが、この頃からある違和感を抱き始めていた。"イチロー"が一人歩きし、自分ではない。 マスコミが描く天才バッター"イチロー"のイメージは、21歳の鈴木一朗にとって、あまりにも重かった。

その苦しさから逃れようと、常軌を逸する厳しいトレーニングに明け暮れた。
ヒットを量産し続けるイチロー…更にヒートアップする世間の目。
イチローの名前だけが、どんどん巨大化していく。しだいにイチローは人目を避け、引きこもることが多くなった。帽子を深くかぶって、 人が通るとフッと下を向いてしまう自分がいた。

首位打者になって当然…その期待が重圧となって、イチローにのしかかった。
「来年も頑張って~」と言われるたびに、背筋が寒くなった。追い立てられるように、打撃の改良に取り組んだ… 毎年バッティングフォームを変えた。

あれだけ好きだった野球が、全く楽しめなくなっていた。
次の年へのプレッシャー…その責任と重圧。純粋に、野球をしている感じが全くなかった。
やって当たり前…やらないと驚かれる自分…成績を残すことだけの使命感に縛られて、面白くない毎日が続いた。

このままでは、自分は駄目になってしまう。イチローは、大きな決断を下した。
野球の本場アメリカに渡った。2001年、イチローはメジャーリーガーとして、再スタートした。
いきなり首位打者。そしてMVPの大活躍。4年目には、メジャーリーガー、シーズン最多安打記録達成。
だが、結果を求められる重圧は変わらなかった。重圧に苦しむ生活も変わらなかった。自らに課した200本安打という目標… 毎年170本を超えると、途端に打てなくなった。精神的に追い込まれ、食事の最中…突然呼吸が苦しくなることもあった。
結果を出し続けるために、イチローは毎年新たなバッティングフォームに挑んだ。外から見れば、 軽々とヒットを量産するスーパースターに見える。しかし、イチローは、ずっともがき続けていた…。    ~つづく~

NHKプロフェッショナル 仕事の流儀から

重圧と戦うイチロー

■一朗からイチローへの、スイッチの切り替え…

書道家は、正座をして、硯に水を入れ、静かに墨を磨る動作から始まる。
無心に硯に向かって墨を磨る…心が静まり、雑念が消え、気力が満ちてくる…。
相撲でも剣道でも、試合に入る前の一定の動作の中で、試合に挑む心の切り替えが出来てくる…。

イチローも、自宅から球場に入るまでの間に、スイッチが切り替えられ、表情が全く変わってしまう。毎日、 家を出てからクラウンドに立つまでの時間が、分刻みできっちり決まっている。試合の前の動き出す時間、ストレッチに入る時間、準備の時間…。
それをこなしていく過程で、心の切り替えが出来てくる…特に意識しなくても…
自然と気が入ってくる。

私がゴルフをするときも、自分の番になったら、まず、クラブを正眼に構えて目標を定め、毎回同じ動作、 同じアライメント動作でアドレスに入る…。
そうすることで集中力が高まり、心と身体がリラックスし、緊張が和らいでいく。
ショットを打つ前のこうした一連の動作が、無意識に出来るようになったら…一人前だろう。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 600】
「重圧と戦うイチロー」

鈴木一朗は、高校卒業後ドラフト4位で、オリックスに入団した。
3年目、仰木監督に見出され、登録名を"イチロー"と変えた。
レギュラーを掴むや、いきなり大記録を打ち立てた…前人未到のシーズン210安打。
イチローの名は、またたく間に全国に広がった。

だが、この頃からある違和感を抱き始めていた。"イチロー"が一人歩きし、自分ではない。 マスコミが描く天才バッター"イチロー"のイメージは、21歳の鈴木一朗にとって、あまりにも重かった。

その苦しさから逃れようと、常軌を逸する厳しいトレーニングに明け暮れた。
ヒットを量産し続けるイチロー…更にヒートアップする世間の目。
イチローの名前だけが、どんどん巨大化していく。しだいにイチローは人目を避け、引きこもることが多くなった。帽子を深くかぶって、 人が通るとフッと下を向いてしまう自分がいた。

首位打者になって当然…その期待が重圧となって、イチローにのしかかった。
「来年も頑張って~」と言われるたびに、背筋が寒くなった。追い立てられるように、打撃の改良に取り組んだ… 毎年バッティングフォームを変えた。

あれだけ好きだった野球が、全く楽しめなくなっていた。
次の年へのプレッシャー…その責任と重圧。純粋に、野球をしている感じが全くなかった。
やって当たり前…やらないと驚かれる自分…成績を残すことだけの使命感に縛られて、面白くない毎日が続いた。

このままでは、自分は駄目になってしまう。イチローは、大きな決断を下した。
野球の本場アメリカに渡った。2001年、イチローはメジャーリーガーとして、再スタートした。
いきなり首位打者。そしてMVPの大活躍。4年目には、メジャーリーガー、シーズン最多安打記録達成。
だが、結果を求められる重圧は変わらなかった。重圧に苦しむ生活も変わらなかった。自らに課した200本安打という目標… 毎年170本を超えると、途端に打てなくなった。精神的に追い込まれ、食事の最中…突然呼吸が苦しくなることもあった。
結果を出し続けるために、イチローは毎年新たなバッティングフォームに挑んだ。外から見れば、 軽々とヒットを量産するスーパースターに見える。しかし、イチローは、ずっともがき続けていた…。    ~つづく~

NHKプロフェッショナル 仕事の流儀から

2008年09月16日

ゆで蛙

■私の好きな言葉  ユダヤの格言

    人は転ぶと     坂のせいにする
    坂がなければ  石のせいにする
    石がなければ  靴のせいにする
    人はなかなか  自分のせいにはしたがらない

日頃の私達の姿を、痛烈に皮肉った言葉です。
問題を周りのせいにしている間は、正面から問題に取り組もうとせず、
いつまでも問題は解決しないでしょう。
ですから、「会社の業績が悪いのは、世の中が不景気のせい」と言っている間は、
決して業績が良くならないでしょう。
人と交わる時、口にしてはいけないのは、「愚痴る」「言い訳をする」
「人の悪口を言う」の三つ。この三つのどれかを言いそうになったら、
ユダヤのこの格言を思い出すことです。


【心と体の健康情報 - 601】
~幸せな人生を歩むために~ 「ゆで蛙」

[蛙の話ーその1]
水が入った大鍋の中に、捕まえてきた何匹かの蛙を入れた。
水を得た蛙は安心し、のんびり泳いでいる。
「バーン!」、突然机を叩いた。蛙は驚き、慌てて鍋から飛び出していった。
今度は、用意していたお湯を鍋に入れ、ちょうどいい湯加減にして、再び蛙を入れた。
蛙はゆったり手足を伸ばし、いかにも気持ちよさそうに泳いでいる。

鍋を下から温めはじめた。
徐々に水温が上昇し、熱湯になった。すると蛙は茹でられて、死んでしまった。
同じように、机を「バーン!」と叩いていたら、どうだろう。
蛙は状況の変化に気付き、飛び退いただろう。
しかし、ぬくぬくとぬるま湯につかっているうちに、蛙はつい油断をしてしまい、
気付いた時はもう遅過ぎた。飛び上がるエネルギーを失い、死んでいった。

人生も経営も同じだ。ぬるま湯が徐々に熱せられ、水温が上がってきていることに気付いていながら、 昨日まで何事もなく生きてこられたことにかまけて、危機感を失ってしまう。
昨日も今日も変わらない。明日も今日と同じだろうと思っているうちに、命を失う羽目に陥る。皆さんよくご存知の、「ゆで蛙」 のたとえである。
地球温暖化に、何とかせねばと危機意識を持ちながら、昨日と変わらぬ生活をしている私たち…蛙の逸話だと、笑ってはいられらい…。

[蛙の話ーその2]
桶には、おいしいミルクが入っている。その桶を二匹の蛙が覗き込んで、「おいしそうなミルクがある…一緒に飲もう」と、 桶の中に飛び込んだ。

お腹一杯ミルクを飲んで、ご機嫌の蛙たち。そろそろ外に出ようと、桶の縁の方へ泳ぎ出した。ところがどうしたのだろう。 思うように体が前に進まない。体全体にミルクの幕が張ってしまい、身動きが取れない。もがき続けているうちに、体力が消耗しだした。
「諦めたら死んでしまう。もう少し頑張ろう…」と、根性蛙が声をかけた…が、
「僕はもうクタクタだ…手も足も動かなくなった。もうおしまいだ」
もう一匹の根性なし蛙は、泳ぐのを諦めて…溺れ死んだ。

一方の根性蛙、命のある間は…と、必死に手足をバタつかせ、もがきにもがき通した。
すると、いつしかミルクがバターになっていた。
根性蛙、バターの上を歩いて無事桶の縁にたどりつくことが出来た。

坂爪しょう兵「和尚が書いたいい話」より

    一所懸命やれば 大抵のことが出来る
    一所懸命やれば 誰かが助けてくれる
    一所懸命やれば 何事も面白くなる

大坂のN教育研究所の研修を受けた時に、教わった言葉です。
人生を振り返ると、幾度か"ここぞ"という時がある。
そんな時、懸命に努力していると、思わぬ人が手をさしのべてくる…
そのお陰で今がある…その時のご縁が、未来へと導いていく…。

ゆで蛙

■私の好きな言葉  ユダヤの格言

    人は転ぶと     坂のせいにする
    坂がなければ  石のせいにする
    石がなければ  靴のせいにする
    人はなかなか  自分のせいにはしたがらない

日頃の私達の姿を、痛烈に皮肉った言葉です。
問題を周りのせいにしている間は、正面から問題に取り組もうとせず、
いつまでも問題は解決しないでしょう。
ですから、「会社の業績が悪いのは、世の中が不景気のせい」と言っている間は、
決して業績が良くならないでしょう。
人と交わる時、口にしてはいけないのは、「愚痴る」「言い訳をする」
「人の悪口を言う」の三つ。この三つのどれかを言いそうになったら、
ユダヤのこの格言を思い出すことです。


【心と体の健康情報 - 601】
~幸せな人生を歩むために~ 「ゆで蛙」

[蛙の話ーその1]
水が入った大鍋の中に、捕まえてきた何匹かの蛙を入れた。
水を得た蛙は安心し、のんびり泳いでいる。
「バーン!」、突然机を叩いた。蛙は驚き、慌てて鍋から飛び出していった。
今度は、用意していたお湯を鍋に入れ、ちょうどいい湯加減にして、再び蛙を入れた。
蛙はゆったり手足を伸ばし、いかにも気持ちよさそうに泳いでいる。

鍋を下から温めはじめた。
徐々に水温が上昇し、熱湯になった。すると蛙は茹でられて、死んでしまった。
同じように、机を「バーン!」と叩いていたら、どうだろう。
蛙は状況の変化に気付き、飛び退いただろう。
しかし、ぬくぬくとぬるま湯につかっているうちに、蛙はつい油断をしてしまい、
気付いた時はもう遅過ぎた。飛び上がるエネルギーを失い、死んでいった。

人生も経営も同じだ。ぬるま湯が徐々に熱せられ、水温が上がってきていることに気付いていながら、 昨日まで何事もなく生きてこられたことにかまけて、危機感を失ってしまう。
昨日も今日も変わらない。明日も今日と同じだろうと思っているうちに、命を失う羽目に陥る。皆さんよくご存知の、「ゆで蛙」 のたとえである。
地球温暖化に、何とかせねばと危機意識を持ちながら、昨日と変わらぬ生活をしている私たち…蛙の逸話だと、笑ってはいられらい…。

[蛙の話ーその2]
桶には、おいしいミルクが入っている。その桶を二匹の蛙が覗き込んで、「おいしそうなミルクがある…一緒に飲もう」と、 桶の中に飛び込んだ。

お腹一杯ミルクを飲んで、ご機嫌の蛙たち。そろそろ外に出ようと、桶の縁の方へ泳ぎ出した。ところがどうしたのだろう。 思うように体が前に進まない。体全体にミルクの幕が張ってしまい、身動きが取れない。もがき続けているうちに、体力が消耗しだした。
「諦めたら死んでしまう。もう少し頑張ろう…」と、根性蛙が声をかけた…が、
「僕はもうクタクタだ…手も足も動かなくなった。もうおしまいだ」
もう一匹の根性なし蛙は、泳ぐのを諦めて…溺れ死んだ。

一方の根性蛙、命のある間は…と、必死に手足をバタつかせ、もがきにもがき通した。
すると、いつしかミルクがバターになっていた。
根性蛙、バターの上を歩いて無事桶の縁にたどりつくことが出来た。

坂爪しょう兵「和尚が書いたいい話」より

    一所懸命やれば 大抵のことが出来る
    一所懸命やれば 誰かが助けてくれる
    一所懸命やれば 何事も面白くなる

大坂のN教育研究所の研修を受けた時に、教わった言葉です。
人生を振り返ると、幾度か"ここぞ"という時がある。
そんな時、懸命に努力していると、思わぬ人が手をさしのべてくる…
そのお陰で今がある…その時のご縁が、未来へと導いていく…。

2008年09月19日

重圧と戦うイチロー(2)

守備の名手イチロー

北京オリンピックでG・G佐藤…なんでもない外野フライを、一度ならず二度までも、捕りぞこねて落球した。
イチロー…外野フライを背面キャッチして、観客からヤンヤの喝采を浴びる。
そんな名手イチローを何度か見た。

背面キャッチ…遊びでやっているわけではない。しかしながら、ボールから目を離し、消えたボールを、 背中にグラブを回してキャッチするのですから、難しい…難度の高い行為には変わりない。

なんでもない凡フライをキャッチする時、走者の方に目がいって、ついボールから目を離し、油断してしまう… そんな気の緩みを防ぐための動作だと、イチローは言う。「結果、お客さんに喜んでもらえるからね…」そんなさりげない言葉を聞くと、 やっぱり天才です…。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 602】
「重圧と戦うイチロー(2)」

メジャーに移籍して8年。イチローは毎年200本以上のヒットを打ち続けた。
その間、首位打者2回、年間262安打のメジャーリーグ記録樹立。
輝かしい記録の数々は、「過去のイチローを捨てる」という、イチローならではの"流儀"から生まれた。
その言葉通り、イチローは毎年、自らのバッティングフォームを変えてきた。

2007年春、これまでとは違う何かを見つけようとしていた…。
自分が過去持っていた"形"を思い返してみると、「よく、あれで打てたな…」って…思う。
「今のところ、終わりがないんですよ…今やっていることが、もしかしたら…
そうじゃないかな…」って、淡い期待を抱きながら…。

2007年のイチローは、何かが違っていた。6月には、25試合連続安打で、自己記録を更新。オールスターでは、 史上初のランニングホームランを記録して、MVPを獲得。
明らかに変わったのは、バッターボックスでの立ち位置…これまでよりも30センチ、ベースから離れて立つようになった。
きっかけは、妻の由美子さんの一言…「ちょっと離れてみたら? 景色変わるんじゃないの…」…素人だから言えること。

そして迎えた9月3日、ニューヨークでのヤンキース戦…マウンドにはメジャーきっての豪腕、ロジャー・クレメンス投手… ライトスタンドに飛び込むホームランで、7年連続200本安打を達成した。

2007年のイチローに、何が起こっていたのか?
時折、プレッシャーに押しつぶされそうになることがある…それを技術で乗り越えてきた。
精神には限界があると思う…もう限界だと思った時もある。
幾度となく、精神的に追い込まれた。重い十字架を背負って、プレーしてきた。
それでも、毎年200本達成してきた…日本では、首位打者を取り続けてきた。

「超えているように見えるよね…でも、超えてないんだよね…」とイチロー。
イチローは、「これまで重圧を乗越えられなかった」と、繰り返す。
だから今年、それを課題にした…かかってくる重圧から逃げないと、プレッシャーがかかる…どうしたってかかる重圧…逃げられない。

だから170安打になった時点で…来た来た来た!みたいな感じなんだよ…
いくぞ…明日から…重圧から逃げずに、自ら仕掛けていく…そんな中から新しいバッティングを見つける…。今、 イチローはかってない大きな挑戦の最中にある。
観客席から見ると、野球は簡単に見える。「こんなにヒット打てるところあるじゃない」…ところがバッターボックスに立つと、穴がない… グラウンド全部守られているように見える。
自分のタイミングで打てたボールは、間を抜けていく。でも、詰まらされた打球は、捕られてしまう。
塁間の距離…絶妙の距離なんだよね…ギリギリ・アウトになるようになっている…信じられない…誰が考えたんだろう…感心します。    ~つづく~

NHKプロフェッショナル 仕事の流儀から

9月17日3安打を放ち、大リーグ記録に並ぶ8年連続200安打をついに達成。
100年以上破られることのなかった、メジャー記録に並んだのです。
~達成した感想は~
「メチャメチャしんどかった。190本になるまでは恐怖だった。今年200本
 越えたのは大きい。次は、メジャー1800安打達成の…208本。
 そして、張本勲が持つ日本記録、3085安打にチャレンジ…残り11試合で
 15本打って、今シーズン中に達成したい…やりたいし、やるつもり。
 絶対超えてやる…」

中日新聞

重圧と戦うイチロー(2)

守備の名手イチロー

北京オリンピックでG・G佐藤…なんでもない外野フライを、一度ならず二度までも、捕りぞこねて落球した。
イチロー…外野フライを背面キャッチして、観客からヤンヤの喝采を浴びる。
そんな名手イチローを何度か見た。

背面キャッチ…遊びでやっているわけではない。しかしながら、ボールから目を離し、消えたボールを、 背中にグラブを回してキャッチするのですから、難しい…難度の高い行為には変わりない。

なんでもない凡フライをキャッチする時、走者の方に目がいって、ついボールから目を離し、油断してしまう… そんな気の緩みを防ぐための動作だと、イチローは言う。「結果、お客さんに喜んでもらえるからね…」そんなさりげない言葉を聞くと、 やっぱり天才です…。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 602】
「重圧と戦うイチロー(2)」

メジャーに移籍して8年。イチローは毎年200本以上のヒットを打ち続けた。
その間、首位打者2回、年間262安打のメジャーリーグ記録樹立。
輝かしい記録の数々は、「過去のイチローを捨てる」という、イチローならではの"流儀"から生まれた。
その言葉通り、イチローは毎年、自らのバッティングフォームを変えてきた。

2007年春、これまでとは違う何かを見つけようとしていた…。
自分が過去持っていた"形"を思い返してみると、「よく、あれで打てたな…」って…思う。
「今のところ、終わりがないんですよ…今やっていることが、もしかしたら…
そうじゃないかな…」って、淡い期待を抱きながら…。

2007年のイチローは、何かが違っていた。6月には、25試合連続安打で、自己記録を更新。オールスターでは、 史上初のランニングホームランを記録して、MVPを獲得。
明らかに変わったのは、バッターボックスでの立ち位置…これまでよりも30センチ、ベースから離れて立つようになった。
きっかけは、妻の由美子さんの一言…「ちょっと離れてみたら? 景色変わるんじゃないの…」…素人だから言えること。

そして迎えた9月3日、ニューヨークでのヤンキース戦…マウンドにはメジャーきっての豪腕、ロジャー・クレメンス投手… ライトスタンドに飛び込むホームランで、7年連続200本安打を達成した。

2007年のイチローに、何が起こっていたのか?
時折、プレッシャーに押しつぶされそうになることがある…それを技術で乗り越えてきた。
精神には限界があると思う…もう限界だと思った時もある。
幾度となく、精神的に追い込まれた。重い十字架を背負って、プレーしてきた。
それでも、毎年200本達成してきた…日本では、首位打者を取り続けてきた。

「超えているように見えるよね…でも、超えてないんだよね…」とイチロー。
イチローは、「これまで重圧を乗越えられなかった」と、繰り返す。
だから今年、それを課題にした…かかってくる重圧から逃げないと、プレッシャーがかかる…どうしたってかかる重圧…逃げられない。

だから170安打になった時点で…来た来た来た!みたいな感じなんだよ…
いくぞ…明日から…重圧から逃げずに、自ら仕掛けていく…そんな中から新しいバッティングを見つける…。今、 イチローはかってない大きな挑戦の最中にある。
観客席から見ると、野球は簡単に見える。「こんなにヒット打てるところあるじゃない」…ところがバッターボックスに立つと、穴がない… グラウンド全部守られているように見える。
自分のタイミングで打てたボールは、間を抜けていく。でも、詰まらされた打球は、捕られてしまう。
塁間の距離…絶妙の距離なんだよね…ギリギリ・アウトになるようになっている…信じられない…誰が考えたんだろう…感心します。    ~つづく~

NHKプロフェッショナル 仕事の流儀から

9月17日3安打を放ち、大リーグ記録に並ぶ8年連続200安打をついに達成。
100年以上破られることのなかった、メジャー記録に並んだのです。
~達成した感想は~
「メチャメチャしんどかった。190本になるまでは恐怖だった。今年200本
 越えたのは大きい。次は、メジャー1800安打達成の…208本。
 そして、張本勲が持つ日本記録、3085安打にチャレンジ…残り11試合で
 15本打って、今シーズン中に達成したい…やりたいし、やるつもり。
 絶対超えてやる…」

中日新聞

2008年09月27日

重圧と戦うイチロー(3)

■イチローのこだわり

イチローもゲンを担ぐ。ダックアウトからグラウンドに上る階段…5段ある。
ヒットが出るようにと、最初の一歩は、必ず"左足"から…数打席ヒットが出ないと、今度は"右足"から上る…。
走塁に賭けるイチロー…特別仕立ての、ものすごく軽いスパイクシューズを履いている。
その分痛みも早く、次々と履き着替えるので、ロッカーはシューズの山…。

イチロー専用の、とても高価な特殊トレーニングマシーンを、球場内のトレーニングルームに備え付けている。
弾力性のある柔らかい筋肉と、しなやかな身体をつくるマシーンで、作動中、全身への酸素の供給をスムーズにし、乳酸の発生を抑えてくれる、 優れものである…。
大リーガーは"体の大きな人"というイメージが強い。イチローに限っては、それはむしろ致命傷になる…肥大させずに、筋力だけアップさせる。
イチロー身体…いつも神経が隅々に行き届いた状態でなければならない。
頭でイメージしたことを即、身体で表現する…それがイチローの武器になる。
身体が肥大したら、イチローがイチローでなくなってしまう…。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 603】
「重圧と戦うイチロー(3)」

2007年、イチローは一つの決意を固める。重圧にただ耐えるのではなく、「正面から重圧と向き合う」。「プレッシャーはかかる。 どうしたってかかる…逃げられない…だから向き合おう」…今年、そこをテーマにした。
「プレッシャーが来たら、そこから逃げない…俺は…」

2006年までは、重圧に耐え切れず、脈が変わり、試合中に気持ち悪くなり、吐き気をもよおし、重圧を家に持ち帰った。 重圧から逃れることで、結果を出してきたのです。メジャーに来て、同じ重圧でも、結果を残すことに集中すればよかった… 重圧に耐えることができたのです。

2007年、重圧を受け入れて、立ち向かって行っても、やれる自信があった。
技術の裏づけが、それを可能にした…ならば、プレッシャーを受け入れるべきだと思った。
重圧を避けて達成した200本と、重圧に向かっていって、常に緊迫した試合で達成する200本とでは、重みが全く違ってくる。

今、イチローは"目には見えない何か?"を掴みかけている。
「ストライクゾーンだけで、もし打つことが出来たら、僕よりヒットを打てる人はいないと思う。ところが、 訳のわからないボールに手を出したり、手を出してはいけないボールに手を出す…それがいけないんです」

イチローは、とんでもない悪球に手を出すことが少なくない。人並み外れた技術と、反射神経を持つがゆえに、悪球でも、 思わず反応してしまうのだ。
重圧がかかれば、よりその制御が効かなくなってくる…。

"これを無くせるんじゃないか"と思うんです。この感覚を得れば、今までの技術なんか必要ない… 無駄な技術を駆使する必要がなくなってくる。
"普通に打てる"って思った球を打ちにいけば、ヒットが出るんです。

自分を制御し、ストライクだけを打つ…その感覚を掴もうとしている。
バッターボックスでしか感じられない…あそこでしか生まれないものがある。
だから厄介なんです。   ~つづく~ 

NHKプロフェッショナル 仕事の流儀から

今シーズン208本、メジャー1800安打達成まで、あと1本というところで、昨日の試合…5打数ノーヒット。
残り4試合で8本打てば、張本勲が持つ日本記録3.085安打に並ぶが、今シーズンの達成は、難しくなってきた。

2008年09月30日

嫌なことを進んで受け入れる

■韓国大河ドラマ「ファン・ジニ」

妓生(キーセン)を描いた、韓国の大河ドラマ「ファン・ジニ」(毎週日曜夜NHK・BS/24回)が終了した。次週が待ち遠しくなる、 見ごたえのあるドラマだった。

妓生の娘に生まれ、芸妓として生きることを運命づけられたファン・ジニ。
芸を身につけるための厳しい師匠との確執。ライバル妓生との競い合い。
ジニに思いを寄せる、宮廷の男たちとの悲恋…。
苦しみの中で、ジニは真の芸道を究めていく…。
身分が低く、差別と偏見の中で生きなければならない妓生。 厳しい修行に耐え、芸妓のトップに上り詰めた一握りのキーセンのみが、認められ、 尊敬される身分になれる。
「チャングムの誓い」は、宮廷料理と、当時の医学を極めるストーリーでした。
「ファン・ジニ」は、妓芸と舞の奥義を追求し、韓国ドラマ史上最も豪華で、
艶やかな"衣装"が、毎週見る者の目を楽しませてくれる…。
この二つのドラマから、中世韓国宮廷文化を垣間見ることが出来た。

※ファン・ジニは、16世紀朝鮮王朝時代に実在しだ妓生。当代きっての詩人であり、芸と音楽をこよなく愛する芸術家として、 後世にその名を残す。

NHKドラマホームページより


【心と体の健康情報 - 604】
~幸せな人生を歩むために~ 
「嫌なことを進んで受け入れる」

マザーテレサが偉大なのは、腐臭ただよい、うじ虫が湧いている乞食を、一人ひとり慈しみ、抱きしめる…その、 誰も真似のできない姿にあります。

「乞食の姿をしてはいるが、本当はイエス・キリストなのです」と、マザーテレサは言う。抱きしめているのは、乞食ではなく、 イエス・キリストなのです。
「イエスさまは、私がどこまで信心しているかを試すため、私が一番受け入れにくいものに姿を変えて、私の目の前に現われたのです」と…。

私たちの周りには、顔を合わすのも、口を利くのも嫌な人って、いますよね…。
それは、ご近所の人であったり、勤め先の上司であったり、お姑さんだったりする。
イエス・キリスト、或いは仏さまが、その人に姿を変えて現れてきた…と思うようにすると…どうでしょう。そう思えば、 どんな嫌な人でも受け入れることができるようになるでしょう…。
「自分にとって一番受け入れにくい人が、長いスパンで人生を見れば、自分を一番成長させてくれる人になる」
逆に、付き合って楽しい人は、自分を堕落させてしまう人であることが多い…。

私が社会に出て、最初に勤めた会社…営業で採用された4名の新入社員が、営業部のそれぞれの課に1名ずつ配属された。 私は営業一課、2年先輩のTさんが、私の直属の上司になった。Tさんは、いうところの鬼軍曹。徹底的に、とことんしごかれた。
他の部署の3人はと見れば、しごかれている気配もなく、毎日楽しそうに仕事をしている。

当時、「何で、私だけが…」と恨めしく思い、T先輩の部下になったことを、うとましく思ったものです。T先輩は几帳面で神経質… 箸の上げ下ろしまで口やかましく言う…姑の嫁いびりのように、毎日叱られていました。

2年後、今度は営業二課に配属された…課長は男前の遊び好き。
営業マン必修? 酒・バクチ(花札・マージャン)・女遊びなど、課の先輩たちから教え込まれた。三年目は地獄から天国へ移ったよう… 居心地が良かった。

3年勤めて、更に大きな夢・目標にチャレンジしようと退職…東京の某社へ再就職した。
その後、T先輩も会社を辞められたと…風の便り。今はどこでどうしておられるか…?
お会い出来たら、当時のお礼を言いたいものです。
辛かった入社1~2年目…T先輩の厳しい指導のお陰で、今の私があるのです。

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