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2009年04月 アーカイブ

2009年04月03日

落語・痴楽つづり方狂室

■国民性「3匹のハエ」

アメリカ人、オランダ人、アフリカ人、日本人が戸外で食事をしていました。
するとハエが一匹飛んできて、アメリカ人の皿に止まりました。
と、アメリカ人はバッシーンと、本で叩いて殺してしまいました。

するとまた一匹、今度はアフリカ人の皿に…
するとアフリカ人は、パッとつかんで、食べてしまいました。

また一匹、今度はオランダ人の皿へ…
オランダ人は、静かに手を伸ばして、そっと捕まえると、
アフリカ人に差し出して言いました…「さあ、いくらで買いますか?」

その状況を見ていた日本人…携帯を持って席をはずした。
東京へ国際電話をかけるためである。
「モシモシ、アフリカにおける食料としてのハエの需要を調べてくれませんか?
有望な輸出商品になるかもしれません…」


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 653】
~ことば遊び~ 「落語・痴楽つづり方狂室」

前回のことば遊び645号は、 四代目柳亭痴楽(~1993)の「だくだく」でした。
故・痴楽師匠は、私の好きな落語家の1人で、生まれはお隣の富山県です。
「破壊し尽くされた顔」をネタに、「柳亭痴楽はいい男…」のフレーズで、ラジオ・TVの人気者になった…ご記憶の方も多いことでしょう。

十八番は、新作落語「痴楽つづり方狂室」「恋の山手線」。
顔をくしゃくしゃにして、独特の節回しで演ずる…
そこで今日は、「恋の山手線」のさわりを一席。

♪柳亭痴楽は良い男、鶴田浩二や錦ノ助、それよりもっといい男…
上野を後に池袋、走る電車は内回り、私は近頃外回り…
痴楽つづり方狂室の始まり…

彼女は綺麗なうぐいす芸者(鶯谷)、にっぽり(日暮里)笑ったそのえくぼ…
田畑(田端)を売っても命がけ…我が胸の内、細々と(駒込)、
愛のすがもへ(巣鴨)伝えたい…おおつかな(大塚)ビックリ、故郷を訪ね、
彼女に会いに行けぶくろ(池袋)、いけば男がめじろ押し(目白)…

たかたの婆や(高田馬場)新大久保のおじさん達の意見でも、
しんじゅく(新宿)聞いてはいられない…
夜よぎ(代々木)なったら家を出て、腹じゅく(原宿)減ったと、渋や顔(渋谷)
彼女に会えればエビス顔(恵比寿)…
親父が生きて目黒い内は(目黒)、私もいくらか豪胆だ(五反田)…

おお先(大崎)真っ暗恋の鳥、彼女に贈るプレゼント…
どんな品がわ(品川)良いのやら、魂ちいも(田町)驚くような、
色よい返事をはま待つちょう(浜松町)…
そんな事ばかりが心ばしで(新橋)、誰に悩みを言うらくちょう(有楽町)…
思った私が素っ頓狂(東京)…
何だかんだ(神田)の行き違い、彼女はとうに飽きはばら(秋葉原)…
ホントにおかちな(御徒町)事ばかり…やまては(山手)は消えゆく恋でした。

痴楽つづり方狂室終わり…♪

2009年04月07日

親孝行

■この不景気…中村天風師なら何と言うか?

天風先生がいま生きておられたら、目をカッと見開いて、こうおっしゃるでしょう…
「売れない…お客が来ない…だからどうだというのか!どうしろというのか!
不景気なときに、不景気だと言ったら、景気はよくなるか!?」

人の世のために役立つ「事業」をするというのなら、まず人の世のために役立つ「自己の確立」が第一である。
人の「幸福」を願うなら、まず自分が幸福でなければならない。
自分が幸福であるかないかは、人生に対する自分の思想が「積極的」か、「消極的」か…人生をどう生き、どう考えるか…でわかる。

清水榮一著「心の力」より

※中村天風(明9~昭43) 華族に生まれながら、軍事探偵として満州へ…。
死の病を治したいと、欧米・インドを放浪。その間、コロンビア大学医学博士、日本人初のヨガ直伝者となる。帰国後、銀行の頭取、 製粉会社重役となるも、大正8年一切を投げ打ち、大道説法者に…。皇族・政財界の重鎮をして"生涯の師"と言わしめ、 天風門人となる者後を絶たず…。


【心と体の健康情報 - 654】
~幸せな人生を歩むために~ 「親孝行」

先月のお彼岸…お墓参りに行き、先祖の墓石をピカピカに磨いてきた。
そして先週末…兄弟集まって、母の17回忌、父の33回忌の法要を行った。
墓参りをして気になるのは、参り手のない放置された墓があること…。
先祖の墓を守り継ぐ者が途絶えたのでしょうか…少子化の影響でしょうか…。

親族が亡くなった後の法要は、初七日に始まり、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌と、近親者を招いて供養する。 一般的に、三十三回忌をもって供養の最終年忌とし、五十回忌の供養は、おめでたい祝い事になる。(浄土真宗)

日本人は、長い歴史「親孝行」を"人の道"と考え、大切に受継いできた。
そして、世界一長寿国と言われる国を作ってきた。江戸時代から明治・大正・昭和と、親孝行の大切さを子ども達に教え、 "孝"が如何に大切かを今に伝えてきたのです。
それが戦後の民主教育の中で、失われてしまった。私たちは、誰からも親孝行の大切さを教わらなかった…当然、子ども達にも、 親孝行の大切さを教えていない。
今は「親孝行をせよ!」という言葉が、どこからも聴かれない社会になったのです。

日本人の平均寿命は80歳を越えています。
猿やライオンなど、動物の世界では、年老いて餌が捕れなくなると、群れから離れ、
死んでいった。ライオンやシマウマの社会に、親孝行はない…走れなくなったライオンは飢えて死に、走れなくなったシマウマは、 他の動物の餌食になった。

ところが人間は、年老いて1人で生きていけなくなっても、20年や30年は生きられる。
それは人間の社会だけが、自然界の生存の法則にはない""という行為をするからです。
1人で食べていけなくなった年寄りを、周りの人たちが助ける…。
"孝"によって、体力・気力の低下した年寄りでも、長く生きることが出来るのです。
この"孝"…「仁」や「義」のように、本能として、生まれながらに備わっているものではない…教育によって育まれるものです。

「論語の友」

ここで問題なのは、今の社会、老いた老人を世話し、支えているのは、家族ではないということです。育ててもらった恩もどこえやら、 実の親を、当たり前のように養護老人ホームに入れ、人任せにしてしまう…。

年寄りを、家庭で介護できる環境にないのが大方の理由だが、厄介払いでもするように、一切を他人まかせにして、 見舞いに行こうともしない…そんな家族がいるのも事実です…介護放棄である。「親孝行」の意識が希薄になっているのでしょう。

私は三男ですが、父親の会社を継いだことから、結婚後両親と同居。
父が…そして母が…老いて病に臥し、旅立っていく時、妻には苦労をかけたが、付きっきりで看病した。
何れは老いて人様のやっかいになり、死んでいく。その時、誰に死に水を取ってもらうつもりか?…我が子の顔が浮かんでくるだろうか?… 「いずれ養護施設にでも入るから、心配しなくていい…」と、当たり前のように子ども達に言うが、本心だろうか?
本当にそれでいいのだろうか? 病院で寝たきりの年寄りが、「孫の顔が見たい…家に帰りたい…家で死にたい」と訴える…。
年寄りが「長生きして良かった」と、本心から思える社会にするには、家族みんなが"考"を考える社会にしていかなければ、老後の幸せは、 おぼつかないでしょう…。

2009年04月10日

かなざわなまり(4)

「だら」は、北陸地方の方言と思っていたら、山陰地方の一部でも使われているという。
昨年末の大掃除で、書棚を整理していたら、松本清張の「砂の器」が目に入った。
30年くらい前に、清張の作品に夢中になっていた頃、読んでいる。
正月串本へダイビングに出かけた折、行き帰りの車中で読んだが、筋書きはすべて忘れていた。
読み進めると、日本海側の片田舎の方言が、「砂の器」の謎解きにからんでいく。
当初、東北の「かめだ」と思って捜査したが、名前ではなく、島根県の「亀嵩(かめだか)」という地名だった…そんな筋書きで、 山陰と東北に共通のなまり・方言があることに着目…事件解決の糸口を見出していく…。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 655】
~かなざわなまり(4)~

「ダラ」「ダラくさい」「ダラブチ」「だらま」

「ダラなこと、しとんなま」…1年前、サッカーワールドカップ、アジア杯予選「日本対バーレーン戦」で、日本は前半致命的ミスで、 ゴールを決められた瞬間である。
試合は「1-0」で負けた。
こうした罵倒の言葉…金沢では「ダラ」「バカ」「アホ」の三つに分けられる。

かなざわ弁を代表する「ダラ」…ミスした時、「え~いダラ!」「アホンダラ」「ダラかいや!」と、罵声が飛んでくる…が、 京都ことばに似て当たりが柔らかく、言うほどに相手を傷つけない。

関東のバカと関西のアホが金沢に入り込んだのは、そんな昔のことではない。
戦後、ラジオやテレビが発達してからである。
思わず失敗したとき、「ダラな…」と舌打ちして、 自らを反省するときに使ったり、自分だけ損するような目に合ったときは、「ダラくさい」と、 独り言を言ったりする。
「ダラ」は「バカ」や「アホ」より、いろんな意味が含まれ、広い言い回しになる。

関東や関西では、相手に「ダラ!」と言っても通用しない。そんな時「アホンダラ」と言うと通じる…金沢から都会へ出た人は、 "ダラ"が付いていると、何となく胸がすっきりするのです。

私が子供の頃、母親に「ダラブチ、何しとんがいね!」と、 よく叱られたものです。
そもそも、「ダラ」には、愛情が込もった言い回しが含まれている。夫が妻のお尻をなでたりして、悪ふざけをした時、「ダラブチ、 いい加減にしまっしま!」と、妻に軽くいなされ…妻の顔は笑っている。

「ダラブチ」の語源は、仏教の「南無阿弥陀羅仏」が変化したものだという。
信仰心厚い金沢にふさわしい解釈だが、これが正しいとすれば、「ダラブチ」が持つ柔らかい響きが理解できるというものです。

「ダラマ」は、「え~いダラマ」と、 相手を軽く叱ったり、相手を見下げた言い回しの時に使ったり、「ありゃ だらまや」と、 知恵遅れの子供を指したりする言葉です。「ダラ」は北陸全域に存在するが、「ダラマ」は金沢にしかない方言です。

「頑張りまっし、金沢ことば」から

2009年04月14日

仕事が直感(観)力を磨く

■総入れ歯に見た職人魂

意外と知られていないが、祝い事に欠かせない「水引細工」は、
金沢の伝統工芸の一つである。
07年春"北国風雪賞"を受賞した水引職人の匠"津田剛八郎"氏は、
40歳の時まだ若いのに、総入れ歯にした。

水引を歯で引っ張って結ぶ際、歯茎に水引が食い込んで、歯茎を傷める。
そこで、一ヶ月かけて全ての歯を抜いてしまった。
我が身を削ってでも、仕事に打ち込もうとする、職人魂がそこにある。

大正時代からの老舗津田家…家業を守るための心構えを聞くと、
「気を張って積み木をしているようなものだ」と、津田氏は語る。
木を寸分違わず重ね合わせていけば、高く積み上げられる。
しかし、いい加減に積めば、すぐに傾き崩れるだろう…。

積小偉大」という言葉がある。
毎日コツコツ、小さな仕事でも手を抜かず、仕事に励めば、
しだいにお店に信用が付き、お客様が店を守ってくれるようになる。


【心と体の健康情報 - 656】
幸せな人生を歩むために
「仕事が直感(観)力を磨く」

"プロ・匠"と言われる人には、並外れた"チョッカン"力が備わった人が多い。
瞬間的に感じとって判断する「直感力」と、物事の本質を見抜く「直観力」に長けているのです。
コンピュータが得意とするのは「しらみつぶし」。
将棋ソフト「ボナンザ」は手ごわい…6万局の棋譜をベースに作戦を学び、数十万局のデータベースを抱え、百万局面以上を、 わずか1秒間で読み尽くすという、大変な優れものです。

布石や守りを"1万項目"に分けて得点化し、形勢を判断する…現在このソフトと対抗して勝てる棋士は、500人くらいだろう。 しかし、ソフトの完成度をいくら高めても、人間の「直感力」とか「大局観」の領域には、コンピュータは入り込めない。
例えばプロ棋士は、対戦棋士の表情・仕草などから、微妙な心の変化を読み取り、対局を有利に導く術を心得ている。
コンピュータには、そこまで読み取る力はない。棋士の足元まで近づけても、トッププロには勝てないのです。

ところが、コンピュータが完全解読して、プロと対等に戦えるゲームがある。
北米で人気の、はさみ将棋に似た"チェッカー"だ。
数年がかりの計算が出した結論は「引き分け」…それはミスのない時で、ソフト相手に1手でもミスを犯せば、もう勝ち目はない。

"チェッカー"の局面数は、およそ「10の20乗」。
取った相手の駒も使える"将棋"は、「10の71乗」…これは、全宇宙の星の数「10の22乗」をはるかに上回る。
それが"囲碁"になると、局面数は"無限大"に近づいてくる…。

世に一流と言われる人は、「直感(観)力」に長けている。
直観は、漫然と浮かんできた「ひらめき」とは違う。長年の蓄積によって身に付いた"力"だ。カメラのピントを合わせるように、瞬時に、 的確で正確な判断を下す能力を備えている。

TVで…味噌を"量り売り"しているおばさん店員を見て驚いた…
味噌をシャモジにすくって、秤に乗せるとぴったり1キロ…
針はぴったり1キロを指している…何度やっても、ぴったり1キロ…
"匠の技"である。長年の経験が直感力を高め、プロの技になっている。

技能オリンピックで、金メダルが取れる熟練旋盤工のレベルになると、1ミリの千分の一の誤差を識別する。精密機械も、 千分の一の誤差を読み取れるが、長年の経験と勘を駆使する人間の指の感覚には、とても勝ち目はない。

経験を積み重ねることで、「大局観」が養われる。
仕事を一枚の絵のように眺め、羅針盤のように全体の方向性を決め、仕事全体を指し示す能力が備わっていく。
若いころは頭の回転が速く、行動力に長けるが、経験が浅いため、大局的にモノを見ることが出来ない。そのため、一つひとつ、 目の前の仕事をこなしていくしかない。
"直感(観)"には、雑念や余計な思考が入ってこない。純粋な目でパッと見て、仕事の流れを把握する。直感(観)力の70%くらいが、 正しい判断になるのです。

将棋を例に挙げると、プロといえども全部の手は読めない。
何を捨て、何を残すかが重要になり、勝負を分ける。勝ち負けを競う相手がいる以上、自分の思考能力だけでは将棋は打てない。 わからない中を、直感(観)力を頼りに手が進んでいく。

ソフトが進化して、コンピュータが、プロ棋士の力に近づきつつある。
いくら考えても分からない詰めを、将棋ソフトは、1秒もかからずに解いてしまう。
人間は、経験を積み重ねながら、力をつけていくのに対し、ソフトは、序盤はアマチュア級なのに、終盤の詰めになると、 プロ並みの力を発揮するのです。

明らかに人間と違う。人間には共通した思考・センスがある。
生理的に受け入れられない恥ずかしい手もある。ソフトにはそんなものはない…先入観も違和感も判断ミスもない…一手一手、最善・ 最短の手で攻めてる。

ソフトの目には"駒"は映らず、数字の世界が広がるだけ。良い手を指せても、その意味はソフトには分からない。人間は、 勝負の過程で"創造性"を発揮し、"直感(観)力"に磨きをかける…そして、自分らしい個性が…微妙な感情の動きが盤面に表れてきて、 勝敗を左右する。

読売新聞「経験で磨く大局観」より

二十代の初め、人生を豊かなものにしたいと、一年近く碁会所に通い、先生直々囲碁の手ほどきを受けた。今思えば、 若い時に囲碁を習得したことが、マネージメントの大局観を養うのに、プラスになったと思う。

 

2009年04月17日

坂の上の雲

■司馬遼太郎の遺言

「坂の上の雲」を大河ドラマにしたいと、30年以上も前から交渉し続けてきたNHK…OKが出たのは5年前。
司馬遼太郎は生前、映像化することを好しとしなかった。NHKの熱心な説得に遺族側が折れ、大河ドラマが実現することになったのです。

その内容はあまりにも壮大。零下15度の中国内モンゴルでの撮影に始まり、当時のロシア王朝の面影を残す、 サンクトペテルブルク宮殿での舞踏会シーン、ヨーロッパでの撮影など、今秋放映開始に向け、大掛かりな撮影が行われている。
3年にまたがる放映は初の試みです…壮大なスケールで繰り広げられるスペシャルドラマ…11月29日スタート…今から楽しみです。

3人の主役…秋山真之を本木雅弘さんが、秋山好古は阿部寛さんが、正岡子規を香川照之さんが演ずる。秋吉兄弟の両親は、伊東四朗さん、 竹下景子さん、伊藤博文を加藤剛さん、高橋是清を西田敏行さん、東郷平八郎を渡哲也さん、子規の妹・律を菅野美穂さん、 そして児玉源太郎を高橋英樹さん…と、ワクワクする布陣です。

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」より


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 657】
~歴史から学ぶ~「坂の上の雲」

毎朝8時BS2で、「私が選ぶ一冊の本」を見ている…私はちゅうちょなく、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を選ぶだろう。 内容を解説できるほど、繰り返し読んだ。
自ら志す道を懸命に歩み、歴史に残る偉業をなしとげた、3人の若者の物語です。その「坂の上の雲」が、この秋、 NHKの大河ドラマになるのです。

物語の舞台は明治の日本。小国日本が清国との戦いに勝ち、大国ロシアに戦いを挑む…そんな明治とはいったい、 どんな時代だったのか?
原作者・司馬遼太郎は、明治を以下のように表現している。

「維新によって、日本人ははじめて近代的な"国家"というものをもった。
社会のどういう階層の、どういう家の子でも、ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、 博士にも官吏にも、軍人にも教師にもなりえた。
そういう資格の取得者は、常時少数であるにしても、他の大多数は、自分、もしくは自分の子が、その気にさえなれば、 いつでもなりうるという点で、権利を保留している豊かさがあった」

当時の若者の多くは、ほんの少し前の時代まで、立身出世を夢見るなど、考えもしなかった…それが明治になって、 何でも叶えられるようになったのです。
「坂の上の雲」は、そんな時代に生きた、3人の若者の物語です。

1人は「秋山真之(さねゆき)」。1986年四国の松山に生まれる。
日本海軍の作戦参謀として、瀬戸内海・村上水軍の戦術からヒントを得た「T字戦法」で、バルチック艦隊と国家の命運を掛けた海戦に臨み、 勝利を収めるという、大きな役割を担うのです。
1人は真之の兄「秋山好古(よしふる)」。真之とは九つ違い…陸軍に入り、広大なシベリアの最前線で、ロシアとの戦いに勝利するため、 日本で初めての騎兵隊を創設して、獅子奮迅の活躍をするのです。
もう1人は、真之の幼なじみ「正岡子規(まさおか しき)」…身体が弱く、病と闘いながら"俳句"を革新した人物として… 歴史にその名を残すことになる。

秋山兄弟も子規も、幼い頃から、自らの進路を決めていたわけではない。
子規は、学問をして、太政大臣になる夢のために、東京に出たいと思うようになる。
真之は子規に刺激され、偉くなりたいとの思いが募り、親の許しを得て東京に出る。

この先3人、明治という時代に何を目指し、どう生きていくのか…
「坂の上の雲」では、明治の若者が、国家のため、社会のため、悩みながらたくましく生き、人生を掛け、 国の運命を左右する熾烈な戦いの場へと突き進んでいく…。
秋山兄弟が描く壮大な人生ドラマ…読み重ねるほどに、ぐいぐい引きこまれていく。

「坂の上の雲」だけでなく、今、後編を上映中の三国志「レッド・クリフ」も、「天地人」も、原作小説を読んで、 時代や歴史背景を知ってから見ると…ドラマへの興味が深まり、面白さも倍加するというものです。

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」 より

2009年04月21日

孔子の教え(21) 中庸

■四書の一冊「中庸」

曽子27歳のとき、孔子は73歳で亡くなりました。
孔子には、長男の"鯉(り)"はすでに亡く、"子思"という孫がいました。
10歳前後であったようです。
孔子は曽子に、子思のことを懇々と頼んで亡くなりました。
「子思の面倒をみてやってくれ、そして、彼を教えてやってもらいたい」

曽子は、孔子の教えを伝え残した人ですが、先生の言に違うことなく、
心を込めて、お孫さんを教育しました。
子思は立派に成長して、お爺さんの孔子の心がよく読み取れるようになりました。
孔子が生前、表面上説くことのなかった、心の内を体系化して、「中庸」を著した
のです。
子思亡き後、孔子の教えは"孟子"や"荀子"の思想に引き継がれていきます。

伊与田 覚「理念と経営/論語の対話」より


【心と体の健康情報 - 658】
孔子の教え(21)
「四書"中庸"とは」

モノゴトには、必ず「本(根本)」と「末(末梢)」があります。
立派な人間になろうと、「知識」や「技能」を身につけることは大切ですが、「道徳」「習慣」といった、人としての根っ子の部分…つまり 「人間学」をおろそかにしては、「人として成る」ことはありません。

四書の一冊で、中学のテキストである「中庸」は、「異なるものを結び、創造する」"調和"の学であり、"創造"の学です。
同質な考え方をする人ばかりでは、大きな力にはなりません。多くの異質の個性ある人物を集めて調和し、 そこに大きな働きを生じさせることが大切なのです。
ですから「中庸」は、人の上に立つ立場の人が学ぶ学問といえます。

大工も棟梁になれば、いつまでも、自分の腕を光らせているようではいけない。
自分の優れた腕を捨て、優れた腕を持った若者を育て、生かしていくのが、棟梁の大切な仕事になってくるのです。

先週末、三国志・赤壁の戦い「レッドクリフ・後編」を鑑賞した。
三国志の主役の1人"劉備"は、高い徳を具えた高潔な人柄に加え、「異なるものを結び、創造する」"調和と創造"の能力に優れていた…。
故に、張飛、関羽、趙雲といった異質の個性の強い武人や、諸葛孔明という、世に2人とない軍師を従えることができたのです。
対する魏の"曹操"をして、「我が軍に、あのような部下が1人でもいたなら…」と嘆かせる…そんなシーンが前編にあった。

孔子には三千人の門下生がいた。後継の弟子として大きな望みをかけていた"顔回"が、孔子70歳の時に、 40歳の若さで亡くなってしまった。
その時孔子…「天 予(われ)を喪 (ほろ)ぼせり」と、慟哭(どうこく)している。

四書の一つ「大学」は、孔子の弟子"曽子"が、孔子の教えを素直に受け継いで、孔子の思想を後世に残そうと、著した書物です。
「中庸」は、曽子の弟子で、孔子の孫にあたる"子思"が著したものです。
いい孫をもった孔子は幸せです。

伊与田 覚「理念と経営・論語の対話」より

 

2009年04月24日

明治の日本人気質

■人間愛に満ちた明治の日本人
 日露海戦における幾多のうるわしい逸話が、今に伝えられている。

○波間に漂う敵兵を出来うる限り救助し、医療・食事など万全を期し、
 俘虜として暖かく遇している。また惨敗を喫して、総崩れになった
 敵艦隊から逃れ行く一隻の駆逐艦に対し、「武士の情け、深追いはするな」
 と、見逃してもいる。

○敵の提督ロジェストウインスキーは、重傷を負い、人事不省になった
 ところを救助され、佐世保の海軍病院に収容された。
 東郷は直ちにこれを見舞い、なぐさめの言葉をかけた。
 「敗れたとはいえ、私は、閣下のような立派なお方と戦ったことを、光栄に
 存じます」…万感こみあげたロジェストウインスキーの目に、涙が光って
 いた。

○敵兵への暖かい思いやりは、軍人だけでなかった。
 敵兵の水死体が海流に乗って、山陰の海岸に漂着した。付近の住民はこれを
 引き上げ、手厚く葬り、冥福を祈った。万里の波濤をけって、はるばる来航、
 武運つたなく祖国に殉じた勇者に対する思いは、それが敵であろうと変わり
 なかった。
 明治の日本人には、うるわしい"人間愛"があったのです。 (論語の友から)


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 659】
~歴史から学ぶ~ 「明治の日本人気質」

己の欲せざるところは 人に施すなかれ」 (顔淵第十二)
(自分がして欲しくないことを、人にしてはならない)

日露戦争で、乃木大将が激戦の後旅順を陥落させ、敵将ステッセルと会談した時の逸話から、明治の日本人気質を知ることが出来ます。

敗将ステッセルの一行が、白旗を掲げて乃木の陣営にやってきた。
戦勝国日本の新聞社のカメラマンたちは、この歴史的一瞬を撮影して、勝利をはなばなしく故国に報道しようと、待ち構えていた。

ところが乃木は、これを差し止めて、記者たちを遠ざけてしまった。
「何故そんなことをする…」と、記者たちは乃木将軍に詰め寄った。
乃木曰く「軍人にとって降伏することは、この上もない不名誉である。ましてや、その屈辱の情景をこれみよがしに報道されることは、 当人にとって死ぬ以上に辛いことです」

かって、西南の役において軍旗を奪われ、一死をもってそのつぐないをしようとして、果せなかった乃木には、 ステッセルの心中が痛いほど分かるのです。
武士の情がわかる乃木は、心細かに気配りして、手厚く敗将ステッセルを遇したのです。
この会談は、勝者のおごりも、敗者の卑屈も感じられず、ともに祖国のために堂々と戦った、将兵の誇りと満足が相互尊敬となって、 静寂をとり戻した戦場に、暖かい雰囲気をかもし出したのです。

東亜の小国日本が、大国ロシアを破った…輝かしい勝利もさることながら、当時の日本人が、武士道精神にのっとって、 立派に戦ったことが、全世界から好評を博すことになった。以降、国際社会における日本の信用を、いやが上にも高らしめたのです。

ところが、日露戦争に勝利した小国日本…国難に出会えば"神風が吹く"と慢心し、武士道的道義心は低下するばかり…ついには、 米国に戦争を挑み、敗戦を迎えることになる。
戦後直ちに、我が国の学校教育から、軍国主義的残渣が一掃されることになり、占領軍の係官が、学校を査察して廻った。
ある小学校で運悪く、乃木、東郷の肖像が、物置から発見された。
随行の校長、ハッと顔色を変えたが、査察官の口から意外な言葉が発せられた。

「乃木、東郷は、日本が生んだ世界に誇るべき武将であります。私は偉大な二人を尊敬しています。日本が今日、 このような不幸に会ったのは、彼らのような立派な武将がいなかったからではないでしょうか。この肖像の廃棄を私は認めません」

二宮金次郎の銅像が取り払われたのは、当時、左翼思想の強い日教組によるもので、進駐軍は「二宮金次郎は日本の偉人、 尊敬すべき人物である」と言っている。

戦後の教育の場では、日本の歴史上欠かすことのできない、こうした偉人たちを、子ども達に教えなかった。 日本に生まれながら日本を知らず、日本という国を尊敬できずに、今に生きる私たち…自らに誇りが持てない民族… そんな民族のままでいいのでしょうか…。世界一愛国心の薄い国民と、笑われているというのに…。

「坂の上の雲」「論語の友」より

2009年04月28日

孔子の教え(22)「論語から学ぶゴルフ道」

■ゴルフの始まりは…

青木 功「おれのゴルフ」

スコットランドの羊飼いが、暇に飽かせて杖で小石を打ち、ウサギの穴に入れて遊んだのが、ゴルフ発祥の有力な説と言われている。

「この石を、あの穴へ先に入れた方が勝ち…負けた方がおごることにしよう」なんて言ってやっていたのだろう… 回数を重ねるうちに、 負けないためにあれこれ工夫をするようになった。
「よく転がる石」を探してきたり、「硬い杖」を使ってみたり…道具をあれこれ工夫したことだろう…今もそうだから…。

もし、その時代に生まれていても、その遊びにのめり込んでいたと思うよ…。
始まりが何であれ、これほど道具(クラブやボール)に執着し、改良し、進化してきたスポーツは、他にないだろう。
コースは自然を生かして、自然を楽しむ。雨や風も自然。それに逆らっていては、ゴルフにならないのである。


【心と体の健康情報 - 660】
古典から学ぶ~ 孔子の教え(22)
「論語から学ぶゴルフ道」

私がよく行くゴルフ練習場…トイレをするとき、顔のまん前に張ってある言葉…「他のスポーツと違って、 ゴルフは審判の立会いなしに行われる。
又、ゴルフは、プレィヤー1人ひとりが、他のプレィヤーに対しても心配りをし、ゴルフの規則を守ってプレーするという、 その"誠実さ"に頼っている…(略)」

「子曰く 徳は弧ならず 必ず隣あり」(里仁第四)
「先師が言われた。徳のある者は決して孤立することなく、必ず思わぬところに、これを知る者が現れるものだ」

どんなにゴルフが上手くても、品性・品格に欠けた人物には、真の仲間は出来ない。ゴルフの上手さに魅せられて人が集まるだろうが、 人間としての魅力が薄いと、直ぐに離れていってしまう…。

これからパッティングしようとする同伴者がいるのに、目もくれず自分のラインの観察に余念のない、自分本位な人… ゴルフの精神をご存じない人とお見受ける。
緊急の時、自分だけ助かろうと、必死にもがくタイプでしょうか…。
(これ、どうやら私のことを言っているようです…反省)

また、ティマークぎりぎりにボールを置く御人…グリーン上でもボールぎりぎり、 1ミリでもカップに寄せてマークをして有利に企ろうとする…性格に余裕がなく、品性は"さもしい"の一語に尽きる。

こうしたスコア至上主義者は、他人の目を盗んで、素早くライの改善をやるだろう…そのセコい性格から…生涯、 真の友人が出来ないタイプといえよう…。1ホール終わるまでに、人柄のすべてが露呈される…それがゴルフなのです。

夏坂健著「ゴルフを以って人を観ん」から

「子 怪・力・乱・ 神 を語らず」(述而第七)
「先師は、弟子たちには、妖怪変化とか、腕力ざたとか、乱倫なこととか、神秘なこととかは、話されなかった」

ゴルフをプレーしていて、一か八かに賭ける「怪」、実力以上に力む「力」、秩序を乱す「乱」、邪神の心「神」がある… 何れも禁物である。
林の狭い木立の中から、一か八かグリーンを狙って、キンコンカン…そんな無謀なゴルフは、早晩サヨナラしなければならない… 3回に2回は失敗していることを忘れて、たまたま運良くクリーンヒットになったことが忘れられない…

スコアアップしたいと、何か特別なことをしようとするから、良くないことが起こるのです。たとえ曲げても、 その後は又フェアウェイのセンターに落とし、グリーン中央を狙えばいい…
"繰り返し出来ることをやり通す"
それが出来る人が上手な人で、それが出来ない人は下手な人です。

「子曰く 知者は惑わず 仁者は憂えず 勇者は恐れず」(子かん第九)

「先師が言われた。物事の道理をわきまえた知の人は、どんな問題に直面しても、判断を失しておろおろすることはありません。 人の道に外れない仁の人は、私欲を捨てて天理のまま生きようとするので、心に悩みがない。強い信念と決断力を持った勇の人は、 どんな状況に立っても、びくびく恐れることがない」

自然の大地を舞台にしてボールを追うゴルフ。思わぬハプニングに見舞われることを承知でプレーしなければならない。 不運を嘆いていては、良いプレーにはならない。どんな不利な状況に見舞われようと、それを「在りのまま」に受け入れることです。
「知・仁・勇」…これらをバランスよく備えた人こそ、真のゴルフファーなのです。

杉山通敬著「中部銀次郎・ゴルフの流儀」より

 

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