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2012年11月 アーカイブ

2012年11月01日

松下幸之助に学ぶ

生き方(経営哲学)よりどころ


[渋沢栄一 ・・ 儒教]

渋沢栄一がその生涯に得た教訓は、
「論語の精神にもとづく事業経営に心せよ」だったのではないか。

彼は「産業活動と徳育が親密な関係にあるべきだ」と強調し、

「論語ソロバン主義」を唱えたことで知られる。


[出光佐三 ・・ 仏教]

彼の経営哲学は、「人間尊重」と「家族主義」にもとづく仏教資本主義。

江戸時代の禅僧”仙厓和尚”に心酔し、仙厓の作品でをあしら

った象徴図を、全国各地の出光石油スタンドの片隅に掲げていた。


[松下幸之助 ・・ 神道]

「経営の神様」松下幸之助の経営哲学を支える心構えの中に、

「弱者の身になって考える」 「負けることを知って立身せよ」がある。

京都に庭園「真々庵」をつくり、神社を祀って手を合わせたのです。


                                          日経新聞/山折哲雄「危機と日本人」



1015 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「松下幸之助に学ぶ」


十年ほど前の話ですが、商業界北陸ゼミに、松下電器の山下会長をお招きして、ご講演をいただいたことがあります。

その時のご縁で、京都東山山麓の松下電器・迎賓館「真々庵」に、故・梶谷忠司氏ほか、石川県商業界のみなさんと訪れたことがあります。


真々庵は、敷地面積約五千平方メートル。庭園は、東山を借景にした池泉回遊式で、隅々まで手入れがゆきとどいた名園です。

真々庵にお招きするお客様は、人数にかかわりなく、徹底した気配りを見せることで知られている。

来訪者を、最高の状態でおもてなしするという、いわば「一期一会」の思いを込めた、幸之助ならではの心配りです。


金沢をマイクロバスで出発して、途中京都駅ビルの商業ブースを見学して、昼食。午後1時に到着する予定が、15分遅れて真々庵に着いた。


なんと・・私たちをお迎えしようと、真々庵の皆さんが、門前に並んで待っているではありませんか・・更に、入り口から玄関まで、落ち葉ひとつなく掃き清められ、砂利道は打ち水され、太陽光がきらきら反射している。


「打ち水は、多すぎてもいけない、乾きすぎてもいけない・・丁度ほどよい状態になるように・・水を撒くタイミングを考えるように」と、幸之助はおもてなしの心を説いておられたという。


私たちは客間に案内され、お抹茶をいただいた。

幸之助は「座布団の前後ろ、裏表を間違えないように・・また並べるときは、前をきっちり揃えること・・そうした気配りが大切です」と・・
幸之助自ら点検されたという。


館長から、真々庵と幸之助にまつわるお話しがあり、展示室を見学した後、手入れの行き届いた日本庭園を案内していただいた。

素晴らしい景観の庭園・・中ほどに、「根源社」と名付けた神の社が祀ってある。
幸之助はしばしばそこを訪れ、神前に座して瞑想にふけったという。


心のこもったおもてなしを受けた後、お別れをしてバスに乗った。
振り返ると、真々庵のみなさんが、私たちのバスが見えなくなるまで、深々と頭を下げていた。

これが知る人ぞ知る、松下の「前垂れ商法」です・・一つひとつ些細な気配りの積み重ねが、大きな信頼・大きな好感になり、松下フアンをつくっていくのです

                                                      「理念と経営八月号/松下幸之助に学ぶ」

2012年11月06日

水中ウオーキングの薦め

小 噺「読心術」


「俺が飼っているオウム、人が遊びに来ると、奇妙なことに、

俺が今思っていることを、俺に代わってしゃべってくれるんだ」


『ばかばかしい・・オウムは口真似するというが、いくらなんでも、

飼い主が心に思っていることまで、しゃべれるはすがない』

「いや、嘘ではない。嘘だと思うなら見に来るがいい」


早速出かけて行って見ると、鳥籠の中のオウム・・

「よく来たな」と声をかける。「どうだ、嘘ではあるまい」

男、ドキモを抜かれ、『なるほど、こいつは奇妙だ!』と、

あっけにとられて見ていると、オウム・・

「お~い、茶を持ってこい・・それにタバコ盆も持って来い」と、
主人の思っていることを、矢つぎばやにしゃべり出す。


男が、タバコを一服のみながら、腰を落ち着けていると、

オウム、男の顔をじっと見て・・「もう、いい加減で帰ったらどうだ」



1016 【心と体の健康】

「水中ウオーキングの薦め」


趣味のスキューバーダイビング・・70を過ぎても、まだまだ続けたい思いは強い。バディを組んで、グループまとまって潜るスポーツだけに、若い人たちと一緒に潜るのは大変です・・。


十年くらい前から、プールの中を歩く「水中ウオーキング」が、中高年の間で流行っている。趣味に
ゴルフが加わる以前は、暇をみてはプールで泳いでいた・・ 泳いでは歩くを交互に繰り返し、足腰を鍛えていたのです。

水中ウォーキングは、歩くだけで、顔を水につける必要がない。
泳げなくても直ぐに始められる。腰・ヒザ・肩の痛みに悩む高齢者に、利用する人が多いようです。

水中を歩くだけで運動効果があり、全身運動になる。
浮力で体重が10分の1になるため、足腰に負担がかかりません。
肩までつかれば、ヒザや腰への負担が軽減する・・水の圧力と抵抗によって、手足を動かすだけで、筋肉に負荷がかかり、運動になるのです。


また、水圧が肺や血管を押し、心機能や血流を良くする効果があります。肩を左右に回しながら歩くと、肩こりに・・水を蹴りながら歩くと、ヒザの痛みに効果があります。

水中ウオーキングに、気功やヨガを組み合わせると、更に効果がありまります。

家では、テレビを見ながら「青竹」を踏み、スポーツジムの筋トレマシンで汗を流し、それからプールに入るのを、日課にしている友人もいます。


年をとると、ちょっとした拍子に転んで、腕や足首を痛めてしまう。
ケガで寝込めば、筋肉が衰え動けなくなってしまう・・そうならないために、近くのプールに出かけ、「水中ウオーキング」で体を鍛えたい。

日頃運動しない人も、運動嫌いの人も・・今直ぐできるのが「水中ウオーキング」です。

2012年11月08日

ことば遊び 「落語・帯久(前半)」

落語に登場するキャラクター

与太郎 落語に欠かせないボケ役
ボーッとした性格の若者。いつもふらふらしていて、長屋噺の主人公

熊さん・八つぁん

長屋に住む庶民の代表格。気が短くて喧嘩っ早く、情に厚い江戸っ子

政五郎

大工または鳶の棟梁として登場・・因業大家を相手に威勢のいい啖呵を
きる。

一 八

一流ではなく野だいこと呼ばれる三流者。調子はいいがいつも失敗ばかり

金 坊 こまっしゃくれた子ども
生意気な子どもの代表。頭の回転が早く、口が達者なため、知恵を

働かせて親から小遣いをせしめるのがうまい。



1017 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~ことば遊び~ 「落語・帯久(前半)」


この噺の前半は、人のいい和泉屋与兵衛に、性悪・帯屋久七が恩を仇で返すくだりで、身につまされます。

後半は、北町奉行の見事な大岡裁き・・人の道とは何かが分かり、落語の奥深さを知る一席です。


♪日本橋の呉服屋・和泉屋与兵衛はたいそう繁盛し、帯屋久七は”売れず屋”と陰口を叩かれる不振であった。

三月のある日、帯屋が和泉屋に借金を申込み、和泉屋は証文も取らずに快く貸した・・二十日ほどして返しに来た。


その後、五月に30両、七月に50両、9月に70両と次第に額が上がったが、何れも20日あまりで返済した。

そして11月に100両貸した。大晦日に帯屋が返しに来たので、受け取って脇に置いた。

その時、急な呼び出しで、和泉屋が席を立った・・1人残された帯屋、
置いてある100両を懐に入れ、何食わぬ顔で帰っていった。


帯屋はこの金を元手に大繁盛。一方和泉屋は、一人娘と妻を相次いで病で亡くし、享保6年12月神田三河町から出た大火で、店は焼失・・
気力を全て無くして、床につくようになった。


かって和泉屋の番頭をしていた、分家の武兵衛は、和泉屋与兵衛を引き取った・・そして、十年の月日が流れた。

快復した与兵衛は、他人の保証人になり、無一文になった武兵衛のために、帯屋へ商売の元手を借りに出かけた。


いくら頼んでも貸せないというので、利子も取らずに金を融通した昔話を持ち出した・・百両の件に触れると、「私が盗んだというのか!」と久七、激怒。

煙管(きせる)で与兵衛の額を打ちすえた上、店の若い者に命じて、表に放り出してしまった。

みじめさのあまり与兵衛は、帯屋の裏に積んであったカンナ屑に火をつけて、自分も死のうとしたが、放火の罪で捕えられてしまった。
火付けは重罪・・火あぶりの刑である。

                                                                                                 次号に続く

※このまま噺が終わったのでは、もやもやが収まらない・・
   次号では、胸のすく大岡裁きのオチが・・

2012年11月09日

ことば遊び 「落語・帯久(後半)」

大岡越前守忠相


延宝5年(1677)大岡忠高の三男に生まれる。

享保2年(1717)、41歳の若さで北町奉行に抜擢された。

晩年、寺社奉行を勤める。


八代将軍吉宗に用いられて、裁断公正、名判官と称せられ、

越前守に任じられて、72歳で一万石の大名になる。

「大岡裁き」は、講談・落語などによって作られたものが多く、

良い裁きはみな、大岡の手柄にされてしまった。


大岡の功績は、裁判以外に「好色本の禁止」「私娼取締まり」

「薩摩芋の栽培・普及」など・・数多く、なかでも最大の功績は、

いろは四十八組による「江戸町火消し制度の確立」

寺社奉行の時に書き残した「大岡忠相日記」は、吉宗の頃の

幕閣運営の実情を示す好史料として、今に残っている。



1018 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~ことば遊び~ 「落語・帯久(後半)」


帯屋久七は、呉服屋・和泉屋与兵衛を放火の罪で、大岡越前守・北町奉行所に訴えて出た。

日を改め、双方呼び出された。
「和泉屋与兵衛、面を上げい・・その方、火付けをしたとあるが・・
  どうじゃ」

『ハハ・・火つけをいたしたこと相違ありません』

「なぜ、そういう大それたことをいたした」

『はい・・実は十年前、帯久が金を借りにまいりまして・・返していただいたのですが・・その時百両紛失しまして・・』


充分な下調べをした奉行所
「帯久、その方、親切から持ち帰り、返金するのを忘れたのであろう?・・そうであろう」

『いえ、それは師走の31日に・・確かに・・』

「黙れ! そうじゃなかろう・・親切から持ち帰ったのであろう・・
思い出してみい・・思い出さんとあらば、マジナイをしてやるから・・
手を  出せいッ!」

帯久・・何気なしに手を出した。
お奉行は、帯久の右手の人差し指と中指を、半紙できりりと巻いて、
糊で封をし、上から印を押した。

「もしも封印が切れたら、その方は死罪、家は召し上げ・・
  じゃが、思い出 したとあらば、届け出よ」


さあ、戻って来てみると、糊でヒョイとひっつけてあるだけ・・
なんぞに当たっても、はずみで切れる・・切れると首がございません。

帯久、その晩から寝ることも、飯食うことも、どうすることもできません・・三日目には精根尽き果てた。


「こりゃ、帯屋久七・・思い出したとあるが、返金するのを忘れたのであろう・・どうじゃ」
『ハイ・・お察しの通りでございます・・借りた百両持ってまいりました』

「で、利子はどうした」 『ハ、ハイ・・よしなにお取り計らいを』

「15両でどうじゃ」
『ハ、ハイ・・ありがとうございます・・それで結構でございます』

「一ケ年に15両・・十年で150両・・これへ出せい」

『へェ~利息が150両・・』 「なに、高いと申すのか」

『い、いぇ、高いとは申しませんが、ただいま持ち合わせが・・』

「たわけ者・・百両は帰ったら早速持参いたせ・・
  あとの50両はお上の慈悲をもって、月賦か年賦にしてやろうの」

『年賦でお願いいたします』
「どうじゃ、年十両も払うか」 『いえ・・』
「五両か」 『もう少し・・』
「一両か」『ハイ、よしなにお取り計らいを・・』


「年一両」・・証文を書いて金銭の借り貸しの一件は落着。
和泉屋与兵衛は、元金と利息合わせて二百両を受取り、あとの五十両は、帯屋から年に一両ずつ受け取ることになった。


「ところで与兵衛、火付けの罪は軽からん、その方は死罪にいたすから、心得ませェ~」

「しかし、即刻処刑すれば、五十両の金の受取人がない・・五十両の金、残らず受け取った50年先に、死罪を執り行うから、さよう心得よ」


「ところで与兵衛、その方何歳に相成る」 『61歳でございます』

「還暦か・・めでたいの~」 『見事なお裁き、有難うございます』

「見事と言うほとではない・・
  相手が帯屋だから、少々きつめに締め上げておいた」

2012年11月12日

サルコペニア肥満って・・なに?

長寿健康法


・長寿物質が豊富なリンゴやブドウを食べる

・果物や野菜は食前に食べる

・胚芽米、海藻、きのこ、大豆を食べる
・牛肉、豚肉よりも鶏肉、魚を食べる


・ブリ、マグロ、レバーを食べ、内臓を食べる
・塩分は控えめに

・腹八分の少食を心がけ、よく噛んで食べる

・夕食後は何も食べず、空腹時間を作る


・毎日適度な運動を欠かさず、適正体重を維持する

・幾つか趣味を持ち、趣味仲間と楽しく過ごす

・笑を絶やさず、くよくよしない

・犬か猫を飼う



1019 【食と健康】

「サルコペニア肥満って・・なに?」


11月7日のNHK「ためしてガッテン!プチ断食大解剖」で、
「サルコペニア肥満」を取り上げていた。

耳新しい言葉「サルコペニア」・・「筋肉減少症」という病名、
英語のSarcopeniaから付けられた名前です。


人間の筋肉量は25歳頃から徐々に減り始めます・・
80歳前後になると、30~40%失われると言われています。

「サルコペニア肥満」は、壮年期から老年期にかけて、
老化による筋肉減少と、それによって起きる肥満をいいます。


運動不足の状態が続くと、筋肉が衰え、減少していきます。
筋肉が減少すると、体内脂肪が燃焼しにくい体になります。

見た目、肥満には見えないのに、皮下脂肪や体内脂肪が溜まって、
肥満になっているのです。


サルコペニア肥満は、隠れ肥満と言われ、若い女性にも見られるようになった。
原因は、運動しないで、食事制限に偏ったダイエットにあります。

摂取カロリーを少なくしようとするあまり、”菜食”に偏った食事になり、
筋肉に必要なたんぱく質の摂取量が不足して、筋肉量が減少する。
脂肪燃焼が進まない体になって、脂肪より先に、筋肉が落ちてしまうのです。

サルコペニア肥満は、体の機能を低下させ、パワーが無くなり、
体調不良を訴えるようになります。本人が気づかぬままメタボを併発し、 動脈硬化や心筋梗塞のリスクを負うことになります。

ダイエットのやり方を間違えると、「サルコペニア肥満」になるのです。


サルコペニア肥満を解消するには、運動と食事の両方を改善する必要があります。どちらか一方だけでは、肥満は解消しません。

毎日、散歩程度ではダメで、筋トレと有酸素運動を、毎日続ける必要があります。続けることで、脂肪の燃焼効率が高まるのです。


私は毎朝、気功とヨガ、週に二度ゴルフの早朝練習で汗を流します。
夜は、ヨガをしてから寝ます。

熱心に筋トレをして筋肉を鍛えても、食事が偏れば、筋肉をつくることができません。

食事は「腹八分」の少食、一日三食きちっと摂り、炭水化物、タンパク質、脂質の割合4:3:3を目安に、バランスの良い食事を心がけます。


筋肉をつくる素は「アミノ酸」です。人間に必要なアミノ酸は20種類・・
内9種類は、体内でつくることができず、食事で補います。

アミノ酸は、肉や卵に多く含まれる・・中でも、カジキマグロが一番で、
ビタミンCの多いトマトソースと食べると、吸収が良くなります・・
「ためしてガッテン」でのおすすめ料理です。

2012年11月15日

もったいない運動

おもしろ川柳あれこれ


  「国技館 行司は未だ 日本人」

  「マスコミは 騒ぎすぎると 大騒ぎ」

  「不況なの? 好景気なんて 知らないよ」

  「忘年会 ハメはずしすぎ 送別会」

  「肩は社長 お尻は妻に 叩かれる」


  「いい家内 十年経ったら おっ家内」

  「ゴミの日と 丸つけられた 誕生日」

  「おならにも 家長のしめし 付ける音」

  「家族愛 父働いて働いて 働いて」


  「そのギャグが なぜ面白いと 迫る父」

  「プロポーズ あの日にかえって 断りたい」

  「スカートの ホックつかんで くしゃみする」

  「厚化粧 出かける妻に 犬が吠え」

  「久々の 化粧に子ども あとづさり」



1020 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「もったいない運動」


先月紅葉狩りで宿泊した立山・弥陀ヶ原ホテルの朝食は、バイキング形式でした。並べてある料理は和・洋・品数豊富・・あれこれ美味しそうな料理が並んでいて、つい取り過ぎ、食べ過ぎになってしまう。
秋色に美しく染まった景色を見ながらの朝食に、大満足の私たちでした。

お隣の福井県では、家庭や飲食店から出る食べ残しゴミを減らそうと、「おいしくふくい食べきり運動」を実施している。
それも行政主導で、6年前の2006年から、食べ残しの持ち帰り運動を推進しているのです。

県では、協力店にポスターを貼るなどして、食べ残しの持ち帰りをアピールしていて、現在この運動に協力している店は429社。
今年も、この運動への参加を呼びかけるイベントが行われ、好評だったと
いう。

               もったいない運動                                        「環境を大切に運動」をしている某NPO法人が、食べ残し料理を入れて持ち帰る、紙製の容器を開発した。容器には、折り畳み式の紙袋が大小二つ入っている。    
面白いのは、その紙容器に大きな文字で、MOTTAINAIと印刷してあることです。
そして、次のような文字が印刷されていた

「日本の残飯排出量は世界で一番。
EU諸国の何と4倍!  日本の食糧自給率は40%!」


日本人はいつの頃からか、食べ過ぎ・食べ残しの飽食・美食に慣れ、
出された料理を粗末にし、食い散らかすようになった。 その上、それを何とも思わない国民になってしまったのです。


周りを見れば、食べ放題、飲み放題の飲食店が大繁盛している。
テレビは、グルメを題材に美味しいものを食べ歩く企画が目白押し。
私たちは今、このような飽食に浸りきっていて、いいのだろうか?
京の都のおごれる平氏のごとく、将来が心配になってくる・・。

2012年11月17日

少食健康法のすすめ

少食は長寿につながる


・小食は、身体の自然治癒力を高め、病気を改善する
・小食は成人病を予防し、長寿のみちを拓く


・便通が良くなり、体内の毒素を排出、胃腸を丈夫にする

・頭脳が明晰になり、記憶力や判断力がよくなる



1021 【食と健康】 「少食健康法のすすめ」


私が通っている美容室のマスターは、夕食しか摂らない一日一食主義です。

仏教に、「一日一食は聖者の食事。一日二食は人間の食事。一日三食は動物の食事」という言葉があるそうです。

仏教における食事は、「食するものの命に感謝し尊重する」ところから出発している。

命をいただいていることを自覚するなら、犠牲になった生物を大切に生かしてやらねば、相すまぬ・・ということになる。なるべく少なく食べて、いただいた命を血や肉に変え、より高次の命へと同化していく。

故に、「いただきます」と手を合わせ、食べ物を口に入れるのです・・それが、己の生命を生かすことになると、説いている。


健康のために何をしているわけではないのに、九十歳を超えて病気知らずで、長寿を全うする人がいます。
こうした人に共通するのが、90歳でなお他人や家族のために働き、小食・粗食の習慣にある・・「少食に病なし」である。


世の中は健康ブーム・・多種多様の健康法で溢れかえっている。
これら健康法を説いた書物は、どれも素晴らしい効能・効果をうたい、実行すれば健康になり、病気も治ってしまうという。

しかし、どんなに素晴らしい健康法でも、美食や過食の習慣を改めない限り、意味をなさないだろうし、長生きできないと思う。

禅僧の食事のように、少食・粗食に慣れることが、一番の健康法になるのです。

断食は、始めてから三日くらいは強い空腹感に悩まされます・・脳が「このままでは飢えてしまう、何か食べさせろ!」と危険信号を発するからです。

その断食も四日目になると、血中の糖質を使い果たしてしまい、脳は、外部からエネルギーが入らないことを悟るようになる。
すると、体内に蓄えられた脂肪を、エネルギーに分解して、身体に補充する作業を始める。
空腹感や脱力感が消え、苦痛も感じられなくなるのです。

断食をすると、脂肪の燃焼率が飛躍的に高まります・・まずお腹周りの脂肪が取れ、次いで腰やモモ、背中の脂肪が取れます。そして、心臓や肝臓、腸など、内臓に付いた余分な脂肪も取れていく。


脂肪と結合していた「有害物質や毒素」が遊離し、血液中に流れ出し、肝臓から腸に送られて、体外へ排出されるのです。

2012年11月22日

中国への戦後賠償

政府開発援助(ODA)


1954年に日本が政府開発援助(ODA)を始めてから、今年で58年

になる。この間に、供与した国は185ケ国、24兆3100億円になる。
ODAの実績では米国に次いで2位だが、2001年までは、トップの座
を維持する援助大国でした。
日本のODAの6割がアジアで、発展途上国のインフラ整備、福祉の

向上、人材の育成など、とりわけ東アジアの経済成長に果たした役割

は大きかった。

日本が戦後飛躍的に経済復興できたのは、アメリカを中心とした先進

諸国の戦後賠償権放棄と、戦勝国からの復興援助のお陰です。


日米安全保障の傘のもと、本来防衛費に回すべきお金を、開発途上

国の援助に振り向けてきた。経済効果は、援助を受けた国よりも、

援助した日本の方が大きかったのです。

                                                                             日本経済新聞


1022 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】

~歴史から学ぶ~「中国への戦後賠償」


日本はアジア各国に対して、先の戦争の責任をどのように償ってきたのか…。周辺諸国に対する賠償問題は、すべて解決されたのだろうか?

私たちは、太平洋戦争で被害を与えた国々に、どのように問題を解決してきたのか?   知らないことばかりです。

今日は、尖閣問題で冷え切っている日本と中国の、戦後賠償を検証します。

1952年(昭和27年)、日本は米国の強い要請で、台湾の国民党政府と「日華平和条約」を結んだ。日本に好意を持つ台湾政府は、サンフランシスコ講和条約に基づき、日本に対する賠償請求権を放棄した。


しかし、大陸を支配している中国は、この条約を認めなかった。
中国の言い分は、1931年の満州事変以来、日本の侵略で1千万人以上の生命と、500億ドル以上の財産を失ったと試算し、請求権の放棄を認めず、日中間の戦後処理はこう着状態に陥った。


事態が動いたのは1971年・・中ソの対立を踏まえ、米中が急接近したときです。ニクソン大統領の中国訪問がきっかけ・・衝撃を受けた日本は、中国との国交正常化を急いだ。


1972年、田中角栄首相が訪中・・周恩来首相と話し合って、中国は「日本への戦争賠償請求権を放棄する」旨、共同声明に明記した。
放棄したとはいえ、中国には日本の経済援助への期待があり、日本側にも「賠償放棄に報いるべきだ」との声があった。


1978年、福田内閣のとき「日中平和友好条約」を締結。
翌年、大平内閣は中国に対し、円借款を中心とする政府開発援助(ODA)を本格的に開始した。

その後の対中円借款は、20年余りで累計3兆3千憶円、2007年までに、無償援助・技術協力合わせて、約6兆円のODAを中国に与えている。

2008年の北京オリンピック以降は、中国の経済発展を理由に、円借款は打ち切られた。以降現在まで、5千億円の対中資金援助がなされている。

地下鉄や下水処理施設など、日本のODAによる多額の援助が、中国各地でなされたにも関わらず、中国の国民には知らされず、逆に反日教育によって、 日本への憎悪は高まる一方・・
「あれも。そしてこれも・・日本の援助で出来たんだよ!」と、中国国民に教えてあげたくても、言えない日本政府・・虚しい現実です。

2012年11月26日

寿命が伸びる断続型断食

胃腸、休ませていますか?

   健康のためにデトックスしていますか?


肝臓を守るために、週に1・2日休肝日にして、肝臓を休ませるのは

良いことですが、胃や腸も同様、時折休ませる必要があります。
また、毎日一定時間睡眠をとるのは、健康のために大変大切なこと
です。睡眠によって身体・脳・消化器官が休まり、回復するのです。


食べたものが消化吸収され、排出を終えるまでに、18時間要します。

朝・昼・晩三食たっぶり摂り、夜遅くまで飲み歩き、帰りがけにラーメン
が欠かせないという人は、胃腸に負担をかけっぱなしで、休まる時が
ありません。
胃腸に負担をかけ続けると、体内に毒素が溜まり、様々な病気の
原因 になります。

バランスのよい栄養を摂ることは、健康のために大切ですが、
体内に溜まった毒素・・水銀やカドミウム、ダイオキシンなどを、
デトックスして、排出してやることも大切です。



1023 【食と健康】

「寿命が伸びる断続的断食」


日本はいつの頃からか、食べ過ぎ・食べ残し天国になってしまった。

中華料理、韓国料理、ベトナム、タイ、インド・・金沢に居ながらにして、

アジア各国の料理を味わうことができます。

外国へ行くたびに思うことは、日本ほと”食”に恵まれ、食を楽しめる国はなく、天下泰平・平和ボケしているといことです。


どの新聞だったか、コラムに「何度も断食・・長寿の道」というのがあった。
京都大学のチームが、”線虫”の遺伝子の働きを調べていて、明らかになったのです。

線虫は長さ1ミリほどで、寿命は25日・・実験で、2つの結果が得られた。

一つは、エサを減らしてカロリーを制限をすると、約”1,2倍”寿命が伸びることが確認された。もう一つは、2日ごとに2日間断食させて、断続的に飢えさせると、寿命が”1,5倍”伸び、しかも活発に動きまわっていた。

「カロリー制限型」と「断続的な断食型」の、2つの実験結果が得られたのです。

効果からみると、生きるためにギリギリの、後者の断続型飢餓タイプの方が、はるかにすぐれているのだから・・面白い。「栄養失調になり、短命に終わる」という推測は、当てはまらないのです。

適度な飢餓状態が遺伝子細胞に作用して、危機に目覚め、生きようとするエネルギーが増すのです。


僅か五・六十年前までの日本人は、満足に食べるものもなく、歴史は飢餓の連続だった。メタボの私が、断食で減量しようとして、ほんの少し体重を減らしただけで・・体内の細胞が・・本能が・・生命の危機を訴えるかのように、体重を元に戻せというのです。


仏教の世界では、昔から精進を日常とし、断食を大切にしてきた。
線虫の実験でいうと、「精進」がカロリー制限型、「断食」が断続型飢餓ということになるだろう。

印度のブッタは八十歳、日本の親鸞は九十歳まで生きた。
修業により悟りを得た、徳の高い僧侶は、カロリー制限と断続的な飢餓の二つの方法を巧みに併用して、長寿を実現したのだろう。

2012年11月29日

選挙公約

原発・エネルギーを巡る公約


・民主党

「安全確認を得たもののみ再稼働。2030年代に稼働ゼロへ」

・自民党

「10年以内に新たな安全構造を確立。再稼働は3年以内に判断」

・日本維新の会

「脱原発依存。原発のメカニズム、ルールを変える」

・公明党
「可能な限り原発ゼロ。再稼働は国民の理解を得て判断」
・日本未来の党

「全ての原発を廃炉にする”卒原発”への道のりを定める」

・みんなの党

「2020年代に原発ゼロ。再稼働は基準に適合した原発のみ許可」

・共産党

「即時原発ゼロ」



1024 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「選挙公約」


11月26日県立音楽堂で、奈良薬師寺管主・山田法胤の講和を聴きに行ったとき、衆議院選挙に絡んで、私たちに以下、うんちくある言葉を投げかけた・・

経済なき道徳は 寝言である
道徳なき経済は 罪悪である


資源なき日本・・貿易立国を前面に、現在の繁栄と富を築いてきた。
「原発即時撤廃」や「脱原発」、「TPP阻止」を掲げる政党が、経済を軽るんじるとしたら・・寝言になるだろう。


一方の自民党は、原発を容認する立場・・経済の復活・発展を急ぐあまり、
原発存続もやむなしとするなら、それは国民の意志に反して・・罪悪です。

消費税、TPP、原発の存廃と、国論が真二つに割れ、国の根幹にかかわる問題を抱える今、大衆に迎合し、勢力の拡大を図ろうと躍起になるミニ政党。

目先の損得に囚われず、30年先の日本を考える政策を、強力に推進・実行できる政権が現れることを望んでやまない。


以下、29日の読売新聞[編集手帖]からの転載です。


かみさん同士が長屋の井戸端で・・

「お前さんとこのあの人、見込みがあって一緒になったのかい?」

『あるもんかね・・あんな奴!』
「じゃァ・・どうして一緒になったのかい?」
『だって、寒いンだもの・・』 ・・・落語”厩火事”のマクラです。


いまどき、寒さしのぎに結婚する人はいないだろうが、政党同士の結婚は、この落語に似ている・・「だって、選挙で首筋が寒いンだもの」


嘉田由紀子滋賀県知事を代表に発足した「日本未来の党」はどうだろう。嘉田知事は、県民を原発不慮の事故から守りたい一心・・滋賀県の利害のために”脱原発”を掲げ国政に打って出た。

原発のある隣県・福井県への配慮は見受けられず、国全体を考えた政策とも思えない・・そんな政党に、小沢一郎など複数の政党が合流した。

”未来の党”が掲げる政策は、「脱増税」「全員参加型社会」「品格ある外交」・・と、どれもこれも立派だが、抽象的。
「沖縄から基地を少なくとも県外に!」の、鳩山さんがダブッてくる。

手段も道筋も示さずに”夢”を選挙公約に掲げる・・寝言でしかない。
『地球上の飢餓根絶』や『地震・津波の撲滅』を公約加えたとしても、違和感を覚えない。

空疎なスローガン、生き残りのために右往左往する、前衆院議員・・

国家百年を考える政治家が見えてこない・・


過去三年の「決められない政治」「こんなはずではなかった政治」に、私たちの不信感は高まる一方・・

急ごしらえの新党の離合集散・・国政を担う力に欠け、大衆迎合型の新党に、一票を投じ、日本の将来を託してよいものだろうか・・
本当にやってくれるだろうか? 大丈夫だろうか?

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