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2014年04月 アーカイブ

2014年04月03日

隣国、日本と中国の関係

■異質な価値観と歴史を持つ隣国と
  付き合っていくには・・


「近隣諸国と仲良くあるべきだ」と言うのは

日本だけだ。
世界どの国を見ても、近隣とは常に問題が

あり、摩擦が起きないという方がおかしい・・

中・韓との関係で日本人は、今後も絶対の

友好はないものと、思わなければならない。

唯一の突破口は、経済関係がより親密である

ことだ。
                        作家・塩野七生「時論」より


北朝鮮と韓国・・両国とも仮想敵国が日本 で

あることを、どう思うかだ・・



1164 「吉村外喜雄のなんだかんだ」

~歴史から学ぶ~ 「隣国、日本と中国の関係」


隣国、日本と中国の関係を歴史から振り返ると、お互い切っても切れない関係にあるのは、歴史が証明している。

日本が、江戸末期に入手した西欧情報のほとんどは、上海からもたらされたもの・・西欧の列強が、阿片を使って中国を食い物にし、我慢できずに仕掛けた阿片戦争・・戦いに敗れた清国は、香港を割譲させられるという苦い経験をしている・・

その顛末が日本にもたらされ、国の将来を憂う志士たちを突き動かすエネルギーになったのです。
列強に付け入るスキを与える間もなく、 世界に例を見ない、江戸幕府から明治政府への”無血革命”に成功し、明治維新を迎えたのです。


それからの日本は、豊国強兵をスローガンに、近代国家への道を突き進んだ。明治・大正・昭和と、政治・経済・教育・文化、すべての分野で”西欧化”が進んだ。

日本が、西洋の文化や科学を取り入れるとき、西洋の言語を日本語に翻訳して、数多くの「外来日本語」を誕生させた。それが中国に逆輸入され、浸透していったのです。以下はその一例です。


・解放 ・環境 ・幹部 ・議員 ・議会 ・企業 ・共産主義 ・金融
・銀行 ・組合

・景気 ・芸術 ・権威 ・原理 ・原則 ・憲法 ・国際 ・自由 ・宗教
・法律
・民法 ・領海 ・領土 ・輸出 ・輸入 ・労働組合 etc


こうした外来日本語が中国語になったのです。

現代中国語で、日本語から借用した外来語の数は驚くほど多く、現在日本人が使用している社会科学、人文科学にからむ用語の七割が、中国語になっている。

事例をあげると、中国の国名「中華人民共和国」は、”中華”を除く残りすべてが和製中国語なのです。

                                                              竹田恒泰「竹田研究会」

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尖閣領有でいがみ合う日本と中国・・歴史を振返れば、両国は互いに
必要不可欠の関係にある。

中国も日本も・・最も嫌いな国は日本であり、中国だと言う。暴徒が日本人の店を襲うテレビ報道を、繰り返し見ているうちに、「それが中国の
すべて・・嫌いだ」と刷り込まれる。

中国人も、「尖閣は自分たちの領土・・許せない」と腹を立て、日本人を嫌う。

怒っている日本人(中国人)に、「中国(日本)へ行ったことは?
中国人(日本人)の友人は? 近代中国(日本)の歴史を知っている?」と尋ねると、「行ったことはない。友達はいない。歴史は知らない」と言う・・相手の国を何も知らないで・・一部の人が暴走するのを見て・・日本人(中国人)すべてがそうと思い込んでいる。


実際、中国(日本)に出かけて、中国人(日本人)と交わってみると、みな良い人たちだ。少なくとも十人中七人は、素敵な友人・隣人である。

2014年04月07日

般若心経(前半)

「行為の意味」   詩人 宮澤章二
「こころ」は誰にも見えないけれど

「こころづかい」は見える

「思い」は見えないけれど
「思いやり」は誰にでも見える


温かい心が   温かい行為になり
やさしい思いが  やさしい行為になるとき

「心」も「想い」も   初めて美しく生きる

それは   人が人として生きることだ


市川団十郎    辞世の句

色は空   空は色との
時無き世へ(とらわれない世界へ)

色即是空   空即是色

色(しき)とは
生きている世界においてのすべてのもの
空とは

それを受け止める器のようなもの



1165 【心と体の健康】   「般若心経(前半)」


般若心経は、わずか260文字の短いお経です。
その「般若心経」を、現代の分かりやすい言葉にすると、
あたかも禅問答のよう・・ 一度や二度読んだ程度では
意味が理解できないくらい、奥が深いのです。


仏説   摩訶   般若波羅密多   心経
ぶっせつ  まーかー  はんにゃーはーらーみったー   しんぎょう


観自在菩薩   行深般若波羅密多時
かんじーざいぼーさー   ぎょうじんはんにゃーはーらーみったーじー

照見五蘊皆空    度一切苦厄   舎利子

しょうけんごーうんかいくう   どーいっさいくーやく   しゃーりーしー

「観音菩薩が、深いとらわれのない心で、
仏の知恵の完成を目指されたとき、 
人間の心身をつかさどる五つの要素が、すべて空であり、

実体がないことに気づかれ、一切の苦しみを克服された。

舎利子尊者よ・・」         ※舎利子・・釈迦の十人の弟子の1人

色不異空   空不異色   色即是空
しきふーいーくう    くうふーいーしき    しきそくぜーくう

空即是色    受想行識   亦復如是

くうそくぜーしき   じゅーそうぎょうしき   やくぶーにょーぜー

「形あるものは、実体がないのと同じであり、
実体がないからこそ、
一時的な形あるものとして存在するのです。

感じたり、考えたり、意志したことや判断したことも、
まったく同じことなのです」


舎利子   是諸法空相   不生不滅
しゃーりーしー   ぜーしょーほうくうそう   ふーしょうふーめつ
不垢不淨    不増不減
ふーくーふーじょう    ふーぞうふーげん

「舎利子尊者よ、すべての存在は実体がない空であるから、 
生じたり、消滅したりはしない・・汚れもせず、清らかにもならない
・・増えもせず、減りもしない」


是故空中無色   無受想行識
    

ぜーこーくうちゅうむーしき   むーじゅーそうぎょうしき

無眼耳鼻舌身意    無色聲香味觸法
むー
げんにーびーぜっしんにー    むーしきしょうこうみーそくほう

「ゆえに、すべて実体のない空の世界ですから、 
肉体も、感受も、想念も、意志も、判断もありません。

眼も、耳も、鼻も、体も、意識もなく、モノの形も、音も、 
香りも、味も、体の感触もありません。
大乗仏教では、悟りを開いても、その悟りにこだわらないのです」


無眼界   乃至無意識界   無無明

むーげんかい   ないしーむーいーしきかい   むーむーみょう

亦無無明尽   乃至無老死   亦無老死尽

やくむーむーみょうじん   ないしーむーろうし   やくむーろうしーじん


「それらを受け止める、眼識から意識までの
あらゆる分野も
ないのである。
更に悟りに対する無知もないし、無知がなくなる
こともない。
ついには老と死もなく、老と死がなくなることもない」

2014年04月09日

般若心経(後半)

「星とたんぽぽ」   金子みすず

青いお空のそこふかく
海の小石のそのように

夜がくるまでしずんでる


昼のお星は目にみえぬ

見えぬけれども あるんだよ

見えぬものでも あるんだよ


散ってすがれたたんぽぽの

川原のすきにだァまって

春がくるまでかくれてる


強いその根は目に見えぬ

見えぬけれども あるんだよ

見えぬものでも あるんだよ



1166 【心と体の健康】    「般若心経(後半)」


無苦集滅道    無智亦無得   
以無所得故
むーくーしゅうめつどう    むーちーやくむーとく     いーむーしょーとっこー

菩提薩垂    依般若波羅蜜多故

ぼーだいさったー     えーはんにゃーはーらーみったーこー


「苦しみも、その原因も、それをなくすことも、その方法もない。

知ることもなければ、得ることもない。  
かくて、得ることもないのだから、悟りを求めている者は、  
  知恵の完成に住する」


心無圭礎   
無圭礎故    無有恐怖

しんむーけーげー    むーけーげーこー    むーうーくーふー

遠離一切顚倒夢想    究意涅樊

おんりーいっさいてんどうむーそう      くーぎょうねーはん


「かくて心には何の妨げもなく、妨げがないから、恐れがなく、

あらゆる誤った考え方から、遠く離れているので、

  1. 永遠に静かな境地に安住して、妄想に悩まされることもなく、

心は平安なのです」

三世諸仏    依般若波羅密多故

さんぜーしょ-ぶつ     えーはんにゃーはーらーみったーこー
得阿耨多羅     三藐三菩提
とくあーのくたーらー      さんみゃくさんぼーだい


「過去・現在・未来にわたり、正しく目覚めた三世の諸仏たちは、

  仏の知恵を完成することによって、この上ない正しい悟りを

  開かれました」

故智般若波羅蜜多   是大神呪

こーちーはんにゃーはーらーみったー     ぜーだいじんしゅー  

是大明呪    是無上呪     是無等等呪

ぜーだいみょうしゅー     ぜーむーじょうしゅー     ぜーむーとうどうしゅー
能除一切苦    真実不虚
のうじょーいっさいくー      しんじつふーこー

「従って、仏の知恵の完成こそが、偉大な真言であり、

悟りのための真言であり、この上なく優れた真言であり、

比較するもののない無上の真言なのです。
この教えこそが、あらゆる苦しみを除き、

真実にして虚妄ならざるものです・・」

故説般若波羅蜜多呪    
即説呪曰

こーせつはんにゃーはーらーみったーしゅー     そくせつしゅーわつ

羯諦   羯諦   波羅羯諦     波羅僧羯諦

ぎゃーてい    ぎゃーてい   はーらーぎゃーてい     はらそうぎゃーてい  

菩提   薩婆呵    般若心経
ぼーじ   そわか     はんにゃーしんぎょう

「そこで最後に、仏の知恵の完成の真言。
  即ち次のような真言である。わかった、わかった仏の心。
彼岸に往き、完全に彼岸に到達した者こそ、悟りそのものである。
めでたし。知恵の完成についての最も肝要なものを説いた経典です」

2014年04月11日

てんびんの詩(1)

「仕事と人生」 川人正臣編

自分の仕事ができなければ 何をやっても

うまくいかない・・逃げたらダメなんだ。

徹底的に仕事のことを考えなさい。
困難はそのとき辛くても、必ず将来の飛躍に
なるから。
仕事が行なんです・・仕事以外に何かあるので

はない・・仕事そのものが行なんです。

相撲取りは、稽古をしないとダメ。
稽古をする以外に上手くなる方法はないんで
す。

自分の仕事に打ち込んで、誰にも負けない

ところまでやりなさい。本気でやっていれば、

必ず最後には、自分を褒めるようになります。



1167 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
~幸せな人生~ 「てんびんの詩(1)」


新入社員教育で恒例だった「飛び込み研修」が行われなくなって久しい。

今の時代の若者の多くは、苦労をした経験がない・・研修の途中でついていけなくなり、自信をなくして、せっかく就職した会社を辞めていくのです。
ふと、映画「てんびんの詩」を思い出した・・老舗の息子が、跡取りに認められる条件は・・鍋蓋を売ってくることです。
三十数年前、故”竹本幸之祐”監督(石川県羽咋出身)が映画化した、近江商人の物語です。

当時、研修や社員旅行で何度も使われたこの映画・・物語の終盤、
鍋蓋が売れた瞬間は感極まって涙が溢れ、止まらなかった名作です。

映画では、教訓として心に響く名言が随所に語られる・・
以下は、その一部を抜粋したものです。


<出入りの大工に売りつけようとして、断られる>

母「働く人の喜びや、しんどさがわからんようでは、人の上に立てやしま
   へんえ・・人に出会うて、ご挨拶も出けんで、あきんどになれますか!」


  「商人は、自分を恥ずかしめるようなことをしてはいけません・・ 
   頼みます、お願いします・・て、頭下げて、売れるもんやおまへんえ・・」


<鍋蓋を売りに出た初日・・梅干しだけの日の丸弁当に腹を立て・・>

祖母「代々、分をわきまえることを大事にしてきました・・儲けの少ない 
    時は始末をして、極力出を抑えることや・・ご先祖が梅干しや塩をな
   
めてしのいできたさかいに、今日があるのです」

  「日頃からあきんどは質素でなければいけません。しかし、商いのた 
    めやったら惜しみなくお金を使う。楽をするためや、贅沢のためにお 
    金を使こうてはなりませぬ。自分が始末してでも、お客にちょっとでも
    有利な商いをする・・そのためにお金を使うことや」


※『質素倹約を旨とし、入りに見合う出を図る』・・私の父も、 商家の心構えと、家族に言って聞かせた。


百姓「百姓はなんぼ頑張って精を出し、きばっても、入ってくるもんには
  限りがある。食うだけで苦労して、一生終わるのが百姓や・・
  それに引き換え商人はいい・・己の才覚と努力で、いくらでも発展する 
   やないか」

<子を思い、お百度参りをする母親に・・>

祖母「子は今、親離れするための行をしとるとこや・・
   母親だけが辛いんではない・・子の修業は親の修業でもある。 
   大作も・・それくらいの苦しさを乗り越えれんようでは、跡取りにはなれ
   しません。苦しさを乗り越えんと、一人前の人間にはようならん・・」

                                                                     ~次号に続く~

2014年04月13日

てんびんの詩(2)

JR・・車内販売のプロ


混み合う通路をかきわけるように進む・・

特急サンダーバードの車内販売がなくなる。

山形新幹線の車内販売で、一日50万円売り

上げる辣腕販売員がいるという。
まず入り口で、その日の客層を見る。
客と目を合わせてゆっくりワゴンを押す。

子どもが多いと、菓子やジュースを低い位置
に移す。
山形県内に入ると、方言で名物弁当をすすめ
る。お客様のためにではなく、「お客様の立場
になって売る」
車内販売に「接客業の原点」をみるのです。


                                      北国新聞「時 鐘」



1168 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
~幸せな人生~ 「てんびんの詩(2)」


今の時代の多くの若者は、苦労に堪える経験をしていない。

折角難関を突破して就職した会社を、我慢できないからと半年もせずに辞めていく。

離婚理由の「性格の不一致」のように、「自分が思う仕事でなかったから・・自分が望む部署に配属してもらえなかったから」だと言う。
就職わずか数か月で、「自分が思った仕事ではなかった」と辞めていくのは、早計過ぎはしないか・・

以下、近江商人の物語「てんびんの詩」前号の続きです。

母「あせったらあかん! 一度決めたら最後までやり通すことだ・・

     途中で投げたら、後悔することになるえ・・」


父「商いは天秤棒といっしょや・・どっちが重とうてもうまく担がれん。

     お客と、売り手の心が一つになったとき、初めて商いが成り立つん  
     や」

母「うまいこと売ろう思うたかて、あきしまへん! 一所懸命生きている姿

     を知ってもらうしか、あらしまへん・・正直な子やな、優しい子やな、

     信頼できる人間やな、役に立つ人やな・・と思わはるさかい、
     商いがでけるんや・・」


祖母「親戚に頼ったり、家柄でモノを売ろうとするさかい、
     売れしまへんのや・・自分の商いをせなあきません・・
     誰の力にも頼らんと、自分の知恵と・努力と・人柄で、商いをするこ 
     とや・・」
「お前は、自分のために鍋蓋売ろうとしとるやろ・・
     自分の都合ばかり考えとらんと、人のために商いをすることや・・」
「商いとは、お客様のお役に立つためにするもんや・・
     人の役に立ってみなはれ・・そんな人、誰からでも好かれ、
     モノが売れるようになるんや」

    「家業を継ぐとは、自分をころして、お客様や取引先、
     お店のみんなのために奉公することや・・」
   「商人に一番大事なのは、買うてくれるお客様の気持ちになって、

      商いをすることや・・」


<ふと鍋ぶたを川に流せば売れるのでは・・と頭をよぎりったとき>   
大作「人の道に外れたことをしては、商いはない・・」


<鍋蓋が売れた!>
「おばさんは、鍋ぶた買うてくれるより、もっと大事なものをくれはった
   ・・商人になるための一番大事なもんや!」
   「それまで私は、親戚やからと甘えとった・・
     ただ鍋ぶたが売れればいい・・それだけしか考えなんだ
     買うてくれる人の気持ちなんぞ、考えもせんかった」

ようやく売れた・・モノが売れた喜びと、見ず知らずのお客様が、
私を抱きしめて泣いてくれた感動が・・一緒になって・・商人ほど
素晴らしいものはないと思うた。


「売るもんと、買うもんの心が通わなんだら・・モノは売れんのや」

ということを痛いほど知りました。

始める時に父親が「売れたら分かる」と言うた意味・・
売れてみて初めて、「これが言いたかったんや・・」と分かりました。

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古き良き時代の商人の物語「てんびんの詩」・・観るたびに沢山の気づき

や学びがあるこの映画から、”商人の心”を学ぶのです。
どれほど時代が変わり、世の中が変わろうと、商いの道に変わりはない・・ 人と人との心の結びつきは永遠です。


「てんびんの詩」は、第二巻「朝鮮での商い」、第三巻「大平洋戦争から
戦後へ」と、時代にほんろうされ、度重なる苦難を乗り越えながら、新たな 希望に向かって、商いの道を極めていく・・そんな感動の三部作です。

2014年04月17日

釈迦の教え「四門出遊」

おしゃかになる

四月八日はお釈迦様の誕生日。様々な草花

で飾った花御堂を作って、その中に濯仏桶を

置き、甘茶を満たす。 誕生仏の像をその中央

に安置し、柄杓で像に甘茶をかけて祝う。


ところで、失敗して物をダメにすることを
「おしゃかになる」というが、その由来は?


『江戸時代の鍛冶屋で・・金物をあぶり過ぎて
鈍(なま)って駄目に してしまったことを、
江戸っ子訛りで・・
しがつよかった(火が強かった)」→
四月八日だ」→「釈迦の誕生日だ」→
おしゃかになる」と・・』

江戸庶民のしゃれっ気から生まれた言葉です。

1169 【心と体の健康】
~釈迦の教え~ 「四門出遊」


釈迦族の王子として何不自由なく暮らしていた若者が、 妻子、両親、

地位、財産、何もかも捨てて出家したのは何故か?

説話「四門出遊」は、釈尊が出家した動機を語っている。


釈迦族の王子に生まれた釈迦は、生後直ぐ母親を亡くして、 物に感じやすい、考え込みがちな少年でした。

ある年、年中行事の「働き入れ」の式が行われた。

大子は、父王に連れ添って行事を見ていると・・鋤で掘り起こされて地表に出た虫を、小鳥が舞い降りてきて食べている。
次々食べられる虫・・釈迦はいたたまれなくなり思った・・

「一方が生きるために、一方が犠牲になって殺される・・ 何とむごたらしいことか・・生きるというこは”苦”だ」と。


物思いに耽っている大子を案じた父王は、気晴らしになるならと、 郊外へ連れ出した。
お城の東門を出たとき、見るに耐えないヨボヨボの老人に遭遇した。

「あれは何者か?」と、お供の者に尋ねた。
『老人でございます・・人はすべて生身・・”老いの苦しみ”を免れることはできません』

太子は考え込み、遊びに行く気力が失せて、城へ引き返した。

それからしばらくして、また出かけることになり、今度は南門から外出した。すると、道端に倒れている病人に遭遇した。


「あれは何者か?」とお供の者に尋ねた。
『病人でございます・・人はすべて生身・・”病の苦しみ”を免れることはできません』

太子は考え込み、遊びに行く気力が失せて、城へ引き返した。それからしばらくして、また出かけることになり、3度目は西門から外出した。

すると、遺体を囲んだお葬式の列に遭遇した。


「あれは何者か?」と、お供の者に尋ねられた。
『死人でございます・・人はすべて生身・・”死の苦しみ”を免れることはできません』

太子は考え込み、遊びに行く気力が失せて、城へ引き返した。
生きていれば「老・病・死」の三苦は避けられないのに・・誰もそのことを自覚することなく、無為に日々を過ごしているではないか。


四度目は、北門から外出した、すると修業僧に出合った・・
落ち着いた穏やかな足取りで歩く姿に打たれ、修業僧に尋ねた。
「あなたはどうしてこんなに優雅で尊いのか?」


『沙門でございます・・私は修業中の身です・・私も過っては、あなたさま同様、老・病・死の人生の苦しみに悩まされました。そこから逃れるには、苦行を重ねる以外に方法はないのです』と・・自らの体験を語った。


出産したばかりの妃と、孫を得て喜ぶ父王、そしていずれは王になる

跡継ぎの座・・そのすべてを放棄して、出家することを決意したのです。

2014年04月21日

ことば遊び 「落語の楽しみ方」

「釣りバカ日誌」は落語そのもの


落語には、観客をホロッとさせる人情噺が多

い。

二十年以上連載が続いた、国民的人気映画

「男はつらいよ」と「釣りバカ日誌」は、落語の
登場人物そのもの・・

車寅次郎こと「フーテンの寅」とその家族、

タコ社長に笠智衆演じる住職・御膳様・・


方や、「はまちゃん」浜崎伝助家族に、

「スーさん」鈴木建設社長・鈴木一之助、

佐々木課長などが、珍騒動を繰り広げるが、

何れもそのまんま、落語のバカ噺です。


味噌・醤油に落語・・日本人には欠かせない。
癒しを与えてくれるのです。



1170 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~ことば遊び~ 「落語の楽しみ方」


落語と他のお笑いとの違いは・・最後に”おち”がある噺で、1人で何人もの人物を演じ分けるのが、落語です。
高座で落語を演じるとき、初め「まくら」という導入があり、本題の物語を演じて、最後に「おち」で締めっくくる。


落語には、古典落語と新作落語がある。
師匠から弟子へと受け継がれ、現在も高座で語られる伝統芸です。
題材は、町人や武士が主役の噺、与太郎噺、のんべえの噺、廓噺、人情噺などいろいろ・・聴き手は、思い々の情景を想像して、落語を楽しむのです。

周りの観客が笑っているのに、何が可笑しいのか分からないときがある。古典落語は、江戸や明治の時代に作られたものが多く、その演目の背景を知らないと理解できず、笑えないのです。

落語は、聞いて面白いと”思う”ものではなく、面白いと”感じる”ものなのです・・
落語のオチが素晴らしいと、面白さが二倍にも三倍にもなります。「この噺は何のオチなのか」ということを思考するのではなく、
「どうオチるか?」ということにつきるのです。


古典落語の主役は、お人好しで正直者、間の抜けた人物が多い。

「八っあん、熊さん、松つぁん、竹さん、梅さん」・・長屋のご隠居に物を尋ねに来る若い衆です・・八っあんの出番が一番多いようです。


ボ~ッとしていて、ちょっと抜けている「与太郎」は、おバカキャラ・・ふにゃふにゃと頼りなく、いろいろ問題を起しますが、愛すべきキャラクターです。

落語の登場人物「御隠居さん」も大切なキャラクター・・
相談ごとは「お世辞の言い方」だったり、「婚礼での挨拶や、余興のやり方」だったり、懇切丁寧にアドバイスしてくれるが、肝心の教わる方がだらしがなくて・・。

それに「若旦那」・・親から勘当されるような親不孝者で、女好き。
また、落語に出てくる「おかみさん」はしっかりもの。
「大家」は、家賃の取り立てで登場してくる。

落語に欠かせないのが、きっぷのいい江戸っ子・・強情でケチでテレ屋で、ギャンブル好き・・宵越しの金は持たないが、お節介焼きで、しかも熱い。

江戸に住みついて、三代目の頃にようやく「江戸っ子」として、周りから認められるようになるのです。

2014年04月24日

私とゴルフ

プロからの助言
「半端なゴルファーほど、
  自分のスイングについて語りたがる」 
                                           戸田藤一郎

「プレーは、結果によって考えず、
原因で考えるのが上達の秘訣である」
                                          ベン・ホーガン

「ゴルフのスコアの60パーセントは、
ピンから125ヤード以内で打たれる」

                                          サム・スニード
「ミスショットの弁解は、同伴者を苦しめる

だけでなく、自分をも不幸にする」
                                          ベン・ホーガン

「誰だってシングルプレーヤーになれる。
ただし”教え魔”に合わなければ・・だ」

                                       ヘンリー・コットン

「素振りだけを見ると、どんな下手な

  ゴルファーでも、上手に見える」

                                アンドラ・カーカルディ



1171 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】   
「私とゴルフ」


運動能力が落ちてくる64歳の頃に、禁煙をした見返りにゴルフを始め、スキューバダイビングを再開した。道具を一式買い揃え、練習場に通った。
練習すれば上手くなるだろうと、ゴルフを甘く見たのが間違いだった。
よほど、見ていられなかったのでしょう・・見ず知らずの人がアドバイスをする。教える人が5~6人になった・・みんな言うことが違うのです。

ある人は「スタンス巾を大きくして、下半身を固定して打て!」と言う。
ある人は「スタンス巾を狭くして腰の回転で打て」と、正反対のことを言う。
どちらも間違ってはいない・・その意図を理解できずに、言われるまま練習に励んだ・・そして、変な癖が付いてしまった。
悪い癖を取れと、また熱心なアドバイス・・癖を直すために練習をする悪循環が続く。

欠点を改善する有難いアドバイスなのだが、「スイング理論」に基づいた教え方をする人に出合うまで、3年近く回り道をした。


■ホールインワン

今週の月曜日、156ヤードのショートホールで、ホールインワンを達成した・・ゴルフ歴8年で2度目の快挙です。

私はその日の夜の経営勉強会で「社長力に不可欠・・運を呼び込む力」と題して話をすことになっていた。
その当日の出来事だけに・・その思わぬ巡り逢わせに、”運”の不思議さを感じた・・

ゴルファーならやってみたいホールインワン・・
一週間前の先週の水曜日、小杉カントリーで5組20人のコンペに参加した。アウト・インそれぞれ1カ所、ニアピン賞が設けられ、グリーンに乗らなかった人は罰金100円を払い・・賞金に充てた。


結果半数の人が乗らず、私も200円払った・・
グリーンに乗る確率は「2分の1」である。
ニヤピンを取る人は、アウト・インそれぞれ1人だから「20分の1」だ。
ましてや、ピンから2メートル以内に寄せて”バーディ”を取るのは、
相応の実力のある人に限られてくる。

一方のホールインワン・・取ろうとして取れるものではないが、ゴルフが下手でも、運が良ければ達成できるのです。

2014年04月28日

教え上手、教わり上手

■プロからの助言


「ちょっとした見栄が、ゲームを台無しに
する」                   アーノルド・パーマー

「ゴルフでは、一つのヒントによって突然
当りがでることがある。
だが多くの場合、それが長続きしないのは
そのヒントにこだわり過ぎるからだ」
                                  ジミー・ディマレット

「ゴルフの80パーセントは頭脳でプレーさ
れ、筋肉でプレーするのは残り20パセン
  トである」                     ジャック・バーグ

「ほとんどのゴルファーは、力は大きなバッ
クスイングによって生まれると勘違いして
いる」                           ジャック・ニクラス

「練習のやり方には4種類ある。むやみやた
らと練習する者、賢明な練習をする者、愚
かな練習をする者、全然練習しない者であ
る」                      バーナード・ダーウイン


1172 【心と体の健康】 「教え上手、教わり上手」

ある若手選手が、打撃の名手・張本先輩に尋ねた・・「理想のバッティンクフォームを教えて頂きたいのですが・・」
張本「理想のバッティングフォーム?  もし君がそれを知りたいのなら、一晩中素振りをしなさい。一晩中振り続けて疲れ果てたときに出てくるフォーム・・それが、君にとって一番無理のない、理想のフォームだよ」


以下、我が故郷石川県が誇る松井秀喜氏の「教え上手、教わり上手」です。
♪昨年のプロ野球ドラフト会議で、将来が楽しみな選手が沢山指名された。プロになって、壁にぶつかることもあるだろう・・僕も最初は対応できなかった。

それを乗り越える鍵は、恵まれた環境を無駄にしない”感性”だと思う。


プロに入ると、個人的な指導を受ける機会が増える。

最初の問題は、コーチの意図と、自分の受け止め方がかみ合わない・・同じではないということです。

教えようとしていることを、漫然と受け入れるのではなく、自分なりに解釈し、そのなんたるかを理解した上で、具体化していかないと、アドバイスは身につかない。


例えば、「タイミングが早い!」と言われたとき、コーチがどの部分を見て、どれくらいのズレを指摘しようとしているのか?
指導者の言う感覚を、自分に当てはめないと、その意図は理解できません。

「教え上手」という言葉があるが、「教わり上手」もあると思う・・教わる側も力を試されている。教え上手な人は「自分を教わる選手に置き換えて見ることができる人」だと思う。


選手を外から見て、問題を指摘するだけでは、意図が十分伝わらず、「何で分からないんだ!」となってしまう・・そこがコーチと選手の溝になる。
要は、互いに、相手の視点からモノを見ようとする姿勢があれば、意図は伝わるということです。

指導者が圧倒的に強い立場にいて・・従うのが当り前だと・・どうしても意図は伝わりにくくなる。「名選手=名コーチ」にならない分けがそこにある。

1対1の指導を受けたのは、長嶋監督が初めてだった。

監督の意図することは直ぐに分かった・・それは、監督が選手の側に立った視点でモノを見たからだと思う。

別世界に入り込んだような表情で、僕のスイングを見つめていた監督は、松井秀喜という選手になりきって、一緒にバットを振ってくれたのです。

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