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2014年09月 アーカイブ

2014年09月01日

男の言い分 「やめられない夜食」

ダイエット

妻と伊豆のダイエット道場を訪れ、減量に挑

んだのは一昨年のこと・・初回6キロ、二年目
も6キロと、計12キロの減量に成功した。


減量後は、お酒のつまみ、スナック菓子の買

い置きはご法度。主食のご飯も、子ども茶碗

一杯に・・

夜十時頃、むしょうにお腹が空いてくる・・

我慢できなくて、ビールとつまみを用意する。
週に1~2度だったのが、今は飲みたいとき

に用意するようになった。


「また体重が戻ったらどうするの!」って、

妻に嫌味を言われ・・気づいたら4キロ体重が

戻っていた。

太ったらまたダイエットすればばいい・・
心の奥のつぶやきが聞こえてくる。


1207 【食と健康】

男の言い分 「やめられない夜食」

夜12時過ぎ、妻の寝息を確認してキッチンに忍び込む。

湯を沸かしてカップ麺を作り、リビングで音をたてないよう麺をすする。

すると後ろで「ガタッ」と音がした。心臓が凍る思いで振り向くと、テーブルのリモコンが落ちただけ・・ああ、命拾い。


こんなに恐る恐る夜食を食べるようになったのは、いつからだろう。

受験生当時は、母がよく夜中にチャーハンを作ってくれた。

独身・独り暮らし時代は夜食天国。
お腹が「グゥ~」と鳴ればコンビニへ出かけ、菓子や炭酸飲料を買いあさった。

だが、結婚がこの楽しみをすべて奪った・・新婚のある晩、残り物のギョーザをつまみに、夜更けの一杯を始めたら、妻に「信じられな~い!」とつぶやかれ、凍りついた。


以来、「あなたの健康のため」と夜食は禁止・・深夜のカップ麺は明らかな裏切り行為だ。

だが、最近はその罪の味に魅了され、余計に止められなくなった。

だいたい月一、二回夜食を食べたところで、健康にさしつかえる影響はない・・要は見つからなければいいのだ。


翌朝はゴミ当番の日、空のカップ容器を押し込んだゴミ袋を手に、
玄関のドアを開ける。

そのとき背中から「夜中に食べたでしょう・・」と妻の冷たい声
すべてお見通し・・振り向かず・・逃げるように家を出た。
  

                                                                      日経新聞「女と男のいい分」

2014年09月03日

歴史から学ぶ 「江戸は横割り社会?」

家康が考える「大将の器」


時は1575年、長篠合戦でのエピソード。

長篠城から信長に援軍の要請に向かった
鳥居強右衛門を、武田勝頼の軍が捕え、
磔にして殺してしまった。

それを聞いた家康は・・
「勝頼は大将の器にあらず・・勇者を使う器で
はない。鳥居のような豪の者は、敵であっても
命を助け、その人なりを褒めそやすものだ。


これは、部下に”忠義”とはどういうものかを

教えるための逸話です。

主君に対して忠義を尽くす武士を、憎むあま

りに磔にするということがあるか!


何れ勝頼が武運尽きて滅亡するときは、譜代

恩顧の士も裏切って、敵となるであろうから、

見ているがよい・・」

と呆きれたように言ったが、果たしてその通

りになった。



1208 「吉村外喜雄のなんだかんだ」

~歴史から学ぶ~ 「江戸は横割り社会」


江戸時代は「士農工商」の縦割り社会の制度でもって、人間関係を縛ろうとした封建社会だったと私は思っていた。


現実はどうだったか? 武士は武士、商人は商人として、四つの職種に分けられたヨコの連帯関係は明確だが、当時の朝鮮王国のように、

支配する側と支配される側という、タテにつらぬかれた関係が、はっきりしていたわけではない。

この「士農工商」という言葉・・江戸中期に生まれた学者言葉であって、幕府が開かれた当時にはなく、そのような厳然たる階級制度でもって、幕府が国を治めようとしていたわけではなかった。


「経済上の支配関係」から見れば、一番下であるはずの商人の方が、
武士より上にいた。
頂点にいる領主は、土地の支配権をもって、百姓から租税に米を徴収して直接支配したが、工と商に対しての支配力は無に等しかった。

ましてや、序列二番目の農が、工の上になり、工が商を支配するようなことは皆無だった。

当時の社会をヨコから見ると、武士は武士同士「相身互い」で助け合い、百姓は百姓同士農作業を助け合い、商人も同様、職種ごとに同業組合や為替制度を作って助け合って、ヨコの連帯を強める社会構造になっていた。

江戸の住民は、今でいう所得税とか住民税などというものを納める必要はなく、無税だった。
町人が幕府に納める税金は、”冥加金”と言って、町人の組合組織を対象にしたもので、”営業行為に対するお礼のようなものだった。


農民の中で、庄屋や名主は、苗字帯刀が許された。

形の上では武士となり、商人は武家から養子をもらったり、婿にやったり・・その見返りに武家は、商人から生活の面倒を見てもらったりした・・


ここで、李斯朝鮮の身分制
(09.12.21李氏朝鮮時代の身分制度)と根本的に違うところは、 http://www.noevir-hk.co.jp/magazine/
二宮尊徳のように、商人や農民であっても学問の出来る者は、”士分”として大名や将軍に仕えたり、学者として武士階級の中に入っていくことが許されたことです。

                                                                      樋口清之「梅干と日本刀」

2014年09月07日

女の言い分 「やめられない夜食(2)」

■ダイエットの目的

断食をすれば、食べないから体重が減って、

ダイエットになる・・多くの人がそう思ってい

る。確かに、食べなければ体重は減るが、

断食の目的はそれだけではない。


断食を経験した人が口をそろえて言うのは・・

「味覚が敏感になり、薄味でも十分満足でき

るようになった」

「健康食メニューが美味しく感じられるように

なって、食事の好みが自然志向になった」


断食によって味覚がリセットされると、
健康に必要なものが美味しく感じられる・・
味覚がよみがえってくるのです。


ダイエットがうまくいかないのは、頭で分か

っていても、体が分かっていないのです。


               やすらぎの里/ホームページ



1209 【食と健康】

女の言い分 「やめられない夜食(2)」

帰宅して時計を見ると午後10時。夕方おにぎりを一つかじり、アメをなめただけ。

「遅いけど、夕飯はちゃんと食べなきゃ」・・独りごとの言い訳をして、ひと口ご飯を食べたら・・もう止まらない、あっという間にお腹いっぱいに。

ああ~今日も最悪のパターン・・夜中に満腹になるまで食べてしまうなんて。

部屋が散らかっていたり、子どもが寝ないでむずかっていたりすると・・
ストレスからか、さらに食慾が増す。

「食事は寝る3時間前に終える」「夜は炭水化物を控える」といった、
女子っぽいダイエットルールを知らないわけではない・・が、ストレスの
前に吹き飛んでしまう。
深夜の食事・・炭水化物は体に悪いが、ストレス解消にはこの上ない
スイーツなのだ。

でも、夫がいると別・・「明日にしたら・・」と制止され、朝までご飯はお預け。
加えて、納得いかないことが・・かく言う夫は夜、アイスクリームやチョコレートをパクパク食べる・・しかも太らない・・なんとずるい。

「夜食べ過ぎると体に悪いよ・・おまえの写真は見たくない」なんて言いだすから・・
「夕食をしっかり食べなよ!」て・・いちいちごもっとも。
すきっ腹を抱え「明朝は今夜の分のご飯も食べるぞ」と、心に決めて寝る。

                              
                                                                 日経新聞「女のいいぶん」

2014年09月10日

歴史/武士の魂・切腹の作法

■家来の命を重んじた家康

奥州「九戸政実の乱」のときのエピソード・・
家康は、武州岩附まで出陣した。
そこで井伊直政に・・
「蒲生・浅野の協力して軍事を計るように」
と出陣を命じた。

これを聞いた重臣・本田直正・・
「このたびの討ち手はまず下の者をつかわし、
もし叶わないときにこそ、直政をつかわすの
が妥当ではありますまいか・・」

すると家康・・
「それは思慮のない者、北条氏直などがする
ことだ。
最初に軽い者をつかわして、らちが明かない
からといって、次に重い者をつかわせば、
最初に行った者は面目を失い、討ち死にする
ほかはない・・理由もなく家臣を殺してはな
らない」と言ったという。



1210 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

歴史から学ぶ 「武士の魂・切腹の作法」


武士とは”死”を前提とした職業である。武士に生まれた以上、いつでも死ねる覚悟が出来ていなければならない。

死ぬこと自体は手段に過ぎない・・誰のために死ぬか、何のために死ぬかが大事になってくる。

武士は子どもの頃から、死に方や死に場所を叩き込まれて育つ。

格式ある家柄の子どもは、5~6歳の頃になると、父親から切腹の作法を習う。

「武士の本分は忠義である。義を貫くには、いついかなる時でも命を惜しんではならぬ」

「今日は切腹の作法を教える。まずは扇子を前に置け・・
これが短刀じゃ」

一通り作法をやって見せ・・
「態度はあくまで泰然自若、神妙に一礼して短刀を取り、鞘(さや)を払って逆手に持つ・・こうじゃ。次いでカカトを上げ、膝を左右に開く。
左手でおもむろに、衣服の前を広げ、呼吸を整えてから、短刀を左脇腹に突き立てる・・このあたりじゃ」


子どもは素直に父親のしぐさを真似る・・
「深く切ってはならぬぞ・・はらわたが飛び出して・・見苦しいからな」
「あ~ここからが肝心じゃ。からだを前のめりにして、首を差し伸べる。介錯人が切りやすいようにな・・分かったか?」
ハイ!

「間違うても首を引込めてはならぬ! 介錯人が慌てて・・頭を切ったり・・肩を切ったりするからな。スパッと一刀で首を落とせるように・・
寸分も動いてはならぬ・・そのほうがかたちもよいし、切られるほうも痛くはなかろう」

終わりに死生観を語って、主君に仕える武士の心得を諭す。

「人間は必ず死ぬ・・死ななかった人間は、今まで一人もいない。
死は生きてきたあかしでもある・・生きていなければ死ねないのだ。

武士は名誉ある死、義を貫くための死を願い、そこから逆算して生き方を決める・・自分の死に箔をつける生き方を選んでいく・・これが真っ当な武士の生きざまである」

                                                         ジェームス三木著「へその曲げ方」より

2014年09月14日

ゴルフ・飛距離の衰え

劣等感

劣等感は、大なり小なり誰もが持っている。
劣等感を持つことは悪いことではない。
問題はそのレベルです。


弱い人間ほど不満を言い、傷をなめ合い、
慰め合おうとする。
自分と同じレベルの仲間同士でボヤいている
間は、成長しません。

しかし、劣等感に「屈辱感」がくっついたら
パワーになります。

自分よりレベルの高い人間に対して劣等感を
抱くようでなければ、成長しません。


プロスポーツの世界で強くなった選手は、

この二つをくっつけて成長している。

その昔、プロ野球で落ちこぼれた尾崎将司が、

ゴルフで頂点を極めたのは、その良い例です。

              坂田信弘著「坂田理論エッセンス」



1212 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「ゴルフ・飛距離の衰え」


今月、高校と中学、二つの同窓会ゴルフコンペを予定している。

同年代の仲間たちは、やたら「飛距離の衰え」を気にする。

体力の衰えから、飛ばなくなるのは当り前で、気にすることではないのに・・わかっちゃいるけど、現実を見せつけられると・・シャクなんですね。


同伴者に飛距離で50ヤード置いていかれる。下手をすると70ヤード置いていかれる・・挙句スコアで負けたりすると、こたえるんですよね。

30ヤードまでだと「この野郎!」って思って・・次は負けまいと思う。

でも、50ヤード置いていかれると・・笑っちゃいますね・・どうぞお飛ばしください・・あなたは私より10歳も若いのだから・・70ヤードだとすばらしい・・もう応援しちゃいますよ。


ゴルフをやっていると、優越感に浸ったり、コンプレックスを感じたりする距離や技というのがある。
70ヤードも離されると、諦めより先に
「ご立派!」という気になってしまう。


年々スコアが落ちていくのは仕方がない。そこで第2打で、ウッドの5番を3番に持ちかえて飛距離を稼ぎ、アプローチとパッティングの短い距離に執着して、スコアを維持しようと練習場通い・・

ドライバーの飛距離が落ちたら、極力打ちミスを減らし、フェアウエーキープ率を高めるようにする・・


下半身のパワーの衰えを補うには、スイングの乱れの元になる無駄な動きを一つずつ取り除いていけばいい。そうして、飛距離が落ちた分をカバーしていく・・その無駄な動きがどこにあるかを探すために、練習するのです。

アマチュアの多くは”技”で飛距離を補おうとはせず、高価なクラブや飛距離の出るボールを求めることで、1ヤードでも飛距離を稼ごうとする。


                                                              坂田信弘著「坂田理論エッセンス」

2014年09月18日

ダイエットは難しい

食べても太らないために


私たちの体は、昼間活動している時に食べる
と、エネルギになり消費されます。
夜、休息する時間に食べると、エネルギが消

費されず、脂肪となって蓄えられます。 

朝食・昼食・夕食の直前は、体内の血糖値が

下がっています。血液中の糖濃度が下がった

タイミングに合わせて食事をすると、消化が

スムーズになり、脳も体も活性化して、太ら

ないのです。


健康は、毎日の規則正しい食事から・・
体の中に余分なモノが溜まらず、太りにくい
体質になります。

夜は、炭水化物の摂取を減らし、なるべく
早い時間に食事を済ませるようにします。



1211 【食と健康】 「ダイエットは難しい」


四十歳を過ぎるころまで体重は一定で、気にすることなどなかった。
ところが、45歳を過ぎるころから体重が増え始め、それまで68キロだった体重が74キロになり、今まで着ていたスーツが着られなくなった。

年を重ねるに伴に代謝が悪くなって、中年太りが始まったのです。

生活習慣病の患者の多くは、運動嫌いで、しかも過食の習慣があるという。
生活習慣病を予防し、改善する最良の薬は「減量」です。
減量することによって、コレステロール、中性脂肪、尿酸値、血糖値などの検査値が改善されます。

某機関の調査によれば、「過去にダイエットの経験がある」「現在ダイエット中」という人は、全体の六割を占め、女性では八割にも達するという。ところが、ダイエットの成功率はわずかに20パーセント。


ダイエットは難しい・・原因の一つに、「つい食べ過ぎてしまう」ことがあります。美味しいもの口にすると・・もう少し・・あとひと口・・と、満腹になり「フー」と一息つくまで、夢中になって食べてしまうのです・・ほどほどが利かないのです。

美味しい食べ物を口にすると、食べ始めた時の冷静さはどこえやら・・
コントロールが利くかなくなってしまうのです。

太っている人は、好きなものを後に残して、後からゆっくり味わおうとする傾向があります。

好きなものを後から食べると、食欲が暴走して満腹になるまでブレーキが利かなくなってしまいます。

甘みは、脳の食慾を刺激します・・食べ過ぎを止めるには、苦いお茶

(緑茶やハーブティー)を飲むのがいい・・飲んで、食事を終わらせるのです。
苦味は、食慾を鎮め、食事を終わらせる合図になる。

甘いものは、食慾のアクセルになり、苦いものは、食慾のブレーキになるのです。

2014年09月22日

江戸の町は女尊男卑

江戸八百八町


江戸八百八町とは、江戸が大都会で、江戸の

町数の多いことを示した言葉です。
吉宗の代、享保九年(1724)には、江戸の
人口は二百万人を超え、当時のパリ、ロンド
ンをしのぐ大都会だった。


町人数642,190人、1,672町になった。

江戸の全体の六割は武家地で、残りを寺社と

町人が半々で住み分けた。

町人は、二割の土地にひしめき合って生活

していたのです。

山住昭文「江戸のこばなし」



1213 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~歴史から学ぶ~ 「江戸の町は女尊男卑」


江戸庶民が住む居住区域は、住民税などが無税ということもあるが、

非常に制限されていた。

江戸の人口百万の八割が町人なのに、町人の居住区域は、全体の面積の二割たらずしかなかった。単純計算でいくと、武士・神職・僧侶などの16倍の密度で住んでいたのです。


町人の住宅には庭園がない・・表通りは、壁を塗った商家が防火帯になっていて、その裏手に板葺の平屋の町人長屋が、路地を挟んで並んでいた。

一軒の広さは今でいう2DK・・六畳と八畳の二間で、たな賃は月1200円くらい・・収入が少なかったから、特別安いわけではなかった。

その日の稼ぎを、パッと使ってしまえばなくなってしまう・・翌日また働けば、何とか食っていける程度の収入だったのです。


以下は、当時の町人の生活を書き記した「世事見聞録」からの引用です。

『今、軽き裏店(うらだな)の者、その日稼ぎの者どもの様子を見るに・・

親は生活に追われる辛き渡世を送るに、娘は化粧し、よき衣類を着て、

遊芸または、男狂いをなし・・

また夫は・・まだ暗い未明より、草履・わらじにて家業に出るに・・
妻は、夫の留守を幸いに、近所女房寄り集まり、己(おの)が夫を不甲斐性者に申しなし、互いに身の湯薬なること話しあい、
また”紋カルタ、めくり”などという博打をいたし・・

或いは、若き男を相手に酒を飲み・・或いは、芝居見物、遊山初参りに

同道いたし、その道筋、料理茶屋、水茶屋のたぐい沢山出来た故、

これ等へ立入、また二階などへ上がり、金銭を費やしてゆるゆる休息し、また晩に及んで、夫の帰りし時、終日働いた労を厭(いと)いやらず、
却って水を汲ませ、煮炊きを致させ、夫をたぶらかし、すかして使うを

手柄とし、女房、主人の如く、夫は下人の如くなり。

たまたま、密夫などなきは、その貞実なるを恩にきせ、これを高ぶり、
これまた兎にも角にも気随我がままなり 』


多少誇張した描写になっているが・・当時、女房族が上位にあったのには・・理由がある。

江戸は地方からの出稼ぎ者が多く、そのほとんどが男性だったから、
アメリカの開拓時代のように、二対一の割合で女性が少なかった。

必然的に女性が強くなり、岡場所といわれた遊郭も繁盛するようになった。


                        樋口清之「梅干と日本刀」

2014年09月25日

断食は優れた健康法

断食の効果


(1)休むことなく働き続ける胃や腸などの
      消化器官を休養させる
      胃腸疾患の治療を援ける

(2)余分な脂肪を取り、肥満を解消する

(3)毒物・老廃物が排出される

(4)免疫力が高まり、病気に強い体質になる



1214 【食と健康】    「断食は優れた健康法」


断食をすると、身体の免疫系が回復し、自然治癒力が高まります。
そんな研究結果が、
長寿研究で知られる、南カリフォルニア大学で科学的に立証された。

六か月に一度のペースで、三日間断食を繰り返した結果・・老化や腫瘍の成長に関係する酵素が減少した。

次いで、化学療法を受けている患者に断食させたところ、化学療法の
副作用が
最小限に抑えられた。


研究所によれば、断食をすることで、これまで栄養学者が主張してきたような、
人体に害を及ぼす証拠は特別見当たらず、むしろ人体に・・
特に免疫力には
良い影響がみられた。


研究の結果分かってきたことは、断食で栄養不足に陥ると、身体はエネルギー
を節約しようと、老化した細胞を除き、細胞は生命の危機を察知して活性化し、新しい白血球の生成を促し、免疫力を高めて、体調を改善しようとする。


白血球は、感染に打ち勝ち、病気を遠ざけることで、身体の免疫系を
若返らせ
る役割をします。

医学的には、体重70kg、体脂肪20%の人が、水と塩を補給してやれば、最大三か月生存できるが、半年に一度、わずか数日間食事を控えただけで、このような効果がみとめられるということは、断食は大変優れた健康法といえるのです。

2014年09月29日

1両、現在の貨幣価値は

江戸小噺「五両五分」


呉服屋へ、主人の使いで品物を取りに行った

小僧が、値を聞くと、五両五分という。


「忘れるといけないので、紙に書きつけて下

さい」と頼むと、呉服屋の手代が・・
「五両五分が覚えにくいなら、それ、片方の

手の指を折り曲げて五両・・もう一方の手の

指を折り曲げて、五分と覚えておくがいい」

と教えてやった。

『はい、分かりました』


小僧は、両方の手の指をしっかり握りしめて
出て行ったが、すぐに引き返し・・

『どうぞ、二分負けておくれ』と頼むので・・

「なせだ?」と聞くと・・

『このままですと、お店に帰っても戸が開け
られません』

                     山住昭文「江戸のこばなし」



1215 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「1両、現在の貨幣価値は」


大泥棒が商家に押し入り、土蔵を破って千両箱をかついで逃走・・
千両って、今の時代どれくらいになるのだろう・・
鬼平犯科帖など、テレビ時代劇を観るたびに思うことです。


江戸時代の貨幣価値にからむ言葉には、「千両役者」「早起きは三文の 得」などがある。
当時は、盗んだ金が十両以上になると、斬首の刑になった。
また、繰り返し盗みに入って、合計が十両を超えると、同じく死刑に処せられた。

今の時代、投資にからむ詐欺事件が多発して、多数の被害者が出ている。それが数十億円になり、世間を騒がせているが、死刑になった例はない。

貨幣基準は、「金貨」は小判一枚を一両とし、「銀貨」は重さで秤る秤量貨幣、「銅銭」一枚は一文で、その時々の相場によって貨幣の交換が為された。

世の中が安定している江戸中期は、小判一枚=銀60匁=穴あき銅貨4000文でしたが、現在の為替のように時価相場で交換された。


当時、幕の内の相撲取りの年収は約10両。大卒の初任給に当てはめると、年収は約300万円になる・・一両は20~25万円といったところでしょうか。

江戸時代の物価を見ると、人件費は低く、物価は高かった・・
米は、一両の価値で約4万円分、給金は月一両二分、年間40万円が相場と「お宿かわせみ」に書いてあった。

こうして見ると、一両の価値は人件費と米の価格とでは、大きく異なってくる。

江戸初期では、一両で10万円の米が買えた・・中期から後期にかけては3~5万円・・インフレの幕末には、一両でわずか3~4千円分の米しか買えなかった。
かけそばは一杯16文・・幕末は20文。現在のかけそば400円をもとに計算すると・・一文=20~30円見当、一両=4000文として、13~16万円になる。


<江戸中期の物価>

・銭湯      8文=200              ・ソバうどん   16文=  400円  
・床屋    28文=700円           ・天ぷらソバ  32文=   800円
・納豆      4文=100円           ・串団子          4文= 100円
・ゆで卵 18文=450円           ・釜めし       150文=2600円
・たばこ   8文=200円            ・スイカ          40文=1000円 


・吉原揚げ代 1両2分= 15万円(貧乏人が遊べる所ではなかった)

・居酒屋 (酒1合) 26文= 650円   ・酒一升 250文=6250円
・駕籠(5キロ)   200文=5000円

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