2017年07月20日

子どもの才能を見出す

■天才棋士・藤井聡太

6月26日、日本中が注目した29連勝歴代
1位の最多記録を、14歳の中学生、藤井
聡太君が達成した。
将棋の世界に天才棋士が誕生したのです。



1517 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~子育て~ 「子どもの才能を見出す」

ある家庭では「人との交わりの大切さ」を、以下の
ように教えているという。

♪初めて会った人に、最初から100点満点をあげて
しまうと、何かあるたびに、減点していくことになる。

だから最初は〇点からスタートして、そこから良いとこ
ろを見つけるたびに、点数をプラスして、積み上げて
いく。
第一印象や先入観で決めつけることはせず、真っ白な
キャンバスの状態にして、人と向き合う。
そうして付き合っていく中で、絵の具を塗り重ねるよう
に、色を付けていく・・そうすれば美しい絵になるでし
ょう。
大恋愛で結婚したカップルが、数年後に離婚してしまう
のは、お互い最初に100点をあげてしまうからでは
ないでしょろうか・・

どんな子にもその子にしかない特異なものがあり、
隠れた才能がある。親や教師は、そうした子どもが持つ
才能を見つけ出し、伸ばしてやらなければならない・・
埋もれさせてはならないのです。

フィギアスケートの羽生選手、Jリーグで活躍する
宇佐美選手などは、両親が幼少の頃から手塩にかけて
育てあげた、最近よくあるケースです。

2017年07月06日

本物の子育てとは

■私の子どもの頃は・・

工作をしていて小刀で指を切ったり、塀から
飛び降りて足に大怪我をしたり、川で泳いで
深みにはまり、溺れそうになったり、火傷を
したり・・
今の親が知ったら・・子どもを抱えて病院へ。
何針も縫っただろう。

字の木の枝で、ゴムのパチンコを作って、
近所の悪ガキと小石を飛ばし、戦争ごっこ。
今の親が知ったら・・「危ない!何やってるの」
って怒鳴られそう。

全て親には「ないしょ」・・親父の刻み煙草
で傷口を止血。医者に行くことなど考えもし
なかった。
私の足には今も大きな傷跡、やけどの痕が
残っている。



1516 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~子育て~ 「本物の子育てとは」

保育の業界で「伝説の保母さん」と呼ばれた人がいた。
その人は小林典子さん・・
子どもたちから「のりこ先生」と呼ばれ、一生を保育の
仕事に捧げ、2000年64歳で亡くなった。

のりこ先生の保育方針は子どもたちに「本物を与える」
こと・・
例えば給食の食器は、プラスチックやアルミは厳禁。
陶器とガラスにして、落とすと割れることを教えた。
すると、落とさなくなる。
「落としても大丈夫」とわかるから、落としてしまう。

ある時、子どもたちが楽しく遊べる屋根裏部屋を造った。
梯子をかけてみたら、ずいぶん急な傾斜になった。
「子どもたちが落ちたら危ないから・・やめよう」と
言ったらのり子先生・・
「急な傾斜にしておいたら、子どもは緊張しながら上が
っていく・・だから安全なの。ゆるい傾斜の方が危ない
のよ」
子どもが、おままごとで遊ぶときも、彼女はよく切れる
本物のナイフを用意した。
天ぷらを揚げるときは、そばで見せて、油がはねない
揚げ方を教えた。

「子どもに大怪我はさせません・・でも、小さな怪我は
子どもには大切な体験になるのよ!」
「危ないから!」と、危険から子どもを遠ざけ、過保護
になってはいけない・・1人の人間として子どもに接す
ることです。

                                       理念と経営「小さなコンセプト」より

2017年07月05日

サミュエル・スマイルズの名言

■サミュエル・スマイルズ

サミュエル・スマイルズ(1812~1904)
はイギリスの作家・医者。

福沢諭吉の「学問のススメ」と並び、
明治の2大書籍に挙げられる
「西洋立志論(自助論)」の著者。

著書は、本国イギリスだけでなく世界
中で読み継がれ、明治近代化の
基礎を築く上で大きな影響を与えた。

「自助論」の序文にある一文、
「天は自ら助くる者を助く」は特に有名。



1515 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生
「サミュエル・スマイルズの名言」

「 外部からの援助は 人間を弱くする
  自分で自分を助けようとする精神こそ
  その人間をいつまでも 励まし元気づける 」

「 我々は 失敗することによって
  どうやればうまくできるかを発見する。
  間違いを犯したことのない者は
  発見することが出来ない 」

「 人間をつくるのは 安楽ではなく努力
  便利さではなく 困難 」

「 必要こそが発明の母であり
  困難こそが偉大な成果を生むための
  真の学校である  」

「 もし好機が到来しなかったならば
 
自ら好機を作り出せ 」

「 やり続けていれば チャンスは必ず訪れる 」
「 苦痛に耐える力がなければ 一流にはなれない」

「 儲かる事しか考えない人間には
  偉業は成しえない 」

「 どんなに簡単な技術でも
  練習をせずに 習得することは出来ない。
  逆にどんなに難しくても 繰り返し練習すれば
  誰でも身につけることが出来る 」

「1000回の憧れより
  たった一度の挑戦のほうが ずっと価値がある 」

「 自分で自分を抑えることの出来ない者は
  どんなことであるにせよ たいしたことは出来ない 」 

2017年07月02日

天は自ら助くる者を助く

■たばこ/ご時世

・30年前
「今日も元気だ たばこがうまい」

・今の時代
「今日も元気だ たばこ買うまい」



1514 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「天は自ら助くる者を助く」

以下、2017.5月号
小野晋也「OAK・TREE第379号」から・・

一人では生きていけないからと、援助をする。
ところが、人は援助をすればするほど、弱くなっていく。
人のために良かれと援助の手を差し伸べても、
かえって自立心を失い、甘えの心を増長してしまう。

福祉も度が過ぎると、役に立たない無力な人間を生み
出してしまう。どんな素晴らしい福祉国家になろうとも
、それで人間が救われることはない。

「社会悪」と呼ばれるものの多くは、自らの堕落した
生活から生じてくる。福祉を充実させて、社会悪を根絶
しようとしても、また別の形で堕落がはびこるだろう。

一番は、何もしないことかもしれない。
そうすれば、人は自らの力で立ち上がり、置かれた状況
を改善しようとするだろう。
他人からの援助に頼らず、自力で努力し立ち上がるので
なければ、社会悪は無くならないのです。

イギリスのことわざに「天は自ら助くる者を助く」があ
る。天は他人に頼らず、一人で生きていこうと努力する
者に、救いの手を差しのべるのです。

人生懸命に生きなければ・・人に支えられて生きていく
のではなく、人を支えて生きていく人間でなければなら
ない。大切なことは、一生懸命働いて節制に努め、
人生の目的に沿って努力を怠らないことだ。

2017年06月29日

福祉制度が充実すると

私の身内に、美大彫刻科を卒業後、
芸術家気取りが抜けず、売れない
作品を造り続けるやっかい者がいる。

妻にも愛想をつかされ離婚。今は
独り暮らしで、生活保護を受けている。
寄る歳には勝てず、病気になり数か月
入院した。その治療費は国が負担し
ている。
税金を収めるのは国民の義務です。
まともに働こうともせず、生活保護を
受けながら、好きなことをしている彼
を見ていると、何かしっくりしない。



1513 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「福祉制度が充実すると」

私たちは、子どもが産まれると、通院・出産にかかる
費用はもちろん、その後も養育費や教育費で、家計
のやりくりが大変です。

ところで、生活保護所帯で子供が生まれると、所帯人
数が増えるので、生活扶助、教育扶助、生業扶助などの
支給額も当然増額します。

更に妊婦加算、産婦加算、母子加算、児童養育加算など
が支給される。
子どもを1人生むと、支給額が約6万円増える。
2人生むと12万円、3人生むと18万円支給されます。
子どもが多いほど支給額が増える。

生活保護家庭は、医療費も出産費用も全額国の負担。
故に生活保護所帯は、子どもが増えると、一般の家庭
より良い暮らしができようになる?

こうした家庭の子供が大人になって、「生活保護から
脱出したい」と思うはずがなく、逆に「こんな簡単に
お金が貰えるのに、何でみんなそうしないの?」と
いった発想になる。

何もしなくても食べていけるのに、「働け」と言われて
も無理。働く意欲のない者を就労させるのは難しい・・
では、どうするか?

働けるのに働こうとしない人に対する生活保護を厳しく
制限するよう、法律を改正するしかない。
福祉や保護も度が過ぎると、社会性の欠如した無力な
人間を生み出してしまうのです。


           負の連鎖について「生活保護を考えよう」より

2017年06月25日

最後だとわかっていたなら

■ノーマ・コネット・マレック

アメリカの詩人。
1989年に10歳で亡くなった息子サムエル
に捧げた詩「最後だとわかっていたなら」を
発表。
9.11同時テロの後に、彼女の詩が全米
に広がり、広く知られるようになった。
2004年64歳のとき、末期がんにより永眠。



1512 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「最後だとわかっていたなら」

乳がんを患っていたフリーアナウンサーで市川海老蔵の
妻小林麻央さんが22日亡くなった。彼女が息を引き取
る間際に、夫に残した最後の言葉は「愛してる・・」
24朝の読売朝刊の社会面は、このニュースで埋め尽く
されていた。
 
            ~ 最後だとわかっていたなら ~

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
私は  もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出ていくのを見るのが
最後だとわかっていたら
私は あなたを抱きしめて キスをして 
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
私は その一部始終をビデオに撮って
毎日繰り返し見ただろう

あなたが言わなくても
わかつてくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛している」と
私は 伝えただろう

たしかに いつも明日はやってくる
でももしそれが私の勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら
私は今日 どんなにあなたを愛しているか伝えたい
そして私たちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら 今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは 今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから今日
あなたの大切な人を しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していることを
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や
「気にしないでね」を伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは 今日を後悔しないだろう

2017年06月23日

ことば遊び 「落語・釜泥」

■江戸小噺「身投げ」

髪振り乱し、橋のたもとまで走ってきた
女が、一文投げて橋の上を通り過ぎようと
するので、橋番があわてて・・
「おいおい、お女中・・
                橋の渡り賃は二文だよ」
と声をかけると、女、うしろ振り向いて・・
『あたしゃ・・
     橋の真ん中までしか行かないのさ」



1511 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
ことば遊び 「落語・釜泥」

油断して失敗するという意味の「月夜に釜を抜かれる」
ということわざがあります。
大もとは落語の「釜泥」から生まれたと言われている。

♪大泥棒石川五右衛門の手下で、二人組の泥棒・・
親分が釜茹でになったというので、放っておけば今に
捕まって、こちとらも天ぷらにされてしまうと心配に
なった。
そこで、親分の追善と将来の安全を兼ね、世の中にある
釜という釜を全部盗み出し、片っ端からぶち壊しちまお
うと、妙な計画を立てた。
さしあたり、大釜を使っているのは豆腐屋だから、
そこから取りかかろうと相談がまとまった。

それから間もなく、豆腐屋ばかりに押し入り、金も取ら
ずに大釜だけを盗んでいく盗賊が、世間の評判になる。
何しろ新しい釜を仕入れても、そのそばからかっさらわ
れるのだから、業界は大騒ぎ。

ある小さな豆腐屋・・爺さんと婆さんの二人きりで、
ごく慎ましく商売をしているが、この店でも、
のべつ釜を盗まれるので、爺さんは頭を悩ませる。

何か盗難防止のよい工夫はないかと相談した結果、
爺さんが釜の中に入り、酒を飲みながら寝ずの番を
することになった。
ところが、いい心持ちになり過ぎて、直ぐに釜の中で
高いびき。婆さんもとっくに船をこいでいる。

と、そこに現れたのが例の二人組。
この家では先だっても仕事をしたが、またいい釜が入っ
たというので、喜んでたちまち戸をひっはずし、釜を縄
で縛って、棒を通してエッサコラサ・・

「ばかに重いな」
『きっと豆がいっぺえへえっているんだ』
せっせと担ぎ出すと、釜の中の爺さんが目を覚まして、
「婆さん寝ちゃあいけないよ」

泥棒二人が変に思っていると、また釜の中から・・
「ほい、泥棒、入っちゃいけねえ」
さすがに気味悪くなって、早く帰ろうと急ぎ足になる。
釜が大揺れになって、爺さんはびっくりし
「婆さん、地震か」

その声に二人は我慢しきれず、そっと下して蓋を開ける
と、人がヌウ~と顔を出したから、たまらない・・
「ウワ~」と叫ぶと、泥棒は何もかもおっぽり出して、
一目散・・
一方爺さん、まだ目が覚めず、相変わらず
「婆さん、オイ、地震だ」
すると釜の中に冷たい風が・・ス~ッ

やっと目が覚め上を向くと、空は満天の星。
「ほい、しまった・・今夜は家を盗まれた」

2017年06月20日

ユダヤ人を救ったもう一人の日本人

■日本のオーケストラの先駆者
   近衛秀麿

終戦直後、戦犯の疑いをかけられ、米軍に
拘束された近衛秀麿。
その尋問調書が米国国立公文書館で発見
され、秀麿の戦中の活動の一端が明らかに
なった。
ドイツ占領各地を、生死をさ迷いつつ演奏に
打ち込む近衛秀麿の楽団員。
メンバーの多くはポーランド系ユダヤ人だっ
た。
廃墟になったワルシャワで、シューベルトの
「未完成」が演奏された。魂を揺さぶる演奏
に、聴衆のみならず楽団員も涙を流したと
いう。
映画「戦場のピアニスト」をほうふつさせる
逸話です。戦前のドイツに、凄い日本人
指揮者が活躍していたのです。



1510 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「ユダヤ人を救ったもう一人の日本人」

第二次大戦の、リトアニア日本領事館の杉原千畝が、
6000人のユダヤ人の命を、ナチスの迫害から救った
ことはよく知られています。

もう一人、数多くのユダヤ人の命を救った日本人音楽家
がドイツにいたことが、数年前明らかになった。

その人は近衛秀麿・・
侯爵家に生まれ、日本にまだオーケストラが無かった
時代に指揮者を志し、ドイツに単身留学。

        img_0

留学2年目にベルリン・フイル管弦楽団を指揮する快挙
を成し遂げる。帰国後、現在のNHK交響楽団を設立し
、日本のオーケストラの基礎を築いた。

再びドイツに渡り、ベルリン・フイルなど数多くの交響
楽団を指揮した。
ところが時代は、ヒトラー率いるナチス・ドイツによっ
て動乱へ・・表の顔は、大日本帝国の宰相近衛文麿の弟
として日独親善に務めた。

その裏で身の危険を顧みず、同盟国の宰相の弟という
立場を活かして、収容所送り寸前のユダヤ人音楽家の
国外脱出を密かに援助・・秀麿はユダヤ人とその家族の
希望の光になったのです。

第二次大戦勃発後もドイツに留まり、ナチス広報の要請で
党大会でオーケストラを指揮したり、戦乱で廃墟になっ
たワルシャワやドイツ占領各地で、慰問のタクトを振り
続けた。
秀麿は、被災した人たちを励ます希望の灯になったので
す。
その間も、窮地に陥ったユダヤ人の国外脱出の援助を続
け、ついにゲシュタポの知るところとなり、投獄される。
実兄が同盟国日本の宰相ということで、釈放された。

戦局が絶望的状況となるに及び、秀麿は兄文麿の密命を
受けて、対米交渉に臨もうとするが、失敗。
敗戦後、焼野原と化した東京に、失意のまま戻った。
A級戦犯になった兄文麿と再会するも、兄は直後に服毒
自殺。
本人も、救出された多くのユダヤ人も、戦後口を閉ざし
て語らず・・戦後70年を経てようやく浮かび上がった
真実なのです。
歴史の闇に葬られようとしていた近衛秀麿の逸話です。

2017年06月17日

住友中興の祖・伊庭貞剛の名言

■イタイイタイ病

今から30年前、毎年冬には岐阜県新穂高
スキー場に出かけて滑っていた。
途中、ハゲ山になった三井金属・神岡鉱山横
を通った。
最盛期には東洋一の鉱山として栄え、日本の
経済発展をけん引してきたが、今は廃鉱・・
静まりかえっている。

富山県神通川上流、岐阜県・神岡鉱山から
流れ出たカドミウム。大正から昭和にかけて、
汚染された米を食べた人々が、原因不明の
公害病に苦しんだ・・後に、イタイイタイ病と
名付けられ、社会を揺るがす大事件になった。



1509  「吉村外喜雄のなんだかんだ」
「別子銅山中興の祖・伊庭貞剛の名言」 

伊庭貞剛(いばていごう)は、近江に生まれた明治の
実業家で、住友二代目総領事。
「別子銅山中興の祖」と言われ、煙害問題の解決に尽力
し、植林による環境復元に心血を注いだ。 

■伊庭貞剛の名言

「 命がけで押す判は、生涯3度・・
判を押してはならぬ書類なら、初めから作らせては
ならぬ。そんなものしか作れん者なら、初めから採用
するな!
重役が命がけで判を押さねばならぬのは、在職中、
2度か3度ぐらいだ。5度もあれば多すぎる。
後はめくら判でさしつかえない 」

伊庭は、部下が持ってくる書類に全て判を押した。
その後の責任は、上司である伊庭が取ると公言した。
為に部下は、絶対不備・落ち度のないよう、書類の作成
に注意するようになった。

「 言葉は八分で止めて、後の二分は相手に考えさせる
  がよい。わかる者には言わずともわかるが、わからぬ者
  には  いくら言ってもわからぬ 」

「 事業の進歩発展に最も害するものは、
  若者の過失ではなく、年配者の”のさばり”である 」

「 友とは、憎しみ合ったときのことを考えて付き合え。
   敵とは、愛しあったときのことを考えて付き合え」

「 人は、才能を信頼してやれば、その信頼に応えよう
   と、全知全能を発揮するものである」

「 経営者の仕事で一番大切なことは、後継者を育てる
   こと。そして、引継ぎの時期を間違えないことだ 」

伊庭は57歳の若さで、住友2代目総領事を引退し、
石山に隠居した。

2017年06月15日

別子銅山跡を歩いて

■石見鉱山遺跡

一昨年、妻と出雲大社を訪れた時、
石見銀山を見学した。
江戸初期、日本が世界の銀産出量の3/1
を 占めたのは、石見銀山の存在があった。

同山では環境に配慮し、山を崩したり、煙害
でハゲ山にならないよう配慮し、自然と共生
して鉱山運営に努めたことが評価され、
2007年世界遺産に登録された。

 


1508 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
「別子銅山跡を歩いて」

5月19日にトレッキングで登った、愛媛の住友別子銅山
は、栃木の三井足尾銅山、茨木の日立銅山と共に日本
3大銅山に数えられる。
1690年、元禄3年に採鉱が始まり、豊富な産銅量で
住友の発展と日本の近代化に貢献した。

銅の歴史は古く、弥生時代には「青銅器文明」が、
その後「和同開珎」が造られ、奈良・平安時代には銅の
精錬・鋳造加工技術が進歩して、東大寺大仏をはじめ、
仏像・武具・工芸品が盛んに造られるようになった。


          IMG_7519

明治21年、洋式精錬所の操業が始まると、亜硫酸ガス
が農作物を枯らす「煙害」が表面化。農民運動が相次い
だ。
別子の山は燃料用に森林が伐採され、煙害で山肌が
むき出しになった。

最盛期には、約1万人が標高千メートルの山の斜面に
石垣を積み、猫の額ほどの土地に住宅や作業小屋を建て
た。
小学校には300人の生徒、保育園、病院、二千人収容
の劇場などがあって「東洋のマチュピチュ」と呼ばれた。

           IMG_7521

昭和48年、海面下1000メートルまで掘り進んだ
ところで、地圧の増大と地熱の上昇で掘削が限界になり
280年の歴史を閉じた。

現在、当時の建物は取り壊され、石造りの貯蔵庫や
通洞跡、廃墟の石垣を残すのみとなっている。
鉱山跡の山道を歩いていると、滅びゆくものへの
ノスタルジア感じるのです。

住友グループの住友化学は、銅を製錬する過程で発生
する有毒・亜硫酸ガスを処理する、肥料製造所として
創業。
また、住友重機工業は、別子銅山の採鉱に必要な機械
設備の製造所として創業している。

明治27年、別子銅山の支配人になった”伊庭貞剛”は
煙害でハゲ山になった周辺の植林を、積極的に進めた。
現在銅山は豊かな緑に覆われている。
この植林事業が、現在の住友林業の礎になっている。

※伊庭貞剛(いばていごう)1847~1926
   近江に生まれた明治の実業家で、住友二代目総領事。
   「 別子銅山中興の祖」と言われ、煙害問題を解決し、
   植林による環境復元に心血を注いだ。

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