2018年12月09日

東京国立近代美術館が金沢に移転

1661  【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「東京国立近代美術館が金沢に移転」

東京国立近代美術館が、2020年金沢市に移築移転
してきます。移転先は兼六園に隣接する本多の森。
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「県立美術館」と、赤レンガのミュージアム「県立歴史
博物館」の間に挟まれた地に、日本海側初の国立美術館
が誕生します。
周辺には県立能楽堂、藩老本多蔵品館、成巽閣などが
あり、本多の森は石川県の伝統文化の香りが漂う観光
スポットになる。

移転に先がけ、東京の工芸館のコレクション、明治・
大正・昭和の工芸作家の作品を、数回に分けて県民に
紹介している。
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今回はその中から「ガラス」「染織」「人形」「金工」の
作品の中から約50点、「いろどり と すがた」と
題して名品展が開催され、鑑賞してきました。

石川県は、江戸時代に花開いた加賀百万石文化が今に
受け継がれ、現代に華やかさと雅を伝えている。

伝統芸能では、加賀宝生流の「能楽」が、世界無形文化
遺産に登録され、県立能楽堂では毎月定例公演で、
能・狂言を鑑賞できます。

能のほか、茶道・華道・香道・三味線などが普及し、
伝統文化ではその他、加賀万歳、獅子舞、加賀鳶、
氷室、雪吊りなどがある。

伝統工芸も盛んで、輪島塗、山中漆器、九谷焼、加賀
友禅、七尾仏壇、加賀象嵌など、古くから伝わる伝統
工芸の技が地域の伝統産業となり、受け継がれている。

その他、加賀毛針、大樋焼、金沢和傘、加賀獅子頭、
加賀提灯、水引細工、桐工芸品、和紙などが知られてい
る。

2018年12月05日

釈迦の寓話/人間の実相(解説3)


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1660 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生
「釈迦の寓話/人間の実相(解説3)」

釈迦は王様に「人間とはどんなものか」を寓話をもって
説いた。
波間から、青と赤と黒の3匹の大きな竜が、
  真っ赤な口を開け、自分が落ちてくるのを、
  今か今かと待ち受けているではないか


「青い竜」・・底の知れない欲の心を表している
金が欲しい、物が欲しい、地位名誉が欲しい、
限りない欲に、どれだけ邪悪な思いをしてきたことか。

あの人がいなければ、こいつが失敗したら、あいつが
死ねばと、どれだけの人を心で蹴落とし、殺している
ことだろう・・
「赤い竜」・・欲の心が満たされず、妨げられると、
                      怒りの心が表れてくる。
「黒い竜」・・愚痴、ねたみ、恨みの心を表している

蜂の巣から甘い蜜が落ちてきた。
旅人は、
  甘い蜜に心を奪われ、現実の恐怖を忘れ、
  夢中になってなめた


「蜂蜜」・・食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲 
                    人間の”五欲”を表している。

藤ヅルにぶら下がり、生死の境にありながら、一切を
忘れて、蜂蜜をなめることに夢中になっているのは、
誰のことか?
釈迦の寓話の中に、紛れもない自分の姿を見ることが
できるのです。  

                               一万年堂出版・木村耕一緒「こころの朝」

2018年12月03日

釈迦の寓話/人間の実相(解説2)

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1659 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生
「釈迦の寓話/人間の実相(解説2)」

釈迦は王様に「人間とはどんなものか」を寓話をもって
説いた。
旅人は薄暗くなった野道に散らばる白い物
  に気づいて何だろうと、拾い上げて驚いた。
  それは、人間の白骨ではないか
・・」

「白骨」・・他人の死を表している。
私たちは、この旅人のように、肉親や友人の突然の死に
驚く。

彼方から飢えに狂った、見るからに獰猛な大虎が、
  こちら目がけてまっしぐらに突進してくるではないか


「猛虎」・・自分の無常の死
癌の告知のように、死ぬことへの用意が何もできていな
い、安心しきっている時に突然死がやってくる。

藤ヅルを握りしめ、必死に崖を伝い下りて、
  虎の追撃から逃れた

「藤ヅル」・・人間の寿命を表している

藤ヅルの根元で、白と黒の鼠が藤ヅルを交互に、
  カリカリかじっているではないか。
  やがては白か黒、何れかの鼠に噛み切られる
  ことは必至である


「白と黒のネズミ」・・昼と夜を表している
二匹のネズミが、昼・夜交互に藤ヅルをかじり続ける。
人の生命が、昼も夜も一刻の休みもなく削られていく。
やがて昼か夜、何れかに噛み切られ、生命がつきる。
 

                                 一万年堂出版・木村耕一緒「こころの朝」

2018年12月02日

釈迦の寓話/人間の実相(解説)


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1658 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生
「釈迦の寓話/人間の実相(解説)」

釈迦は王様に「人間とは、人生とはどんなものか」を
寓話をもって説いたが、何を教えようとしたのか?

秋の夕暮れ果てしない広野を、木枯らしが吹く中、
一人の旅人が歩いていた


寓話の出だしは、人生の寂しさを表現した言葉から
始まっている。なぜ、人生は寂しいのか?
釈迦はそれを「独生独死、独去独来」と説いている。
(独り生まれ、独り死し、独り去り、独り来る)

生まれた時も、死んでいくときも1人。最初から最後
まで1人ぼっちの旅なのだ。

次に「旅人」・・私たちのことです。人生は旅に似てい
る。     旅は1か所に留まることなく、昨日から今日、
そして明日へと旅を続ける。

天気の良い日、雨や風の日、暑い日、寒い日、
上り坂もあれば、下り坂もある・・人生も同様だ。
この旅人は、行き先・目的地が明確であろう。

しかし、私たちの「人生の目的」は明確だろうか?
どんな人生を歩もうとしているのか?  何も考えずに
昨日から今日、明日へと、無為に生きていないだろうか
・・
人生の目的がハッキリしてこそ、頑張って生きていく
ことができる。ただ生きながらえるだけの人生なら、
この世に生まれてきた意味がない。

この世に生まれてきたことを心から喜べる「人生の目的」
を知ることが、いかに大切かを気づかせるために、
釈迦は私たちを「旅人」に例えたのです。 

                                     一万年堂出版・木村耕一緒「こころの朝」

2018年11月30日

釈迦の寓話/人間の実相(2)

■釈迦の寓話/解説

・三匹の竜 = 三毒の煩悩
  青い竜 = 貧欲
  赤い竜 = 噴患
  黒い竜 = 愚痴

・白と黒の鼠 = 白は昼、黒は夜
  昼に死ぬか、夜死ぬか、どちらかの鼠に
  藤ヅルを噛み切られて死んでいく

・蜂蜜 = 五欲
  食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲

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1657 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生
「釈迦の寓話/人間の実相(2)」

釈迦は王様に「人間とは、人生とはどんなものか」を
寓話をもって説いた。

『人食い虎に追われ、断崖絶壁に追い込まれた旅人・・
木の根元の藤ズルを伝い下りて難を逃れ、ホットとして
九死に一生の旅人。
せっかくの獲物をとり逃した猛虎・・
断崖に立ち、無念そうに吠え続けている。

「やれやれ、この藤ヅルのお蔭で助かったわ・・
まずは一安心」と、旅人が下を見て、思わず「アッ」と
叫んだ。
絶壁の下は、怒涛が絶え間なく岸壁を洗っているでは
ないか・・それだけではなかった。
波間から、青と赤と黒の3匹の大きな竜が、真っ赤な口
を開け、自分が落ちてくるのを、今か今かと待ち受けて
いるではないか。

旅人はあまりの恐ろしさに、藤ヅルを握り締めて身震い
した。再度上を見上げると、虎は執念深く吠え続けて
いる。
その時である・・旅人は、今起きていること以上に、
恐ろしい光景が目に入った!

藤ヅルの根元で、白と黒の鼠が藤ヅルを交互に、
カリカリかじっているではないか。
やがては白か黒、何れかの鼠に噛み切られるであろう
ことは必至である。

そこで、藤ヅルを揺さぶって、鼠を追っ払おうとした。
ところが、ツルの横に大きな蜂の巣があり、その巣に
ツルが触れて、蜂がワンワン旅人の頭に舞い下りてくる
ではないか。

絶体絶命の旅人、顔は青ざめ、ガタガタと震えが
止まらない。
そこに、蜂の巣から甘い蜜が落ちてきた。
旅人は、甘い蜜に心を奪われ、現実の恐怖を忘れ、
夢中になってなめた ・・』

話を終えた釈迦
「王よ、この旅人とは・・そなたのことなのだ」
王様「え! どうして、この旅人私なのですか?」
釈迦「いや、そなた一人のことではない。
        この世のすべての人間が、この旅人なのだよ」

2018年11月29日

釈迦の寓話/人間の実相

■釈迦の寓話/解説

・果てしない広野 = 家族、友人がいても人生は孤独
・白骨 = 他人の死
・虎 = 人にはみな虎がいる。いつ死ぬかわからない
              何れ必ず死なねばならない。
・一本の木 = 健康、家族、金、財、地位、宗教
・藤ツル = 寿命
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1656 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「釈迦の寓話/人間の実相」

ある日、釈迦の法話会に勝光王が参詣した。
釈迦は王様に「人間とはどんなものか」を寓話をもって
説いた。

♪王よ、それは今から幾年という昔の話である。
秋の夕暮れ果てしない広野を、木枯らしが吹く中、
一人の旅人が歩いていた。

旅人は薄暗くなった野道に、点々と散らばる白い物に
気づいて、立ち止まった。何だろうと、拾い上げて驚い
た。それは、人間の白骨ではないか・・

どうしてこんな所に白骨が沢山散らばっているのだろう
・・怖くなって先を急いだ。
しばらくして前方の闇の中から、異様なうなり声と足音
が聞こえてきた。

闇を透かしてみると、彼方から飢えに狂った、見るから
に獰猛な大虎が、こちら目がけてまっしぐらに突進して
くるではないか。

旅人は、白骨が散らばっている分けを知った。
この野道を通った旅人が虎に食われたに違いない。
自分も食われてしまう・・!
恐怖に引きつった旅人は、迫りくる虎から逃げなければ
と、無我夢中で走った。

恐ろしい虎の鼻息を間近に感じ、もう駄目と前方を見る
と、その先は断崖絶壁の行き止まり。
絶望の中、幸い断崖に生える1本の木の根本から、
藤ヅルが垂れ下がっているのを見つけた。

その藤ヅルを握りしめ、必死に崖を伝い下りて、
虎の追撃から逃れた。

                                                                 次号に続く

2018年11月26日

台無しになる

1655 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
「台無しになる」

数年前のこと・・講演会の会場に到着して、講演に使う
資料が入ったパソコンを忘れてきたことに気づいた。

その日のために、時間をかけて下準備したパソコン。
これがないと講演が持たない・・ 講演会が”台無し”に
なってしまう・・「どうしよう」と途方に暮れた。

急きょ自宅に電話して、忘れてきたパソコンを持ってき
てもらうよう頼んだが、講演開始に間に合いそうもない。

講演を”台無し”にするわけにはいかないので、
パソコンが届くまで約30分間、別の題材でつなぎ、
何とか切り抜けることができた。

この1件で、私にとって何が”台無し”になるのかを
考えさせられた。
そもそも台無しの”台”は、仏像を安置する台座の
ことで、座がなければその上の仏像は形をなさず、
仏像の威厳もなくなってしまう。

日頃、しっかり勉強しておけば、資料が無くても講演
できるはず・・資料が無くてうろたえるのは、私に中身
が無い証拠・・台を頼りに講演に臨もうとしている、
薄っぺらな自分がいるのです。

大切なのは、人前で満足に話すことのできない、
上げ底の自分ではなく、血となり肉となって身についた
、在りのままの自分に向き合うようで
なければならない
のです。

2018年11月21日

土佐藩家老・野中兼山の逸話

■徒然草にある「後悔」の定義 

今日やるべきことを明日に延ばし、明日やってもよい
ことを今日やって、心にあれこれと食い違いが生じる
こと・・それを”後悔”という。

 

1654 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「お役目を台無しにした、土佐藩士の逸話」

以下は”和”を重視し、部下の過失を許した土佐藩家老
野中兼山の 逸話です。

♪紀州はミカンの畠が多く、その花は蜜蜂を養って蜜を
採るのに適していて、養蜜が盛ん に行われた。
土佐藩の家老で学者の”野中兼山”は、養蜂を思い立ち
、家来を紀州にやって、種になる蜜蜂を求めさせた。

兼山の家来は一箱の蜜蜂を手に入れ、無事に土佐の港に 
帰ってきた。ところが、家来は蜜蜂の正体を知らず、
箱の中には甘い蜜が一杯入っているものと思い込んでい
た。
無事にお役目を果たしたことでもあり、少しご馳走になろ
うと箱のふたを開けたとたん、数千匹の蜜蜂が一斉に
大空に飛び出してしまった。

さあ、大変なことをしてしまった・・
家来はすごすご兼山の邸に行き、過失を詫びた。
せっかくのお役目を”台無し”にしてしまった家来は、
どんなおとがめを受けるかと、ビクビクして待ち受けて
いると・・
兼山、怒ると思いきや、カラカラと大声で笑った。
『 これは驚きいった。蜜をなめるのはよいが、
   舌を刺されたらどうするのじゃ・・ 
   蜂はどうせ、ご領内のどこかに逃げたのだから、
   持ち帰ったも同然じゃ・・ご苦労ご苦労 』
と却って家来を慰めた。

本人はもとより、どうなることかと心配していた他の
家来たちも、ほっと一息つき、兼山と一緒にみんなで
笑い過ごしたという。

2018年11月18日

幸せな人生 「才と徳/道の思想」

1653 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「才と徳/道の思想」

横綱不在の大相撲九州場所も、今日は中日。
優勝争いで抜け出す力士は?・・面白くなってきた。

仕事や趣味を通して人格を磨くことを、日本では昔から
「道の思想」として、広い分野で取り入れられてきまし
た。
茶道、華道、柔道、相撲道など、それぞれの分野で
人格を鍛え、人格を磨き、”道”を極めていく。

相撲の世界で、破竹の勢いで勝ち上がって、大関になっ
ても、心技体、バランスが備った力士で
なければ、横綱
にはなれません。

商売を通して人格を磨くのが「商道」です。
江戸時代の大店の商人は”品格”を高めると共に、
何事にも動じない”人間性”の大きさや、深さを求めら
れた。
日本では、才覚よりも人格において秀でた者を尊敬する
気風がある。商才に長け財を成す者より、人間的成長に
努力する生き方が評価されるのです。

”人材”とは、能力の優れた人間を言い、”人物”とは
能力に加えて、
人間性に優れた人物のことを言います。

そして商道における”仕事”は、人に喜んでもらえる
うな仕事の仕方ができる、能力と人間性を持った人物に
鍛え上げていくのです。

「円熟ではなく、各熟をめざせ!
                    丸くはなるな、とんがって生きろ」


                                               芳村思風「感性論哲学」より

2018年11月15日

人生の成功は才能、それとも運?

■ノーベル化学賞を受賞した白川秀樹博士

博士の元で研究していた韓国人が実験に
失敗した。
粉末ができるはずが、ボロ雑巾のような膜
ができていたのです。
白川博士は瞬間的に「薄膜が作れたら・・」
とひらめいたといいます。

これが導電性プラスチックの発見・・
ノーベル賞受賞へとつながりました。
偶然の失敗が、幸運の扉を開いたのです。



1652 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生
「人生の成功は才能、それとも運?」

今年、大リーグで大谷翔平選手が新人賞を取り、
将棋会では藤井聡太七段が大活躍した。
成功する人は、彼らのような優れた才能の持ち主だけ
なのでしょうか?

世の中は実力主義。成功するかどうかはその人の資質。
例えば知性や技能、努力、勤勉性などによると考えられ
がちです。しかし才能があれば成功するのでしょうか?

イタリアの大学での調査です。技術や知能、能力を問わ
ず、ランダムに選び出した人が、40年間の人生の中で
幸運な出来事と、不運な出来事に出逢った時、
その人たちの資産が、どのように増減したかを調査した。

結果は、上位20%の人が資産総額の80%を占めた。
その上位20%には、優れた才能のある人ばかりではな
く、遠く及ばない人も含まれていたのです。

”幸運”に多く恵まれた人が上位を占め、
”不運”な人の資産は少なかった。
結論は『最も裕福な人々とは、才能の有無にかかわらず
誰よりも幸運に恵まれた人たち』だったのです。

私たち人類が今繁栄しているのは、
「数多くの失敗と偶然の中から、運よく幸運に恵まれた」
ことによるのです。
「チャンスは一瞬、前髪でつかめ」と言いますが、
チャンスは、いつ誰の元に訪れるか予測できません。
成功を手にするには、一瞬のチャンスを逃さないことで
す。
強い”志”を持って努力している人にしか、前髪は掴め
ないのです。

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