2019年07月21日

止まらない人口減少

■石川県の人口

石川県は、前年比6、058人減の
113万737人です。
減少幅は前年の4,550人から
拡大した。
市町別では、
かほく、白山、野々市の3市で増加、
県内16市町村で減少した。
減少率が高いのは、
能都町が483人で全国で8番目。
志賀町は453人で全国10番目に
多かった。



1727
【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「止まらない人口減少」

総務省が7月10日に発表した、日本の人口動向
調査によると・・
昨年末の日本の人口は1億2千480万人で、
この1年で過去最大の43万3千人減少して、
10年連続マイナスに・・日本の人口が減っていく

昨年の出生は92万1千人で、出生率が最小だった
のが大きく影響した。人口に占める65歳以上の
割合は28%で・・増加し続ける。
死亡者は毎年増え続け、昨年は136万4千人だっ
た。
少子化問題・・国も国民も、何か対策を立てたから
といって、解決できるような問題ではない。

出産適齢期の女性が減って、出生率も低下していく
。今世紀中に人口の減少を食い止めることは難しい
のです。
戦前の日本は国力増強を目指す「産めよ増やせよ」
運動で、私の兄弟は7人です。どの家庭も子沢山だ
った。
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その急速な人口増加が、戦後の日本を世界第2位の
経済大国に押し上げ、世界一の高齢化社会になった

私たち夫婦世代になると、子どもは平均して2人で
、今度は人口の減少と、国力低下の片棒を担ぐこと
になった。
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今になって、孫の世代の将来を心配しても打つ手が
ない・・気づかないふりをしているしかない。
しかし、いずれ必ず無視できない時がやってくる。

2019年07月18日

心と体の健康 「笑い・怒り・堪忍」

1726 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
心と体の健康「笑い・怒り・堪忍」

中国の故事に「一笑一若 一怒一老」がある。
笑い一つで1
歳若返り、怒り一つで1歳老いる
という意味です。

人が笑ったときの
鎮痛作用は、モルヒネの数倍ある
という。ベーターエンドルフィンという、快感作用
のある脳内物質が分泌される・・
怒るとノルアドレナリンという毒性を持った物質が
分泌される。

当然、笑いのあるところに人が集まり、商売も繁盛
する。性別・年齢に関係なく、笑顔のすてきな人は
どこでも人気物・・ 
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笑顔の絶えない人は、天性のモテる秘訣を備えた
幸せ者です。
一方、怒りを抑えるのは難しい。
怒った相手が吐き出す息を吸うと、息に含まれる
物質ノルアドレナリンが脳を刺激して、怒りが湧い
てくる・・つい、怒鳴り返してしまうのです。

「怒る相手に怒りをこらえ、怒りで応えなければ、
  自分と相手の双方を救うことになる」
なんと凄い言葉だろう。

人生長く生きていれば、腹に据えかねることもある
。それをグッとこらえて、怒りに怒りで応じない。
 
そう簡単にできることではないが、”堪忍”という
言葉を噛みしめ、怒鳴られても怒鳴られても・・
堪忍、堪忍。

                         坂爪捷兵「和尚が書いたいい話」

2019年07月14日

心と体の健康「笑いがもたらすパワー(2)」

■アンナプルナ登山
今年3月、77歳の私、これが体力的に
最後の登山になると、ネパール・ヒマラヤ峰を
望むトレッキングツアーに参加した。

ツアー会社から、過去のトレッキング歴と、
直近の健康診断書の提出を求められた。
体力や健康に支障があれば、ツアーは迷惑
します。
2日半の日程で、アンナプルナ連峰が一望
できる3200㍍のプーンヒル山頂まで
アイゼンを付けて登り、全行程無事歩き通した。

厳しさを避け、楽な生き方をしていると、身体は
老化します。限界ギリギリまで、これ以上は歩け
ないと体が悲鳴を上げたとき、細胞は若返る。

帰国後、全身にエネルギーを感じ、若返って
いるのを体感したのです。


1725 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
心と体の健康 「笑いがもたらすパワー2


Laughter is tha best medicine
この西欧のことわざを直訳すると
「笑いは最良の薬」 になる。
日本にも同じような「笑う門には福来る」がある。

笑うと免疫力が向上し、ストレスの緩和、認知機能
の活性化など・・医学界では、笑いが健康に様々な
効果があることが実証されている。

若く健康な人でも、一日約3千個のガン細胞が生ま
れるという。こうした体に悪い物質は、ナチュラル
キラー
(NK)細胞が退治してくれる。

笑うと情報を伝達する神経”ペプチド”の生産が活発
になり、NK細胞を活性化させて、ガン細胞やウイ
ルスなどの病気の元を攻撃してくれる・・

免疫力が高まるのです。ところがこの免疫細胞、
自らの健康な身体を攻撃して、リウマチや膠原病
など、自己免疫疾患と呼ばれる病気を引き起こす。 

”笑い”は、こうした免疫異常の改善に効果がある
のです。
笑うことで、血液の循環が良くなり、体の隅々に
酸素が沢山送り込まれる。新陳代謝が活発になり、
自律神経のバランスが整うのです。

脳の働きも活発になり、アルファ波が増えてリラッ
クスするのです。

2019年07月10日

心と体の健康 「笑いがもたらすパワー」

1724 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
心と体の健康 「笑いがもたらすパワー」

40年以上超ロングランを続け、日本中に笑いを
届けてるいバラエティー番組「笑点・大喜利」は、
周りをはばかることなくつい大声で笑ってしまう。

笑顔で楽しく話をする人がいると、周りの人も楽し
くなってくる・・笑いは伝染するのです。

逆に気難しい顔をしている人の前では、みな気難し
い顔になる。そんな場に誰かが笑顔で話しかける
と、場の雰囲気が和らぐのです。
相手の表情が、周りの人たちを明るくも、暗くも
するのです。

笑っている人に接していると、自然と気持ちが明る
くなってくる・・心も打ち解けてくる。
笑い声で話している人がいると、興味が湧いてきて
何んで笑っているのだろうと、引きつけられるので
す。
日本の神話、天照大神が天岩戸に閉じこもり、
世界が闇に覆われた時、困った神々が一計を案じ、
岩戸の前で踊って笑いころげて見せた。

その笑い声に、何事かと興味を抱いた天照大神・・
外の様子が気になり,岩戸を少し開いた。
世界に光が戻ってきたのです。
笑顔は、相手の心を和ませ、人間関係をスムーズに
してくれます。

2019年07月07日

関東・関西、味の境界線

1723 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「関東・関西、味の境界線」

関西のうどんの出汁は、どんぶりの中が透けて見え
るくらい色が薄く、関東は中が見えず色が濃い。

味は、関東はカツオ風味が強くやや甘辛い。
関西は昆布出汁がきいて、あっさりしている。
石川県のうどん出汁はカツオ節で摂るが薄味。
加賀料理は関西風で、あっさり薄味です。

関西と関東の真ん中に位置する、名古屋のきしめん
は色も味も濃い。同じように、ソバや煮物の出汁も
関東は濃く、関西は薄い。
即席麺のどん兵衛は、関西と関東で味の濃さを
変えている。

関東と関西を結ぶ東海道で、出汁の色の濃淡と
味の違いが分かる分岐点はどの当たりになるか?
幹線名古屋の次の駅、米原に近い、天下分け目の
「関ケ原」が東西味の分岐点になります。

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分岐点になるは、三重、愛知、岐阜、新潟以北。
西は和歌山、奈良、京都、滋賀、福井、石川、富山
以西。北陸の三県は関西風の薄味が主流です。

北海道は、利尻昆布出汁を使用した独自の味。
全国三つの地域に分けられます。

なぜ関西と関東でこのような色と味の違いが出たの
か? 理由の一つは採れる魚の違い・・

関東では親潮に乗って北から回遊してくる、カツオ
などの赤身の魚が主流。赤身はこってりした味なの
で、濃い味が好まれるようになった。

関西は、瀬戸内海で採れるタイなどの白身の魚が
主流。白身は淡泊で、薄めの味が好まれるのです。

二つ目の理由は、江戸時代昆布が関東では流通しな
かったため、味の違いが生まれたと言われている。

2019年07月04日

関西と関東、食文化の違い

■ 画に描いた餅
三国時代・魏文帝が、人事局長官に『優秀な
人材を集めて、皇帝の側近を育てる
ように』と
命じた。 その時・・
 
『人材を選び挙ぐるに、名有るを取るなかれ。 
名は地に描きて餅を作すがごとし、食らうべから
ず』 と告げた。
単に、名声だけ高い者ばかりを集めてはならない。
地面に描いた餅が食べられないように、名前だけ
の者は使い物にならない・・と戒めている。.

この逸話から「実用的でない」、あるいは「無駄・
徒労」のことを「画餅」と言うようになった。



1722 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「関西と関東、食文化の違い」

金沢のお雑煮のお餅は四角い。
70歳になる今まで、お雑煮の餅はすべて角餅と
思っていた私・・関西のお餅は丸いのです。

金沢の加賀料理やうどんつゆは薄味です。
出汁は透き通っていて関西風。名古屋や関東のよう
に濃くない。
元々お餅は丸餅でした。江戸時代、江戸の人口が
急速に増えて、餅屋は生産に追われるようになった。
一つ一つ丸めて作る、手間のかかる丸餅を平に伸ば
して、四角に切って売ったのが始まりです。

お餅と出汁の東西の分岐点は、ほぼ一致していると
いう。金沢の食文化と味はおおむね関西風。
なのに何故お餅は丸ではなく、四角なのか?

石川県は加賀も能登もお雑煮の餅は関西風の丸餅。
えッそうなの・・.知らなかった。
金沢は、加賀百万石の城下町で武家が多い。
犀川と浅野川に挟まれた旧市街地で
、江戸風の角餅
をお雑煮にするのです。

ところでうなぎの蒲焼も、関西と関東では違うこと
がよく知られている。
関西では「腹開き」、関東では「背開き」で蒲焼に
する。「腹開き」は切腹を連想するため、武家文化
の江戸では嫌われ、「背開き」になった。

一方商人文化の関西は「腹を割って話す」イメージ
から「腹開き」が好まれた。
焼き方も違う・・関東では開いてから蒸し焼きにし
、それからタレを付けて焼く。
関西では、開いてすぐタレを付けて焼きます。

ちなみに金沢は、東西食文化の分岐点に位置し、
関西風、江戸焼き風、名古屋ひまつぶしなど、
様々な
食べ方でウナギを楽しむことができるのです。

2019年06月29日

今も続く、元ハンセン病患者家族への偏見と差別(2)

28日、ハンセン病元患者の家族らが国に
損害賠償を求めた判決が熊本地裁であった。

戦後直ぐ治療法が確立されたにもかかわらず、
国の間違った隔離政策がその後50年続き、
患者家族への差別被害の発生を放置 して
きた。
原告541人に国の責任を認め、 国に計
3億7千万円の賠償を命じた。


1721 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「今も続く、元ハンセン病患者
                   家族への偏見と差別(2)


「父が連れて行かれた時、私は一緒に行くと泣いた
  ようです。でも覚えているのは、家の中が雪が降
  ったように真っ白だったことだけです」

体験を語る原田信子さん(75)の脳裏には、
白衣
を着た人たちが、噴霧器で家中を消毒する姿が
焼き付いている・・昭和26年7歳の時でした。

町内に直ぐ「らい病患者が出た」ことが知れ渡っ
た。母は親戚、近所付き合いとも拒まれ、勤め先の
海産物加工場を解雇された。

母は行商に出たが、母子の生活は困窮した。
食べる物がないとき、母は「死のう、死のう」と言
った。私は「いやだいやだ」と泣いた。

小学校では「そばに来ると菌がうつる」といじめら
れ、雑巾を投げつけられた。いじめが怖く、学校に
行けなくなった。家の裸電球の下で一人泣いた。

母は父のことを一切言わなかったが、成長する中で
だんだんと分かってきた。
父が隔離されている青森の療養所に、何度か行った
が、父は病気がうつると思い込んでいて、決して
自分に触れず、食器に触ると怒鳴った。

中学卒業後に知り合った男性と、18歳のとき結婚
する際は、事情を説明し父にも会ってもらった。
理解してくれたと思っていたが、その後夫は様変わ
り。
「あんな病気の親から貰ってやったのに」とベルト
で殴るなど、ひどい暴力をふるうようになった。

私は次第に「こんな辛い目に合うのは父のせい」と
恨むようになった。父に面会するたびに「あんたの
せいで夫に叩かれる」と八つ当たりした。

夫と別れたかったが、「自分は父を取られて辛かっ
た」ので、子どもたちのことを思い我慢した。
離婚したのは、子どもたちが成人した後でした。

母は95年に他界。父も2001年の熊本地裁判決
の前に、療養所で亡くなった。父とは最後まで親子
らしい関係を作れなかった。父も辛かったでしょ
う。
国の間違った隔離政策で、家族がどれほど辛い思い
をしてきたか・・分かってほしいのです。

2019年06月27日

今も続く、元ハンセン病患者家族への偏見と差別

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【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「今も続く、元ハンセン病患者
                     家族への偏見と差別」

ハンセン病(らい病)患者の家族は、国が長く
家族の救済を怠ってきことによる差別や偏見で、
地域社会から排除されてきた。

家中を消毒され、家族は「バイ菌」扱いされ、
いじめられた。嫁に行った娘は子どもが作れないと
離婚に追い込まれた。

生まれた子どもは「未感染児童」として潜在的患者
扱いを受けた。差別を恐れた子どもや家族は、親の
病気をひた隠しにして生きていくしかなかった。
 
隔離は地域社会に見せつけるように行われ、患者探
しも奨励された。家族も国の隔離政策の標的にされ
たのです。
らい病患者が出た家の近所は、らい病への誤った
恐怖を植え付けられた上に、家族に近づけば自分
たちも同じ目に合うと、偏見は更に助長された。

国は2001年に隔離政策の過ちを認め、元患者ら
に謝罪し、補償に乗り出したが、あれから18年、
ハンセン病患者家族の苦しい境遇には、目を向けよ
うとはしなかった。

                                                                 6月20日 読売新聞

2019年06月24日

今も続く、元ハンセン病患者への偏見

6月28日、元患者の家族が
一人当たり550万円の損害賠償金と
謝罪を求めた判決が熊本地裁で
言い渡される。

 

1719 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「今も続く、元ハンセン病患者への偏見」

昨年9月、岡山県瀬戸内海にある、国立ハンセン病
患者隔離療養所・長島愛生園を訪問見学した。
国の無理解から、生涯を島で暮らすことを強いられ
た、元患者の生々しい体験談を聴いた。
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日本のハンセン病(らい病)患者は、1907年
以降、国は「恐ろしい伝染病」として89年の長き
に渡り、患者を強制的に隔離し、一生出られなくす
る政策を続けた。

1945年(S20年)アメリカで特効薬が開発さ
れ、100%完治する病気になった。
更に、人に伝染しないことも明らかになった。

にもかかわらず、国の誤った隔離政策は、1996
年に「らい予防法」が廃止されるまで、以降50年
も続けられたのです。
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現在、日本のハンセン病(らい病)患者はゼロ。
ところが「恐ろしい伝染病」との風評と誤解は、
現在も根強く、元患者の子どもや家族が、差別と
偏見にさらされ、苦しんでいるのです。

国の誤った政策が長年放置されたことで、患者と
家族は周囲の誤った知識や思い込みで、いじめに
就職、結婚など、差別を受け続けているのです。 
                                                   
         読売新聞

2019年06月18日

生きることすべてが修行(3)

1718 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
幸せな人生
生きることすべてが修行(3)」

以下、正眼寺住職・正眼僧堂師家・山川宗玄禅師
若き修行僧時代の体験講和・・前号の続きです

修行時代、管長の運転手になり、様々な行事につい
ていった。管長の講演・・開催地や主催者が変われ
ば、講演の内容も演題も変わった。
演題は違っても、話の内容は7~8割同じだった。

何度も同じ話を聞くうちに、後の流れがわかってく
る。始めの頃は熱心に聞いていたが、回を重ねる
うちに、退屈して居眠りするようになった。

ある時、管長の講演を何度も聞きに来ている社長
さんに会った。その社長さんに、私はうっかり
『7~8割同じ話ですよね』と口を滑らせた。

社長さん『その通りですね・・でも、毎回違います
よ』
それを聞いた時私は”ゾクッ”とした。
私は、今日も同じ内容と、寝て聞いていたのです。
社長さんは、真剣に聴いていて『毎回違っていた』
と・・
内容はおおむね同じなのに、何が違ったのか?
それは、聴いている社長さんが変化していたので
す。同じ話を、前とは違う聴き方をし、学んでいた
のです。
修行僧は、毎日定められた時間に起床し、座禅を
組み、作務をし、同じ日課を繰り返しているが、
日々新しく変化していく・・それが修行なのです。

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