2010年03月11日

ヨーグルトを食べよう

■「善玉菌と悪玉菌」
 
人間の腸内には、約100種類、100兆個もの細菌が住みついていて、
健康に様々な影響を及ぼしているが、大きくは3種類の細菌に分類されます。
               
○善 玉  菌 … 消化吸収を助け、病気への抵抗力を高めるなど、
           人体に有用な働きをする菌
○悪 玉  菌 … 毒素を出し、腸内腐敗や炎症を起こす物質や、
           発ガン性物質をつくる悪い菌
○日和見菌 … 腸内に善玉菌が多いとおとなしく、悪玉菌が増えると
           悪さをする
ヨーグルトの乳酸菌は、腸内の善玉菌の増殖を助け、
腸内の善玉菌と悪玉菌のバランス整えて、健康な身体にしてくれます。
 
 
746 【心と体の健康情報】 
~食と健康~ 「ヨーグルトを食べよう」
 
私の好物にヨーグルトがある。 高山にドライブした時など、立ち寄った道ので、地元の牧場のヨーグルトを、お土産に買って帰ったりする。
旅に出た時、ホテルの朝食は洋食…ご飯に味噌汁の和食は好まない…パンにソーセージ、ヨーグルト、コーヒーなど、洋食に食欲がそそられる。
 
忘れられないのは、ニューヨークのオプショナルツアーのバスの中で、 朝食いていたヨーグルト… コクがあり、トロッととろける舌ざわり…高級豆腐を口にした時の、あの感触に似ている。
もう一度食べたい…あのおいしさ、 忘れ
 
高齢者に多い「骨粗しょう症」。その改善は、 若い頃から食事を通して、カルムの摂取を心掛けていなければならない 年をとってからでは、 思うようには善さないのです。 日頃不足しがちなカルシウムを、 効果的に補ってくれる食品が、 ヨーグルトなの
ヨーグルトは、牛乳を乳酸菌で発酵させたもの… 牛乳の成分をそのまま受け継ぎ、100g当たりのカルシウムは牛乳よりも豊富で、 消化吸収も良い。
 
牛乳を飲んだら、お腹がゴロゴロする人も、ヨーグルトなら安心です。 乳酸菌の整腸作用はよく知られている… 腸内でビフィズス菌などの善の増殖を助け、 腸内を酸性化して、酸性に弱い悪玉菌の増殖を抑え、腸内を防止してくれる。腸内環境が整えば、便通がよくなり、健康増進、 美肌・容にも役立つのです。
 
ところが、老齢期にさしかかる頃から、ビフィス菌が減少してくる。
腸内バランスがれ、悪玉菌が増えてくる。そんな状態が続くと、 消化機能が衰え、食物が腸に長く留まるようになり、腐菌・悪玉菌が増殖して、ガン誘発の原因になるのです。
 
ヨーグルトで、近年特に注目されるのは「免疫力」を高める効果… ガンやインエンザなどの予防 抑制効果があるのです…特定の乳酸菌が、 ガン細胞を殺してくる”NK細胞”を活性化させ、免疫力を高める働きをしてくれるのです。
 
私は朝食時、スライスしたキウイとバナナにヨーグルトをかけて食べる。 キウイのすっぱ味がなくなり、 食欲が増してくる。
変わった利用方法では、硬めの肉をヨーグルトに漬け込むと、 肉が軟らかくなります。

2010年03月08日

李氏朝鮮五百年/5代~7代王

■李氏朝鮮を継承する北朝鮮
 
暴力や不正がまかり通る李朝の国家体制は、とうてい正常な国家とはいえない。
今日の北朝鮮は、その延長線上にある。
北朝鮮は、李氏の儒教に代わって、金日成、正日父子に絶対的忠誠を国民に誓わせ、政権に対する忠誠の度合いによって区分された「成分」 という、複雑な身分制度で、国民をガンジガラメにしている。
 
「成分」は、親や祖父母、先祖の身分によって定められ、李朝時代の身分制度を
そのまま受継いでいる。私有財産は認められず、人々は政府への忠誠度によって、家や財物を所有することができる。
国家を批判する者は、裁判なしに地獄のような収容所に送られ、飢餓に苦しみ、
洗脳教育が施される。
 
韓国には、朝鮮戦争で南北に引き裂かれ、生き別れになった家族が700万人もいる。
現在までに再会を果たしたのは、たった100余名。高齢化で急がれる中、再会の
目処は立っていない…拉致が問題になっている日本より、はるかに深刻なのです。
世界の国々で、同一民族が自由に往来するのを拒んでいる国は、北朝鮮だけ!
 
                        崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」
 
 
745 【吉村外喜雄のなんだかんだ】 
~歴史から学ぶ~ 
「李氏朝鮮五百年/5代~7代王」
 
李朝第五代の”文宗王”は、4代”世宗”の長男。
20年間世子として父王を輔弼(ほひつ)した。
1450年に即位の後、言論の自由を政策に掲げ、 民意を掌握した。
文宗王は、文官・武官の区別なく重用したため、臣下の信望が厚かった。 しかし体が弱く、わずか在位2年で死去してしまった。
 
第六代には、12歳の”瑞宗”が即位…死の床にあった5代文宗は、 我が子瑞将来を心配して、側近の重臣たちに瑞宗を守り、輔弼することを命じ、 「左右協賛」を願う遺言を残した。
(秀吉が死に際、五大老に「秀頼のことくれぐれも頼む」 と涙したのと似ている)
 
幼い国王には、父王も母王も既になく、孤立無援の状態にあった。
ところが、4代”世宗”の次男で、瑞宗の叔父にあたる”首陽大君”が、 先代文宗王から、瑞宗の補佐を懇願されていたにもかかわらず、 国王になりたい野心から、文宗時代からの2名の忠臣を暗殺。自ら領議政(首相)になり、兵馬の実権を掌握た。
 
瑞宗は純真で幼く、叔父の首陽大君を信頼し、頼った。
摂政になった首陽大君は、政治の実権を握るや、 瑞宗の側近数百名を殺害してしまった。
現王の忠臣をことく殺害した後、 ついに瑞宗を廃位
自ら世祖王となり国王の大権を掌握、 王位強奪した。
 
瑞宗は、都から遠く、人里離れた山中に配流され、 わら葺のあばら家に閉じ込めれた。疑うことを知らない瑞宗は、何れ叔父の世祖が迎えに来ると信じていた。
それでも安心できない世祖は、哀れにも刺客を放って暗殺…
しかばねは川に捨られた。
たまたま、浮き沈みして流れてくるしかばねを、村長が拾い上げ、 密かに埋葬した。これを知った世祖は、露呈を恐れ、村長一家をみな殺しにしてしまった。
 
この骨肉の争そい…王子やその臣、家族、幼い王を守ろうと、 世祖と対決した6名の学(世祖の面前で、 生きながら生皮を剥がされ、火あぶりの刑に処せられた)など、 争そいに巻き込まれた犠牲者は、膨大な人数にのぼった。
 
3代太宗の時、兄弟血で血を洗うし烈な権力抗争に見舞われたが、同じような政が、 又も繰り返えされたのです。
その世祖、身体強健であったにもかかわらず、理由不明の病魔によって、 在位13年でこの世を去っている。
 
李氏朝鮮に先祖帰りした北朝鮮…太祖に当たる金日成主席は、 権謀術策をめぐらして、数多くの政敵を虐殺し、絶対的権力を手中にしている。
その金日成主席は1994年急死…その真相は今だ明らかになっていない。
 
金正日は、後継者である自分を廃して、 異母弟の金平日を後継者に擁立しようとしているのを察知…先手を打って、父を毒殺したと噂されている。
太祖”金日成”主席死後、主席夫人と金平日は、消息を絶ってしまった。
                                        崔 基鎬著 「韓国堕落の2000年史」

2010年03月04日

果物食べて塩分排出

■酔っ払いの定義 
 
少年「どれだけ飲むと酔うの?」
 
   『いい質問だ、ここに座れ、教えてやる…
                                             それは脳細胞の問題だ』
少年「脳細胞?」
 
   『一杯飲むと、1000個の脳細胞が死ぬ…
    だが、脳細胞の数は数十億個
    まず、悲しい細胞が死んで…笑顔になる
    次は、静かな細胞が死んで…大声になる
    そして、賢い細胞が死んで…バカなことをしゃべる
    最後は記憶の細胞だが、これがしぶとい…       』
 
                映画「バガー・ヴァンスの伝説」から
 
 
744 【心と体の健康情報】 
~食と健康~ 「果物食べて塩分排出」
 
私の血圧は「70-120」すこぶる健康体である。
妻は職人の娘…塩辛い味付の家庭で育った。
嫁入り後、我が家の「薄味」に慣れるまで、 2~3年要してい味噌汁が”すまし汁”に思えるほど薄味だ。
 
寒い日は血管が収縮して、血圧が上りやすい。 血管が老化して血液が流れにくくなっている高血圧の人は、血管が破れたり詰まったりして、 脳卒中や心筋梗塞を起こしやすい。
 
厚生労働省によれば、国内の高血圧患者は約3,970万人、 血圧が高めの患者予備軍は約1,520万人…国民の二人に一人が高血圧要注意者になる。
 
高血圧の原因の一つに、塩分の摂り過ぎがある。
日本人一日の食塩摂取量の平均は10.9g。厚生省の目安では、健康な人は…男性10g、 女性8g未満に抑えるよう指導しているが、 高血圧患者は、6g未満が目標になる。
 
問題は、気づかずに摂取してしまう塩分。
寒い冬は、暖かい麺類やおでんが美味しい…が、 汁を飲み干すのは禁物。
ラーメン一杯で7~8gの塩分をとってしまう。
うどんやそばも4~5gになる。麺自体にも塩分が含まれるため、 ラーメン大好き人間には要注意である。週1~2回に抑えたいものです。
 
数年前まで、私の朝食は「パン食」だった。食パン2枚の塩分は1.6g。 バターを塗ると更に1g。ハムやソーセージ、目玉焼きにも多量の塩が… 脂肪分の多い食事を好んで摂っていたのです。
 
現在の朝食は、キャベツを主体にした生野菜に、ゆでただけの豆類・ 海藻類をえ、バナナ・リンゴ・柿・ キウイなどの果物を日替わりで添えて、ドレッシングなし。無砂糖のコーヒー、 蒸かしたさつま芋2/1本という、自然食メニューです。
 
野菜や果物、海藻類には”カリュウム”が多く含まれ、摂り過ぎた塩分中の” ナトリウム”を体外に排出するのを助ける。冬野菜では、ホウレン草や白菜、 小松菜などに多く含まれる。
手軽にカリウムが摂れるのは果物…1日200gを目安に、 リンゴ半分とミカン1~2個が目安です。
 
和食の米飯を主食にするのは、減塩に最適だが、味噌汁は薄めに、 漬物は控え目にしないと、美味しいからと、つい摂り過ぎてしまいます。
                     

2010年03月02日

李氏朝鮮五百年/名君・第4代世宗

■韓国にハングルを普及させた日本
 
韓国ドラマ「大王世宗」に、中国使節が宿舎「慕華館(モファクアン)」 で、
今後のを練るシー毎回出てくる。
 
首都漢城(ソウル)には、中国の属国であることを示す「迎恩門」と
「慕華館」があった。
李朝歴代の国王は、中国から使節が来ると、迎恩門まで出迎えて、
臣下の礼を取らねばならなかった。
 
李朝第四代の”世宗大王”は、明の報復を恐れる重臣や、両班の反対を
押し切って、試行錯誤を繰り返し、韓民族独自の文字「ハングル」を考案した。
 
それから500年二十世紀になり、日本が朝鮮を統治した時、ハングルを
小・中・高等学校の必修科目にした。
それまで、国字としての正当な地位は与えられなかったのです。
朝鮮の民衆にハングルを普及させた功労者は、なんと日本だったのです。
 
 
743 【吉村外喜雄のなんだかんだ】 
~歴史から学ぶ~ 
「李氏朝鮮五百年/名君・第4代世宗」
 
李朝第四代の王は”世宗大王”… 骨肉の争いの末王位をもぎ取った三代”太宗”の三男である。
世宗は1418年22歳で即位…賢明で学問を好み、内治・外交・文化など各方面に多大の治績をあげて、王朝の基盤を強固にした名君として、 後世にその名を残している
(今、再放中の韓国ドラマ「大王世宗」で、その詳細が余す所なく演じられている)
 
(1)韓民族自立の象徴、ハングル文字を創製
  中国の漢字文化から離脱し、国民すべてが読み書きできる、
  りやすい言語を創製したい…
  そんな思いから、明国の反発と、国内知識層の反対を押し
  切って、新しい国語の創製に心血を注いだ。
 
(2)「集賢殿」を設置して、国内の優秀な学者を集め、
  多くの書物を編さんした。
 
(3)先代まで、仏教を徹底的に弾圧・排斥したのを改め、
  仏教の改革に努め、仏書を刊行し、科挙に”僧科” を新設
       して、 仏教の発達に寄与した。
 
(4)世宗自ら、ハングル語の詩(李朝の事蹟を歌に詠んだ
  書物)を著し、さらに「高麗史」を編さん。
  その他、「暦書」「地理誌」「治平要覧」「医学書」など多数
     編さんした。
 
(5)「太陽時計」「水時計」「天儀」「火薬兵器」 などの
  科学機器を発明し、天体を観測して民族自立を目指す
     共に、軍事、治世に貢献した。
 
(6)数百年”倭寇”の海賊行為に悩まされてきた朝鮮…
  対馬との政治和解を成功させ、釜山他2港を対馬との
  貿易に開港して、自由貿易を勧奨し、和信政策を推進した。
 
四代王・世宗が、苦労の末築き上げた様々な政策…中国もそうだが、継続性がなく、権力者が交代ると国王一人の意思によって、 政策が180°変わってしまう人治社会なのです。
 
今日の韓国と北朝鮮に、 それがそのまま表れている。韓国で政権が交代すると、 の民主主義国では当たり前の、政策の継続性がない。 新政権が前政権の業績をする… 現政権の政策の方が正しいと、 過去の実績を認めようとしないのです。
 
太陽政策を推し進めてきた、金大中及びノ・ ムヒョン政権が、イ・ミョンバク政権交代するや、 この政策は中止された。李氏朝鮮時代、 徳川日本とべてても、 日本と韓国の違いが分かるのです。
                   崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」 
 
 

2010年02月25日

天命(天職)を知る(2)

■繁栄する農業                  (職場の教養)
農業を営むTさんは、 妻と二人の息子と従業員で、楽しく仕事に取り組んでいる。 周辺の農家の多くは後継者が無く、やむえず廃業に追い込まれる中、 Tさんの農業は元気です…それにはわけがあります。          
                                                                                                                 Tさんは農業が大好き… 23歳で独立した時、「自分の好きな農業で起業し、多くの仲間と共に、生涯農業に関わりたい」と、 大きな希望を抱いて働き始めました。その後、「農業が好き」という妻にも出会いました。                              
                                                                                                                 二人の子供は成長し、 地元を離れて東京の大学へ行きました。                                                                          卒業後、 「両親と共に農業をやりたい」と、故郷に帰ってきたのです。                                                                         Tさんの農業への思いが、 子ども達に伝わったのです。

人は暗い所よりも、明るい所に集まるものです。心を明るくして、 希望を持って、明るく未来に向って働く両親の姿が、輝いて見えたのです。自分の仕事をこよなく愛し、 将来に大きな希望を抱いた時、周りに人が集まってくるのです。                                                                                                                                                                                                        

 

742 【心と体の健康情報】                                                                                       ~幸せな人生~  「天命(天職) を知る(2)」

大学は出たけれど…就職難の今の時代、どんな仕事が自分に向いているのか?
天職を見つけられないまま、好きでもない仕事に精を出す…
辞めても、再就職が難しい。10人中7人までが、今のに不満を持ち、 きっかけがあれば転職したいと思っている
 
「理念と経営・この人この言葉」で、日清食品創業者・ 安藤百福氏が天命” ついて、 以下分かりやすく語っている。
 
「明確な目標を定めたあとは、執念だ。 
  ヒラメキも執念から生まれる。
  その気になれば、一日で一ヶ月分の仕事ができる」
 
目標を定めてから、決意に到達するまでの間… 迷いをふっきるまでの行程が難しい。
人は誰でも多くの可能性を秘めている…それを、一つの方向に絞りきるまでは、 右往左往の思案投げ首を、 いかさまも経験しなかった人は少なくなかろう。
いかに謙虚な性格であっても、自分の将来を左右するであろう、 いくつもの灯火が心に思い浮かぶのを、避けることはできない。
 
あれもこれも「やってやれないことはない」と、 ふところ勘定したくなのは、人間である以上当然の成り行きであろう。
あれこれ勘案するうち、心を落ち着けて検討し、 自分には向いていない筋を数えあげることは、たやすいことだ。
 
しかし、多くの人はそこで立ち止まり、あれもこれも手を出そうと試みては、 多岐亡羊嘆に暮れる。しかしそこで、己にふさわしくないものは、 思いきて見切りをつけることだ。
 
自分に適しない仕事を、選択肢から勇断を以って削り去っていき、 最後に残ったものを、道標に即して一歩踏み出す時が、自分に与えられた天命(天職)なのである。
 
おぼろげに、漠然と夢見てはいけない。一旦目標を定めたら、 その後は脇見をないことである。自分にはこれしかないと思い定めたら、 方向を明確に限定しなければ、前途は開けない。
その時の”執念”は、人の秘める能力を、 何倍も規模に膨らませるのです。
 
目的が明確であればあるほど、工夫の手立てがおのずから浮かびあがってくる。
不可能を可能にするのは、灼熱に燃えた意欲である。
「成功者の多くは、 前途の難関を執念で打開していく
”根性者”である」
*****
とは言え、希望する職種はおろか、希望とは遠い職種に妥協しようにも、 就職門戸は狭く、 卒業を目前にして、 なお面接に走り回る学生たち天職を求めるなど、夢のまた夢… 人生のスタートラインつまづいている学生を見て… 「子ども手当て」より、「学生をなんとかしてほしい」と、 国に訴えたくなるのは、私だけだろうか?
 

2010年02月22日

李氏朝鮮五百年・3代太宗まで

■「威興差使(ハムフンチャサ)
 
李朝を創建した李成桂、息子たちの醜い争いに嫌気をさし、威興に隠居してしまった。
抗争の末に太宗となった五男の芳遠(バンウォン)は、親孝行を国民に印象付けるため、父を都に戻そうとし、幾度も”差使(勅使)” 使わしたが、太祖は固く拒んだ。
使わされた差使は皆、太祖に殺されてしてしまった…五男・太宗への憎悪の念が、それほどに強かったのです。
それ以降韓国では、「家出して再び戻らない人」を指して、「威興差使」と言うようになった。この言葉、 今日でも日常用語に使われているのです。
 
李朝には、庶民の請願や上訴を受ける役所がある。解決困難な時は、王城の外に設置した内楼に太鼓が掛けてあって、 訴訟を訴える者がこの太鼓を鳴らすと、国王が直々その訴えを聞き、事を処理した…過去に汚点を抱える太宗の発案で設けられたのです。
後世の史家は、その事をもって名君と記しているが、兄弟を虐殺した史実には口をつぐんだままである。
                        崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」
 
741 【吉村外喜雄のなんだかんだ】 
~歴史から学ぶ~ 
「李氏朝鮮五百年・3代太宗まで」
 
韓国の歴史…血で血を洗うし烈な権力抗争を繰り返し、権力の手に入れると、 暴虐の限りを尽くし、 法は権力者によって好き勝手に用いられた。 権力の座を奪い合う韓国の歴史は、凄惨を極めた。 民衆搾取の対象でく、 韓国の歴史を知れば知るほど、 おぞましい過去が浮かび上がってくるです。
 
国盗りに成功した李成桂…中国の醜く腐敗した政治文化を模倣して、 国造ため、創建当初から、血で血を洗う骨肉の争いを繰り返すことになった。
 
李氏朝鮮は、現在の北朝鮮に驚くほど似ている。 旧ソ連や中国の社会主義権力者は、美しい建て前で権力を正当化してきた…その陰に隠れて、 一族一派が私利私欲に走り、勝手放題をやった。
 
現在の北朝鮮は、そのような体質を受継いだ、最もおぞましい国だろう。 鎖国・攘夷政策を徹底…多くの民衆が飢餓に苦しみ、 国境を越える危険を冒して食糧を求める。
逮捕されれば、大衆の前で処刑され、李朝時代の身分制度はそのまま、民衆に人権はなく、居住・ 転居の自由も、旅行を楽しむ自由もない。 社会主義の衣をまとった李氏朝鮮そのものなのです。
 
李朝を創建した李成桂には八人の王子がいた。最初、忠臣たちに諮って、 七番目の子バンボン世継に決めたが、 舌も乾かぬうちに、末子のバンソクを世子に改めた…この決定を巡って、王子たちの間でし烈な内紛が生じたのです。
 
不満が爆発した五番目の子バンウォンは、偽りのデマを流して、 政権の中枢にた建国の功労者たちを一挙に殺害。世子のバンソクを勝手に廃位・殺害してしまう。
太祖が、後継者に決めた最愛の末子を、その家族と共に実兄が惨殺したのです。
 
太祖・成桂は、こうした事態に嫌気をさし、 1398年王位を二番目の子バンクアにって、故郷に隠居してしまった。
バンクアは”定宗”と号し、二代目の王に即位した。
不満やるかたないバンウォンは、またも策略を講じ、定宗や他の王子をしりぞけて”太宗”と号し、 李朝三代王に即位した。
 
李成桂の長男”バンウ”は、兄弟の醜い権力抗争を逃れ、世俗を捨て、 山寺に隠匿。七番目のバンボンも殺害されたため、残る四人の王子達は、誰一人王位求めようとしなくなった。
 
今の北朝鮮も又、不可解なことだらけ…1994年の金日成の急死は、 金正日による暗殺説が今もって消えず、金正日の後継者も、当初は長男”正男”氏だったが、後継争いに敗れ、現在国外にいる。次いで、次男”正哲”氏が候補に上ったが、現在三男”正雲”氏が有力視されている。 3代にわたる世襲を正当化するための下地づくりに忙しいようです。
 
韓国歴史大河ドラマ「大王世宗」は、三代目”太宗”と、その世子”世宗”を巡るドラマだが、 王位と権力の座を巡る陰謀策略が、視聴者を引き付けて離さない。                                 
 
               崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」

2010年02月18日

吉田松陰の”天命”

■坂本竜馬が残した人生訓
 
「善く問いを待つ者は、鐘を撞くが如し」
「善い教師とは、生徒にとっては、鐘のようなものである」
この言葉、西郷隆盛を評した言葉として伝えられている。
 
男児志をたてて郷関を出づ 学もし成らずんば 
  死すともかへらず
坂本竜馬、数えで19歳の時、剣術修行のため、藩からいとまごいを許され、 土佐から江戸へ旅立つ時に、詠んだものです。
この江戸行きが、 幕末の快男児の活躍の始まりになる。
 
「世の人は、我を何とも言わば言え。
  我が成すことは我のみぞ知る」
「世間の人は、言いたければ、自分の事を思う存分に言えば良い。
  だが、自分のやりたいことは、自分のみが知っている」
 
740 【心と体の健康情報】 
~幸せな人生~ 「吉田松陰の”天命”」
 
嘉永7年(1854)、下田の浜で海外渡航をこころみようと、
今まさに小船を漕ぎ出そうとしている吉田松陰…
 
松陰「坂本君…この海の向こうに何があるか…
         知りとうはないか…僕は知りたい。
         この目で見とうてたまらんのじや! 
         今、そこに黒船が来ちょるんぞ…
         黒船に乗りァ~ アメリカに行けるんじゃ…
         日本よりはるかに進んだ文明の国へ…
         そのような絶好の機会を目の前にして、
         指をくわえて見とれッちゅんか!
 
竜馬『密航が見つかれば、先生は死罪です…
         二度と日本には戻って来られません』
 
松陰「それがなんじゃ! いや…失敗するかもしれん…
     黒船に行く前に囚われるかもしれん…
    乗船を拒まれるかもしれん…それでえェんちゃ!
    なんもせんでおるより…
         その方が何千倍、何万倍も値打ちがある…
    僕は死など怖おうない! 
         そげェなことより、行きたいちゅう気持ちの方が、
         はるかに強いんじゃ…
     坂本君…君が本当に異国に興味があるんなら…
         きっと僕と同じことをするはずじゃ…
         じゃが、君はそれをせん…なぜじゃ? 殺されるからか?
     日本に帰れんからか? 別れが辛いからか?
    そんなものはなァ…すべて言い訳じゃァ! 
         見ろ! 僕には言い訳など何もない
         どんな運命が待っちょろうが…後悔せん! 
         僕が今やるべきことは、黒船に乗り込んで、
         アメリカに行くことじゃァ! アメリカへ行くぞ…」
 
竜馬『待ってつかわさい…待ってつかわさい…松陰先生…
     わしも、わしも…
         一緒に連れていってもらいませんでしょうか…』
松陰「なにィ!」
竜馬『今の先生の話を聞いて、わしは…
         自分がなんちゅう細んまいことで悩んじょったか…
         自分が恥ずかしゅうなりました。
    役に立つとか、立たんとか…
    そんなことはどうでもえェちャ…
    わしも、先生のような生き方がしてみたいがです」
 
松陰「バカたれ! 黒船に乗り込んでアメリカに行くんは、
         僕のやるべきことであって、君ではない!  
         君はなにものじゃ! 
    なんの為に、この天の元に生きておる!                 
         君がやるべきことは…なんなんじゃ! 考えるのじゃ! 
         己の心を見ろ!  そこにはもう…答えはあるはずじゃ!」
   「行くぞ!」
松陰は、沖に停泊する黒船に向かって、浜から小船を押し出し、漕いでいった…。   
ペリー艦隊の遠征記録には、 「こうした日本人の気質を見ると、この興味深い国の前途は、 なんと有望であることか…」と、松陰の情熱を書いている。
 
                        NHK大河ドラマ「龍馬伝」より

2010年02月16日

国盗りに成功した李成桂

■李朝時代の女性の地位
 
李朝鮮時代の女性は、一生を男性に奉仕する奴隷のごとく扱われ、人権は
無視された。
嫁いだ女性は、家系を継ぐ男児を産むことが最大の役割とされ、婚家から外へ
出ることは許されず、他の男性を見つめることも、話すことも固く禁じられた。
 
もし、妻の手が他の男に触れたりしたら、その男に非があっても、妻の腕を切断
され、婚家から追放された。言い分を聞くこともなく、死罪にされることもあった。
娘の不始末に、実家は名誉を守ろうと賜薬を与え、自殺を強要した。
 
夫が、妾を一つ屋根の下に住まわせても、嫉妬はならず、離縁されても生涯守
節を強いられた。夫に先立たれても自由の身にはなれず、一生を婚家に捧げ
ることを強要された。
男性は、科挙合格を目指し勉強したが、女性は、男に仕える道徳観を教え込ま
れる以外に、教育の機会が与えられることはなかった。
李朝時代の女性に人格はなく、夫が罪に問われると、子と共に囚われ、処刑さ
れた。韓国の時代劇にこのシーンが出てくると、哀れで正視できなくなる。
 
                       崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」
 
739 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~ 
「国盗りに成功した李成桂」
 
「龍の涙」「大王世宋」「イ・サン」など、李朝時代の韓流ドラマ…一度見たら止められなくなる。
ドラマをより深く楽しむには、韓国の時代背景・歴史を知っておくといい。
そこで休日、玉川図書館に出かけ、韓国歴史書を数冊借りて読んだ。
 
以下は、崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」から…李成桂が”李朝”創建に到る顛末を抜き出したものです。
元朝末期、「紅巾の乱(1351~66)」で知られる紅巾賊が、1359年と61年の二回”高麗”に攻め込んできた。
高麗軍は反撃して紅巾軍を壊滅、敗走させた。
この紅巾賊、その7年後の1368年、蒙古族の元朝を倒して、明朝を創建する。
 
紅巾賊が二度目に侵入してきた時、当時27歳の”李成桂”が、高麗軍の先鋒二千の兵を指揮して果敢に戦い、十万の紅巾軍を打ち破って、高麗の首都開京を奪還した。この軍功で李成桂は、その勇名を全国に轟かせた。
 
1388年高麗は、かっての韓国領・遼東半島を奪還しようと、中国が政変で混乱しているのに乗じて、出兵した。進軍の途中、李成桂は左軍の将軍チョ・ミンスと共謀して、にわかに高麗に反旗をひるがえし、回軍して首都へ戻った。(明智光秀の天王寺の変に似ている)
 
都に戻るや、李成桂は上官の将軍を逮捕・殺害、クーデターに成功した。権力を掌握すると、高麗朝32代の”?(う)王”に退位を強いて”昌王”を立てた。
まもなく昌王を廃位し、34代”恭譲王”に取り換える。
 
その後、共謀した左軍将軍を故郷へ配流し、忠臣たちを容赦なく殺してしまった。
(その顛末は、韓国ドラマ「龍の涙」で語られているが、ロシア革命のスターリンが浮かぶ)
1392年恭譲王を追放、自ら王位に就き、王氏一族を生きたまま海に葬り、みな殺しにして祖国高麗を滅亡させ…国を盗み取ることに成功したのです。
 
1393年、明国から「朝鮮」という国号を貰い…改称。かっての韓国領、遼東半島奪回の絶好の機会を失ったうえ、20世紀初頭、日本に併合されるまで、韓族は中国の属国になり下がり、萎縮の道を歩むことになった。
 
李朝を創建した李成桂は、国都を開京(現在の開城)から、漢陽(ソウル)に移し、同時に、旧高麗朝の官僚を大量に虐殺して粛清…没収した領地を、配下の功績者に分配した。
 
李朝創建を後押しした明を、宗主国と仰ぎ、それまでの国教”仏教”を廃して、中国に習い”儒教”を国教と定め、「崇儒排仏」を建国の理念とした…
民族の自立を放棄し、明に従属することで、李政権の安泰を図ったのです。
(国の安全保障をアメリカに委ね、米国52番目の州と揶揄される、現在の日本もそうかな?)
 

2010年02月12日

脳の栄養を考えた食事を…

■食生活と健康
 
食べ物は生命の源です。食べ物から、体に必要ないろいろな
成分が作られます。
私の両親の頃は、ご飯に味噌汁、煮魚、漬物といった和食中心の
食生活でした。私の世代は、そうした和食に、牛肉、ハム・ソーセージ、
卵、牛乳などの洋食が、食卓をにぎわすようになりました。
 
今の若い世代は、コンビニ弁当や出来合いのお惣菜、外食で済ませ
てしまいがちです…野菜が不足し、ビタミンの摂取が減って、栄養バ
ランスを崩してしまう。
 
今の私たちの健康は、30~40年前の食習慣が色濃く影響している。
日本人の平均寿命が世界一なのは、和食中心世代が長生きしている
からです。
戦後に生まれ、洋風の食事に慣れ親しんだ若い世代は、メタボなど、
何らかの生活習慣病に悩まされるようになった。生活習慣病の年代が、
小中学生にまで及んでいるのです。
 
昨年、日本人の平均寿命が初めて下降した。この先、今までのように
長寿国でいられなくなるかも…
 
738 【心と体の健康情報】 
~食と健康~ 「脳の栄養を考えた食事を…」
 
脳のエネルギーの元となるのは「ブドウ糖」…脳の栄養になるのはブドウ糖だけです。脳が活発に活動している時は、脳がブドウ糖を大量に取り込んでいる時です。
 
うつ病などで、気分が落ち込んでいる時は、ブドウ糖の取り込みが減り、脳の活動が低下します。逆に頭を使って何かをしている時は、脳は活発に働き、ブドウ糖をたくさん使います。
 
最近の日本人の糖分摂取量は、30年前の半分くらいに減っているという。
なのに、糖尿病患者は増えている。糖分が不足しても、脳はブドウ糖を必要とするので、体のほかの部分にブドウ糖が行き渡りません。
 
すると、体内でインスリンを出しても十分に働らかず、血中のブドウ糖が増えたままの状態になります。
これが糖尿病になる原因です。摂取カロリーを抑えようと食事を抑えると、かえって糖尿病になるのです。
 
うつ病の治療に使われる「セロトニン」…この薬の原料は、マグロやカツオ、豚の赤身などに多く含まれる、アミノ酸です。
ダイエットのためと、野菜や果物しか摂らないと「セロトニン」が不足して、うつ症状になる人が増えるのです。
 
健康に悪いと、やり玉に挙げられるものに「コレステロール」があります。しかし、「ガン」や「呼吸器疾患」「アルツハイマー病」は、血中コレステロールの多い人は、なりにくいのです。
脳は脂肪が多いので、ある程度の量のコレステロールがないと、脳は働きません。
 
いつまでもボケずに、健康でありたいと願うなら、脳の栄養を考えた食事をとるようにします。毎日「何を食べるか」ということは、「どう生きたいか」ということに深く関わってきます。体の健康だけでなく、その人の生き方と深くつながってくるのです。
浜松医科大学名誉教授 高田明和「食と健康」より
 

2010年02月09日

蒙古来襲が7年早かったら?

■「むごい」という言葉の語源
 
蒙古は他国へ侵略する時、まず国王に書簡を送り、国王自らの入朝をうながす。
世子を人質に要求し、馬二千頭など貢物の供出を強要。戸籍の調査、軍役の
負担などを要求してくる。要求に従えば、蒙古の属国として臣下の礼をとらせ、
更に過大な要求を突きつけてくる。
 
要求を拒否したら、軍事力でもって侵略・殺戮…力でもって屈服させる。
侵略の際、無抵抗で降伏すれば、貢物を献納させて生命を許す。
頑強に抵抗するようなら、徹底的に破壊して、住民を一人残らず殺戮する。
 
あまりの残虐性から、”蒙古”がなまって”ムゴコ”…「むごい」という言葉が
生まれた。
城市を攻める時、付近の住民を徴用して、攻城のための土木作業に使役し、
捕虜を最前線に押し立てて、逃げようとする者は容赦なく殺戮した。
攻城には投石機を使い、投げ槍・火矢を打ち込み、撞壁車(ドウへキシャ)で、
障壁を衝き砕いて突入した…
 
16世紀、オスマントルコが、東ローマ帝国の都、コンスタンテノーブルを攻略
する時も、同様の攻め方をしたが、当時ヨーロッパで開発された大砲が城壁
を破壊…守兵に精神的ダメージを与え、攻城に威力を発揮した。
 
737 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~
「蒙古来襲が7年早かったら?」
 
第5代世祖フビライ汗は、第2代太宗オゴタイ汗から、30年間に及んだ高麗侵攻を成功させ、1275年南宋を滅ぼすとともに、蒙古に屈服した高麗を、属国として巧みに懐柔…蒙古の野望達成に、高麗を最大限利用した。
 
二度の元寇の時も、日本遠征のための兵力と艦船の供出、食糧などの補給基地、東征の前進基地設置などの任務を、高麗に命じた。
 
1271年”元”が創建。第一次日本遠征(文永の役)は3年後の74年、元・高麗連合軍4万、戦艦9百隻をもって、南宋攻撃と同時並行で行われた…が失敗。
その後計画を変更し、高麗軍と共に南宋攻撃に全力を投入…南宋を滅亡させた。
 
第二次日本遠征(弘安の役)は、1281年東路軍(元・高麗軍)及び、江南軍(蛮軍・元に降伏した南宋の兵)の計14万2千名、戦艦4千4百隻をもって行われた。
元にとって…元寇は、世界制覇の通過点にすぎない…が、日本とっては、国家の存亡に係わる一大事となった。
 
当時、高麗軍の一部が、モンゴル侵略に徹底抗戦を唱え、王族の一人を王に推し立て、開京(ソウル)沖の江華島に篭って、モンゴルと高麗軍を相手に戦った。
モンゴルは、1266年日本遠征を企てるも、朝鮮海峡の制海権が、抵抗軍側に握られていて、動けなかった。
 
モンゴル・高麗連合軍は、抵抗軍を鎮圧し、日本遠征の弊害を取り除くのに7年を要した…日本遠征延期を余儀なくされたのです。
更にモンゴルは、日本遠征に準備した軍隊を、抵抗軍の鎮圧に差し向けたことで、多くの兵員、艦船を失い、膨大な損失をこうむった。
 
もしも、一回目の東征が7年前、当初の計画通り滞りなく行われ、更に神風が吹かなかったら…準備不足の日本は、圧倒的戦力に制圧され、婦女や働き盛りの男は、奴隷として中国に連れ去られ、寺社仏閣は焼き払われ、住民は服従を強いられて、虐げられた歴史を刻んだことだろう。
 
日本の歴史に、大きな屈辱・汚点を残したかもしれない元寇。
朝鮮で、モンゴル軍が足止めを食ったことで、日本に迎撃する時間的余裕が生まれ、救われたのです。
 

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