2020年05月30日

自転車事故

■危険な体験

金沢の町並みは道巾が狭く、交通量が多い。
やむなく、巾1㍍の狭い歩道を自転車で通る。

そこで私は、一つ間違えれば交通事故に
巻き込まれたかもしれない、怖い体験をした。

歩道を走行中、前から来た歩行者を避よよう
と、左足を車道側に下ろした。
ところが歩道が車道より15㌢高く、段差で
足が地面につかない。

自転車が車道に倒れ込んで、投げ出されて
しまったのです・・運が悪ければ走ってきた
車に轢かれ、命に係わる事故になっていた
かも・・
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1817 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
「自転車事故」

5年前の2016年7月、当時自民党幹事長の要職に
あった谷垣禎一氏が、趣味のサイクリング中に転倒し、
頭部損傷で入院したことは記憶に新しい。

その後療養していたが政界を引退。次期総裁候補に
挙げられていただけに、惜しい人材を失うことになった。

ヘルメットを着用しないで、自転車の後ろに子供を乗せ、
車道の脇を走るお母さんを時折見かけるが、危険このうえ
ない。
交通事故分析センターによる、自転車死亡事故の原因は、
頭部への損傷が64%と最も多い。
ヘルメットを着用していれば、死者は25%減らせるとい
う。
自転車に乗るとき、事故から身体を守るためにヘルメット
を着用する。ブレーキやチェーンなどに不具合はないか、
自転車店で定期点検を受ける。

タイヤの空気圧や摩耗状態、ライトなども点検する。
青信号を守り、交差点での一旦停止など、交通ルールを
守る。
道路交通法では、13歳未満の子どもが自転車に乗るとき、
.ヘルメットをかぶることを保護者に課している。
尚、13歳未満であれば、歩道を自転車で通ることができ
ます。

2020年05月26日

金沢城・鼠多門復元/姿を現す

1816 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「金沢城・鼠多門復元/姿を現す」

石川県が復元整備中の金沢城・鼠多門と鼠多門橋・・
覆っていた囲いが撤去され、明治初期に焼失して以来の
威容が、姿を現した・・ 
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尾山神社から鼠多門橋を渡り、鼠多門をくぐって金沢城
玉泉院丸庭園に入り、二の丸、三の丸から石川門、兼六園
に向かう、新しい観光ルートが誕生しました。

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鼠多門は、左右の石垣に挟まれた3㍍の門扉の上に、
木造2階建ての櫓がある。櫓は幅22㍍、高さ9㍍、延床
面積324平方㍍。なまこ壁に黒漆喰塗りが特徴です。

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金沢城は、明治以降陸軍が使用してきたが、戦後は平成
7年まで金沢大学のキャンバスになっていた。
平成13年、都市公園として整備され、市民に解放される
ことになった。

三の丸と二の丸広場に「菱櫓」と「河北門」、旧県庁舎裏
には「いもり堀」「玉泉院丸庭園」などの城郭施設の復元
が進められ、平成27年から「鼠多門」と「鼠多門橋」の
復元工事が行われてきた。

平成7年以降15年に渡り、江戸後期の城郭を基に、
歴史的建造物が、往時のままに次々と復元されてきた。

そうして、金沢城は加賀百万石金沢のシンボルとして、
また、歴史を偲ぶ公園として、観光客が大勢金沢を訪れる
観光スポットに生まれ変わった。

現在、新形コロナの影響で兼六園は閉園中。
金沢に観光客が戻ってくることを心待ちにしている私で
す。

2020年05月24日

TV大河ドラマにはまった私

■塩野七生/お薦めの3冊

「コンスタンティノーブルの陥落」
「ロードス島攻防記」
「十字軍物語」

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1815 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「TV大河ドラマにはまった私」

この数か月自宅待機を強いられる中、退屈しのぎに
見始めたテレビの大河ドラマに今ハマっている。

BS日テレ週5日放映の「韓国・大王世宗」、
日曜朝の「太平記」、夜の「麒麟がくる
そして毎週月~金曜の午後BS朝日で放映中の
オスマン帝国外伝/愛と欲望のハレム~シーズン3~」

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物語は16世紀、コンスタンティノーブル(現イテタンブール)
宮殿を舞台に、宮廷の女たちが大奥の権力の座を巡り、
熾烈な闘争を繰り広げる歴史ドラマです。

戦国歴史裳の歴史小説が大好きな私・・
毎日の放映が待ち遠しくなるほど面白い。

コンスタンティノーブルを陥落させ、巨大な帝国を築いて
西進を目指すオスマン・トルコ。
ハンガリーからモロッコまで、地中海を囲い込んだ大国
オスマン帝国は、欧米キリスト教列強と覇権を争っていた。

46年間に渡り帝国を最盛期に導き統治した、第10代皇帝
スレイマン。1522年、スレイマンは、帝国の喉元のトゲ、
聖ヨハネ騎士団が領有する、ロードス島攻略を開始する。

当時を時代背景に、史実を交えたドラマ展開が面白さを
倍加する。世界90カ国で139話放映、8億人が視聴す
る大ヒットドラマです。

日本では放映開始後、現在シーズン3の佳境に入って
いて、見逃せない。
韓流ドラマの聖地巡りを終えた女性たちが、次に旅立つ
目的地は、トプカプ宮殿やボスポラス海峡かもしれない。 

                                                           日経新聞

2020年05月20日

延命治療を考える(5)

1814 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「延命治療を考える(5)」

「私の本当の病気は何なんですか?」
医師はうろたえ、聞こえなかった振りをして話題を変えた。
患者は悲しそうな目で医師を見つめ、まぶたを閉じた。

3日後、末期ガンの告知がなされないまま、患者は家族に
見守られ、静かに旅立った。患者自身は病名も、あと数日
の寿命であることも知らされなかった。

これが尊厳死と言えるのか? 本当に尊厳を守ったと言える
のか。嘘の励ましを受け、偽りの希望にすがて、残り少ない
時間を辛い治療に耐えてきた患者。

苦痛緩和になるからと、いきなり鎮静剤で眠らされ、
亡くなっていく。いったい誰の人生なのか?
真実を知っていたら、違った人生を選べたのでは・・

1秒でも命を延ばすために人工呼吸を行い、強心剤を打ち
ながら心臓を押し動かす。患者の体はチューブだらけ・・
挿菅の際についた傷で歯茎から出血している。

外に出されていた家族が呼び戻され、臨終に立ち会い、
遺体にとりすがって号泣する。あの壮絶な蘇生術は何だった
のか?
「精一杯やった」という医者の自己満足のためではなかった
か・・
安らぎの世界に入ろうとする患者を強引に引き留め、
愛する
家族との別れの時間を奪う非人間的な行為では
なかった
か?
人は本来、一個人として大切にされながら、穏やかに旅立た
せるべきではないのか・・

                                       読売新聞「時代の証言者/緩和ケア医・山崎章郎」

2020年05月16日

延命治療を考える(4)

1813 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「延命治療を考える(4)」

妻の父親、85歳のとき自宅で倒れた。
驚いた家族は119番して、救急車で県立病院の救命救急
センターに運び込ま
れた。一命はとりとめたが意識が戻らな
い。
人工呼吸器をあてがい、鼻からチューブで栄養を入れた。

1週間後『喉を切開して人工呼吸器を装着します。
呼吸器
は二度と外せなくなるが、これは延命治療ではあり
ません』と説明され、家族は同意書にサインした。

事前に本人の意思が確認されないまま、救急車で救急
救命センターに運び込まれた。直ぐに延命治療が施され、
人工的に生命を維持する
措置がなされた。
救急搬送された患者に対する一般的な流れです。

本人の思いは「最後は家族に囲まれて、穏やかに死にたい」
それまで自由きままに生きてきただけに、延命につながる治療
は絶対望まないだろう。

家族は医師から『回復の見込みはない』と言われた・・
そうなら、苦しい時間を過ごさせずに看取ってやりたい。
そんな思いに逆らうように、
一度装着した呼吸器は取り外せない・・

故意に外せば殺人になる。
米国では、本人が望むとは思えない延命治療は、
「患者の尊厳を損ねる」の考えから、続けるケースは少ない。

万が一に備えて、家族が担当医にきちんと説明できるもの
があれば、不本意な最期になることが避けられた・・
との思いから、私たち夫婦は「尊厳死協会の会員」になった。

2020年05月13日

幸せな人生 「延命治療を考える(3)」

1812 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「延命治療を考える(3)」

人生の終
末を迎える時、「延命治療を施さずに、緩和に
重点を置いた医療であってほしい」と強く願うようになった。
そして4年前、私と妻は「尊厳死協会」の会員になった。

                         
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きっかけは母の死。
自然に衰え、枯れるように寿命が尽きて死ねたなら・・
と思うようになった。
病気一つしたことのない母が、80歳の時ガンを患い、
余命半年を告げられた。

母の寿命があとひと月も持たない
という時、医師から延命
措置の問いかけに、私の兄弟は一日でも長く生き永らえる
ことを願い、承諾した。

「母の寿命はもう見えている・・延命をすることの意味が
  分からない」と私は言いたかった。
結局、兄弟の願い通りに胃ろうが始まった。

「なんでこんな無駄な治療をするんだろう」と私は思った。
「1日でも永く」と願う兄弟を押し切って、「延命治療を
   しないで」とは言えなかった。

一日でも永く生きていてほしい・・本人は果たしてどうなん
だろう・・母はたぶん「やめて!」って言うと思うんです。

死を迎える時どうありたいのか?
家族が両親の”死に際”の問題に触れたくないのは分かり
ます。ですが、元気なうち
に夫や妻、子供たち家族と話し
合っておく必要があるの
です。

2020年05月09日

幸せな人生 「延命治療を考える(2)」

1811 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「延命治療を考える(2)」

つい最近まで、患者への癌の告知はタブーでした。
”絶望”して命を縮めてしまうのでは・・と。
本人に癌を
伏せておく
のが、医療現場や世間の常識でした。

当時は、回復不能の状態で癌が見つかることが多く、
「癌=死」のイメージが強かったのです。

病気をしたことのない母が
80歳の時、慢性的腰痛に悩み、
総合病院で診てもらったところ、すい臓癌が見つかった。
医師は本人には告げず、家族の私に「余命半年」を告げた。

進行癌の患者には、胃潰瘍とか肺炎といった、嘘の病名が
告げられた。治すためではなく、命を少しでも先に延ばす
ための治療を行うのが一般的だった。

母に抗がん剤が処方された。効果が認められないからと、
薬を変えて
二度処方した・・母は副作用に苦しんだ。
「必ず治るから頑張って」という、医師の嘘の励ましを信じ、
苦痛に耐えたのです。

そのうちに気づいたのでしょう・・「少しも良くならない」と
医師や家族は「大丈夫」とはくらかす。
自分は癌ではないのか? この先どうなるのか?
不安と疑心暗鬼の中で、精神を荒廃させていったようです。

医師は「治る」と言い続けたため、母の衰弱が進んでも、
治療のレベルを下げることができなかった。
母のお腹に水がたまり、弱った脚はぱんぱんにむくんだ。
「さすって・・」とせがむ脚に血が通わず、冷たかった。

終末期を迎えても、母の意思とは無関係に過剰治療が
続けられた。苛烈な”蘇生治療”を経て最後を迎えた。.

医師の予告通り、半年後に母は逝った。
入院して3カ月経過した頃、100%回復の見込のない母
に、 何故医師は抗がん剤の服用を勧めたのか?
母は癌の新薬を試すモルモットになったのでは・・と疑った?
.
死の直前に尚、執拗に延命処置を施したのは何故か?
医学の力で無理やり、旅立とうとする命を引き延ばす
こと
が、果たして良いことなのか。
終末期に母に施された延命治療・・私は絶対お断りです。

2020年05月06日

延命治療を考える

4年前、私たち夫婦は人生の終わりを迎える
とき、穏やかに自然の摂理に沿って死にたいと、
「尊厳死協会」に入会し、会員になりました。

そこで、今回から6回にわたり「終末医療」の
在り方について連載することにします。



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0 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「延命治療を考える」

以下、テレビ朝日・朝の連続ドラマ「やすらぎの刻・道」
から・・私(主人公)と院長の、延命治療のやりとりです。

院長「向井さんはパーキンソン病で、それに老衰が加わっ  
       て、3日ほど前に意識を無くしたんです。 
       私としてはこのまま静かに息を引き取るのをお待ち
      
するのが最善の策と考えました。 

      ところが、全く音信のなかったお嬢さんが見えまして  
    ”何とか少しでも命をつないでほしい”と 言い出したの 
      です・・つまり”胃ろう”による治療です。
      腹部に小さな穴を開けてカテーテルを通し、そこから
      栄養を送り込む方法です。 

      確かにそれをすれば、物理的に延命することは可能 
      です。しかし、ご本人に意識はありませんし、良くなる 
      可能性も全くありません。 
      しかも、それをしてほしいと言う娘さんは、私の病院に 
      任せっぱなしで、看病をしようとする気配もありません。
      ただ生かせられるなら、生かしておいてやりたいと感情 
      的に言われるばかりです 」

私『その・・”胃ろう”をしなかったらどうなるのです?』

院長「ご家族が望まれるのに、胃ろうをしなくて亡くな
ったら
     ”不作為の殺人”として病院が刑法で罰せ
られることに  
     なります。
     刑法218条と219条です・・明治時代に作られた
     法律です。
     最近の医学の進歩で、医学的に人命を生かしておく
     方法がこんなにも多様に開発されてくると、果たして
     本当にそれでいいのか・・?
     周囲はともかく患者本人にとって、それは果たして望ま 
    
しいやり方なのか?  そういう疑問を私は持つ
ようになり
    
した 」

私『私は嫌ですね・・植物状態になって、意識が無くなって
     いるというのに、自分の体を人目にさらして生かされ
るな
    
んて・・嫌ですね 』


院長「でも、ご家族に頼まれた以上、医者は逆らえないん
        ですよ 」

2020年05月02日

スマートフォン依存症

■スマートフォン依存度チェック

□ ネットを利用していない時でも
    ネットのことを考えてしまう

□ 長時間ネットに費やすようになり、
     ネット利用頻度をコントロールしようと
     するが、うまくいかない

□ スマホが手元にないと落ち着かず、
     いらいらする

□ 家族や友人と過ごす時間が少なくなり、
     勉強や家事の時間が
減少する

□ やらなければならないことがあるのに、 
     その先に、メールやSNSをチェックする

□ スマホがないと退屈で、スマホを忘れると
不安になる



1809 【吉村外雄のなんだかんだ】
「スマートフォン依存症」

休校中の子どもたち・・一日家でゴロゴロして、スマホを
手にゲームに熱中・・注意をしてもゲームをなかなか
やめられない孫。見ているとイライラして、ストレスが
溜まってくる。
休校が続いて生活が乱れ、1日6時間もスマホを離さない
子、昼夜が逆転してしまった子もいる。食事も不規則なり、
運動不足も心配です。

昨年秋のこと・・孫2人とサイクリングを楽しんだ帰り、
鶴来から、自転車乗り入れOKの北鉄石川総線の電車に
乗った。
途中の駅で高校生が十数人乗り込んできて、空いている
席に並んで座った。

ほどなく、車内が妙に静まり返っていることに気づいた。
メールする者、ゲームを楽しむ者、目をつむって音楽を聴く
者・・全員スマホを手にしている!
見回すと、隣の席の友達と会話を楽しむ生徒は皆無。
静まり返った車内が何とも異様だった。

老いも若きもスマートフォンを愛用し、必需品として携行
するようになった。結果、人と会話をすることを苦手とし、
人と交わることを嫌う若者が増えてくる。

子供たちは、学校から帰ると一人部屋に閉じこもり、
何時間もゲームに熱中する。
国民総”スマートフォン依存症”に陥っている・・

かって大きな会場で、趣味を共にする人たちが一緒に聴き
入った音楽鑑賞の世界も、自室の高性能オーディオとか
ヘッドフォンで、独り楽しむことの方が多くなった。

携帯やゲーム器が「孤立化」「個人化」を促進する。
友人との交わりを好まず、四季の移り変わりに目がいかず、
自然を愛することに不感症になっていく。

他人に自分の意志を伝えることが不得手な若者が増え、
一人では何もできず、集団でいじめに走り、あげくは
ストーカー行為が社会を騒がせる。

2020年04月29日

懐かしの金沢の市電

1808 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「懐かしの金沢の市電」


金沢の中心商店街・香林坊(石浦町)に生れ育った私。
当時、自宅前の国道に路面電車が走っていた。

朝5時過ぎ、1番電車がキーキーゴトンと車輪をきしませ
通り過ぎる音で一度目が覚め、またトロトロ眠り、7時に
起床する毎日でした。
                            miyasan320 (2)

当時、香林坊交差点の真ん中に、丸いトーチカのような
進路切り替え所が設けられ、その中に人が入って、広阪
から兼六園下方面に向かう電車のポイントの切り替えを
行っていた。
              20debesso

夏、トーチカの中は、アスファルトの照り返しで蒸しかえ
った。クーラーのなかった時代です・・氷柱と扇風機で
暑さを凌いでいた。
交差点の信号が停電や故障の時は、おまわりさんが
トーチカの上に立ち、手信号で笛吹いて交通整理をして
いたのを記憶している。

私が高校に通っている頃、最新モデルの電車が市内を走っ
た。これまでの電車とは違い、揺れも少なくキーキーゴト
ンの走行音も静かだった。

昭和40年代に入ると、円光寺、粟ヶ崎などに郊外型住宅
団地が出来始めた。それと共に自家用車の普及が進み、
市内は交通渋滞に悩まされるようになり、狭い道路を占領
する市電は、度重なる雪害もあって、邪魔者扱いされるよ
うになった。
             C2102m (3)

長年金沢市民の足として利用されてきたが、
昭和40年6月、兼六園下から小立野台への通称尻垂坂
で、 電車が暴走脱線するという、前代未聞の事故が発生
した。
この事故が、廃線決定の引き金になったと言われている。

そして昭和42年、市電は粟ヶ崎方面の浅野川線と、鶴来
方面の石川総線を残して、金石線を含め全線廃線になり、
歴史を閉じた。(写真は廃線をなごんで市内を走った花電車)
                    IMG_1604            
現在、富山市の路面電車ライトレールが、市内観光の目玉
として脚光を浴びている。金沢にも、市電復活を望む声が
聞こえてくる。

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