2018年06月22日

私とーツアルト

1613 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「私とーツアルト」

一昨日、作曲家で指揮者でピアニストの「青島広志先生
のモーツアルト&オーケストラアンサンブル金沢」の
コンサートに出かけてきました。

モーツアルトメドレー、ファゴット協奏曲の独奏、歌劇
「魔笛」、交響曲「ジュピター」など、素晴らしい演奏を
まじかに、気軽に聴ける音楽堂・金沢で・・幸せです。

毎年GWに、県立音楽堂を中心にクラシック音楽の祭典
が開かれる。今年のテーマはモーツアルトでした。
ポーランドから招かれたアマデウス室内オーケストラ、
世界のピアニスト辻井伸行さんの演奏会などを堪能する
ことができきました。

モーツアルトは35歳の短い生涯で、交響曲、協奏曲
オペラ、ピアノソナタと、数多くの作品を残している。

作曲したオペラは17曲。最初にオペラを作曲したのは
11歳の時・・19歳までに9曲作曲している。
歌劇「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」
そして死の直前に作曲した名曲「魔笛」と、天才ですね。

交響曲は41作品・・39番、40番、そして最後の
41番「ジュピター」の3番は、後に「モーツアルトの
3大交響曲」と言われる名曲です。

2018年06月17日

メルカリが目指す未来型企業

■メルカリ
  スマホから誰でも簡単に売り買いが楽しめるアプリ。
  簡単なプロセスで3分以内に出品。

■メルカリ カウル
  簡単なプロセスで、本・CD・DVDに特化。
  バーコードスキャンで手軽に出品できる。

■メルカリ メゾンズ
  ブラント品に特化。誰でも簡単に撮影・値付け・
  商品情報が入力できます。

◇月間利用者数は1千万人に・・
出品者 : 不要になった品に新たな価値を与える楽しさ
購入者 : 掘り出し物に出会える「宝探し」の楽しさ



1612 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「メルカリが目指す未来型企業」

抽選の結果、国内の一般投資家の応募倍率が50倍に
なった、
注目のメルカリが6月19日東証マザーズに
上場する。
21世紀型の新しい消費スタイル・エコシステムを提案
し続ける、創業社長の山田進太郎氏。

メルカリは、スマホに特化した個人取引アプリで、
誰でも手軽に簡単に中古品の売買が楽しめる。
この新しい販売手法で、四半期の流通総額が1千億に
達し、急速に売り上げを伸ばしているフリマアプリの
大手です。
< 売上高 >  
2015年/ 4237千
2016年/12256千
2017年/22071千

同社は今、「顧客の労働力を生かす」新しい試みを模索
している。
顧客が”使い方”に関する質問をネットに書き込むと、
他の顧客が質問に回答するシステムを、1年前に導入し
た。
累計で68万件の質問があり、回答数は質問1件につき
6.5件。ほとんどの質問は、5分以内に答えが返って
くる迅速さだ。
良い回答には、ネット上で感謝の印がつくが、金銭の
見返りがあるわけではない。

新興サービスを回す一員となり、誰かの役に立つ手応え
がモチベーションだ。心理学者マズローが唱える、
高い欲求(自己実現)を満たすことが原動力になる。  
  maslow

顧客の参加意識を醸成する仕組みを、サービスに埋め
込むことで、自前の顧客サポートや管理業務が減り、
コストの節約につながる。

メルカリは、自転車のサービス業務にも新規参入し、
車両の管理、故障、放置の報告や、適切な場所への移動
行為など、顧客の協力を呼びかける。

顧客同士が助け合うことで、サービスの快適性が高ま
れば、ロイヤルカスタマーも育つ。
産業界に革命を起こし、経済成長を牽引するのは、
人と人をつなぐプラットフォーム企業なのです。 

                                                    
6/12 日経新聞

2018年06月15日

明倫館と松下村塾

■村田清風

長州藩士・村田家の長男に生まれる。
明倫館で優秀な成績を修め、学費免除
のうえ明倫館書物方となる。
藩主毛利敬親(たかちか)に登用され
小姓となる。
後に、藩の家老として藩政改革を推進
した。兵制改革、殖産興業を行い、
長州藩興隆の基礎を築いた。



1611 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
歴史から学ぶ  「明倫館と松下村塾」

松下村塾は私塾で、入塾時の身分の規定はなく、
志さえあれば武士に限らず、町人や僧侶も入門できた。
明倫館では学べない、足軽や中間の子弟が多かった。

一方藩校「明倫館」への入学は、長州藩の士分の者に
限られていた。
江戸時代、明倫館同様の藩校が全国に約280あった。

その中で特に優秀だったのが、水戸藩の「講道館」
岡山藩の「閑谷(しずたに)学校」、そして明倫館・・
日本三大学府の一つに数えられた。

松陰が「松下村塾」で塾生を教えたのはたったの2年間。
和室二間の小さな塾に対し、藩校「明倫館」は、松下村
塾より100年もさかのぼる1718年、萩城三の丸に
5代藩主によって開塾した。

その130年後の1849年、城下の中心に1万5千坪
の敷地を求めて移転。
明倫館では朱子学を教え、経済、歴史、制度、兵学、
博学、文学などの科が置かれた。

兵学師範には吉田松陰がなり、楫取素彦は儒家の当主
として、19歳で司典助役兼助講を務めている。
高杉晋作は、成績優秀な生徒にのみに許される
「明倫館居寮生」に選ばれている。

明倫館は、吉田松陰と志士たちの出会いの場になった。
明倫館に学んだ後、藩主の小姓になることが、側近予備
軍になり、出世コースの登竜門になった。

吉田松陰の教育原理

■松下村塾学んだ志士

  高杉晋作 久坂玄瑞 吉田利麿                    
  入江九一 伊藤博文       山形有朋
  前原一誠 山田顕義 品川弥次郎
  木戸孝允                              

■明倫館に学んだ志士

  高杉晋作 井上 馨 山田顕義
  楫取素彦 村田清風



1610 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
歴史から学ぶ  「吉田松陰の教育原理」

➀松陰が5歳の時養子入りした吉田家は、山鹿流兵学
  師範の家。師と弟子が真剣に切り結ぶ「命がけの教育」
  を、幼少の松陰に叩き込んだ。

②外国渡航を企てた罪で、野山獄に入れられ、実家杉家
  に蟄居を命ぜられる、不自由な身の上になった。 
  動けない自分・・燃え上がる思いを弟子たちに伝え、
  自分の身代わりとなって行動する人材を育てようとし
  た。
③下級武士の松陰、権力も無ければ金もない。
  あるのは””のみ。志こそ最も大切なものと考えた。

④松陰は書物をむさぼるように読み、幅広い知識を蓄え
  た。知識がなければ知識を生かすことも、世の中を
  動かすことができない。
  弟子たちに、あらゆることを学ばせようとした。

⑤考え、行動する人間を育てるには、知識だけでなく
  気力を養う必要がある。そこで「個別教育」で一人
  ひとりと向き合い、意欲を呼び起こそうとした。

         IMG_1876
⑥師弟が共に同じ問題に取り組み、議論し、共に汗を
  流し解決を求める。学問に上下関係は不要と考えた。

⑦は「感情教育」
⑧は「脚下照願の教育」

⑨学問は机上ではなく「実践」で学ぶことです。
  学びを基に、どのように実践するかを考え実行する。

⑩松陰は自らの死をもって、弟子たちに実践することの
  大切さを教えた。

2018年06月10日

松下村塾/松陰が教えたこと

■両親に宛てた「辞世の句」

「親思う 心にまさる 親ごころ
              きょうの音づれ 何ときくらん」
処刑を覚悟した松陰が、
安政6年10月20日、故郷の両親に宛てた
別れの書簡の中で詠まれたものです。



1609 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
歴史から学ぶ 「松下村塾/松陰が教えたこと」

最初は八畳一室のみ。後に十畳半を増築しただけの
小さな塾舎。この粗末な塾舎で松陰は学問を講じ、弟子
たちに「いかに生きるべきか」を説いた。

松陰は塾に起居し、塾生の問いに応え、テーマを決めて
講義し時事問題を論じた。
『書を読む時はなるべく筆記して、抄録を作りなさい』
と効率的学習方法を教え、折角覚えても直ぐ忘れてしま
うと嘆く弟子には・・

『それは良いことだ。何度も繰り返して読むうちに、
意味が分かってくるものだよ。頭の良い者は、一度で
覚えて復習しないから、結局記憶力の弱い者に負けて
しまうことになる』と優しく諭した。

松陰は、安政5年12月再び獄に収監され、翌年江戸で
刑死した。松下村塾で塾生を指導したのは2年余り。
その間に教えを受けた塾生は八十余名。

上士の高杉晋作、医家の久坂玄瑞、中間の入江九一、
吉田利麿、伊藤博文、品川弥次郎、山県有朋などが一堂
に学んだ。
松下村塾から数多くの志士が輩出され、生き残った者
たちは、明治維新の要職につき、新しい国づくりに貢献
した。
藩校明倫館と違い、藩士、陪臣、雑卒など、身分を問わ
ず机を並べての交わりは、大いに得るものがあっただろ
うし、新政府で要人になった際の人脈作りに、有利に
働いたことだろう。

2018年06月08日

松下村塾/何のために学ぶのか?

■松陰塾の床柱に書かれた言葉

「自非讀 萬巻書 安得為 千秋人」
一万冊ほど多くの本を読んで勉強しなければ、
千年の歴史に名を残すような人物になることが
できようか

「自非輇 一己勞 安得致 兆民安」
自身の労を惜しまず、積極的に働く人間でなければ、
どうして天下の人々を安らかにすることができようか


   

1608 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
歴史から学ぶ 
「松下村塾/何のために学ぶのか?」

松下村塾は、吉田松陰の叔父・玉木文之進が1842
に、萩城下に設立した私塾です。松陰がこれを引き継い
だのは、1856年安政3年の終わり頃と推定される。

当時松陰は、来航した黒船に密航しようとして罪に問わ
れ、生家に蟄居させられていた。

松下村塾は、入塾時の身分の規定はなく、志さえあれば
武士に限らず、町人や僧侶も入門でき、明倫館では学べ
ない足軽や中間の子弟が多かった。

松陰は、教えを乞いに来た者に必ず
『何のために学問をするのか?』と訊ねたという。
『字句の解釈の末節にばかりにこだわる、頭でっかちの
学者になってはいけない』と言い、

『まず実行することだ! 実務に専念するうちに、
書物
に書かれていることの解釈なんて、自然とわかっ
てくるものだ。今何が必用とされ、自分に何ができる
かを、正しく知るために学ぶのだよ』

松下村塾に学ぶ幕末の志士たちは、外国の圧力にどう
対処するか、外国の侵略をいかに排除するかという、
共通の課題を持った攘夷論者が多く、弱体で何も出来な
い幕府よりも、高い権威を持った朝廷を中心に改革しよ
うと考えた。

松陰塾のこの考えが、国を憂う多くの藩士たちに
自ら成すべきことを行う」という思想をもとに、
第二次幕長戦争における長州藩の、官民一体・挙国体制
の姿になって表れてくるのです。

2018年06月04日

吉田松陰の生い立ち

■松下村塾

松下村塾を受け継いだ松陰は、藩の野山獄を
出た後、安政3年(1863)の秋から塾を
始め、11月8畳1室の学舎が完成。
翌年春手狭になったので10畳半1間を増築。

安政5年7月、日米修好通商条約締結の報が
伝わると、松陰の言動はにわかに激しくなり、
塾も次第に政治集団を示す様になった。

危機意識を持った藩は11月、松陰を一室に
閉じ込め、松陰塾もわずか2年で閉鎖された。

         IMG_1874


1607 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
歴史から学ぶ  「吉田松陰の生い立ち」

松下村塾・・わずか2年余りの短い間に学んだ志士は
80名。明治維新にかけて、名のある志士を多数輩出
した松下村塾。志士を育てた吉田松陰という人物は、
どのようにして生まれたのだろう?

[ 少年期 ]
長州藩士 杉百合之介の次男に生まれる。
5歳の時父の弟で57石の叔父、吉田大助の仮養子に。
吉田家は山鹿流を以て毛利家に仕える、兵学師範の家柄。

松陰が吉田家の養子になった翌年当主大助が病死して、
わずか6歳で吉田家の当主になり、一朝事には長州藩の
参謀として、藩主に軍略を講ずる身分になった。

父の弟玉木文之進は、松陰をお役全う出来る人物に育て
るため、一藩の軍師となるべき山鹿流兵学の奥技を叩き
込んだ。
後に松陰「死ぬかと思った」と迩懐するほど
厳しいものだった。

わずか11歳にして、藩主毛利敬親(たかちか)の御前
で講義し、その見事さを称賛された。
殿様の御前に出ても、恥ずかしくない侍に仕上がって
いたのです。
(将棋界の天才少年、藤井聡太を彷彿させる)

少年にして、藩主を訓育するまでになった松陰は、
自然と天下国家を憂うるようになった。

[ 青年期 ]
阿片戦争で清が敗北の報に接するや、山鹿流兵学の時流
の遅れを悟り、江戸に出て洋学者佐久間象山に師事した。

諸国を回って見聞を広めようと藩に届けを出したが、
許可が下りる前に旅立ってしまった。
これが脱藩にとられ、士籍を剥奪され、家禄は没収され
た。
1854年松陰は伊豆下田でアメリカ軍艦による海外
渡航に失敗し、江戸伝馬町の牢に捕らえられた。

その後、長州藩・萩の野山獄に入れられたが釈放され、
父・杉百合之助の実家で謹慎。脱藩の罪を待つ身となっ
た。その間、読書と著述に専念し、近親者や近隣子弟に
孟子や武教全書を講じた。

2018年05月30日

負けない人・藤井聡太

■藤井聡太、最年少記録更新

今月の5月18日藤井聡太6段は、船江恒平
6段との対局に勝ち、竜王戦4組7段に昇段した。

これは、加藤一二三9段が保持していた最年少
記録より18ケ月早い、15歳9ケ月での昇段で、
「負けない人・藤井聡太」が伝説になりつつあります。


1606 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「負けない人/藤井聡太」

15歳の天才棋士藤井聡太プロが大活躍している。
2007年5歳の時、祖父母から将棋の手ほどきを受け
、瀬戸市内の将棋教室に通いはじめた。

直後、師範から500ページの「駒落ち定石」を渡された。
まだ字が読めない聡太少年は、符号を頼りに学習し、
1年後に将棋大会に出場するようになると、同年代の
子どもたちは、強すぎる藤井との対局を嫌がったという。

2011年、東海大会と全国大会、小学生・低学年の部
で相次いで優勝。
中学1年の2015年、「奨励会3段」に史上最年少で
昇段する。中学2年の奨励会リーグ戦で4段になり、
プロ入り。
加藤一二三との対戦に勝ち、加藤が持つ最年少棋士記録
を62年ぶりに更新して、マスコミの話題をさらった。

中学生棋士は、加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、
渡辺明に次いで5人目・・天才トップ棋士に仲間入りで
す。
          AS20171215004198_comm (3)

将棋のトップ棋士には、黙々と努力して結果を出す
タイプと、先頭に立って大勢の棋士を引っ張っていく
タイプがある。
後者のリーダタイプには、大山15世名人や羽生永世
7冠がいる。いずれは藤井6段も・・

羽生7冠は、対局中の昼休みに他の対局を一通り見て
歩き、一局につき数分で情勢を分析・・そうした瞬時の
判断を繰り返すことで、勝負勘が磨かれたという。

大山名人は、努力もさることながら、横断歩道で先頭に
立ち、青信号を先頭から3番以内に渡りきる・・
と決め「自分は負けない」という信念を持ち続けたという。

2018年05月27日

平成から新時代へ

1605 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「平成から新時代へ」

昭和44年、大手の住宅会社を脱サラ起業した私。
妻や両親、兄弟から「外喜雄のバカが! 何考えている」
と非難され、四面楚歌の状態でし
た。

高度経済成長期にあって、脱サラ起業したからといって
成功する確率は低いし、不安定だ。
「寄らば大樹の陰」・・しっかりした会社に勤めている
方が絶対安心なのです。

ところが平成に入ると、そうした名のある企業が次々
凋落し、無名の企業が成長していく、ドラスティックな
動きが目立つようになった。

こうした変化は『一流大学を出て一流企業に就職する』
それまでの「幸せモデル」の神話が崩れたことを意味す
る。
平成に入ると「何が幸せで、どうしたら幸せになれるか」
価値観が多様化し、将来が見通せなくなった。

インターネット関連企業、グーグルやフェイスブック
などが次々登場し、携帯はガラ系からスマホへと・・
生活スタイルがわずかの間に大きく変化していった。

情報技術ITやAIが普及していく、第4次産業革命の
中で「ITは難しい・・苦手」と自ら壁を築いてしまう
企業や住民の間に、隔絶が生じていく。

経営者も個人も、ITやAIの利便さを理解できずに、
取得をためらっていると、恩恵を享受できず、時代から
取り残され、社会の変化についていけない、人生の負け
組になってしまうのです。

                                                               読売「生きるヒント」

2018年05月20日

ポスト平成・・生きるヒント

1604 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「ポスト平成・・生きるヒント」

昭和の高度成長期と共に歩んできた、私の人生。
一生懸命働けば、自分も家族も幸せになれる時代だっ
た。
「エアコンが欲しい、次はマイカー」と、モノの豊かさ
を追い求めることが喜びになった。

終身雇用が当たり前の昭和の時代、会社で嫌なことが
あっても我慢し、業績が認められれば昇給・昇格できた。
やりがいも生き甲斐も、手にすることができる時代でした。

平成に入ると、昭和の規範はしだいに揺らぎ、失われて
いった。生きづらい世の中になった。
終身雇用制は廃れ、不正規社員が低賃金層の増加を招き
、定年まで真面目に働いても”幸せ”は保証されなく
なった。
一流企業に就職しても、自分が望んだ職場・職種では
なかったと、「生き甲斐・やりがい」を求めて簡単に
転職していく。
多くは、自分が思う居心地のよい職場・仕事が見つから
ないまま、転職を繰り返す・・将来への夢がしぼんでい
く。
”幸せ”は誰も保証してくれない。意に沿わない仕事で
も懸命に頑張って、次のステップの肥しにしていく・・
そんな心構えが大切になってくる。

一流の調理人を夢見てホテルに就職。職場には「皿洗い
3年」などの見習いの習慣があり、下積み期間があった。
今の若者、そうした「下積みは」理解出来ない
し、嫌だ
ろう。
「辛い体験が人を育てる」
この言葉の意味の大切さを教える人はいない。

価値観が多様化していく中、生き甲斐の軸となる規範
が定まらない。規範なき今の時代、自らの生き方や考え
方をしっかり持つことが大切になってくる。

来年、新しい年号になるが、先が見えない・・霧の中を
走るような不安が付きまとう。しかし不安は不幸ではな
い。
未経験に挑戦しようとすれば、当然不安を感じる。
「挑戦する不安」と「達成した時の喜び」とは、表裏
一体なのだ。
                                                        読売「生きるヒント」

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