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2017年11月 アーカイブ

2017年11月02日

心と体の健康 「ヨガと仏教」

■安楽坐ストレッチ(スカーサナ)

        IMG_0048

①あぐらの姿勢になって背筋を伸ばし、肩の力を
   抜き、指先までリラックスします。
②軽くアゴを引き、表情は柔らかく、眉間のしわを
   伸ばします。
③吸って吐いてを5回、静かで長い鼻呼吸を繰り
   返します。

④吸う息とともに右腕を上げ、吐きながら上体を
   左へ倒します。
⑤右の脇を伸ばしながら、無理のない快適な状
   態を保ちます。

⑥その姿勢のまま又5回、鼻で深呼吸。
⑦終えたら、吸う息とともに上体を起こし、吐きな
   がら右腕を下して一休み。
⑧左もおなじように・・右と左繰り返し2回。



1547 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
心と体の健康 「ヨガと仏教」

仏教とヨガ、歴史が古いのは何れか?・・正解はヨガ。
インダス文明の遺跡から、ヨガの坐像のようなものが
発掘されたことから、5~6千年前から行われていた
ようです。
古代インドでは、心を統一する修行の一環としてヨガが
行われてきた。

仏教を開いたお釈迦様の時代も、ヨガが盛んに行われて
いた。釈迦は菩提樹の下に坐し、深い瞑想の末に悟りを
得た・・
シャカ族の王子に生まれ、なに不自由ない裕福な家庭
に育ったお釈迦様・・成長するにつれ、
人の世が「生老病死の苦」に満ちていることを悩んだ。

そうした苦しみから逃れるために、厳しい苦行の道に
入った。しかし、苦行を重ねてみたものの、人生の心理
を見つけ出すことはできなかった。

苦や楽に偏るのは無益と悟り、自由な精神である
「中道」の教えにたどり着いたとされている。

ヨガの語源は「アーサー」 ”坐る”という動詞が語源
で、瞑想するときに行う「坐法」に「立位」や「仰臥位
」が加えられ、現代のヨガへとつながっていった。

古代ヨガの聖典「ヨーガ・スートラ」の冒頭には、
「ヨガとは、心の働きを収めること」と記されていて、
当時から「心とは何か?」という疑問に向き合い、
”心”に焦点が当てられてきた。

妬み・怒り・浮かれなど・・千々に乱れる心。
囚われると苦しみに苛まれる。この苦しみから解放され
るのが、ヨガと仏教の共通するところです。

ヨガのポーズをとると、身体が健康になり、心も穏やか
になるのです。
                                    浄土宗誓願寺・住職/ガッソ・有香

2017年11月06日

1つの煩悩に全てを懸ける

■「ゲーテの格言」

<一番幸福な人間>
  王様であろうと百姓であろうと
  家庭の中で平和を見い出す者が
  一番幸福な人間である

<苦しみを味わえ>
  苦しみの後に残していったものを
  味わえ
  苦難も  過ぎ去ってしまえば甘い



1548 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
心と体の健康
「1つの煩悩に全てを懸ける」

禅の教えによると、人間の心には8万4千もの煩悩が
あるという。なぜ8万4千かというと、人間の毛穴が
8万4千あると信じられていたからです。

その一つひとつの毛穴から、人間の体内にある”煩悩”
がじわじわとにじみ出てくるのだという。
そのくらい、人間には沢山の煩悩があるのです。

禅の世界では、厳しい修業を積んでいくうちに、
悟が開かれるという。悟りを得ようと思うなら、煩悩を
克服しなければならない。
ところで「煩悩を克服する」とはどういうことなのでし
ょうか? ”悟る”とはどういうことなのでしょうか?

それは、人間が持つ煩悩のすべてを、無にしてしまう
ことでしょうか?・・そうではない。
人間の煩悩は、修行を積んだからといって無くなるもの
ではない・・ならばどうするのか。

たった一つの煩悩にすべてを懸ける」時が来たら、
人間は悟りを開くことができるのです。

人間には、8万4千もの色々な迷いがあり、様々なこと
に迷っているから、自分の持てる力を思いきり生かして
人生を充実させることができないのです。

そこで、たった一つのことに人生のすべてを懸けて生き
抜くならば、初めて迷いから解き放たれ、吹っ切ること
ができるのです。

例えば、何度試みても納得できる焼き物が焼けなくて、
5年・10年・20年と失敗を繰り返しながら、 なお
本物を求め、一つのことに懸命に集中して努力している
焼き物師。
年月とともにいつしか匠の技を身につけ、悟りを開いた
職人の姿を想像すればいい。

人間は一つのことに、心と体のすべてを打ち込んで、
統合された姿になったとき、最も大きな能力を発揮し、
充実した姿になるのです。
どこまで没頭し”なりきれる”か・・ということでしょう。  

                                  
小野晋也著「日本人の使命」より

2017年11月10日

大岡越前守

■大岡越前守忠相の名言

松が枝の 直ぐなる心 保ちたし
              柳の糸の なべて世の中

世の中は柳のように流れるが、
私は松のように真っすぐでありたい。



1549 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
歴史から学ぶ 「大岡越前守」

テレビでおなじみの、大岡越前守忠相の「大岡さばき」
19年間江戸南町奉行を勤め、公正で人情味のある裁定
を行う奉行として、その名を知られた。

大岡裁き「三方一両損」の逸話は、2005年6月
281号で紹介しましたが、大岡政談の多くは、
後の世に作られたもので、大岡が直々取り調べをしたの
は、亭主殺し未遂事件を扱った「白子屋お熊事件」など、
わずかだったという。

「自分の子だ」と、それぞれ主張する二人の女に、
子どもの腕を引っ張らせ、勝った方を実母とする裁定を
下し、勝った女には「本当の親なら、痛がる子を無理
やり引っ張るはずがない」と、偽りの母親を見破った話
は、よく知られている。

しかし、これは実際にあった話ではなく、中国・宋代の
裁判話から拝借したもので、旧約聖書にもよく似た話が
あるという。

大岡越前守といえば、お白州でのお裁き姿が目に浮かぶ。
実際は今でいう、東京都知事、警視総監、地検判事、
消防庁長官を務め、そのほか、財務相、経済産業相、
公正取引委員長なども兼務する、猛烈多忙な役職を
こなしていたのです。

江戸市中で多発する犯罪の取調べや裁判は、配下の
25人の与力が行い、奉行はそれを追認するだけ・・
というのが現実の姿なのです。

2017年11月12日

大岡越前守(2)

1550 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
歴史から学ぶ 「大岡越前守(2)」

大岡越前守忠相は41歳の時、八代将軍吉宗から町奉行
に抜擢された。折から物価高騰に苦しむ江戸幕府から、
インフレを沈静化するよう命じられ、らつ腕を振るった
・・享保の改革です。

大岡は、なぜ物価が上昇するのかを詳しく調べ上げた。
原因は、商人による買占め、売り惜しみに原因があると
して、流通のあり方に改革のメスを入れ、仕入れ価格
の引き下げと、流通価格の安定化を図ることに成功した。

次に大岡が手がけたのは、通貨の安定。
当時、関東の通貨は”金”、関西は”銀”。関西から
仕入れた品は、銀で支払わなければならない。

大岡が町奉行に赴任した頃、金1両は50匁だったのが
43匁になるという、異常な銀高が進行していた。

越前守は、大坂の両替商を呼び出し、金1両=60匁に
するよう強く求めた。金相場が2割上れば、関西からの
商品が2割下がることになる。
巨大資本家両替商は一斉に反発、休業してしまった。
金融機能はマヒ…

已むなく、苦渋の思いで大岡は要求を撤回。
しかし大岡は屈しなかった。その後また銀が急騰。
両替商を呼び出し、説明を求めた。

しかし、主人は出頭に応じず、番頭を寄こした。
怒った越前守は両替商を捕らえ、小伝馬町の牢にぶち込
み、為替操作の疑いで厳しく取り調べた。

これには両替商もすくみ上がり、銀相場も引き下げられ
た。その一方で密かに幕閣に手を回し、大岡排斥運動を
始めた。
こころざし半ばに、大岡は寺社奉行への転出を命ぜられ
、お役ごめんになった。

2017年11月16日

幸せな人生 「あたりまえ」

■江戸小噺「親孝行」

「お前はまだ年が若いから、
親のありがたさがよく解っていないようだが、
年老いた親たちは、
もっと大事にしてやらにゃあならぬ。
世間には、
親のいない子もたくさんいるというのに、
ふた親そろって達者でいるとは、ありがたいこと。
第一、どれほど金があっても、
金で買えぬのが・・この親じゃ 」

道楽息子
『また、売ろうとしても・・売れもせんわい』



1551 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「あたりまえ」

以下は、悪性腫瘍で右足を切断した後、32歳の若さで
亡くなった医師”井村和清”さんの詩です。
亡くなる直前まで綴っていた日記が、
死後「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」と題して出版、
ベストセラーになった。


      ~ あたりまえ ~

あたりまえ こんな素晴らしいことを
みんなは      なぜ喜ばないのでしょう
あたりまえであることを

お父さんがいる お母さんがいる
手が二本あって   足が二本ある
行きたいところへ 自分で歩いてゆける

手をのばせばなんでも取れる
音が聞こえて    声がでる
こんな幸せはあるでしょうか

しかし だれもそれを喜ばない
あたりまえだ と笑ってすます

食事が食べられる 夜になるとちゃんと眠れ
そして朝がくる 空気を胸いっぱいに吸える

笑える 泣ける 叫ぶこともできる
走りまわれる みんなあたりまえのこと
こんな素晴らしいことを みんなは決して喜ばない

そのありがたさを知っているのは
それを失くした人たちだけだ
なぜでしょう あたりまえ


※井上和清
1947年富山県に生まれる。
  岸和田徳洲会病院の内科医として勤務。
1977年、右膝の悪性腫瘍の転移を防ぐため、
右足を切断するも、両肺に転移。
  1979年1月、32歳の若さで他界した。

2017年11月20日

先人に学ぶ仕事と人生

■「第一歩」

十里の旅の第一歩
百里の旅の第一歩
同じ一歩でも覚悟がちがう

三笠山にのぼる第一歩
富士山にのぼる第一歩
同じ一歩でも覚悟がちがう

どこまで行くつもりか
どこまで登るつもりか
目標がその日その日を支配する



1552 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
幸せな人生
【先人に学ぶ仕事と人生】

■牛尾治朗
仕事は自分がしているのではない。
ご縁をいただいて、
たまたま自分がさせてもらっているのだ。
自分ではなく、他の人でもよかった仕事を、
めぐり合わせの中で、自分がさせてもらっているのだ。

この仕事をさせてもらっていることに感謝し、
もっと自分を磨き、高める努力を惜しんではならない。

もう一つは、己の能力が乏しいだけに、
させてもらう仕事を懸命に、
一心不乱に打ち込まなければならない。

中途半端な姿勢でやっていたら、何十年やろうと、
人は、その仕事から何も得ることはできないだろう。

■松下幸之助
どんな仕事でも、それに徹すれば、その仕事を中心に
無限といっていいほど広がっていくものだ。

■平澤 興(元京大総長)
ある一事を通して、ものの深さを知ることができれば、
その目、その頭で万事を考えるようになる。
そして、その真実に近づけるのである。

■安岡正篤
どんな一事一物からでも、それを究尽すれば、
必ず真理に近づいていき、
ついには宇宙、天、神という問題にぶつかるものだ。

■福沢諭吉
世の中で一番楽しくて立派なことは、
一生涯を貫く仕事を持つことです。
世の中で一番さびしいことは、する仕事がないことです。

どんなにつまらなく思える仕事でも、決して手を抜いて
はならない。人生は投じた分しか帰ってこない。
成功不成功は能力ではなく、真剣であったか無かったか
である。

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