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2011年07月 アーカイブ

2011年07月01日

脳の栄養を考えた食事を…

■「歯のない人」の認知症発症率は1.5倍
                                 
厚生労働省は、愛知県の65歳以上の4,425人を対象に4年間、
認知症の関係を追跡調査した。
この間、認知症を発症し、更に介護が必要な人のパーセントは…
 
・自前の歯が20本以上残っている人     …  2.9%
・歯がほとんどなく、入れ歯を使っている人 …  7.3%  
・     〃    、入れ歯もない人      …  11.5%  
 
食べ物を「あまりかめない」と答えた人は、「何でもかめる」と答えた人より、
認知症の発症率は1.5倍高い、 という結果が出た。
食べ物を十分にかめないと、脳が「認知する能力」が低下するのです。
虫歯や歯槽膿漏は、早めに治療しておくことが、認知症の予防になるのです。
 
 
877 【心と体の健康情報】 
~食と健康~ 「脳の栄養を考えた食事を…」
 
脳を働かせるエネルギー源は「ブドウ糖」…脳を働かせる栄養素はブドウけです。
脳がブドウ糖を取り込んでいる時に、脳の活動が活発になります。
うつ病などで、気分が落ち込んでいる時は、ブドウ糖の取り込みが減り、 脳の活動が低下します。逆に頭を使っている時は、 脳が活発に働き、ブドウ糖をたくさん消費するのです。
 
日本人の糖分摂取量は、30年前の半分くらいに減っている。
その一方、糖尿病患者は増え続けている。糖分摂取が不足しても、 脳はブドウ糖を必要とするため、体内のほかの部分にブドウ糖が行き渡らなくなる。
 
すると、インスリンが出ても十分に働らかず、血中のブドウ糖は、増えたままの状態になる… これが糖尿病です。
ダイエットで、摂取カロリーを抑えようとすると、 かえって糖尿病を誘発するのです。
 
うつ病の治療に使われる「セロトニン」という薬の原料は、マグロやカツオ、 豚の赤身などに多く含まれるアミノ酸です。ダイエットで、 食生活が野菜や果物に偏ると、「セロトニン」が不足して、 うつ症状になりやすくなる
 
健康によくないと、やり玉に挙げられるものに「コレステロール」がある。
しかし、「ガン」や「呼吸器疾患」「アルツハイマー病」 は、血中のコレステロール人の方がなりにくいのです。
脳は、脂肪を多く必要とするので、 ある程度のコレステロールがないと働きません。
 
ボケることなく、いつまでも健康でありたいと願うなら、 脳の栄養を考えた食事を心がけることです。 毎日何を食べるかということは、「どう生きたいか」ということに深く関係します。
食事は、体の健康だけでなく、その人の人生観と切り離せず、深いつなりがあるのです。
                    浜松医科大学名誉教授 高田明和「食と健康」より

2011年07月04日

井原西鶴の商家経営原則

■今日の名言             商業界ゼミナールにて

『 正しきによりて滅びる店あらば  滅びても良し
 断じて滅びず
  古くして古きもの滅ぶ   新しくして新しきものまた滅ぶ
  古くして新しきもののみ   永遠にして不滅                   』
 
「ゆっけ中毒事件」にからんで…
日本の庶民が、日々の献立で”肉”を買い求め、調理するようになって、
わずか四十数年である。
生肉の危険性は、「ユッケ」より「生レバー」の方が怖いとの新聞報道。
ステーキ肉は、4~5日冷蔵庫で生のまま寝かせた方が美味しいという。
 
”生肉”の正しい調理法や、危険性を伝承する「生活の知恵」が、未だ
庶民の中に存在せず、無知から引き起こされた事件といえます。
 
肉料理の技は、日本と比べようのない歴史を持つ韓国でも、
時折”生肉”による中毒事件が起きている。
日本の河豚料理のように、長い歴史の経験と知恵から、危険性を
十分承知して、食べているのです。
 
 
878  【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~
「井原西鶴の商家経営原則」
 
「好色一代男」で知られる、江戸・元禄時代の作家”井原西鶴”が、 「日本永代蔵」中で書き記した”堅実経営法”…
代の経営のあり方と相通ずるものがあります。
 
西鶴は、商人に大切な原則は「算用・始末・才覚・信用」の四つと、書き記している。
[算 用]…入るをはかって出ずるを制す
                 財務内容がしっかりしていること
[始 末]…お金の無駄をはぶき、節約を旨とする
       その一方、将来への先行投資を惜しまない
[才 覚]…商人に才覚は不可欠
       新しい発想や心配りも大切です
[信 用]…顧客・取引先・金融機関との関係は信用第一
 
「金持ちになりたければ ” 長者丸(がん)”をのみなさい」
「金持ちになりたかったら、西鶴が調合した丸薬を飲みなさい」
 
井原西鶴は、「長者丸といへる妙薬の方組(調合)伝へ申すべし」 と前置きして、 以下、五項目の丸薬を呑んで実践すれば、五十両稼げるこを示した。
 
[朝 起]…五両    商人は早起きを常とすべし
       朝日がまぶしい中寝ているようでは、繁盛は望めな
                 い
[家 職]…二十両  本業に精を出す
       目先の利益・商いに目がいき、本業をおろそかにして
                 いないか
[夜 詰]…八両    夜なべ仕事に精を出す
       日の明るいうちに店を閉めているようでは、繁盛しな
                 い
[始 末]…十両    質素倹約を旨とすべし
              入りに見合う暮らしに徹し、贅沢は敵と
                                心得よ              
[達 者]…七両    何より健康であれ         
 
■更に西鶴は、慎まなければならないことを「戒め」 として書き記した。
 
◇美食、ぜいたく、女遊び、道楽ごとなどに店のお金を持ち出             
◇花見や月見、着物などにミエを張る
◇昼から風呂に入る
◇夜遊び、バクチに入れ込む
◇芸ごとにうつつをぬかす
◇気安く保証人になる
◇金もないのに、芝居役者のスポンサーになる
◇ムダな旅行を楽しむ
◇高利の借金に手を出す
                    
                            童門冬二「先人たちの名言録」より

2011年07月08日

般若心経 「大乗仏教の教え」

■坐禅のこころ             曹洞宗 「坐禅作法」より
 
「禅」とは、インドの古代語「梵語(ぼんご)」の”ゼンナ”を、
当て字で表したものです。
禅を意味するものは、ものごとの真実の姿、あり方を見極めて、
これに正しく対応していくために、心を整えることをいいます。
 
それにはまず、身体を整え、心を静かに落ち着かせます。
好きだ嫌いだ、善いの悪いのと、日頃の雑念に執われていては、
心を整えることはできません。
 
心は一瞬一瞬動いています…その一つひとつを追いかけるのではなく、
我が身をあるがままに任せるようにします。
こうした心の動きに執われないことを、”三昧”とも”無念無想”とも言います。
 
このように、身の回りの事象に執われることなく、”真実”を見極める
ことを解脱という。この解脱を体解(たいげ) するのが禅の真義であり、
その悟りを求めて、日々坐禅修行に励むのです。
 
 
 
879 【心と体の健康情報】
~般若心経~ 「大乗仏教の教え」
 
大乗仏教の経典「般若心経」…正しくは 「摩訶般若波羅蜜多心経」 といいます。
「摩訶不思議」という言葉がある。「摩訶」とは、サンスクリット語で「大きい・ 偉大」いう意味になり、 大乗仏教の頭文字”大”につながる言葉です。
大乗仏教の教えは、芥川龍之介の作品「蜘蛛の糸」を読むと、 僅かだがその意味理解できます
 
『お釈迦さまがある日、極楽の蓮池を覗き込むと、 はるか下の地獄でもがき苦しむ罪人たちの中に、カンダタの姿を見た。
極悪人のカンダタにも、生前たった一度だけ善行があった。
一匹の蜘蛛を踏み殺そうとしたが、思いとどまり、 命を助けてやったのです。
 
そこでお釈迦さまは、極楽の蓮池からくもの糸を一本、カンダタにたらしてやった。
カンダタは喜んでくもの糸をたぐり、極楽に向って登りはじめた
ふと下を見ると、彼の後から大勢の地獄の亡者どもが、 糸をたぐって登ってくるでないか… このままでは、糸は重さに耐えきれず、切れてしまうだろう
 
びっくりしたカンダタ…「これは俺さまのための糸だ!お前たちは、 極楽に登ることならない…降りろ!降りろ!」 とどなった。
その瞬間、蜘蛛の糸はプツリと切れ、カンダタは再び地獄の底に落ちていった』
 
自分一人が助かればいい…人はどうなろうと知ったことではない… それが地獄に住む者の心です。「みんなと一緒に…」という心があって初めて、 極楽が見えてくるのです。
地獄から天国につながる蜘蛛の糸は、細くて今にも切れそう…
本当は何人ぶらがろうと切れることはなかった。カンダタには、それが分からなかった… 細くてない糸に見えたのです。
 
私たちの心が小さいと、糸は細く弱々しく見えます。
大きな心の持ち主であれば、糸は太く丈夫に見えます…
これが「大乗」の教えであり、「大乗」の意味なのです。
 
「般若心経」は短いお経ですが、多くの人を教え導く”大きなお経” ということで、「摩訶」 の語が頭についているのです。
                                 「ひろさちやの般若心経」より

2011年07月11日

心に残るいい話 「待つということ」

■森 信三 「修身教授録2」第24講「出処進退」 より
 
人間の真の値打ちは、何か重大な場面に出くわしたり、
 せっぱ詰まった際に、それに対する対応、態度、言い回し
 などに表れてくるものです。
 ふだん評判が良くても、出処進退が悪いと、その一事だけで、
 今までの評価が台無しになってしまいます。
 我が身の利欲に目がくらんだり、義理を忘れたりするのです
             
菅首相…可能性がわずかでもあるなら、粘り強く信念を貫き、職責を全う
しようとする。その姿勢…古来、日本人が持つ美意識(武士道精神)の、
「引き際の清らかさ、いさぎよさ」とは、かけ離れた価値観の持ち主のようです。 
 
 
880 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~心に残るいい話~ 「待つということ」 
 
人間は一生のうち 逢うべき人には必ず逢える。
  しかも 一瞬早すぎず 一瞬遅すぎないときに…
                                                                   森 信三
 
人生を振り返ると…新たに何かを志し、決意も新たに行動を起こしたその時… 志を実現するために不可欠な人物との出逢いがあった。
もしあの時、あの運命の出逢いがなかったら… あの人にめぐり合うことがなかったら…今の自分は存在ないだろう。
何度かそのような体験を経て、今の自分がある…
”縁”とは不思議なものです。
 
以下、「理念と経営/くちびるに歌を、心に太陽を持て(4)」 を転載します。
心に残るいい話です。
『27歳の東京に住んでいた頃のある日、女性と新宿の「田園」 という喫茶店で待ち合わせた。五日前に知り合ったばかりで、 名前も年齢も住所も、勤めているのかどうかも知らなかった。
 
ぼくのほうから誘った…約束の日はぼくの誕生日だった。
ぼくは、会社から給料の前借りをして、 コーヒー代と食事代を調達し、六時に喫茶店に行った。
だが、七時になっても八時になっても、女は来ない。
 
ぼくはイライラしながら待った…連絡しようにも(今の時代のように携帯もなく) 彼女へ連絡のしようがない。
九時になって、ぼくは頭にきて喫茶店を飛び出した。
女性は、初めからぼくと逢う気などなかったのだと思った。
 
自分の愚かさに腹が立ち、近くの焼き鳥屋で酒をあおった。
そのとき突然、もしかすると、ぼくが指定した喫茶店は「田園」ではなく、「上高地」 ではなかったかと気づいた。
 
ぼくは、焼き鳥屋を飛び出すと、「田園」 から200メートルほどのところにある 「上高地」へ走った。
腕時計は十時を回っていた。息を切らせて店に走り込むと…
女性はいた…四時間半も待っていたのだ。
眼が濡れていた…ぼくを見ると、大急で涙をぬぐった。
 
その女性が今のぼくの妻だ。結婚して45年たち、ぼくが 「もしあのとき携帯電話でもあって、 五分後に待ち合わせ場所の間違いに気づき、四時間半待つことがなかったら、 俺たち結婚してなかったかもな…」と言うと…妻も「たぶんね」と笑った 』

2011年07月15日

般若心経 「大乗仏教の教え(2)」

○あなたは、以下の何れに該当すると思いますか?
 
 ・金持ちでも貧乏でもないが 幸福だ  
 ・金持ちでも貧乏でもないが 不幸だ
 
 ・金持ちになって   幸福だ         
 ・金持ちになったが 不幸だ
 
 ・貧乏だが 幸福に暮らしている     
 ・貧乏から抜け出せない不幸を嘆いている
 
 
881 【心と体の健康情報】
~般若心経~ 「大乗仏教の教え(2)」
 
前号879で紹介した、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読んで、「大乗仏教とは何か?」 ほんの少し分かったような気がした
 
地獄から天国につながる蜘蛛の糸は、細くて今にも切れそう…
本当は何人ぶら下がっても切れることはない。  カンダタには、それが分からなかった…細くて頼りない糸に見えたからです。
 
私たちの心が小さいと、糸は細く弱々しく見えます。
大きな心の持ち主であれば、糸は太く丈夫に見えます…
これが「大乗」の教えです。
 
では、大乗仏教の教えの核心をなすものは何か?
それはです。
「すべて空」というのが、大乗仏教の基本教理になる。
それでは”空”とは何だろう?
一言で言うのは難解だが、”空”というのは 「物を実体視するな…差別するな…よしんば差別をしても、 その差別にこだわるな!」という意味になります。
 
洗面器を三つ用意して、20度、30度、40度、 それぞれに温度の違ったお湯入れます。
最初に左手を20度のお湯に、右手を40度のお湯に浸けます。
それから左右両手を同時に、真ん中の30度のお湯に浸けると、 どうなるでう?
 
20度のお湯に浸けていた左手は”温かい”と感じ、 40度のお湯に浸けてい手は、”ぬるい” と感じるでしょう…30度のお湯は変わらないのに、左手と右手は、 違った感触を持ちます…
これが般若心経が言う”空”なのです。
 
つまり、30度のお湯そのものが”空”なのです。
それを私たちは、「温かい」とか「ぬるい」とか、 勝手に受け止めて、こだわっているのです。
そんなこだわりは捨ててしまいなさい…というのが、般若心経の教えです。
 
しかしながら、私たちは日頃様々なモノを比較して、 そのことにこだわりながら生きています
ある人は、人よりも自分は「貧しい」と思い込み、「不幸だ不幸だ」 と嘆いている
 
般若心経では、「豊かさ」も「貧しさ」も”空”です。
つまり私たちは、「貧しさ」を何かと比べ、実体視して、不幸を嘆いているのです。
 
観自在菩薩(観音さま)は、肉体も精神もすべてが”空”であると照見された。
肉体も精神も、すべてが”空”であることを悟ったとき解脱し、一切の苦しみ・災厄克を克服したのです。
                   ひろさちやの般若心経「第15講」

2011年07月19日

竹中半兵衛の苦言

■親の教え                              「ファイティング原田」
                                   
子供の頃、父がよく私に言って聞かせたことがある。
「男が世に出るのに、三つの方法がある」と…
 
一つは  「勉強して 学者になるか…」
二つは  「ゼニ儲けをして 金持ちになるか…」
三つは  「一つのことに一生かけて 栄光をつかむか…」だ
 
更に付け加えて、「男だったら 人前で涙を流すな!」
 
      
882 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~故事から学ぶ~ 「竹中半兵衛の苦言」
 
人はみな合戦のことを問ふに、
 その問ふべき要領は問わず、
 問はですむべきことを多く尋ぬる故、
 重ねての功にならざるなり。
 答ふる者もまた然り。
 されば良話も用に立たざること甚だ多し』  
 
「合戦の結果についてよく議論しているが、 肝心な要点についてはなにも質問しないで、どうでもいいことばかり聞いてくる。
こんなことを繰り返しても、なにも得られない…」
 
これは答えるほうにも責任がある。愚問をまともに取り上げて、相手にするからだ。だから、せっかくいいテーマを取り上げても、 なにも残らない愚問愚答に終わってしまうのだ。 
国会での討論や、我が社の会議にも思い当たる節がある
 
竹中半兵衛は歴史に残る名軍師です。初めは美濃の斉藤道三の孫”龍興” に仕えた。しかし龍興は愚将… 半兵衛はしばしば諫言するが、半兵衛の容姿が女性的だためか、龍興は諫言を聞こうとせず、逆に寵臣と共にからかったりした。
 
半兵衛は、一計を案じて単身クーデターを起こし、”城” 乗っ取りに成功…その後直ぐ、城主に城を返している。
これを知った信長…木下藤吉郎に「半兵衛を信長の家来にするように…」と命じた。
交渉に応じた半兵衛…「わしは信長が嫌いゆえ、 家来にはならぬ…秀吉殿に期待はするが、 すぐには秀吉の天下にならないだろう…秀吉殿の家来として、当面は信長殿を補佐することにしよう」と言って、受諾した。
 
さすが名軍師は違う…
ちゃんと先を見て、ものを言っている(先見性)
一方、現実もきちんと把握して、交渉に応じている (判断力)
今、何をなすべきかを心得ている(決断力・実行力)
 
半兵衛が、名軍師と言われるようになったのは、秀吉の作戦参謀になってからである。
信長にはさほ貢献していない。信長時代は「秀吉のためのエネルギーを充電る期間」として利した…これも巧妙な処世術である。
 
ところで、冒頭の斉藤家における逸話は、愚将”龍興”の機嫌をとるために、 重臣たちは合戦の結果が思わしくなくても、互いに”痛いところ”を突くような議論を避けたのです。
結果、痛くも痒くもない話題ばかりする… それが聡明な半兵衛には、我慢できなかったのです。
                             童門冬二「戦陣たちの名言録」

2011年07月22日

般若心経~ 「大乗仏教の教え(3)」

■ 「正法眼蔵」
曹洞宗開祖、道元禅師が著した「正法眼蔵」
道元禅師が、32歳から54歳までの23年の間に、
弟子や大衆に説示した教えを集めたもので、95巻にまとめられている。
曹洞宗の根本経典であり、日本が生んだ最高の哲学書でもある。
 
[仏 道]
・仏道をならふといふは、自己をならふなり
 
・自己をならふといふは、自己をわするるなり
 
・自己をわするるといふは、万法に證せらるるなり
 
・万法に證せらるるといふは、自己の身心、およぴ
 佗己(たこ)の身心をして、脱落(解脱)せしむるなり
 
「解脱」…一切のしがらみから脱して、心身共にさっぱりした空の境地を言う。
   坐禅三昧の業から「心身脱落」の境地に至り、五欲煩悩が除かれていく。
 
 
883 【心と体の健康】
~般若心経~ 「大乗仏教の教え(3)」
 
大乗仏教の基本教理は”空”… 「物を実体視するな。差別するな。よしんば差別をしても、 その差別にこだわるな!」 と説く
 
私たちは日頃様々なモノを比較し、そのことに”こだわって”生きている。
ある者は、人より自分は「貧しい」と思い込み、「不幸だ不幸だ」 と嘆いている
般若心経の教えでは、「豊かさ」も「貧しさ」も”空”である。
「自分は貧しい」「自分は豊かだ」と思うのは、何かと比較して実体視することによる、こだわりなのです。
 
大乗仏教の”空” を理解するにはもってこいのTVドラマがNHKで放映され、反響を呼んだ…「下流の宴」である(総合PM10時・連続8回)
過去に「国民全て中流意識」の時代があった。その後の徐々に国勢が衰え、右肩下がりに… いつ自分たちが下流に落ちるか…そんな恐怖に囚われるようになった。
 
一流大学に入り、上場企業に就職し、良家の娘を嫁に貰う…
それが息子の幸せの道と、信じて疑わない中流家庭の主婦…そんな家族を取り巻く、 林真理子原作のホームドラマです。
 
国立大卒・高学歴の夫、会社では部長。妻は医者の娘。
「中流の我が家が”下流”になるの? 息子が下流の娘と結婚するなんて、絶対嫌!」
 
それを聞いていた夫…「下流は…あっちなの? あの子の方が今じゃ、息子よりずっと上のところにいるよ… 」とつぶやく。
愛する息子を守るため、中流?を守るため、専業主婦を演じる女優”黒木瞳”の、 身につまされる戦いの日々。
 
このドラマでは、夫と妻、親と子、母親と息子の恋人、金持ちと貧乏人、男と女、都会育ちと田舎育ち、 高学歴と無学歴…
様々な「価値観」のバトルが繰り広げられる。
みんな傷つき、一人勝ちするものは誰もいない「不快」なドラマだが、 見るもの誰にも何かしら思い当たる節があり、切実な気持にさせる物語です。
 
この連続ドラマは、モノにあふれた時代の価値観…培われたこだわりや、 しがらみが崩れつつある現代社会が、背景になっている。
この春、千年に一度という東日本大震災に見舞われたことで、今まで日本人が抱いてきた価値観が、 大きく変わろうとしている…変わらざるを得なくなっている。
勝ち組や拝金、学歴崇拝、出世、働き蜂といった、今までの価値観にはまったく心動かされない、 若い世代が育ちつつあるのです。
                NHKドラマのみどころ「下流の宴」より

2011年07月26日

折 句

■ことば遊び 「ん回し」
上方落語に「田楽喰い」という噺がある。
 
『皆で田楽を食うことになった…
「田楽はそう…味噌をつけたとか…なんとか言うさかいな、
  ええ…げんを祝うて運がつくように…”ん” まわし…”ん”を一つ
  言うたら…皆一本取って食べるのや」 ということで噺が始まる。
 
「れこん」 「にじん」  「だいこ」 「なんき」 
「みか」 「き」 こちゃ好か
「ぼさん」 ぼのくぼに てかふ…  
「て天満の天神さん」と、 だんだん長いものになっていく…』
 
現代なら…「アンパンマン」「新幹線」で、田楽が食べられます。
私は、幼稚園へ孫を迎えに行った折りに、「ん回し」を楽しんでいる…
                 
                        小林祥次郎「日本のことば遊び」
                       
 
884 【吉村外喜雄のなんだかんだ】 
~ことば遊び~ 「折 句」
 
「蛙(かわず)飛ぶ 池はふかみの 折句なり」と」いう古川柳
がある。
芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」は、 句の頭を拾って
読むと「フカミ(深み)」になる。
芭蕉が、折り句を意識して詠んだかどうかは定かでないが、
古池の句に”深み”が折り込まれている。
 
広く知られた折句の歌は、伊勢物語に、”在原業平”が
「かきつばた」の五文字を頭に、折り込んだ歌が知られる。
ら衣 つつなれにし ま (妻)しあれば るばる来ぬる 
  び(旅)をしぞ思う」
 
”業平”の折句は「古今集」にもあり、 「倉山 峰立ちならし 鳴く鹿の 経にけむ秋を 知る人ぞなき」 と、「をみなえし」を
折句にしている。
となく ものぞ悲しき 秋風の 身にしむ夜半の 旅の寝覚めは」 は、「南無阿弥陀」を折句にした、 平安時代の旅の歌です。
同じく平安中期に詠まれた、 「こそ 心を測る 心なれ の敵は 心なりけり」 は、”心”を折句にしていて、現代の”教訓”にもなっている。      
その他”教訓” を折句にしたものでは…
せば為る 為さねば為らぬ何ごとも 為らぬは人の さぬなりけり」 …山本五十六が詠んだことで知られている。
 
いまと 今というまに 今ぞ無く 今というまに 今ぞ過ぎゆく」
りを 言わぬ人こそ いさぎよし 偽り多き いやな世の中」
語読みの 論語知らずは 論もあれ 論語読まずの 論語知らずは」
季節を詠んだ歌では…
春… 「咲く 桜の山の 桜 咲あり 散るあり」
夏… 「そがれに なびく雲の ちいつつ なばたつめや 
     れを待つらん」 は、「た・な・ば・た・ま・つ・り」の七首を
         に折りこんで、 最初に”た”を詠んだ歌です。
 
    「瓜売りが 瓜売りに来て 売り残し 瓜売り歩く 
        瓜売りの
      は、 じりじり照りつける夏の風景が浮かんでくる。
 
秋… 「月づきに 月見る月は多けれど 月見る月は 
        この月の
最後に、「南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃじゃじゃ
               どうじゃこうじゃと 言うが愚かじゃ
                                                             じゃ、バイバイ・・
                               小林祥次郎 「日本のことば遊び」

2011年07月29日

般若心経 「大乗仏教の教え(4)裸の王様」

■ 「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
 (しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき)
 
「色は空(くう)に異ならず 空は色に異ならず 色は即ちこれ空なり 
  空は即ちこれ色なり」

「色」とは…壊れることを前提にこの世に存在し、起こるべきすべての
物質的現象いう。
「空」とは…見るもの、感じるもの、想うもの、 更には知ったり判断したり
するすべてのものには、実体がない…それを”空” という。
 
「実体」とは、永遠に変わらない本質的・根源的なもを言い、すべての
存在実体なく、実体がないのが、すべての存在の本質になる。
 
つまり、世の中に存在するすべてのものは変化していく。
変わらないものはないのだから、ものごとを”こだわり”をもって見て
ならない…般若心経の教え、基本理念です。
 
喜びも悲しみも苦しみもすべて、一人ひとり受け止め方も、感じ方も
違う…モノサシなどなく、実体がない。たえず変わっていくものだから、
そのことに捕らわれずに、生きていくことです。
 
 
885 【心と体の健康】
~般若心経~
「大乗仏教の教え(4)裸の王様」
 
般若心経第7節に、「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」がある。
アンデルセンの童話「裸の王様」は、般若心経の”空” を理解するのにピッタリの物語です
とりわけ「空不異色」の意味をうまく説明している。
 
王様の豪華な服が”見える”…とみんなが言えば、服が見えるような” 幻覚”陥ります。
この童話でアンデルセンは「誰も見えなかった」 と言っているが、仏教の教え般若心経では…その服を”空” ととらまえ…ありありと見えるのです
『おしゃれをすることが大好きな王様の元に、 二人の詐欺師が布織職人という触れ込みでやって来た。
詐欺師「王様…私共は馬鹿や身分の低い者には見えない、不思議な布地を織ることができます」… 王様は大喜びで注文した。
機を織っている出来栄えを見に行ったところ、目の前にあるはずの布地が、 王様には見えない…
王様はうろたえるが、家来たちの手前、本当のことは言えず、見えもしない布地を褒めちぎった。
 
家来もまた、自分には見えないものの、そうとは言い出せず…褒めちぎった。
王様は、見えない衣装を身にまとい、パレードに臨んで、国民に手を振った。 見物人もまた、馬鹿と言われたくないので、王様の衣装を誉めそやした。
 
と…見物していた子どもが、「王様は裸だよ!」と叫んだ。
すると、次々と「王様は裸だ」との声が聞こえてくる。
「馬鹿や身分の低い者には、見えるはずがない」 と信じきっている王様…パレードを続けた』
 
「あの人は、まるで”裸の王様”だ…」と言うことがある。
少し前になるが、過去の事例では、芸能界では暴言事件の”島田真助”、 著作権詐欺事件の”小室哲也”などが思い起こされる…
北海道・ミートホープ牛肉偽装事件…同社の常務が、社長の詐欺まがいの為に堪りかねて、かん言したが改めず、思い余って保健所役所に内部告発した… が、取り合ってもらえない。新聞社に持ち込んでようやくニュースになり、 世間に知られるようになった。
ミートホープ社を知る管轄の役所も、従業員も、みんな裸の王様になっていた
 
一代で成功した経営者にありがちな「ワンマン、傲慢」…
彼らにはそれなり自信と自負、思い込みがあって、 「自分は優れている」「自分が今やっていることはしい」信じて疑わない。
誰にも弱点はある…イエスマンに囲まれ、 弱点を指摘する部下がいないと…暴走して、世間を騒がせる事件に発展してしまう。苦労して手に入れた、地位や名誉、 財産ガラガラれていく…”裸の王様” である。
 
どうにもならなくなってから、涙を流し、反省しても手遅れ…
周りヨイショれ、”裸の王様” になっていることに、早く気づかなければならない。
                            ひろさちやの般若心経「第21講」
 

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