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大東亜戦争終戦の詔書

■捕虜になることは恥 「日本に帰れぬ」と覚悟

サイパンで、ガタルカナルで、硫黄島で、兵力では比較にならないくらい貧弱な日本兵が、「バンザイ突撃」をして玉砕した。
最後には、手榴弾を米兵にではなく、自分の胸に叩きつけて集団自決した。
「捕虜になることは、日本軍人の恥辱」、「捕虜になったら殺される」と信じ込み、「自決した方が潔い」と、誰もが己の最後を決めていた。

捕虜になった日本兵、「もう日本におめおめ帰れない」とおびえ、「死んだ方がいい、生きる理由があるのか?」と、本気で悩んだ。
米軍から服や食事を与えられ、不思議に思ったという。

8/15中日新聞「国の洗脳 怖さ痛感」より抜粋

「この戦争は間違っている」、「この戦争は負けだ」と、本音を言おうものなら、袋叩きの目に合い、憲兵がやって来る。当時の国民は皆、 日本が勝つと信じ込んでいたのです。
戦後60年を経た今、「何であんな戦争をしたのだろう…」と思う。
結論を言えば、「日本人は何も知らなすぎた」ということでしょう。
アメリカという国を…国力を知っていたなら、戦争をしても、頃合いを見て鉾を収めただろう。
今の北朝鮮の綱渡り外交、そして、目や耳を塞がれた北朝鮮の人達を見ていると、つくづくそう思うのです。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 188】
~歴史から学ぶ~
「大東亜戦争終戦の詔書」

終戦詔書は、天皇の肉声を録音。ラジオを通して正午に放送開始。
「玉音放送」を流し、全国民に降伏が告げられた。
詔書放送に先立ち、全員起立を求めるアナウンスがあり、続いてNHK総裁が、天皇自らの勅語朗読であることを説明。君が代演奏の後、 勅語放送。
再度君が代が演奏され終了した。

以下は「終戦ノ詔書」の全文です。
日本の降伏宣言であり、新生日本が産声を上げる瞬間です。
私たちは、その全文の意味を理解し、永遠の平和国家を願った、この玉音放送を忘れることなく、終戦を迎えた人たちの念いや意思を、 後世に受け継いでいかなければなりません。

朕深く世界の体勢と帝国の現状とにかんがみ、非常の措置を以って時局を収拾せむと欲し、ここに忠良なる汝 (なんじ)臣民に告ぐ。

朕は帝国政府をして、米英支(中国)露・四国に対し、其のポツダム宣言を受諾する旨、通告せしめたり。
そもそも帝国国民の康寧(こうねい)を図り、万邦共栄の楽しみを供にするは、皇祖皇宗の遺範にして、 朕のに拳々おかざる所、先に米英二国に宣戦せるゆえんも、また実に帝国の自在と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに、 出て他国の主権を排し、領土を侵すが如きは、もとより朕が志にあらず。

然るに交戦すでに四歳を閲(けみ)し、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、 各々最善を盡尽くせるにかかわらず、戦局、必ずしも好転せず、世界の体勢、また我に利あらず。

しかのみならず、敵は新たに残虐なる爆弾を使用し、しきりに無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶ所、 まことに測るべからざるに至る。しかも尚交戦を継続せんか。
ついに我が民族の滅亡を招来するのみならず、のべて人類の文明をも破却すべし。
かくの如くは、朕、何を以ってか億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せんや。
これ朕が帝国政府をして、共同宣言に応ぜしむるに至れるゆえんなり。

朕は帝国と共に、終始、東亜の開放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず、帝国臣民にして、 戦陣に死し、職域に殉じ、非命に倒れたる者、及び其の遺族に想いを致せば、五内(ごだい)為に裂く。
且つ戦傷を負い、災禍をこおむり、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕に深く軫念(しんねん)する所なり。
おもうに今後、帝国に受くべき苦難は、もとより尋常にあらず。
汝臣民の衷情(ちゅうじょう)も、朕、善く之を知る。
然れども、朕は時運のおもむく所堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以って万世の為に太平を開かんと欲す。

朕はここに、国体を護持し得て、忠良なる汝臣民の赤誠に信倚(しんい)し、常に汝臣民と共に在り、 若しそれ情の激する所、みだりに事端をしげくし、或は同胞排擠(はいせい)互いに時局をみだり、為に大道を誤り、 信義を世界に失うが如きは、朕、最も之を戒む。

宣しく挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念い、総力を将来の建設に傾け、 道義を篤くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらんことを期すべし。
汝臣民、其れよく朕が意を体せよ。

御名御璽(ぎょめいぎょじ)
昭和二十年八月十四日

放送は、玉音盤と呼ばれるセルロース製レコードによる録音で、ラジオの音質が極めて劣悪な上、天皇の朗読に独特の節回しがあり、 また詔書の難解な言い回しが重なって、意味を理解しないまま聞き終えた人が多かった。

玉音放送の後、アナウンサーの補足解説で、ようやく事情を呑みこむことができた。
天皇の声が電波に乗って国民に放送されたのは、これが最初。
国民は、天皇の声を聴くのは初めてで、朗読の節回しと、声の高さに驚いた。

玉音放送を聴いて涙する人、放心する人、喜ぶ人もいれば、自ら命を絶つ人もいた。
アジア各地に展開していた数百万の将兵が、一斉に矛を下ろし、徹底抗戦を唱える者もいたが、暴動・暴走に走ることもなく、 平穏に終戦を迎えることができた。
これは、欧米の戦争では考えられないことで、当時の日本人のあり様がわかる、歴史の一幕です。

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2007年08月24日 18:07に投稿されたエントリーのページです。

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