2318 中国はアメリカの自滅を待つ(2)

2318 「吉村外喜雄のなんだかんだ」

「中国はアメリカの自滅を待つ(2)」

2期目のトランプ政権は、中国に高関税を
かけた。習政権は米国への対抗措置として、
レアアースの輸出を規制した。

中国からレアアースが入ってこなくなった
米国。米フォードなど自動車メーカーが一時
生産停止に追い込まれている。
それだけではない。最新鋭のF35戦闘機や
原子力潜水艦が造れなくなるおそれが出て、
影響は、米国の安全保障の分野にまで及ん
だ。
慌てた米国は、追加関税の大幅引き下げを
はじめ、中国に対して譲歩を余儀なくされた。
次いで米政府は、5月に導入した「半導体
ソフト」の対中輸出規制を、6月に入り撤回
した。
中国はレアアースの精錬で、世界の90%
シェア握り、その強みを活かして米国との
関係を優位に進めようと画策している。

トランプ政権は、人口の減少と深刻な不動産
不況を背景とする経済の停滞などで、中国が
米国より先に衰退すると読んでいた。

しかし、米側の状況が劇的に変化した。
常軌を逸した高関税政策は、米国自身を傷つ
けた。インフレが再熱し、海外からの資金の
流入が細って、ドルの信認も揺らいだ。

中国の国力が落ちても、米国はもっと速い
ペースで衰退する・・習政権はそう読んでいた。
トランプ氏が率いる米国が”自滅”し、
相対的に中国が強くなるシナリオだ。

歴史を振り返ると、毛沢東は・・
『 弱い自分たちが強い敵に勝つには、
正面から戦わずに敵が消耗するのを待つ
持久戦論で、自分たちの力が敵を上回った
ら、一気に守りから攻めに転じよ』
と説いている。
トランプ政権が踏み込んだ、イラン・中東の
戦乱拡大は、習氏が掲げる「新たな長征」を
利するだけだ。

 

       日本経済新聞「中外時評」

2317 中国はアメリカの自滅を待つ

2317 「吉村外喜雄のなんだかんだ」

「中国はアメリカの自滅を待つ」

米国は中国に対し、4月までに145%の
追加関税を発動した。5月中旬、米中の合意
で115%に引き下げられた。

その後、一部商品の輸出を再開できたものの
中国は関税に振り回される米国との取引に嫌
気がさして見切りをつけ、今はイタリアや
ブラジルなど、他国への売り込みを図ってい
る。
中国は国内経済が本調子でないながらも、
米国が仕掛けた貿易戦争に対てし、強硬姿勢
で臨み、「米国離れ」が進んでいる。

米国への輸出減少分を、他国への輸出で
カバーできることや、ハイテク分野で国産化
が進展し、「自立自強」への自信を深めつつ
あることです。

中国は米国市場を失っても、影響を最小限に
抑える対策に自信を深めている。
そこで中国が力を入れるのが、米国以外の
外需の取り込み・・
4月以降ASEANや南米などの国々と、
鉄道建設や貿易の促進などに関する経済協定
や覚書を次々結んでいる。

中東やアフリカの多くの国々は、中国の安い
商品の受け入れを歓迎しているのです。

               読売新聞

2316 少年期、人生のどん底を味わった習近平

2316 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
「少年期、人生のどん底を味わった習近平」

 

習近平、1953年(S28)北京に生まれる。

習主席の父親”習仲勲”(しゅう・ちゅうくん)
は、21歳の時毛沢東共産党政府軍に参加し
、命がけで毛沢東を守った。
その後中国共産党で副首相にまで出世した。


ところが1978年いわれのない嫌疑をかけ

られ、16年間投獄生活。息子の習近平は
恵まれた幼少期を過ごしていたが、父親の
政治抗争で失脚。

15歳の時、地方の貧しい農村に送られる
「下放」を経験した。山肌に掘った横穴住居
で、野犬のような極貧の暮らしが6年間続い
た。
この間に姉は餓死、母親は投獄された。
更に1966~76年まで続いた文化大革命
で、反動分子の子として、習近平は4回も
投獄された。
食べていくためにレンガを焼いて売り歩き、
生き伸びた。

そうした浮き沈みの中で「将来偉くなって
中国を変えてやろう」と志を持つようになっ
た。22歳の時名門清華大学に入学。
卒業後、父親と親しかった国防相の秘書に
なり、軍隊に入隊。

ほどなく共産党員になり、志を実現する
第一歩、河北省の村長になった。
以後20年、地方政治でキャリアを積んだ。

胡錦濤が国家主席だった2007年、次の
指導者として有力視されていた、上海市の
トップが汚職で失脚した。
その後任に、当時隣の浙江省のトップにいた
習近平氏が、横滑りで市長に抜擢された。

以後、出世街道を駆け上がっていく・・
志の道が開けたのです。