2330 ”ありがとう”の語源は仏教から

2330 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
ことば遊び 「”ありがとう”の語源は仏教から」

お釈迦様の教えに「盲亀浮木(もうきふぼく)
のたとえ」という話がある。

ある時釈迦は阿難(あなん)という弟子に、
『そなたは人間に生まれたことをどのように
思っているのか?』
と尋ね、次のような例え話をした。

果てしなく広がる大海原の底に、盲目の
亀がいた。その亀は、100年に1度海面に
顔を出すのだ・・
広い海に一本の丸太が浮かんでいた。
丸太の真ん中には小さな穴が空いている。
その丸太は、風の吹くまま西へ東へ、南へ、
北へと漂っている。
弟子の阿難よ、百年に1度浮かび上がってく
るこの盲目の亀が、浮かび上がった拍子に、
丸太の穴にひょいと頭を入れることがあると
思うか?

阿難は驚き
「お釈迦様そんなことはとてもありえません」
釈迦
『絶対にないと言い切れるか』
阿難
「何億年、何兆年の間にひょいと頭を入れる、
奇跡が起きることがあるかもしれませんが、
無いと言ってよいくらい難しく、有り得ない
ことです 」
釈迦
『ところが阿難よ、人間に生まれることは、
亀が丸太の穴に首を突っ込むことより難しい
ことなのだ・・有り難いことなんだよ
““““““““““““““““““““““
ありがとうは感謝のことばです。
人から何かをしてもらったとき、ありがとう
と言います。
相手も「喜んでもらえてよかった」と嬉しく
なります。
漢字で書くと有難うになる。
有ることが難しいと書く。
なぜこれが感謝の意味になるのでしょうか?
有り難いは、有ることが難しいということで
めったにないことをいいます。

お釈迦様の逸話にあるように、人間に生まれ
ることは、それほど難しいことなのです。
「他人から何かしてもらうことは、めったに
無いことなん だよ、有り難いことなんだよ」
というところから・・
有り難い、それが有り難う・・ありがとう
なった。

2250 日経新聞/時事川柳・松茸

日本経済新聞が毎月投稿を受付ている時事
川柳で、この秋「松茸談義」のようなものが

次々投稿された。

松茸が  座る八百屋の  貴賓席
キノコの王様のように神々しく見えた

松茸山  消えて今は  ゴルフ場
昔は誰でも採りに行ける山があった

色白の松茸   外国産薫る
八百屋の貴賓席は国際化して、中国、カナダ
トルコ、モロッコなどの輸入品が並ぶ

松茸が  買うのですかと  僕を見る
見ているだけです・・と心のうちで返事した

松茸を  食べすぎたと  やせ我慢
松茸ごはん、お代わりの夢を見た

トドメは
三十年  松茸買った  ことがない
松茸もズワイガニも、旬を通り過ぎていく

2237 ことば遊び/第一回和漢川柳

ロート製薬が、年齢に伴って変化する体の
変化をテーマにした「和漢川柳コンテスト」
第一回目の募集では、全国から2万を超える
作品の応募があった。
「くすくす」と笑ってしまう作品、
「あるある」と思わずうなずいてしまう作品
など、ユニークな作品がいっぱい・・

● 最優秀賞
「 旅先で  観光せずに  まずトイレ 」

● 優秀賞
「 飲み会で  数値の高さ  競いあう 」
「自分へのエールはヨイショどっこいしょ」
「目じゃないの 膝てもないの 今日は腰 」
「 一万歩  歩いて膝が  ストライキ 」
「よい夢も  トイレ休憩  はさみつつ 」

● お腹周り部門
「 残された ベルトの穴が あとひとつ 」

● 眠り部門
「 寝返りを 何度打ったら 寝付くのか」

● こむら返り部門
「オハヨウの 伸びで足つり マッサージ」

● おトイレ部門
「さあ寝るぞ トイレ済ませてまたトイレ」

● もの忘れ部門
「言ったわよ 聞いてないぞに 自信なし」