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不運は幸運の始まり

■「つきを呼ぶ魔法の言葉」

182号配信のメルマガ、「足るを知る(2)」でご紹介した「つきを呼ぶ魔法の言葉」、 まだ読んでいないようでしたら、文中のファイルをダウンロードして、是非読んでみて下さい。 驚きと感動の世界に引き込まれるでしょう。

著者であり体験者である”五日市 剛”氏が、私の友人、木下孝治氏のお世話で、 金沢で講演することになりました。本人の口から直接お話を聴いてみたいと思いませんか?

開催日時 : 2004年 8月28日(土)  PM1:00~4:30
会  場 :石川県立音楽堂(全日空ホテル隣)
演  題 :「運命を変える奇跡のコトバ」
(イスラエルでの体験談と、読まれた人にお伝えしていない、その後に起きた、更なる奇跡のお話にご期待ください)
参 加 費 : 大人1500円  中高生1000円

チケットのお申込みは、076-291-1100へ

【吉村外喜雄のなんだかんだ 】
~幸せな人生を歩むために~
「不運は幸運の始まり」

私の人生を振り返ると、新しい未来に一歩踏みだそうとする時、 何故かその方向へ歩み出そうとするのを阻止するかのように、突然病魔に襲われた。
そんなことを二度も繰り返した。そのたびに、自分の思いとは違った人生を歩まざるを得なかった。しかし、 それを不幸に思ったり、不運と嘆くことはなかった。

自分が志した人生とは違っていても、そこに身を置くうちに新しい世界が開かれ、生きがいが生まれる。 違った形で幸運に恵まれ、不思議な出会いや、ご縁をいたくことができた。「運」や「ツキ」にも次々と恵まれた。

人から見れば不幸に見えることでも、「それもまた人生」「起きることすべて必然」と、肯定的に受け止めてしまえば、 不思議なことに、その後、それに倍する幸運にめぐり合えるのです。
五日市さんの不思議な体験は、そのことを如実に物語っている。私も、そこまで劇的ではないにしても、何度となく、 奇跡のような不思議なめぐり合わせや、出会いを体験している。
どんな境遇に置かれても、運やツキは等しく訪れてくると思う。その時の苦しみや悲しみが大きければ大きいだけ、その後、 それに見合うに余る幸運がやってくる。但し、それなりの努力をしていないと、折角の幸運も掴めないでしょうが…。

3月5日のメルマガ157号で、農作業中機械に両腕をもぎ取られた”大野勝彦”氏を紹介しましたが、 ご記憶にあるでしょうか。致知九月号にも、10ページにわたり特集しています。

機械に両腕が引き込まれていく。このままでは死ぬ!と、必死で引きちぎった。その瞬間、「やった! 助かった!  死なずに済んだ! 良かった」と思ったという。両腕を失ったときから、ご飯を食べるのも、オシッコをするのも、 お尻を拭くのも、人の手を借りなければ何も出来ない。なんとも情けない、上半身生きだるまになってしまったのです。

両手を失って初めて「手は宝物」に気づいた。家業であり、 天職であった農業を諦めざるをえなくなった。代わりに、”湧き出る生”への念いを詩に託し、”生きる喜び” を水墨画に、義手をつけて表現する、もの書きの人生が始まった。
隠れていた才能が、図らずも開花したのです。
数年後には、農業をやっていた頃の何十倍もの世界が広がり、新たな幸福を手にし、生きがいと、 世の中へのお役立ちが実感できるようになった。
「災い転じて福となす」とはこのことでしょうか。
失ったものは大きかった。代わりに「人への優しさ」「思いやり」「人生とは…」「生きるとは…」、 それまで見えなかったものが見えるようになった。
今まで気づかなかったことを学ばせてもらったという。
「もっと早くこっちの世界に来たかった」と言わしめるくらい、不自由になってから後、手にしたものは大きかったのです。

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