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人間万事塞翁が馬

前にも話したが、私は高校二年の時病気になり、大学進学をあきらめた。しかし、大学へ行けなかった分、 それだけ早く実社会で商売のノウハウを身につけることができた。
三年後、将来でっかい商売やってやろうと、東京の会社に転職した。ところが、上京二日前になって病気の再発がわかり入院。 このまま死んでしまうかもしれない…。
いつ治るともしれない長期療養生活へ…。二度も、人生の夢・目標がハジけた。

ところが、長い入院生活のお陰で、古典や哲学書、経営書、囲碁や易学、簿記など、将来に備えた勉強をたっぷりする機会を得た。後に、 そのとき学んだことが生かされた。退院後も療養は続く。ブラブラしていてはダメだと、片町に店を持たせてもらった。そのお陰で、 マネージメントのイロハをじっくり学ぶことができた。

病気のお陰で妻とのご縁を頂き、二人の子供を授かった。その後、再就職した会社で、それまでの経験が買われ? 中間管理職のトップに抜擢された。やること為す事すべて順調。時代の流れが後押ししてくれた。
その後バブルがハジけて多くのものを失ったが、そこから又、新たな幸運を呼び込んだ。「禍福はあざなえる縄のごとし」。 何が幸運で何が不幸か、それは後になってみなければわからない。

【心と体の健康情報 - 173】
~幸せな人生を歩むために~
「人間万事塞翁が馬」

青島幸男が東京都知事のとき、「人間万事塞翁が馬」という中国のことわざが、 広く世間に知られるようになった。
「何が幸運で、何が不幸か、そんなものはわかるものか」という意味である。

昔、塞上の翁のオス馬が逃げてしまつたとき、隣人が「気の毒に! 馬が逃げてしまって…」と言ったところ、 「まあまあ…」とこの老人は悲しまなかった。
数ヶ月後に、この馬がすばらしいメス馬を連れて帰ってきた。今度は隣人が、「いなくなったと思っていた馬が、 いい馬を連れて帰ってきた。まあ、おめでたいことで…」と言うと、老人は少しも嬉しそうな顔をしなかった。

間もなく、子供がこのいい馬に乗って遊んでいたら、落ちて背中を打って、身体が不自由になってしまった。近所の人は 「お気の毒に…」と言ったが、今回も老人は悲しむ様子はなかった。

そうしたら間もなく、隣国との間で戦争が起こって、敵兵が来襲してきた。
国中の若者が徴兵されて防衛に努めたが、戦いが激しく、出兵兵士の十人中九人までが戦死してしまった。
しかし、この老人の子供は身体が不自由だったため徴兵を免れ、父母のもとで幸せに暮らすことができたという。

人の一生というものは、すべてかくの如きものである。「禍福はあざなえる縄のごとし」というように、 幸せと思っていたら不幸になり、不幸と思っていたら幸せつながったりするものである。
人生、良いときも悪い時もある。「逆境」は誰にでも訪れてくる。のがれることはできない。佐藤一斎もまた、言志四録の一つ 「言志晩録」の中でこう言っいる。
「人の一生には、順調の時もあれば、逆境のときもあり、幾度となくやってくるものである。自ら検するに、 順境といい逆境といい、なかなか定め難く、順境だと思えば逆境になり、逆境だと思えば順境になるといった具合である。
だから、順境にあっても怠りの気持ちを起こさずに、ただただ謹んで行動するより仕方がないのである」

今、どんなにどん底の状態で、将来が見えない状態にあっても、希望を失わないようにしていれば、 その内に幸運が訪れてくるようになる。ヤケにならずに、もう少し、もう少しと我慢して、 日々の努力を怠らないようにすることでしょう。

誰しも、ある程度歳を重ねれば、順境も逆境も一つに見て、喜びも憂いとなり、 憂いもいずれは喜びとなることを知るようになる。何ごとも超越して、生かされていることを楽しみ、 今を生きていることを安んじることができるようになるものです。

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