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国家と国民

■アフリカに、植民地になることを免れた国が…

東洋において、日本が欧米諸国の植民地にならなかったことを、私たち日本人は誇りに思っている。
同様にアフリカにおいて、西欧諸国の覇権争いに巻き込まれず、植民地となることを免れた国があったことを、ご存知でしょうか?

その国は「エチオピア」。エチオピアの国民は、そのことを大変誇りに思っていて、外国から来た人にそのことを話すとき、 みんな目を輝かせるそうです。
世界遺産が十幾つもあって、誇り高く、ひときわ愛国心の強い民族だそうです。

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第22号】
~歴史から学ぶ~
「国家と国民」

司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、百姓国家日本が、ヨーロッパの大国ロシアを相手に、 日露戦争という途方もない大仕事に、無我夢中で首を突っ込んでいく物語です。
統一国家になって間もない明治日本が、国家の独立を守るため、国を挙げて努力の限りを尽くす。その時代に生きた日本人が、 身分の上下を問わず、それぞれに与えられた持ち場で必死に戦い、卓越した能力を発揮したがゆえに、為しえた快挙なのです。

さかのぼれば明治維新。日本が初めて一つの国家となる大革命を体験した。
その発端は、黒船による米国のどう喝外交にあった。当時の先進諸国は、東洋の国々に武力で脅しをかけて、 植民地を広げていった。
こういった軍事力を背景としたどう喝にめげず、怒りをもって、国を挙げた攘夷運動が沸き起こった国は、 数ある東洋の国々の中で、日本だけである。

もしこの時、幕府側と薩長側が、後ろ盾となっていたフランスとイギリスに援助を仰いで、国を二分する戦争をしていたら、 おそらくこうした列強につけ入られ、日本は二つに割られ、領土は割譲され、植民地への道をたどったことでしょう。

内乱に乗じて手を差しのべようとするのを、断固として拒否したことが、私達の祖先、明治維新の当事者たちの、 形に表れない偉業なのです。
徳川十五代将軍は、戦う能力が十分にあったにも関わらず、兵を引いた。
それに対して薩長側も無理押しをせず、両者がアウンの呼吸で、内乱を避けたのです。
江戸幕府から薩長の明治政府へ、無血政権譲渡が成立したことは、欧米の列強から見ると、驚くべきことだったのです。 中央政府である江戸幕府から、何ら干渉を受けることなく、独立国家の運営を任されてきた全国三百諸藩が、 素直に支配していた自領を明け渡すとは、想像もできなかったことです。
明治政府が誕生する以前は、まだ日本国という中央集権国家は存在せず、藩の人間ではあっても、 日本人であるという意識はなかった時代です。

江戸時代、武士階級のみならず、町人百姓に至るまで読み書き手習いに励み、 幼少の頃から四書五経をたしなんできた国民であるということ。そして、中国がアヘン戦争に負けて、 列強の餌食になっていく過程を、長崎から入ってくる情報によって、武士階級の多くの人たちが、知っていたことにある。

PHP「リーダーのための司馬良太郎」より

あの大きな世界のうねりの中、江戸末期から明治にかけて、日本がその歩む方向を誤らなかったのは、 無学文網の士が極めて少ない高い教育水準が、諸外国から入ってくる情報を正しく判断し、 処理する能力を有していたということです。

江戸末期、日本にやって来た欧米人は、慎まやかで礼節を重んじ、読み書きができる日本人に接し、 その教育レベルの高さに驚嘆したのです。
百姓の身分でありながら、学問に励んだ二宮尊徳。米沢藩の米百表の逸話などがその良い例です。
江戸時代に全盛期を迎えた教育土壌。全国津々浦々、農村にまで寺子屋があったことが、明治になって開花し、 素晴らしい人材を次々と輩出するに至り、国家を繁栄に導いたのです。
NHKの大河ドラマ「新撰組」を見ていれば、当時のことがよく解るのです。

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