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みんな仲良く助け合い

■詩人・坂村真民の代表作 「二度とない人生」

二度とない人生だから 一輪の花にも 無限の愛を そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも 無心の耳を かたむけてゆこう
二度とない人生だから 一匹のこおろぎでも ふみころさないように
こころしてゆこう どんなにか よろこぶことだろう

二度とない人生だから 一ペんでも多く便りをしよう
返事は必ず 書くことにしよう
二度とない人生だから まず一番身近な者たちに できるだけのことをしよう
貧しいけれど こころ豊かに接してゆこう

二度とない人生だから つゆくさのつゆにも めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめて みつめてゆこう
二度とない人生だから のぼる日しずむ日 まるい月かけてゆく月
四季それぞれの 星々の光にふれて わがこころを あらいきよめてゆこう

二度とない人生だから 戦争のない世の実現に努力し
そういう詩を 一篇でも多く作ってゆこう
わたしが死んだら あとをついでくれる若い人たちのために
この大願を 書きつづけてゆこう

【心と体の健康情報 - 144】
~日本人のアイデンティティー~
「みんな仲良く助け合い」

ほんの20~30年前まで、日本人の長い歴史の根底にあったアイデンティティーは、「みんな仲良く助け合い」でした。 三月まで放映していたNHK朝の連続ドラマ「あした天気になぁ~れ」は、昭和三十年代から四十年代のパン屋さん家族の物語。 寅さんの「男は辛いよ」もそうですが、ご近所や町内の皆さんが、家族同様の触れ合いをしている。
そういったシーンを見るにつけ、今は失われてしまった、人情味溢れた善き時代があったことを思い起すのです。

中山靖雄氏は、「広やかな心」の中で、日本人の特性をユニークに語っています。

日本の着物は大抵の人が着られます。 洋服は一人ひとりサイズを合わさなければ着られない。下駄もみんな共通、誰でも履ける。 靴はそうはいきません。下駄は左右反対でも履けるが、靴は左右反対というわけにはいかない。 懐中電灯は一点しか照らさないが、提灯はみんなを照らす。

日本式住居は、襖・障子を取り払えば、「みんな仲良く助け合い」です。昔は、結婚式も葬式もみんな家でやった。 今の住宅のほとんどは個室尊重型だから、家族のコミュニケーションが図りにくい。日本式浴室は何人も入れて、 親子が触れ合う場だが、西洋式バスは一人しか入れない。日本は、一部屋にお布団を詰めて敷けば、 何人でも寝られる。洋室の寝室はそうはいかない。

西洋のチェスは駒取りゲーム。日本の将棋やマージャンは、駒を生かすゲーム。
「みんな仲良く」なのです。日本人の根底にあるものは「みんな仲良く助け合い」なのです。 個人のプライベートを尊重するよりも、 家族の集団的触れあいを中心とした生活様式で暮らしてきたのです

                                     
戦後米国から入ってきた欧米の生活文化と教育思想が、日本古来の家族文化を破壊し、地域社会をよそよそしくし、 偏った個人主義がはびこる社会にしてしまったのです。
私たち夫婦は、結婚と同時に両親と同居しました。当時は親と同居するのが普通だったのです。そして、 私の妻は年老いた両親の世話をし、看病をし、天国へと見送ったのです。今は、 住む場所があっても 同居しない親子がほとんどです。

そんな社会構造が、子育てがわからなくノイローゼになる母親が増え、子供を見てくれる年寄りがそばにいないから、 保育所や託児所に子供を預けなければならない。
一方の年寄りは、我が子が近くにいても独り暮らし。
市町村は、子供を預かるためや、老人介護のために、お金をかけて施設を作らなければならない時代になったのです。

家族みんなが助け合い、支えあって生活してきた、日本の家庭の良さが、今はもうないのです。親子の間の情が薄くなり、 近所づきあいもなくなり、なんとも寂しい世の中になったものです。

テレビのホームドラマの家族構成は、両親にお爺ちゃんかお祖母ちゃんが同居しているケースがほとんど。そして、 大家族がそろって食事をしている。その食事風景のなごやかなこと!
私達の子供の頃に繰り返された懐かしい光景が、今の普通の家庭のごとく演じられている。それが、 見ている人の郷愁をさそうのでしょう。

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