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千 玄室/茶のこころ

「男たちの大和」を見られたでしょうか。先週の金曜日は、京都で論語の勉強会。
田舞代表は講義の中で、この映画を鑑賞した感想を語った。そして"ビンタ"には、
単なる暴力行為ではない、深い意味がある場合もあることを、知ったという。

以下、長嶋一茂ふんする下士官が、いよいよ死への出航という時、叫んだ言葉です。
  『進歩のない者は決して勝たない! 
 負けて目覚めることが、最上の道だ。
 日本は、進歩ということを軽んじ過ぎた。
 私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。
 敗れて目覚める…。
 それ以外に、どうして日本は救われるか!
 今日目覚めずして いつ救われるか!
 俺たちは、その先導になるのだ。
 日本の新生に先がけて散る。まさに、本望じゃないか!』

吉田 満著「戦艦大和ノ最後」より

今の時代に生きる私達。そうやって死んでいった若者たちの"志や愛国の心"を、無意味なものにしていないでしょうか…。

 

 

【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 110】
~歴史から学ぶ~
「千 玄室/茶のこころ・終戦時の思い出」

「自分は誰の世話にもならず、この世にポツンと生まれてきたわけではない。
必ず両親があり、家族があり、地域があり、国家があり、世界があり、生まれてきた時代がある」
そこで、忘れてはならないのは、太平洋戦争で国を守るために散っていった特攻隊員や、戦艦大和の若き兵士たち…
以下、新春経営者セミナー講演講師、裏千家十五代家元"千 玄室"氏 「茶のこころ」から…「昭和20~21年、終戦当時の思い出」の部分です。

-前文略-
1945年3月末、予科練の下士官が集められ、司令官から
「いよいよ戦況が不利になってきた。貴様たちに死んでもらわなきゃいかん」
と、沖縄への特別攻撃隊の編成を申し渡された。

正直に、三つのどれかに丸印せよと、「熱望・希望・否」と書いた紙を渡された。
お国のために我が身をささげると、心に決めている。だから迷いはない。
名前を書かなければなりませんから、「否」に丸印を付けることなど出来ない。
私は「熱望」に丸を付けた。全員が特攻隊員になった。

仲間は順次、出撃の命令を受けたが、私は待機です。同僚と「一緒に死のう」と約束しており、上官にも訴えましたが、「命令が出るまで待て」と、待機させられた。そうこうしているうちに、終戦を迎えた。

多くの仲間が雄々しく敵艦に突っ込んで、亡くなっているのです。
一度死のうと覚悟を決めていた自分が、敗軍の将となった訳ですから、何とも言えずやるせなく、申し訳ない気持ちになった。

※戦後、「特攻隊員は、上官の命令で哀れにも死んでいった、戦争犠牲者である」と、学校で教え込まれた。実際は、今まさに死への旅立ちという時に、一人として自らの運命を呪い、嘆き悲しんだ者はいなかったという。

誰もがお国のため、後に残される妻や家族のためと、笑顔で飛び立っていった。
人のため、国のため、何にも代えられない自らの命を捧げた若者たち…。
時代が、当時の社会が、若者たちをそんな方向へと、導いていったのです。

しばらく虚脱状態で休んでいましたが、そのうち米軍の将兵たちが、お茶を飲ませてもらおうと、わが家にやってくるのです。勝った国の将兵が、どうして敗れた国の、それも難しいとされる、伝統文化の茶道に、興味を持つのか?不思議でした。
勝った国の者は、したい放題するもの…と思っていた。
日本を知るために伝統的なものを学べと、司令部の命令が出ていたそうです。
負けた国の文化を学ばせる度量の広さには、「さすがアメリカや」と思いました。

進駐軍第六軍司令官に、DAIKUという人がいた。
早稲田大学で学生を前に講演し、「君たちは茶道を知っているか? 利休という人が世に出て、織田信長や豊臣秀吉ら、多くの武将を弟子にした。茶室には武器を持って入れない。どんな人間でも平等で、序列もない。同じ所に座って、同じものをいただく。民主主義の基本を作った人だ…」と、話されたそうです。

神妙な顔をしてお茶を飲んでいる米軍将兵らを見て、戦勝国の軍人をここまでさせる日本の茶道とは、大変な文化やなと、改めて思いました。
-以下略-

※今の学校の歴史教育。千 利休などを通して、日本人に生まれたことを誇り に思う、そんな教育がなされているだろうか? 先人達が命を賭して築いてきた日本。その時代を創りあげてきた先人達のことを、もっと学ばなければならない。

我が故郷には、15才の時に「啓発録」を著し、後に処刑された"橋本佐内"や、近代日本を代表する哲学者"西田幾太郎"、禅を世界に広めた"鈴木大拙"、台湾でダム建設に尽力した"八田興一"、タカジャースターゼで知られる、科学者"高峰譲吉"博士などを輩出している。

学校で教わったかどうか、記憶が定かでない人もいる。こうした偉人たちの偉業を詳しく知ったのは、50歳を過ぎてからである。

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