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玉音放送までの24時間

■8月14日深夜11時「詔書」が発布され、無条件降伏受諾。

8/9日以降、降伏すべきか否かで、議論に議論を重ねてきた、鈴木内閣の閣僚たち。
疲労と心労が一度に噴出し、ほとんど虚脱状態に近かった。
その頭の中で、にぶい様々な思いが去来して交錯。
ある者は、日本建国以来初めて経験する敗北を思い、ある者は、和平終戦に持ち込めなかったことを悔やんだ。

原爆が各都市を次々と破壊していく。
九州の薩摩半島と、関東の九十九里浜へ殺到する100万の連合軍艦隊。
北方にはソ連。いや、ソ連は朝鮮半島を一気に南下し、九州や中国地方へ迫ろうとしている。
受諾が一日遅れたら、日本は各所で分断され、男も女も、子供も老人も、砲火と硝煙の中で倒れ、 日本列島は8,000万の累々たる死の島になるだろう…。

これらの曖昧無辜(あいまいむこ)とした思いも、ポツダム宣言を受諾するまでの肉体的疲労感には勝てず、ともすれば薄らぎ、 最後に残る感慨は、誰しも皆一様に同じだった。
疲れた、長い日だった。本当に長い一日だった。その長い日が、今やっと終わった。

映画「日本の一番長い日」 より


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 187】
~歴史から学ぶ~
「玉音放送までの24時間」

7/28、鈴木貫太郎首相、連合国のポツダム宣言を黙殺すると言明したため、米国はそれを口実に広島と長崎に原爆を投下。
ソ連の参戦の後、昭和20年8月14日午前10時50分、鈴木貫太郎首相以下御前会議が開かれ、 天皇陛下のご裁断による"終戦の大詔"が発せられ、ポツダム宣言が受諾された。

直ちに詔書作成のための閣議が開かれ、有識者の安岡正篤や外務省の意見をもとに、814字の詔書がその日のうちに作られ、 深夜11時発布された。
直ちにスイスとスウェーデンを通して、連合国側に受諾する旨通達された。

8/14「官報 号外」

「ようやく、長い一日が終わったと思ったのは間違いだった。そこから更に長い一日の始まりだった」

映画「日本の一番長い日」より

受諾決定を国民に知らせるため、14日夜9時「15日正午、重大発表があります」と、全国にラジオ放送された。
15日朝には、それが天皇自らの放送であり、「正午には必ず、国民はこれを聴くように」との注意が、重ねて流された。
また15日の朝刊は、放送終了後の午後に配達するよう、特別措置が採られた。

ポツダム宣言受諾決定を知らされた陸軍の一部は、徹底抗戦を唱え、翌日放送のため宮内省に保管されている録音レコード盤を、 クーデターにより奪取しようと、計画を練っていた。
録音作業は14日夜半、詔書発布直後の11時20分頃から始められ、2回のテイクにより、玉音盤は合計2種4枚製作された。 翌15日午前1時頃無事終了。

敗戦の混乱が皇居に及ぶことを憂慮した東宮侍従は、急ぎ、幼い明仁親王(今上天皇)の手を引いて、密かに皇居から避難。
陸軍の皇居警護をかいくぐり、宮中から脱出。
追跡の及ばない場所へ逃れ、玉音放送に備えた。

15日早朝、玉音放送の準備を終えた録音技師が、宮内省から退出するところを、陸軍幹部将校ら7人が指揮する近衛師団兵卒が拘束。
武力をもって宮内省を占領…建物内に押し入って、玉音盤の捜索を行った。

計画では、昭和天皇を殺害し、幼い明仁皇太子を新たに擁立し、戦争続行を企てようというもの。
首謀者は、陸軍省軍務局員"畑中健二"少佐と"椎崎二郎"中佐で、近衛師団長"森赳"中将にクーデターへの参加を断られると、 中将を殺害して、虚偽の動員命令を発し、行動を起こした。

2時間近く、宮内省を必死に捜索したが、目当ての「玉音盤」は発見できなかった。
軍部の一部に不穏な動きがあることを察知した政府は、玉音盤を女官の控え室に隠して、間一髪難を逃れた。
そこで反乱部隊は、放送会館を武力占拠して、玉音放送を阻止しようと試みた。が、15日未明、 第12方面軍司令官"田中静壱"大将が状況を察知し、自ら反乱部隊に出向き、説得。
首謀者が自決して、事件は収拾した。

更に、15日午前11時にも、放送を中止させようと、憲兵が放送会館に乱入する事件が起きたが、取り押さえられた。

この貴重な玉音盤は、戦後しばらく所在不明になった。
歴史ドキュメンタリー番組などで耳にする玉音放送の声は、たまたま、日本放送協会の技師が録音テープにダビングしていたものを、 再生したものです。
その後原盤が発見され、NHK放送博物館に、窒素ガスを充填したケースに入れられ、厳密な温度・湿度管理され、保管・展示されている。
ただ、保存状態が悪かったため、昭和天皇の肉声の再現は困難だという。

■「ポツダム宣言」

連合国首脳が、太平洋戦争終結条件と戦後処理の方針を定めたもの。

  • 1.日本軍国主義の駆逐と、軍国主義指導者の永久除去
  • 2.平和と秩序が建設されるまで、連合国による日本占領
  • 3.日本国の主権は、本州、北海道、九州、四国及び、連合国が定める
      諸小島への制限
  • 4.日本国軍隊の完全武装解除と、兵士の復員
  • 5.戦争犯罪人の処罰と、日本国内における言論・宗教・思想の自由、
      及び基本的人権の尊重
  • 6.軍需生産の禁止
  • 7.前記諸目的が達成され、日本国民の自由意志による平和的政府が
      樹立された後における、占領軍の撤退
  • 8.日本国軍隊の無条件降伏

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