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江戸小噺・大晦日のツケ払い

■ことば遊び 「中村メイコ」名前の由来

9月まで、NHK・BSの朝のテレビ小説で再放送していた「さくら」。
ハワイ生まれの日系三世の"さくら"が、高山の中学の臨時教員になり、文化・習慣の違いから騒動を繰り返す、とても面白い番組だった。 東京で叔父(小林亜星)が金魚屋を営み、その奥さんが"中村メイコ"。何とも素敵な脇役を演じていた。

中村メイコの父親は、昭和初期の日本では育ちにくい、面白おかしいものを書くユーモア作家。それがよく売れて、人気作家になった。

メイコは、昭和9年5月15日、東京杉並の洋館建ての自宅で産声を上げた。
父は白い紙に「五月」と書いて言った。

  「役所には五月(ごがつ)とだけ届けましょう。
  その名前を見て、漢字好みの人は"さつき"、
  西洋好みの人なら"メイ"と呼ぶかも しれません…」

読売新聞「時代の証言者」より



【吉村外喜雄のなんだかんだ - 202】
~ことば遊び~
「江戸小噺・大晦日のツケ払い」

12月に入り、年賀状の手配も終り、何となく気ぜわしい思いをしている毎日です。
江戸の昔は、普段はツケで買い物をして、支払いは盆暮れにまとめて支払うのが習慣でした。大晦日ともなりますと、このツケの支払い、 カケの受け取りで、大変でございますな…。
そりゃ金がありゃあいいですよ。その日暮らしの貧乏人の中には、どうしても金の工面がつかないという者が出てまいります。 そうかといって、商人の方だって、夜明けまでに取り損なえば、また半年待たなくっちゃいけないんでございますからな…。

♪この暮れは、どうにもこうにもやり繰りがつかないという男。
どこからか都合してきた棺桶の中に入って、女房に申しましたですな…。
「俺を死んだことにして、何とか今夜をやり過ごしてくれ」
『そんなバカなことをして、後をどうしなさる?』
「なぁに、元日に生き返ったと言えばよい」

無責任なヤツがあったもので…。そこへ米屋が掛取りにまいりましたな。
女房は、あまりの情けなさに涙を零しながら、しどろもどろの言い訳をいたしますてぇと、気のいい米屋、
『この暮れへきて、急に亡くなったとはお気の毒。せめてこれでも…』
と、いくらかの銭を置こうとする。
「とんでもないことで、お借りしたものをお返しも出来ないのに、これはいただけませぬ」
『そう言わずに取ってくだされ』
押し問答をしておりますと、棺桶から手が出て、
「呉れるというものは、もらっておけ!」

そんな気のいい米屋ばかりではありませんな。
♪大晦日、みすぼらしい姿の浪人が、米屋にまいりまして、
「お主のところの借財が払えぬ。拙者も侍の端くれ、申し訳のため、この店先にて腹を切り申すが、どうじゃ…?」
米屋の亭主はせせら笑って、
『お前様方のお決まりの脅し文句…。その手には乗らぬ』

進退窮まった浪人、肌脱ぎになりますてぇと、脇差を腹へ突き立て、へその際まで切りましたですな。
「うぅ…どうじゃ、かくの如くだ…!」
『どうせ切るなら、なぜみなお切りなさいませぬ?』
「うむ…、残りの半分は酒屋で切る」

掛取りに回る手代の方にも、泣き落としの決まり文句がございましたそうで、
「今日は大晦日、たとえ半金でも払ってくだされ。手ぶらで帰っては、主人の手前、わたしが首をくくらねばならぬ」
『すまぬが、今夜のところは、そうしておいておくれ』

こちらは橋の下を住まいとする、乞食夫婦でございます。
「ねえお前さん、町中では、払え、払えぬで大騒ぎしているようだけど、こっちは気楽でいいねぇ…」
『これ!大きな声で言うんじゃない』
「あれ、どうしてだい?」
『みんなが乞食になりたがる…』

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