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禅寺に名園

■映画・レッドクリフ(赤壁)

先週の休日、私の大好きな、三国志"赤壁の戦い"を映画にした「レッドクリフ・前編」を鑑賞した。魏の曹操が、全国制覇を夢見て南下…迎え撃つ劉備と孫権の同盟軍は、"赤壁"に陣を敷く。
上映2時間半…3/2が戦闘シーン。黒澤監督の七人の侍を彷彿させ、趙雲・張飛・関羽そして、中村獅童が演ずる呉の将軍/甘興など、1人ひとりが見せる戦闘シーンは圧巻。
軍師・諸葛孔明の"八卦の陣"など、奇策と知略がふんだんに組み込まれ、スケールの大きさでは、タイタニックに劣らないだろう…先行上映された中国では、タイタニックの興行収入を塗り替えたという。
制作費100億円、アジア映画史上最大のスペクタル巨編。是非見ておきたい映画です。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 615】
~歴史から学ぶ~ 「禅寺に名園」

今年の紅葉は、例年になく美しいという。毎年11月になると、夫婦で京都を散策する。京都の楽しみは何といっても、木々が色づく美しい庭園巡り。
そして、夜には秋の味覚に舌鼓をうつことです。

お寺回りをしていて気がつくのは、美しい庭園があるお寺の、そのほとんどが"禅寺"であることです。
石庭で有名な龍安寺、苔寺として有名な西芳寺、京都三大名園の一つ天龍寺、ねねの大徳寺、金閣寺、銀閣寺など…数えればきりがない。このように禅寺に名園が多いのは、禅と庭園の間には、深い因果関係があるからです。

以下、枡野俊明「夢窓疎石・日本庭園を極めた禅僧」からの抜粋です。
禅は、「心の問題を追及していく教えであり、ものごとの心理を見極めていく訓練の場」である。
そして、禅の修業を重ねる目的は、「本来の自己と出会うこと」にあり、「人間の持つ心の本性を、明らかにすること」にあります。

禅は、心の教えの根本となる"哲学"を説いていく。従って、禅そのものには形がなく、目に見えるものはない…。
鎌倉後期から室町時代の禅僧たちは、この目には見えない自分の境地そのものを象徴化し、何かの形に置き換えて表現しようとした。ここから"禅の芸術"が生まれた。己を"無"にして"美"を極めていく中から、禅文化が育まれたのです。

こうした禅文化を象徴するのが「禅の庭」なのです。
禅僧たちは、自己を表現する場として庭造りに取り組み、自ら修行を重ね、会得した心の状態を、庭園という空間造形芸術に、落とし込んでいったのです。

「禅の庭」の父と呼ばれ、京都における「禅の庭」の原点となる庭園芸術を生み、完成させた"夢窓疎石"(むそうそせき1275~1351)。
室町初期の禅僧"夢窓疎石"の存在は、その後、日本の庭園芸術が開花していく中で、忘れてはならない存在になる。

夢窓疎石は、これまでの庭には見られなかった"石組み"を積極的に行い、庭園に"空間造形"を造り上げた。この作風がその後、京都における西芳寺、天龍寺などの造園の原点となり、やがて「禅の庭」は"枯山水"へと、たどり着くのです。

数ある京都の名園中で、私が好きなのは、大宮御所に隣接する"仙洞御所"庭園…17世紀に造営されたが、"空間造形"をみごとに演出している…。

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