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六代将軍・徳川家宣

■火事と喧嘩は江戸の花

「火事と喧嘩は江戸の花」と言われるくらい、江戸は火事が多かった。
長屋が密集していて、火事が起きると、直ぐに燃え広がった。
消防体制など無いに等しく、水をかけて消すよりも、周りの家を壊した方が手っ取り早い。
その役割をするのが「いろは四十八組」の、威勢いい若い衆。

夜中に火事を発見すると、半鐘を鳴らす。
二度打ちから五度打ちまで4パターンある。
「ジャン・ジャン」の二度打ちは、火事場が遠い時。
「ジャン・ジャン・ジャン」と三度鳴らされると、近いので避難しなければならない。
ちなみに四度打ちは、火事ではなく、水害などの他の災害になります。
五度打ちはめったなく、江戸城のま近かが火事になった時に鳴らされます。
この時は、四十八組総動員して消火に当たります。
家財道具を揃えても、火事になれば焼けてしまう。
従って自前で揃える人は少なく、必要な家財はレンタル…質屋を頻繁に利用した。
質屋には蔵があって、焼けません…。

ところで、火事をネタ噺にした落語といえば、「味噌蔵」「富久」「火事息子」
「鼠穴」などがある。「味噌蔵」は、2008年5月13日No.566で配信しています。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 647】                                                     ~歴史から学ぶ~ 「六代将軍・家宣」

パリの下町で暮らす母娘…高等学校に通うおてんば娘が、ある日突然、ヨーロッパの某王国の後継女王になった。 桧舞台で次々引き起こす騒動…映画「プリティ・プリンセス」そっくりの夢物語が、江戸幕府・将軍家世継で起きていたのです。

六代将軍徳川家宣がその人…甲府藩主綱重の長男として江戸藩邸に生まれる。
(綱重は、三代将軍家光の三男。長男は四代将軍家綱、四男の弟は五代将軍綱吉)
父・綱重がまだ正室を迎える前の19歳の時、身分の低い女中に子を産ませた。
世間をはばかり、家臣の新見正信に預けられ、正信の子・新見左近として育てられた。

ところが、正室を迎えた父綱重…世継の男子に恵まれず、呼び戻されて、17歳のとき、 思いもよらない甲府藩の家督を継ぐことになった。
その後、伯父の四代将軍家綱に可愛がられて、"綱豊"と名乗る。

43歳の時、五代将軍綱吉にも世継が無く、世継候補も死去したため、綱吉の養子に迎えられ、"家宣"と改名して、 江戸城西の丸に入る。
思いもよらぬ幸運で、将軍職にまで上り詰める…昨年の大河ドラマ、篤姫のようです。

西の丸に入った時、諸大名や旗本が、賄賂に近い祝いの品を持参したが、家宣はこれらの一切を受け取らなかった。 家宣48歳の時綱吉が亡くなり、ついに六代将軍の座に…。
将軍になるや、人事を一新…悪しき慣習や不正を、厳しく取り締まった。
悪評高かった「生類憐れみの令」や「酒税」を廃止するなど、気概を示したため、庶民から喝采でもって迎えられ、期待は高かった。

先代の綱吉は、「生類憐れみの令」を継続するよう遺言したが、家宣は葬儀の二日前、綱吉の柩の前で、側近の柳沢吉保に言った…
「生類憐れみの禁令に触れ、罪に落ちた者は数知れない。私は天下万民のために、あえて遺命に背くことにする」…この時、 罪を許された者は、八千数百人になるという。

先代は、老中を遠ざけ、ご用人・柳沢吉保を重用したが、家宣は、吉保を免職…新井白石を登用して、文治政治を推し進める。
財政改革に熱心だったが、在職わずか3年、51歳で惜しくも死去。
次の七代目将軍職は、家宣の子の"家継"が継いだ。

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