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モンゴル・スダディツアー

■北陸に雪が降らなくなった理由
 
豪雪地北陸…そんな代名詞が付いた北陸に、雪が降らなくなって久しい
40年前と、今年の平均気温を比べると、輪島・舳倉島が2.6度、金沢は1.6度
上昇したという。地球温暖化現象が身近に感じられるようになったのです。
 
車と冷房…ヒートアップ現象で、東京の平均気温が上昇した話は聞く…。
なのに何故、金沢から遠く離れた孤島、舳倉島の平均気温が高いのだろう?
温暖化で海水温が上昇したことが、舳倉島の気温を金沢より高くしているのです。
 
お盆休み、モンゴルへ旅した…モンゴル北部は青々とした草原が広がっている…
車も工場も少ない草原の国が、30年の間に最大4.4度も気温が上昇したという。
川や三日月湖が干上がり、草木が枯死し"砂丘"が出現して、緑が埋もれていく。
 
モンゴル北部は、日本の冬の気候に影響を及ぼす、シベリア寒気団の発生場所です。
温暖化が寒気団の発生を弱め、私たちが住む北陸に暖冬をもたらすのです。
「北国新聞」
 
 

【吉村外喜雄のなんだかんだ - 690】
「モンゴル・スダディツアー」

 
お盆休み、モンゴル・スタディツアーに参加…白鵬や朝青龍の故郷を見聞した。
モンゴルは、1990年ソビエトが崩壊した時、社会主義国から民主主義国に衣替え、独立した。 自由経済の国に生まれ変わってわずか18年の、発展途上国なのです。
 
90年代…社会は混乱し、失業者が溢れた。首都には社会の貧困で見捨てられた「マンホール・ チルドレン」と呼ばれる子ども達が八千人もいた。冬は氷点下30度にもなる極寒の地…子ども達は、温水管が通るマンホールの中で、 寒さと飢えをしのいだ。
汚水が漏れるマンホール…その環境は劣悪…子ども達は感染病や、皮膚病に悩まされた。衣服は盗まれるのを防ぐため、全て身につけ、 路上で歌を歌ったり、車拭き、ガム売りをして収入を得、仲間と分け合い、食料を買った。稼ぎが無い時は物乞いをし、 ゴミ箱から食べられるものを漁った。どうしようもない時は、万引きをして飢えをしのいだのです。
 
私と会社が長年お世話になっているN教育研究所は、 そうしたモンゴルの子ども達の窮状に手を差し延べ、八年前、モンゴルの首都ウランバートルの郊外に学校を建て、寄贈した。 「大地の家」と名付けられ、現在約20人の子ども達が暮らしている。
今回、その「大地の家」の子ども達と交流するため、モンゴルを訪れたのです。
二日目「大地の家」を訪問。子ども達とピクニックに出かけ、ゲル(パオ)に宿泊。
一晩寝起きを共にして、交流を深めた。
 
モンゴル・スタディツアー
 
モンゴルの人口は270万人。首都ウランバートルに100万人住んでいる。
国土は広く、日本の4倍…人口密度は世界一低い。バスに揺られ、1時間も走ると、そこは原野。集落はなく、 遠くにポツンとゲルが見えるだけ。
 
平原に牛や羊が群れている。町から2時間も走ると、家畜を囲う柵がなくなり、 半野生化した牛や馬が草を食んでいる。
隣人が遠く離れているため、「おはよう、今日は、今晩は」という日常挨拶語がない。「良い春(夏、秋、冬)を過ごしていますか」が、 挨拶ことばになる。
 
年間平均降雨量は300ミリ…8月日本は豪雨に見舞われ、わずか一日で300ミリ降った所もある… 日頃、雨男と言われる私…初日の夕方から帰る日まで、空一面雨雲が垂れ込め、期待していたお星さま(天の川)が見られず、 キャンプファイヤーも、冷たい霧雨で中止になった…ついていない。
 
モンゴル・スタディツアー
 
三日目、朝食後子ども達とウランバートルへ…ガンタン寺、国立自然博物館、 ボグドハーン宮殿などを観光。外国人観光客も多数訪れていたが、「観光シーズンは夏場の4ヶ月だけ…直ぐに寒い冬が訪れる」と、 アルバイト・ガイドの女子大生が言う…日本の大学に留学していて、日本語が上手だった。

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