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チュニジア紀行「古代カルタゴとローマ」

■波乱万丈・チュニジアの歴史
BC2000年 : ベルベル人、ヌミディア王国建国
814年 : フェニキア人による都市国家・カルタゴ建国
146年 : カルタゴ滅亡。ローマの支配下に…
紀元439年 : ローマ帝国衰退。スペインからゲルマン民族侵入
王国建国
533年 : ビサンチン帝国(東ローマ帝国)の支配下へ…
647年 : ビサンチン衰退。
以後1200年、イスラム・アラブの支配下に…
1881年 : フランスの植民地支配
1956年 : 独立運動の後チュニジア共和国建国
チュニジアは、各時代この地を支配した民族の遺跡・文化が多彩に点在し、世界遺産は8ケ所…古代から現代まで3千年の歴史が詰まった、 魅力満載の国です。

【吉村外喜雄のなんだかんだ - 747】
チュニジア紀行「古代カルタゴとローマ」

二月中旬、地中海の宝石と呼ばれるチュニジアを訪れ、世界遺産巡りをした。
ヨーロッパ風土の白く美しい街並みから、穴居住まいのベルベル人、サハラ砂漠まで、 見所満載のチュニジアの旅…
今から約二千八百年前、地中海を挟むイタリアの対岸のアフリカの地に拠点を置いた、 都市国家カルタゴ…海洋民族・フェニキア人が建国したこの国は、地中海貿易の中継地点として栄華を極めた。
紀元前二世紀、新興ローマとカルタゴが、地中海の覇権を巡って戦った。
第二次ポエニ戦争では、名将ハンニバルが、アルプス超えの奇襲を敢行し、ローマを窮地に追い込んで、 その名を後世に残した。
しかし、第三次ポエニ戦争でカルタゴが敗れ、滅亡…その悲劇的結末は、今も伝説になって、 語り継がれている。
チェニジアの旅3日目、首都チェニス南西約100キロの世界遺産「ドゥッガ」へ… アフリカを代表するローマ・ビサンチン複合遺跡の、その広大さ・素晴らしさに、ドギモを抜かれた。
紀元前7百年頃、ヌミディア王国の都ドゥッガは、カルタゴの支配下にあった。
カルタゴ滅亡後、その都の上に、チェニジアでは最大規模のローマの街並みが建設された。
25万平方メートルの地に、神殿・共同浴場・凱旋門・住居跡など、昔をしのぶ遺跡群が… 当時の繁栄ふりが伝わってくる。

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