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李氏朝鮮五百年/第九代・成宗王

■李氏朝鮮と徳川幕府の違い
 
李朝は27代にわたって、父子か兄弟が王位を継承している。
ところが、王位をめぐる血みどろ骨肉の争いから、新しい王が
前王の政策を踏襲せず、政策の継続性は断ち切られた。
 
徳川幕府265年…歴代将軍と幕閣は法を重んじ、よく尊守し、
この間の文武の政策は、継続性が保たれた。
この時代の日本は、世界でも珍しい平和を享受し、当時の
国際社会では、極めて高い経済成長を維持しているのです。
 
李氏朝鮮と徳川幕府を比べると、文字通り両極端。
19世紀後半、両国が近代国家への参入を強いられた時、
日本は物心ともに、驚くべき強靭な力を蓄えていたのに対し、
李氏朝鮮は、そのような活力をまったく持ちあわせていなかった。
 
            崔 基鎬著 「韓国堕落の2000年史」
 
 
764 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~ 
「李氏朝鮮五百年/第九代・成宗王」
 
第九代の”成宗王”は、TV「大王世宗」でおなじみの4代”世宗王” の孫に当たる。1457年に生まれ、1469年13歳の時に即位した。 1494年に37歳で没するで、25年間在位。 成宗が幼少の頃は、七代”世祖王” の姫が7年摂政を務めた
 
成宗は英明な王で、文武に秀で、学問を好み、射芸書画に秀でていた。 賢君として、外交面では辺境を平らにし、内政あらゆる方面で、 治績が顕著であったと記録されている。
 
李朝の歴史と治績を記録した「朝鮮王朝実録」によれば、成宗は籍田を自ら耕し、 思いやり厚く、勧農民治に努め、広く人材を登用したと記されている。
(※籍田…天子が祖霊に供える米をつくるために耕作する稲田)
 
経史百家に精通した成宗は、学問の振興に尽力し、弘文館、尊経閣、 読書堂を設立して、大学や郷学に田地を配り、書籍を贈って学問を奨励した。
また、重要な書籍を相次いで編さんし、国を治める法律集「経国大典」を編ませた。
 
成宗は廃仏政策を行い、世宗の代に復興した仏教を遠ざけたが、 李朝の諸般文物制度を整備し、初創期の李氏朝鮮隆盛のために尽力した。
 
賢君・成宗も、女性問題では歴史に禍根を残した。
正妻が、後宮の妾たちへの嫉妬が激しいという理由で、 王后の地位を廃し、常民地位に落として、 実家に送り返したのです。
 
二人の妾の王后追い落とし陰謀に、重臣たちが加わり、 王をそそのかし顛末…追放だけでは事足らず、更に王をそそのかして、王后を殺害してしまった。
これが次の第十代王の世になって、 王室を揺るがす大事件になっていくのです。(次号767号で、顛末が明らかに…)
                  崔 基鎬著 「韓国堕落の2000年史」
儒教国朝鮮では、女性の身分は奴隷に近かった。
夫が一方的に妻を離縁できる「七去之悪」の規定があり、 七つの大罪の一つに”嫉妬”があった。(メルマガ739号)
TV放映中の李朝時代の物語「女人天下」…陰謀渦巻く宮中で、 王后と妾が王の跡目をめぐり、熾烈な女の戦いを繰り広げている

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