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禅僧・関 大徹「人間本来無一物」

■「四苦八苦」
 
「いやあ~四苦八苦してますよ…」などと、軽いノリで使われる「四苦八苦」
という言葉…仏教の開祖、ブッダの説法に出て来る言葉です。
人生そのものが「苦」だという教えで、最初の「四苦」は
これに、以下の四つを加えると「八苦」になる。
 
愛別離苦(あいべつりく) …愛する人と別れねばならない苦しみ
怨憎会苦(おんぞうえく) …怨み憎む者と会わねばならない苦しみ
求不徳苦(ぐふとくく)」   …求めるものが得られない苦しみ
五陰盛苦(ごおんじょうく) …五体は丈夫だが、良い考えが浮ばない苦しみ
 
ブッダの教えの基本は”諸行無常”。「この世の一切のものは、絶えず移り
変わって、一瞬の間も同じ姿を保つことがない」…「今、ここに!」なのです。
一秒一秒…命が…時間が…風景が…すべてが変化して新しくなっていく。
 
今、どんなに苦しくとも、時とともに変化していく…明日は違ったものになって
いく。故に、明日への希望を失ってはならないのです。
 
 

796 【心と体の健康情報】
~禅僧・関 大徹~ 「人間本来無一物」

人生の書、禅僧・関 大徹の「食えなんだら食うな」から…
 
禅僧・関 大徹は、日頃から「手マメ・ 口マメ・足マメ」の”三マメ”を実行してきた。
福井市の大きな乾物屋の二代目がお寺へやって来て、 「自分には、とても店を継ぐほどの器量がない」と、悩みを訴えた。
関 大徹…その二代目を見て、控え目なところが彼の美点と見た。
 
『やれるやれる…』と勇気づけ、「本来無一物」 と書いた色紙を激励のために与た。 その覚悟でやってほしいとの願いである。 親から大層な財産を譲り受けたと思うから、荷が重いのであって、人間本来無一物という、 自明の理に踏まえれば、これほど軽やかな心境はあるまい…。
 
二代目は、手や足を動かすことには、誰にも負けぬ自信があったが、口だけは人一倍「口下手」で、どうしようもないと言う。
大徹は即座に、『それこそあなたの「徳」 であろう。「口マメ」といっても、 おしゃべりな人をいうのではない。むしろ、 寡黙な人の誠実な言こそ、より人を動かすであう。それが「徳」というものである』と…。
 
『「」という字をよく見るがいい。 行人偏に十四の心と書いてあるではないか。
十四年間、心を込めてコトを為せば、 必ず得るものがあるであろう。
もし、最初の十四年間で駄目なら、もう十四年頑張る…
計二十八年頑張って、それでも得るものなければ、言った私に文句を言いにくればいい』と、 大徹は言った。
 
二代目は、十四年も待つことなく、事業を手広くひろげ、 この業界では福井県屈指の事業家になった。
大徹は、二代目がその間に何をやっていたかを悟った。
彼は”口マメ”の代わりに「手マメ・足マメ」で、 泥んこになって働いたのである。
そして、言うことがふるっている…「なあに、永平寺の禅僧のことを思えば、 真似事にもなりませんよ…」
 
永平寺で一番早く起きる人は、深夜の1時半である。
1時半から2時間かけて掃除をする。拭き掃除にしても、雑巾一枚で用を足すのではない… それぞれ場所に応じて、上段、中段、 下段と三枚を使いわける。
朝一番の仕事を済ませ、3時半になると、みんなを起こす。
3時半には、すべて日の日課が始まるのである。
 
二代目は、永平寺の日課に習ったのであろう。
 

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