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禅僧・関 大徹「正眼僧堂の一日」

■「足るを知る」
 
◇老子」三十三章に「知足」がある
『人を知るものは智    自らを知るものは明なり
  人に勝つものは力あり 自らに勝つものは強し
  足るを知るものは富み 強めて行うものは志あり』
 
◇仏教思想では…
『裸で生まれてきたのだから裸で帰る。
  人間寝るところ一畳あれば足りる。
  人間を入れる棺桶は、巾二尺、長さ六尺もあれば足りる』
 
◇「聖書」五章十五節には…
『人は母の胎より出で来たりし如く また裸体にて帰り行くべし。 
  その労苦によりて得たる物を 
  一つも手にとりて携え行くことを得ざるなり』
 
 
 
798 【心と体の健康情報】
~禅僧・関 大徹~ 「正眼僧堂の一日」
 
人生の書、禅僧・関 大徹の「食えなんだら食うな」から…
 
禅には「一日為さざれば、一日食わず」という言葉がある。
「正眼僧堂」の生活が正にそれであろう。 仕事をしないものには食う資格がない…ということになる。
 
禅もすごいが、作務のすごさはまた、言語に絶した。
どんな日でも、決して休みはないのである。
普通でいう作務とは、堂内の拭き掃除、庭掃き、薪とりなどである。
ところが、正眼寺にあっては、 巨大な機械力を投入しなければならないような土木工事まで、雲水たちがやってのける。
 
早暁、本堂の朝課を終えると、禅堂に移って座禅を組む。
それを済ませると、老師の部屋に入って、与えられた”公案”(禅問答の題材)に対して見解をのべ、 批判を受ける。
これがまた峻烈をきわめる… 毎朝毎晩が試験である。そして粥坐(朝食)。粥坐の後、 ただちに作務に入る。
 
私を含めた新参者の多くは、運搬方にまわされた。
土や石をモッコに盛り上げ、二人がかりで天秤をかつぐ。
私の両肩が腫れあがて、食い込む天秤の痛さに、しばしば気を喪いそうだったが、それも暫くすると、 コブシ大の硬い肉塊が盛り上がって、 耐えられるようになった。
 
むろん、強いられてやるのではない。みんながやるから自分もやる… ということではない。 作務もまた禅であり、禅である限りすすんで身を投じるのである。
 
夜九時、開枕の梵鐘が鳴ると、一同は坐禅を終えて経を誦し、 三宝礼をして横になる。ただ一つの小さな灯まで消されて、僧房の中は真っ暗になる。
これで、一日の行が終わったわけではない。「夜坐」という日課外の修行が始まる。 静かに寝所を抜け出し、法衣をつけ、座布団を厚く敷いて、軒下で坐禅を組む。
本堂や諸堂の中に入ることは許されない。 雨などで外に坐れないときは、縁側に坐る。
 
驚いたのは、正眼僧堂では、入堂以来何年というもの、 一夜として僧堂の中で夜を明かしたことがないという、命知らずが少なくないのです。
文字通り「不惜身命」である。雨の夜も風の夜も、 大地が凍てつくような極寒の夜も、 雪の中でさえ平気で坐り続けてきた人たちの仲間入りをしたのです。
 
夜を徹して樹下石上に坐り、露に覚め、寒冷に自らをふるい立たせ、ふくろうの声、 風の音に自分を空しくして、充実していく日々の己を知った。
 
 

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