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火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ(2)

いないのは義経か?弁慶か?
 
徳川家康が、くつろいで座談をしていたとき…
「今の世に、武蔵坊弁慶のような剛勇の士はいないようだな」と言った。
と…頑固一徹の家臣本多正重が、異を唱えた。
「いやいや、弁慶は幾らもござるが、 義経のようなよい大将がござらぬ…て」
 
古川柳に、
「義経は八艘(はっそう)飛んで べかこ(アッカンベー)をし」がある。
壇ノ浦で、八艘飛びの離れ業を演じ、敵にアッカンベーをする義経の得意顔
を詠んでいる。
今日の政界…義経ほどの英知に長けた人物が見当たらないようです?
 
 
874 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~ 
「火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ(2)」
 
一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ
日本一短い手紙…その手紙を書いた”本多作左衛門重次”知る人は少ない。
手紙にある”お仙”という名は、女の子のようだが、跡継ぎ”仙千代” (後の福井県 越前丸岡藩主)ことである。
 
家康が、三河平定した後の永禄8年、作左衛門は天野康景、高力清長と共に「三河三奉行」 に任ぜられた。
分断支配の得意な家康…岡崎の奉行を三人制にして、 一ヶ月交代で勤務させた。
すると住民は、「先月の方が良かった」「今月の奉行はもっといい」 と比べられる。
そうなると三人の奉行、競い合って実績を稼ぐようになる…という筋書きだ。
 
奉行所は、次々と法令を発した。住民に対し「○○すべからず…」 という条文がかった。 ところがその法令…一向に守られない…三人の奉行は額を集め、 探った。
作左衛門は、「条文を書いた高札を持ってまいれ…」と部下に命じた。
一読して、「これではダメだ…漢文ばかりで難しすぎる…住民には読めない。全文仮書き換えるように」と命じた。
 
法令を仮名で書いた前例がない…役人たちは顔をみあわせ、渋った。
しぶしぶ命に従い、書き直された法令…読み下した作左衛門は、 満足そうにうなずき、 最後に筆をとって付け加えた…
「これに背くと、作左叱るぞ」
 
この高札が立てられると、不思議なことに、 住民たちは法令を守るようになった…
最後の「作左叱るぞ」が効いたのです。
三人の奉行を住民たちは、「ほとけの高力」「鬼作左」「どちへんなし (どっちでもない)の天野三郎兵衛」と謡い評した。
 
作左衛門は、鬼のように恐れられていたのです。後に、 秀吉の逆鱗に触れ、閉居させられたように(前号)、ガンコ過ぎて晩年は不遇だった。
                    童門冬二「歴史に学ぶ知恵」より

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