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お釈迦様の教え

 

■「盲亀流木のたとえ」


ある時、お釈迦さまが弟子に「そなたは人間に生まれたことを

どのように思っているか?」と尋ねられました。

「大変喜んでおります」と弟子が答えると、お釈迦さまは、

次のような話をされました。

『 果てしなく広がる海の底に、盲目の亀がいた。

その亀は、百年に一度海面に顔を出すのだ。

広い海原に、一本の丸太が浮いていて、

風の吹くまま西へ東へ、南へ北へと漂っている。

丸太の真ん中に、小さな穴が開いていた 』


「弟子よ、亀が水面に浮かび上がった拍子に、この丸太の穴に

ひょいと頭を入れることがあると思うか?」

聞かれた弟子は驚いて、

「お釈迦さま、百年に一度しか浮上しない亀にとても無理な話、不可能です」

「絶対ないと言い切れるか?」とお釈迦さまが念を押された。

そして言われた。

「弟子よ、私たちが人間に生まれるのは、亀が丸太の穴に首を

入れるよりもっと難しいことなのです…有難いことなのです」


※「有難い」とは「有ることが難しい」…つまり滅多にないことを言う。


909 【心と体の健康】

~お釈迦様の教え~

「黒白二鼠(こくびゃくにそ)の喩え話」


お釈迦さまは、35歳でさとりを開き、80歳で亡くなるまでの45年間、教えを説かれた。そして、七千余巻の仏典をまとめられたのです。

仏典の要所に、お釈迦様が仏の道を説くときの喩え話が折り込まれている。その中の一つに、「人間とは?」をテーマにした、「黒白二鼠」の喩え話がある。


『秋、旅人が山道を歩いていると、白骨が散らばる森に出た。
ふと見ると、飢えに狂った虎が、こちらに向かって来るではないか。必死に逃げたが、その先は断崖絶壁・・逃げ場を失ってしまった。


崖っぷちの一本の木に、藤ツルが垂れ下がっている。

天の助け、ツルにぶら下がって、間一髪難を逃れた。

やれやれと崖下に目をやると、荒波が打ち寄せ、白波が立っている。三匹の毒龍が、海面から頭を伸ばし、獲物にありつこうと、荒れ狂っているではないか。


陸に目をやれば、野火の炎がこちらに向かってきている・・

木が炎に包まれたらそれまでだ。


命を預けた頼みの藤ヅル・・見上げると、白と黒の二匹の鼠が、交互にカリカリつるをかじっている。鼠を追い払おうと、右に左に藤ツルをゆすると、大きな蜂の巣に触れる。

驚いた蜂は、旅人を襲おうとする。


蜂蜜がつるを伝って垂れてきた・・一口なめた蜂蜜の何と美味なこと・・余りの美味しさに、虎や龍や野火の危険が・・死が目前に迫っていることを、忘れてしまった』


この喩え話を、人の生き死に置き換えれば・・

」は人生、「旅人」は今を生きるすべての人間を指す。

」は、人生の寂しさを表す・・「独生独死、独去独来」

人は一人生まれ、一人死んでいく。一人この世に来たり、一人去っていく。自分のことを、何から何まですべて理解してくれる人間は、一人もいない。


白骨」は、いずれ自分も死んで白骨になることを暗示している。親・兄弟・親戚・知人・・突然死を知らされたとき、いずれ我が身と、ドキッとする。


飢えに狂った「」は”無常の風”・・明日の己の命がどうなるか、わかりようがない。人は病だけでは死ねない・・東北大震災のごとく、いつ思わぬ無常の風に誘われるかわからない。

運悪く無常の風が吹いたら、死ななければならない。

人は皆、生まれたときから、飢えに狂った虎を心中に持っていて、いつ襲われるかわからないのです。


野火」は残された人生と老病を、「藤ツル」は人間の寿命を、垂れてくる「」は五欲、「」は邪思を表し、人生のはかなさを説いている。


白と黒の鼠」・・白い鼠は昼を、黒い鼠は夜を表す・・

昼は白い鼠が、夜は黒い鼠が、交互に藤ヅルをかじり、昼と夜を繰り返して、残された寿命がかじられ、減じていく。

最後に噛み切った鼠が、白い鼠であれば昼に死に、黒い鼠なら、夜死ぬことになる。


三匹の毒龍」・・青龍、赤龍、黒龍、三匹の毒龍が水面で暴れている

青い龍は”欲の心”を持っている。欲には、食欲・財欲・色欲・名誉欲・睡眠欲の五欲があって、欲の本質は「我利我利亡者」・・己の欲を満たすことにのみ囚われる。

赤い龍は”怒りの心”(怒ると赤い顔になる)。

黒い龍は”愚痴の心”・・人を妬み、恨み、心は醜く汚い。


人生とは、この喩え話のようなもの・・すべての人に当てはまる・・過去に囚われ、将来を憂えたところで、どうなるものでもない・・今に感謝し、今を充実して生きることが大切なのです。

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