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大盗賊・石川五右衛門

長年吸ってきたタバコを断つのをきっかけに始めた

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「継続は力」・・来年1千回になります。


今年古希を迎えたのを節目に、
賀状を失礼することにしました。

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今年一年ありがとうございました。

よいお年をお迎えください・・


926 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「大盗賊・石川五右衛門」


歴史にその名を残す大泥棒・石川五右衛門。                  ところが、出生地や生い立ち、なぜ大泥棒になって釜ゆでにされたのか? 磯田道史著「古今をちこち」を読むまで、何も知りませんでした。


石川五右衛門の出生地は、諸説があって定かではないが、「一色軍記」によれば、天正十年(1582)明智光秀に織田信長が殺された、混乱の時代に誕生したとされている。


五右衛門の父は、京都・伊久地村別城の城主で、大名”一色氏”の重臣でした。
しかし、明智光秀側についた一色氏は、細川の軍勢に攻め滅ぼされ、五右衛門の父と兄は殺されてしまいました。
難を逃れた末弟の五右衛門は、その後大泥棒になって、歴史にその名を残したのです。


これが史実だとすると、五右衛門は細川家や秀吉など、「光秀の乱」の勝者たちを深く恨んでいたことになる。
事実、彼は市中を荒らしまわり、秀吉や豊臣系大名の御殿を狙って財宝を奪う、大泥棒になった。時の権力者のみを狙う義賊だったため、圧政に不満を持つ庶民のヒーロー的存在になったのです。


1594年、秀吉の命によって、京都所司代・前田玄以の手勢に捕えられ、三条河原で一子と共に、油を入れた釜で煮られ、処刑された。

また、仲間の盗賊10人と母親は、熱湯釜ゆでにされ、あまりの熱さに、泣き叫びながら死んでいったという。
残る家族19人は、磔の刑で処刑された。


五右衛門の”権力”への反抗は、後にベストセラーとなる「絵本太閤記」によって、民衆の心をつかんだ。

「賊禁秘誠談」で五右衛門は・・「天皇の御所を自由にはいかいし、三種の神器を奪い取り、帝王の位に昇り、日本一の人物と呼ばわれん」と大ぼらを吹いている。


五右衛門が獲ろうとしたのは三種の神器であり、帝王に化けて、12人の妃の好みの女体を欲しいままにすること…      五右衛門は闇の中でニヤリとしているだろう。

身分制下の江戸で、はけ口を求めた庶民は、五右衛門の生きざまに狂喜したのです。


石川五右衛門…歴史の上で、その実在は定かではなかったが、近年発見されたイエスズ会の宣教師の日記に、同名の人物の名が記されていて、実在が確認されたのです。

石川や 浜の真砂は尽きるとも
          世に盗人の種は尽きまじ

五右衛門が処刑直前に詠んだ「辞世の句」として、後世に伝えられている。

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