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人生は旅人のごとし

「独生独死 独去独来」


木枯らしの吹く 秋の夕暮
果てしない無人の荒野を、旅人は独り歩いていた。

それは木枯らしの吹く、秋の夕暮であった。

これは、人生の寂しさを歌ったものです。


なぜ、人生は寂しいのか? その理由を釈迦は・・

独生独死 独去独来と説いている。

人間は独人生まれ、独り死んでいく。独り去り、独り来ると・・


どれだけ大勢の人に囲まれていても寂しいのは、
自分を心底分かってくれる人がいないからである。

親子、夫婦、親友であっても、心の中のすべてを洗いざらい

さらけ出すことは出来ないし、難しいだろう。


                                               木村耕一・編著「こころの朝」


1033 【心と体の健康】
~幸せな人生~ 「人生は旅人のごとし」


あけましておめでとうございます・・今年は”蛇年”・・私の年です。

72年の人生を振り返って・・歩んできた人生を何かに例えるなら・・
それは「旅人」であろうか。

旅人は、一か所に留まることはない・・私たちもまた、昨日から今日、
今日から明日へと、休まずに歩み続ける。


旅は、天気の良い日ばかりとは限らない・・雨や風、雪の日もあれば、
台風に見舞われることもあるだろう・・上り坂に下り坂、まさかの坂も
経験した。
また、旅を続けていると、調子のいいことばかりではない・・悲しいこと、
辛いこと、どん底に落ちたこともあった。

確かに人生は「旅」に似ている・・しかし、旅人ならば行き先・目的地が
ハッキリしているだろう。


昨日まで、自分が歩いてきた道はどうだっだのか?
人生の目的、目標は明確だっただろうか?

自分は何を目指し、どんな目的で今まで生きてきたのか?

これから、どんな生き方をしようというのか?

何も考えないまま、とにかく歩き、走ってきたのではないだろうか?

「一年の計は元旦にあり」・・
しっかりとした計画を立て、明日に向かっ て歩いていきたいものです。


一休は「世の中の 娘が嫁と花咲いて 嬶としぼんで 婆と散りゆく

と詠んでいる。

「この間まで自分は娘だと思っていたのに、もう息子が嫁をもらって
孫ができた・・いやぁ・・月日のたつのは早いなぁ」

娘から嫁、嫁から嬶、嬶から婆さんへと、どんどん年を重ねていくよう
に・・気が付いたら、国から年金の支給を受け、生活している自分がい
る。

更に一休は、「門松は 冥土の旅の 一里塚」と詠んでいる。

去年から今年、今年から来年へと歳を重ねていく・・
生きるとは、死に向って休みなく一歩一歩近づいていくことです。


一番大事なことは、どこに向かって歩くのか・・目的地はどこか?

目的地も知らずに歩いたなら、行き倒れになってしまうだろう。

生きる目的がハッキリしてこそ、頑張って歩くことができる・・
今日まで、一生懸命歩いてきた自分に満足できるだろう。


目的もなく生きるのは、ただ死に向かって歩いているだけだ・・

死を待つだけの人間は、苦しむだけの一生になってしまうだろう。


越えなばと 思いし峰に 来てみれば なお行く先は

  山路なりけり

                                                                木村耕一・編著「こころの朝」

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