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韓国孤児の母・田内千鶴子(2)

           田内千鶴子



426 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「韓国孤児の母・田内千鶴子(2)」


千鶴子は夫が残した共生園で、見捨てられた孤児を育て
ることに人生の全てを捧げた・・その数は三千人にもなる。


1968年田内千鶴子は木浦市で、孤児たちに見守られ
56歳の人生を終えた。       木浦市で市民葬が営まれ、
三万人の市民が訪れ、彼女の死を悼んだ。

●市民葬 翌日の新聞
オモニ・・木浦のオモニ・・私たちみんなのオモニ
子どもたちを残してどこに行かれるのですか?

死を受け入れられない300人余りの幼い子どもたちは
泣きじゃくりながらオモニを呼び、窓越しにオモニの
旅立ちを見守った。 
                    
共生園

黒いチマを着ていつも忙しく動き回っていた、私たちの
オモニ。
56歳という短い生涯を閉じて、家族や園児たち、
そして彼女を物心両面で支えた木浦市民たち・・
愛し続けてきた共生園に分かれを告げた11月2日、
木浦は泣いた。

木浦市は開港以来初めて、全市の教会の鐘を鳴らした。
沿道の市民も足を止めて頭を下げ、彼女の冥福を祈った。

2日の午前10時葬儀が行われ、三万人の市民が参列し
彼女の永眠に哀悼の意を表した。

●園児代表哀悼の辞
オモニ・・
寒い冬には凍えた小さな手に息を吹きかけ、オモニの
その暖かい手で温めながら「ちゃんと勉強するんだよ」
と・・まだつたない韓国語で話してくれたオモニ。

この先どうやって、誰からオモニのように暖かい手に
触れ、愛を与えてもらえるというのですか・・オモニ

昨年の10月にオモニが病気になり、床に伏せられた
とき、私たちはみんなでオモニの回復を祈りました。

共生園のみんなオモニの手で育ち、愛をいっぱい貰って
社会に出ていった、3千人の子どもたち家族みんなが
オモニのために手を合わせ、祈りました。

オモニ・・何かおっしゃってくたさい!
私たちは、オモニが願った立派な人間になります。
ただそれしか約束することができません。
天国でどうか安らかにお休みください。

      「尹致浩/尹鶴子 記念館」 日本語説明文

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