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焼き肉えびす/食中毒事件

■企業ビジョン

1997年操業・・
高岡市に「焼き肉酒家えびす」1号店を開店。
翌年(有)フーズフォーラスを設立。

北陸3県にチェーン展開し、2010年北陸
3県 に19店舗、7月横浜に出店して20
店舗に・・
2020年までに300店舗、、上場、、
社員の給与 日本一を目標に掲げるなど・・
本社正面玄関の一番目につくところに、
”6つ”の将来ビジョンが掲げられた。

そして中毒事件・・フーズフォーラス社のビジョンに、
食の安全安心」の項目が抜け落ちていることに
気づいたのです。



1440 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「焼き肉えびす/食中毒事件」

2011年4月「焼き肉酒屋えびす」で集団食中毒事件
が発生した。
食材の「和牛ユッケ」に腸管性出血性大腸菌0-111
が付着していたのです。 死者5名を含む、181人の
中毒患者を出す大惨事になった。

「焼き肉えびす」の経営母体フーズフォーラス社は、
金沢市入江2丁目の私が所有する貸しビルの一階に
本社を置いていた・・私とは大家・店子の間柄でした。

社長は勘坂康弘当時36歳・・富山県高岡市生まれの
活力に溢れた、将来を嘱望された経営者として、異彩を
放っ ていた。
初対面で、勘坂氏の人間性に魅了される、誠実で器の
大きな人物でした。それだけに、このような事件に巻き
込まれ、人生を挫折したことが、悔やまれてならないの
です。
人生には「上り坂あり、下り坂あり」
恐いのは、地震のように突然やってくる「まさかの坂
ではないでしょうか。

起業から十年、業績を順調に伸ばし、大空に向かって
更に大きく羽ばたこうとしていた矢先の事件でした。
事件が全国に報道されるや、私のビルは、東京からやっ
て来たNHKや民放各社の取材陣に取り囲まれた。

大きなパラボラアンテナを付けたワゴン車や、瞬間を
撮ろうと梯子にまたがって待ち構える記者たちで、
町内は異様な空気に包まれた。

私の会社に用のある人がビルに入ろうとすると、マイク
を持った記者たちがドッと取り囲んだ・・
「焼き肉えびすの方ですか?社長は今どこに・・」

ニュースで報道されるたびに、私の会社の名前も映し出
され、東京の取引先から、誤解されるので表示を見えな
くしてほしい・・と忠告された。

そのような状況が1週間・ひと月と続き、「何とかなら
ないのか」と無性に腹が立ち・・やり場のない状態が
続いた。
                                                  次号に続く

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