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孔子の両親

■「天の書」論語

論語は、私たちの「心の書」として、
今日までその教えは生き続けている。

二千五百年もの長い時空を超えて、
現代人の意識でもって論語を読み、
現代人の心理をもって自分自身の
姿をその中に見出そうとする。

論語は「天の書」であるとともに「地の書」
である。孔子は一生こつこつと地上を
歩きながら、天の言葉を語るように
なった人である。

天の言葉を語ったが、彼には神がか
りなオーラも、神秘も奇跡も感じられ
なかった・・
いわば、地の声をもって天の言葉を
語った人である。
門人たちも、彼にならって天の言葉を
語ろうとした。
しかし、彼らの多くは結局、地の言葉
しか語ることができなかった。

     下村湖人「論語物語/序文」より



1443 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
孔子の教え(33)「 孔子の両親 」

孔子は紀元前551年に生まれ、当時としては長生きを
して、73歳の天寿を全うし亡くなりました。
世界の四大聖人の一人、釈迦の晩年は、旅先で病を
発して亡くなります。
キリストは、十字架にかけられて非業の死を遂げ、
ソクラテスも、自宅で毒杯をあおって死にました。

苦労の人生ではあったが、孔子は天寿を全うした。
孔子は決して人生の成功者ではなかったが、二千五百年
もの長い時空を超えて、今日までその教えは生き続けて
います・・
現在79代目の子孫が、先祖の祀りを継承し、
孔子の教えを奉体されています・・
このような例は、他の聖人には見当たりません。

孔子の父は叔梁紇(しゅくりょうこつ)、
母は顔徴在(がんちょうざい)といいます。
父は剛力な武人で、戦争に敗れて城に逃げ帰ると、
堅固な門の重たい鉄の扉を押し上げて、味方が全員
入りきるまで支えていたとの、言い伝えがあります。

その後、田舎の村長さんのような地位に就き、
そこで孔子が生まれた。
父と最初の妻には9人の女子がいたが、
養子制度がないため「今度こそは・・」と9人になった。

家を継がせる男子が欲しいと、やむを得ず第2婦人を
迎えた。
幸い男子に恵まれたが、生まれながらに足が悪く・・
これでは家を継げないと、第三婦人を迎えた。
第三婦人は16歳で、夫は60を過ぎていたが、
幸い男子が生まれた・・この子が孔子です。

孔子が2、3歳の頃、父が亡くなった。
第三婦人という立場の弱い母は、孔子を連れて魯の都で
ある曲阜に出て女手ひとつで育てます・・
故に、幼少時代は恵まれませんでした。

母親の顔徴在は”巫女”の出身で、礼儀作法をわきまえ
、珍しく女性で文字が読めた。貧しい家庭だったので、
母親が礼儀作法や学問を孔子に教えたと推測されます。

                     
「理念と経営/伊与田覚・論語の対話」より

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