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五輪書の記述と異なる巌流島の決闘

■武蔵が小次郎に勝つ秘策

”長い太刀”を強みにしている小次郎に対する
には、それより長い木刀を密かに用意して、
相手の長所を打ち消す戦法を考えた。

小次郎は、武蔵が自分より長い木刀を用意
していることに、全く気づかなかった。
武蔵は戦いが始まるや、木刀を上段に構え、
柄の底の部分を相手に向け、長い木刀を
短く見せるようにした。

刀は自分の方が長いと信じ込んでいる小次郎
は、自分の刀しか届かない間合いで、武蔵を
切り伏せようとした。

とっさに身をかわした武蔵は、その間合いの
まま、一撃を加えたのです。
まさか相手の刀が届くと思わなかった小次郎、
長い木刀の一撃をかわすことができなかった。



1505 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「五輪書の記述と異なる巌流島の決闘」

宮本武蔵の人生でハイライトとなるのが、佐々木小次郎
と戦った巌流島の決闘です。
ところが歴史家によれば、私たちがテレビや小説を通し
て知っている内容とは、大きく異なるのです。

武蔵の著書「五輪書」には、「六十余度の勝負全てに勝
った」と書かれているが、この巌流島の決闘についての
記述はない。
武蔵の死後約130年後の1776年、熊本藩細川家の
二天流兵法師範・豊田景英が創作した、宮本武蔵の伝記
「二天記」
この伝記に、決闘の様子がほぼ現代の私たちが知る
内容で書かれている。
江戸時代、その他にも伝記や記述書があるが、
それぞれ内容が異なり、何れも史実としての価値はない。

「二天記」によれば、佐々木小次郎は、今の福井県福井
市に生まれ、秘剣「燕返し」の拳法は、福井にある一乗
滝で身につけたとされている。

彼は、流派「岩流」を創始、小倉藩の剣術師範になって
いる。それ以外に確実な史料は現存しない。

後世の決闘では、小次郎を待たすこと3時間・・
ようやく小舟で現れた武蔵・・「遅いぞ!武蔵」
『小次郎!破れたり』・・そして戦い、武蔵が勝った。

「二天記」では、武蔵は遅刻していなかった。
この戦いで武蔵は、一撃で小次郎を殺したことになって
いる。ところが、小次郎はその後息を吹き返した・・

武蔵は小次郎との約束を破って、弟子を連れてきていた
・・武蔵の弟子たちが、蘇生した小次郎をなぶり殺しに
したという。
決闘から150年後、歌舞伎の題材になり、江戸庶民の
喝采を浴びる・・それを参考に小説にしたのが吉川英治
の「宮本武蔵」です。
この人気小説によって、私たちは史実とは異なる巌流島
の決闘を、あたかも史実のごとく植え付けられたのです。

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