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住友中興の祖・伊庭貞剛の名言

■イタイイタイ病

今から30年前、毎年冬には岐阜県新穂高
スキー場に出かけて滑っていた。
途中、ハゲ山になった三井金属・神岡鉱山横
を通った。
最盛期には東洋一の鉱山として栄え、日本の
経済発展をけん引してきたが、今は廃鉱・・
静まりかえっている。

富山県神通川上流、岐阜県・神岡鉱山から
流れ出たカドミウム。大正から昭和にかけて、
汚染された米を食べた人々が、原因不明の
公害病に苦しんだ・・後に、イタイイタイ病と
名付けられ、社会を揺るがす大事件になった。



1509  「吉村外喜雄のなんだかんだ」
「別子銅山中興の祖・伊庭貞剛の名言」 

伊庭貞剛(いばていごう)は、近江に生まれた明治の
実業家で、住友二代目総領事。
「別子銅山中興の祖」と言われ、煙害問題の解決に尽力
し、植林による環境復元に心血を注いだ。 

■伊庭貞剛の名言

「 命がけで押す判は、生涯3度・・
判を押してはならぬ書類なら、初めから作らせては
ならぬ。そんなものしか作れん者なら、初めから採用
するな!
重役が命がけで判を押さねばならぬのは、在職中、
2度か3度ぐらいだ。5度もあれば多すぎる。
後はめくら判でさしつかえない 」

伊庭は、部下が持ってくる書類に全て判を押した。
その後の責任は、上司である伊庭が取ると公言した。
為に部下は、絶対不備・落ち度のないよう、書類の作成
に注意するようになった。

「 言葉は八分で止めて、後の二分は相手に考えさせる
  がよい。わかる者には言わずともわかるが、わからぬ者
  には  いくら言ってもわからぬ 」

「 事業の進歩発展に最も害するものは、
  若者の過失ではなく、年配者の”のさばり”である 」

「 友とは、憎しみ合ったときのことを考えて付き合え。
   敵とは、愛しあったときのことを考えて付き合え」

「 人は、才能を信頼してやれば、その信頼に応えよう
   と、全知全能を発揮するものである」

「 経営者の仕事で一番大切なことは、後継者を育てる
   こと。そして、引継ぎの時期を間違えないことだ 」

伊庭は57歳の若さで、住友2代目総領事を引退し、
石山に隠居した。

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