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加賀藩の藩校開設

■金澤神社

藩校・明倫堂の御守社として創建された
金澤神社。
兼六園の東、石引へ通り抜ける成巽閣
の奥にある。
学業成就、商売繁盛、災難除けなどで、
お参りする人が絶えない。



1572 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
歴史から学ぶ 「加賀藩の藩校開設」

18世紀後半の江戸時代、各藩は士気を高め、風紀を
引き締めようと、次々藩校を設けた。
加賀藩もその影響を受け、1792年・寛政4年 11
藩主前田治脩(はるなが)によって藩校が開設された。

各藩、文武を合わせた「1校開設」が主流の中で、
加賀藩は文と武を明確に分け、文学校を「明倫堂」、
武学校を「経武館」と名付け、現在の兼六園の梅林横に
2校並べて開校した。

経武館   明倫堂

加賀藩の藩校が他藩と大きく異なるのは「四民教導」
士農工商分け隔てなく、庶民教育に力を入れたことが
特質される。
開校時、入学希望者は2600人を超え、素読希望
だけでも300人に上がった。

開校は他藩と比べ、決して早い方ではなかつた。
構想はその100年前、5代藩主前田綱紀の時にあった
が、藩財政の悪化や、藩主が短命で相次いで代るなど
したため、実現しなかった。

藩の教育への力の入れようもさることながら、郷士の
教育熱が高かったことがうかがえるのです。

                            北国文華「学府金沢を創った知の源流」

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