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歴史から学ぶ 「洋式学校を新設した加賀藩」

■加賀藩

・1600年
  加賀藩・藩祖/前田利長 122万石

・1615年  七日市支藩  1万石 
  藩祖/前田利孝(利家の5男)

・1640年  富山支藩  10万石
  藩祖/前田利次(3代利常の次男)

・1640年 大聖寺支藩  7万石
  藩祖/前田利治(3代利常の3男)



1575 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
歴史から学ぶ 「洋式学校を新設した加賀藩」

幕末の加賀藩は、大藩でありながら勤王・佐幕派いずれ
にも登場せず、時代が変革していく中で、ただ手をこま
ねいていた感がある。

黒船が浦賀に現れたのは1853年だが、それ以前から
異国船が日本沿岸に次々と出没していて、幕府はもとよ
り各藩は緊張感を高めていた。

日本列島の真ん中に位置し、長い海岸線を有する加賀藩
も、外敵を排除できる軍事力を持つことが急務となった。

13代藩主・前田斎泰(なりやす)は、西洋砲術の研究
に取り組んでいた藩士・大橋作之進を抜擢・・
ベリー来航の翌年、香林坊・柿木畑(地名)に藩直轄の
洋式武学校「壮猶館」(そうゆうかん)を開校した。

1万4千平方メートルの敷地に、射撃場や火薬研究所を
設け、砲術、航海術、測量学など多岐にわたり研究した。

階級や家柄が重視される時代にあって、壮猶館は実力
主義をとり、有能な者は身分を問わず登用され、数多く
の逸材を輩出した。

やがて、新時代の明治をけん引する人材へと、継承され
ていった。決して手をこまねいて、何もしなかったわけ
ではないのです。

                                 北国文華「学府金沢を創った知の源流」

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