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金沢城再建/金沢城三御門

私にとって金沢城と兼六園は、幼い頃の懐かしい
想い出が詰まった遊び場でした。
現在も、週に一度は散歩コースにしている。

当時、兼六園は出入り自由で、市民の憩いの場
だった。お城の周りで戦争ごっこをしたり、
冬に雪が積もると、城内の坂道で竹スキーを
滑ったり、暗くなるまで遊んだ。



1593 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「金沢城再建/金沢城三御門」

1546年、加賀一向宗門徒の拠点、大阪本願寺別院
「金沢御堂」が建てられたのが金沢城の始まり・・
金沢市民には「尾山御坊」の名で親しまれている。

1580年、柴田勝家が金沢御堂を攻略。
織田家の家臣佐久間盛政が、初代金沢城主になり入城。
1583年に前田利家が入城し、本格的城づくりに入る
が、1602年の落雷で天守閣が焼失。

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その後天守閣は再建されず、二の丸御殿が建てられて、
城の
整備が進められたが、1759年の宝暦の大火など
4度の城下の大火で、城内のほとんどの建物が焼失して
しま っ
た。
明治14年には失火により、二の丸御殿も全焼した。
金沢城のシンボル、石川門から三の丸広場に入ると、
日本一巨大な城郭50間長屋が、目に飛び込んでくる。

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平成13年、100年後の文化遺産を目指して50間
長屋が再建され、「金沢城公園」として 一般に開放さ
れた。
三の丸広場には「石川門」「河北門」「橋爪門」の3つ
の城門があり、「金沢城三御門」と呼ばれた。
石川門は、宝暦の大火で焼失したが、1788年に再建
されて現存・・国の重要文化財になっている。

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平成18年に金沢城復元整備事業が始まり、平成22年
河北門が当時の工法を忠実に守り復元された。
河北門は、明治15年に無くなるまで、金沢城の
正面玄関の役割を果たし、参勤交代は石川門ではなく、
河北門から出発した。
 
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平成27年には橋爪門が復元された。
城内で最も格式の高い橋爪門は、殿様が居住する
二の丸御殿への正門になる。明治期に焼失して以来
134年ぶりに、史実に沿って復元された。

金沢城復元整備事業は20年数年の歳月をかけ、
江戸後期の重厚な金沢城の景観をよみがえらせたのです。

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