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ポジィティブに生きる

「 人間は不完全   どんな人間でも
                       長所半分 短所半分  」



1631 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
心と体の健康 「ポジィティブに生きる」

萩本欽一さんといえば、誰もが知るトップコメディアン
です。萩本さんは私と同じS16年生まれの77歳です。

高校卒業後、コメディアンになりたくて浅草の東洋劇場
に入団。あがり症の欽一は、役をもらったのに台詞を
忘れてしまい、才能がないと追い出されそうになった。

あがり症を克服しようと、早朝人けのない劇場の舞台に
立って、度胸をつけようと大声で発声練習をした。
そして、舞台の雑巾がけを毎日やった。

陰ひなたのないけなげな姿を見た、先輩や仲間が受け
入れた。
入団半年目に月給3千円の異例の待遇・・
芸の道を志すことができたのです。
子どもの頃の母親のポジティブな接し方が、社会人に
なって欽一を助けたのです。

欽一小学生の頃は、学業成績は良かった。
5点採点の通知表を見た母「5が沢山あって嬉しいね」
中学の成績は中程度・・通知書は10点採点。
通知表を見た母「5が沢山並んでいて・・いいね」

高校生になった欽一・・成績は240人中約200番。
「後ろに40人もいるじゃないの」と母はらなかった。

コメディアンになってしばらくして、ひょんな偶然から
坂上次郎とコンビを組むことになった。
コント55号が結成され、大ブレーク!
周りから持てはやされるが、おごり高ぶらず、
謙虚さを失うことはなかった。

年老いた母は欽一に
「真昼間、家に帰ってこないで・・近所の目があるから」
母は、コメディアンが恥ずかしい職業と思い込んでいた
のです。
S39年の東京オリンピックで、天皇陛下参列の前で
司会進行を務めた萩本欽一・・
それを見てようやく「息子が立派になった」と喜んだと
いう。

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