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寺地用水

1939 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
「寺地用水」

金沢の市街地、
流れる犀川と浅野川に挟まれた高台に
兼六園がある。兼六園を山側の東に抜けたところが
「小立野台地」で、町名は石引町。

藩政の初め、金沢城の石垣を築くため、戸室山から切り
出 した戸室石を引いて、運んできた道筋だったことから
「石引」の 地名が付けられた。
石引町を3キロほどさか上ると、舘山にぶつかる。
小立野台地の終着点で、土清水町と舘山町がある。

土清水町には母の実家があり、戦時中は実家の納屋の2階
に疎開。真夜中、玄関前で富山の空襲を見たのは当時4歳。

真っ暗な空に、富山県の県境医王山の稜線が、焼夷弾で
ボワンボワンと、火山が噴火したように赤く浮かび上がり
、 怖かったことをおぼろげに覚えている。
小学生の頃は、夏休みになると、実家近くの犀川で泳ぎ、
野山を日が暮れるまで駆け回って遊んだ。

さて本日のテーマは「寺地用水
江戸時代の初期、加賀藩は小立野台を灌漑するため、
延長10、7Kmの用水を引いた・・これが「寺津用水」
です。用水は、金沢市初の辰巳発電所や、市の上水道に
利用 された

現在は犀川ダムの下流で取水し、末町から舘町の山すそを
巻くように流れ、辰巳用水と合流して土清水町から小立野
台、兼六園に流れ込み、園内の泉水、金沢城、市内の用水
の水源になっている。
                     IMG_7342

周辺は豊かな自然に囲まれ、寺地用水と辰巳用水に沿って
ウオーキングコースが整備されている。

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