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福沢諭吉とイソップ寓話

福沢諭吉

アメリカに渡り、ヨーロッパの使節団に加わ
り、帰国後「西洋事情・10巻」を出版。


西洋の政治や議会など、国の基本となる仕組

み、学校や新聞、病院といった、西洋の様々

な文化を日本に紹介した。


諭吉は教育にも力を注いで慶応義塾を開き、
「学問のすすめ」の中で「天は人の上に人を
つくらず、人の下に人をつくらず」と、
学問をすることの大切さを説いた。



1219 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「福沢諭吉とイソップ寓話」


1860年、日米就航通称条約批准のため、咸臨丸に従者として随行していた福沢諭吉がアメリカから帰国した。その時、お土産に持ち帰ったのが「イソップ物語」。福沢諭吉は、それを迫力ある文語体に翻訳した。


一見読みにくそうだが、声に出して詩歌のごとく、抑揚を付けて読んでみると、味わいのあるまろやかな文章が伝わってくる。



「蟻と螽(いなご)の事」           イソップ物語抄より


秋過ぎ   冬もはや来り    蟻の仲間は忙しく
雨露にさらせる穀物を    住居の傍(かたえ)に取り入れて
小山の如く積貯(つみたくわ)へ    寒さの用意専一と
共に働くその折から   
夏の終に生残りし    一疋(いっぴき)の螽(いなご)
飢寒(うえさむさ)に堪(た)え兼(か)ね    半死半生の様にて
蟻の家に来たり   

見苦しくも腰を屈めて

「君が家に貯えたる     小麦にても大麦にても

  唯一粒を恵(めぐみ)て      この難渋を救ひ給え」

と請願(こいねが)ひしに   
一疋(いっぴき)の蟻     これを詰(なじ)り 問ひけるは


「我らは    夏の間に辛抱して    兵糧を貯へしに

  君においては    更にその用意もあらず

  長き夏中のその間は    何事に日を送られしや」

との尋(たずね)に     螽(いなご)も赤面し


「さればその事なり    夏の間は唯面白く月日を送り

  朝(あした)には露を飲み     夕(ゆうべ)には月に歌ひ

  花に戯れ    草に舞ひ     冬の来たらんとは    
  ゆめゆめ考へざりしなり」

と答(こたう)れば    蟻の曰く


「君の言葉を聞ひては     我らには     別にいふべきこともなし

  誰にもあれ    夏の間に歌舞飲食する者は  
  冬に至りて     飢死ぬべきはずなり」と・・


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螽(いなご)は、その後キリギリスに置き換えられ、

子ども向けの「イソップ物語」として、世間に広く読まれるようになった。

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