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私の母校・紫錦台中学

時間は最高の財産

西洋のことわざ「時は金なり」・・時間は貴重
なもの、決して無駄にしてはならない。


人は生まれるとき、神様は一冊の通帳を持た

せてくれる。通帳に毎日86,400円振り込ま

れてくる・・その日一日が終わると、通帳の残

高は0になる。

振り込まれたお金をどう使おうと自由だが、

使いきれずに残したら、翌日に繰り越される

ことなく消えてしまう。
せっかくのお金を無駄にしてしまうのです。


毎日振り込まれる86,400円・・それは、
生きるために必要な大切なお金です。
毎日あなたは、そのお金をどう使うのでしょ

う?
生きた使い方をして使い切るか?それとも、

目的もなく何もせずに無駄にしてしまうのか?


神様から振り込まれるお金とは・・
”時間”のことです。一日は86,400秒。
等しく与えられるこの時間を、どう生かし、
使い切って生きていくのか・・



1264 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「私の母校・紫錦台中学」


サイクリングを兼ね、金大付属病院へ定期検診に行った帰り、
母校「紫錦台中学校」に立ち寄った。
長町・香林坊・片町商店街の子どもたちは、広阪の旧県庁前を通り、
兼六園の中を抜け、金沢神社から石引通りに出て、大学病院前を
歩いて通った。
肩掛け鞄を下げて三年間、兼六園を通学路に通った学校です。
数えると、卒業して59年になる・・校舎に足を踏み入れると、教室や
廊下から何とも懐かしい空気がただよってくる・・タイムスリップした
よう・・

左右両翼に二本の「三尖塔」がある本館校舎・・明治32年、石川県の
第二中学校校舎として建てられた洋館です。


私が通学した昭和33年当時は、明治の面影を残す階段教室や講堂、多数の教室が、伝統校の面影そのまま残されていた。

私が卒業した後、本館を残して取り壊され、無味乾燥な鉄筋校舎に

建て替えられた。

残された本館は、平成11年石川県有形文化財になり、 「金沢くらしの
博物館」として、市民や観光客が訪れる博物館になった。

「二中」と前後して、「一中」(石川県第一中学校/現・泉ケ丘高校)、
七尾に「三中」(石川県第三中学校/現・七尾高校)、小松に「四中」
(石川県第四中学校/現・小松高校)が創立した。

5年制の旧制中学校は、戦後の学制改革で昭和23年廃校になり、
それぞれ新制高校へと引き継がれていった。
「二中」は昭和38年、錦丘高校に名前を変えて、山手に新しい校舎が
建てられた。

残された校舎は、昭和23年市立紫錦台中学として新たにスタートした。

”紫錦”の校名は、二中の校歌「♪紫錦が陸(にしきがおか)の学窓に・・」から付けられたものです。

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