« 熱中症?それとも血栓症? | メイン | 焼肉えびす/食中毒事件・続き »

焼肉えびす/食中毒事件

■企業ビジョン

1997年創業。高岡市に「焼肉酒屋えびす」
1号店開店。翌年(有)フーズフォーラス設立。
北陸三県にチェーン展開し、2010年19店舗、
同年横浜に出店し、20店舗に・・

2020年には300店舗、上場し、社員の給与
日本一を目標にするなど、本社正面玄関に
”6つの将来ビジョン”が張り出された。

これからというとき食中毒事件発生・・
フーズフォーラス社が掲げた6つの将来ビジョンに、
最も大切な「食の安全・安心」が抜け落ちていた。



2151
「吉村外喜雄のなんだかんだ」
「焼肉えびす/食中毒事件」

遡ること12年前の2011年4月「焼肉酒屋えびす」で
集団食中毒事件が発生した。

食材の「和牛ユッケ」に腸管出血性大腸菌Oー111が
付着していたのです。死者5名を含む181人の中毒患者
を出す大惨事になった。

「焼肉えびす」の経営母体フーズフォーラス社は、
金沢市内の私の所有する貸ビルの一階に本社を構えて
いて、私とは大家・店子の間柄でした。

社長は勘坂康弘当時36歳・・富山県高岡市生まれの
活力に溢れた、将来を嘱望される異彩の経営者でした。
誰もが初対面で勘坂氏の人間性に魅了された。
誠実で器の大きな、若くして将来有望な経営者でした。

なのに、このような不幸な事件に遭遇し、奈落の底へと
転落していった彼の人生・・将来有望な一人の経営者を
失うことになり・・悔やまれてなりません。

人生「上り坂あり、下り坂あり」・・
怖いのは突然やってくる「まさかの坂」ではないでしょう
か。起業から十年、店舗を順調に伸ばし、知名度も上が
って、大空に大きく羽ばたこうとしていた矢先の事件でした。

事件が全国に報道されるや、私のビルは、東京からやって
きたNHKや民放各社の取材陣に取り囲まれた。

直径4㍍もある大きなパラポラアンテナを付けたワゴン車
や、カメラを手に瞬間を待ち構える記者たちで、
町内は騒然とした異様な空気に包まれた。

ビル2階の私の会社に用のある人が、玄関に入ろうと
すると、記者たちがマイクを持ってドッと取り囲む・・
「焼肉えびすの方ですか? 社長は今どこに・・」

全国に報道されるたびに、私の会社の社名も映し出され、
東京の取引先から「誤解されるので社名を見えなくしてほ
しい」と忠告された。

ご近所に迷惑をかける状態がひと月も続いた。
報道各社の無軌道さに「なんとかならないのか」と
無性に腹が立った・・やり場のない状態が続いた。 

                                                              次号に続く

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.noevir-hk.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/2804

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

ひとつ前の投稿は「熱中症?それとも血栓症?」です。

次の投稿は「焼肉えびす/食中毒事件・続き」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.36